はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

自分が幸せなら、他人から憎まれようが気にならない。勝ち女になる最強の掟。デフォー「モル・フランダーズ」前半戦

こんにちは。

 

デフォーっていう名前よりも、「ロビンソン・クルーソー」のほうが有名。「モル・フランダーズ」です。一言で言うと、「なんか応援できない女」モルの人生回顧録。ところどころでイラっとするし、「それでも幸せに暮らしました」という結末には「まじかよ!!?」ってなるんですが、彼女の生きざまには学ぶべきところも多く、勝ち組になるためのエッセンスが詰まっています。

モル・フランダーズ 上 (岩波文庫 赤 208-3)

 

17世紀のイギリスのお話。モルは獄中で生まれました。モルの母は窃盗犯でニューゲートに収監中、妊娠を理由に絞首刑を免れ獄中出産。モルはどこかに里子に出され、母は流刑になりました。その後のことはもちろん記憶にありません。

記憶らしい記憶があるのは、ジプシーの一団と行動を共にしていた頃からです。モルを気の毒に思った老婦人が、孤児として家に迎えてくれました。物心ついたころから自分の美しさを自覚していたモルは、「マダムになりたい!」という夢を持ち、今のままでは、適当な年齢で奉公に出されて女中として一生を終えてしまうから、お針子などで生計を立てられるくらいまでは養育してほしいとのお願いをします。

美しさと気立ての良さが功を奏し、奉公へ行くべき年齢になっても家に置いてもらえることになったモル。「元乞食ながらマダムになりたいと言っている美しい子がいる」として方々で話題になっていたということもあり、彼女は良家に引き取られ、そこで上流の娘たちと共に養育されることになります。

。。。とここまで書いてざっとまだ30ページぶんくらいのあらすじ。これは長い長い回顧録ですので、彼女の来歴をエピソードと共に紹介していこうとすると一万文字くらいになってしまいます。とりあえずここからは概略を。

 

・引き取られた先には2人の息子と2人の娘がいたが、やんちゃな兄と体の関係を持ってしまう。兄と結婚できると信じてのことだったが、兄にその気はなく、そのうちに弟からも求婚される。自体が露見することを恐れた兄は弟と結婚することを提案し、モルは不承不承、弟と結婚することに。

・一度目の結婚は夫の死で終わり、金も持っているからもう少しゆっくり暮らそうと思い始めたモルは、遊び上手でありながら紳士という「水陸両棲類(ママ)」のような男を発見。楽しく遊んでいるうちにお金を失う。

・次は真面目な男を、と決めたモルは、策を練りいい男と結婚し、彼の故郷のヴァージニアへ。子どもももうけ幸せに暮らしていたが、ヴァージニアにいた義母は自分の実の母であることが発覚(ヴァージニアは流刑地であった)、夫は異父兄弟。逃げるようにロンドンに戻る。

・金を持っているふりをして男をひっかけようとしていたら、同じように金を持っているふりをして女をひっかけようと近づいてきた男と出会い結婚。でも金がないから離婚。この男は「ランカシアの夫」として最後まで重要な役割を果たすので覚えておく。

・とりあえずツバつけておいた銀行員と結婚。ただ、ランカシアの夫との間に子どもがデキていたため、「ちょっといろいろ忙しいから待ってて!アイラビュー!」とごまかしごまかし出産。子どもは里子に出す。

・銀行員の夫と幸せに暮らしていたが、友人の保証人になったことで夫は破産し、失意のまま死ぬ。その後はやもめとして少ない貯金でやりくりしてきたけれども、貧困に耐え切れず初めて人の包みを盗む。それからは窃盗、スリ、火事場泥棒などを繰り返し10年近くを暮らす。

・犯罪が露見しニューゲートへ収監される。絞首刑を免れて流刑に。ニューゲートで再会したランカシアの夫と共にヴァージニアへ。実の母の遺産を相続し、うまく増やして裕福に暮らす。ランカシアの夫とも正式に結婚し、その後はロンドンに戻り幸せに暮らしましたとさ。

ざっとこんな感じ。1件や2件、結婚した事実が抜けているかもしれませんが、それもご愛嬌(というかすごくどうでもいいw)

重要なのは、

・乞食からいっぱしの男と結婚できるまで成り上がったこと

・男を変えながらうまく人生をわたってきたこと

・しかし、貧困から犯罪に手を染めるまで転落したこと

・自分の行いを悔やむ晩年

という人生のバイオリズム。当時は階級社会なので、モルの出自だと女中で一生を終えるのが関の山。それを良家の息子と結婚しいっぱしのマダムになるという大金星をあげます。その後も生まれを隠して中流の男と結婚し、うまくやってきますが、貧困から犯罪者へ転落。最初は貧しさ故ですが、胴元の女将の指示とグルになりいろんな犯罪を重ねて大金持ちになります。流刑になったものの、盗賊時代の金のおかげで不当な扱いは受けず、裕福な老後を送る成功人生。

どんな逆境にあっても勝ち星をあげる彼女の生きざまを眺め、時々イライラする、そんな小説です。序文に、この本を読むべきは、本の読み方を心得、そのよい利用法を知っている方々で、読者としても、この本を有効に活用すれば教訓を得ることもありましょう、というようなことが書いてありました。そんな注意書きをするだけあって、ただただ回顧録。「この回顧録から教訓を得られるかはあなた次第ですッ!!!」って挑戦状をたたきつけられている気がするので、根こそぎ学び取っていきましょう。

 

では、モルはどういう女なのか。

ここまで書いてきてわかるように、とにかく男が切れない女です。とっかえひっかえ、あれやこれやしているくせに、それをうまーくなかったことにして、いい男をかっさらっていく女。同級生とかにいたらちょっと嫌ですね。「今の彼氏がすごく優しいけれどどうも好きになれないの。逆に、すっごい好みの男の子がいて、好きみたいな感じで、てか一回やっちゃったんだけど、どうしようかなぁ~?ちなみにどっちの男も商社マンです!」とか相談してきそう。ただ、年を重ねて、後進に自分の失敗談を開陳する程度には気前が良い、憎めない女。

 

モルは勝ち女になるための手練手管にたけています。その法則は以下。

①陽気である

辛いことがあったときに、失神してふさぎこんでしまうようなことはなく、「あらあらあら、どうしましょう」と考えて行動に移すタイプです。様々な困難を乗り切ってきたのはひとえに、頭が切れるだけではなく、「自分は幸せになるべき女だから」という認識が根底にあること。その自己肯定感(勘違い?)が彼女の前向きさを支えていると考えられます。

陽気なのかはわからないけど、彼女の前向きっぷりはすごい。ニューゲートで一度絞首刑になったモルは、牧師に諭され、今までの悪事を全て告白します。それまで「牧師?別にいいです~」みたいな感じで断っていたので、この告白は本気のもの。しかし流刑になり、ランカシアの夫と再会すると真剣みが薄れてきます。流刑先でやり直そうとランカシアの夫に声をかけるとき、別れてからの人生を超~かいつまんで話すんですね。男遍歴はもちろん、自分が捕まっている理由も全くの嘘。まだ勝ちの目が残っているとわかった瞬間、神様との約束ですら簡単に反故にできるタフさ。また、ヴァージニアで息子と再会した際も、「これは私のよ。私だと思って大切にしてね」と、今まで他人からパクってきたもの中で最も値の張る懐中時計を渡します。作中最も衝撃のシーン。

作品紹介には、「晩年は過去の邪悪な生活を悔いながら…」とか書いてあるんけど、全然悔いてねーだろ、と突っ込みたくなります。それくらい明るい。

 

②自分を安売りしない

「どうやったら、自分を値打ち以上で売り付けられるかしら??」というのが、彼女の行動指針です。

例えば、ヴァージニアでの一件。相応の金をもらってロンドンに戻ることを頑として主張するモルと、何とか思いとどまってほしい、という母と夫(弟)は対立します。しかしある時、憔悴する夫(弟)を見てモルはこんなことを思います。「この人死にそうだな。このまま逝ってくれたら、こっちで有利な再婚ができるかしら?」と。ロンドンに戻り、後ろ盾のないまま独り未亡人として再婚を期すよりも、ヴァージニアでは信用のある義母の紹介で再婚するほうがお得?どっちがお得?と天秤にかけたんですね。

どんな局面にあっても、「自分が得するほうはどっち?」という視点で物事を考えます。結局、金をせしめるだけせしめてロンドンに戻り、サインすると約束していた、権利を一切放棄するという証書は送り返さないなどします。汚ねぇ。

 

と、長くなってきたので、③と④と⑤とオマケは後半戦へ。

つづく。

絶対読み返したくない不快感。もしかして、同族嫌悪からきている? 新潮クレスト「ソーラー」

こんにちは。

毎度毎度、私の中に衝撃をもたらしていくイアン・マキューアン。4作目「ソーラー」

正直、「さわやかな読後感!」とは程遠く、読んだ後も「…」って気持ちになるし、4作品も読んでいながら「ファンです!」とは言いたくない”何か”がある著者なのですが、すでに「未成年」も待機中で。臭いとわかっていながらも足の臭いをかいでしまう、そういう系でしょうか。すごく失礼ですが…

ソーラー (新潮クレスト・ブックス)

 

主人公は、50代のチビ・デブ・ハゲ三拍子そろったマイケル・ビアードという物理学者。実は若い時にノーベル賞を受賞しているすごい奴。好色で、ノーベル賞をとったことをエサに五回も結婚。五度目の結婚も破綻しそうではありますが、彼女というかセックスの相手には困っていない謎。過去の栄光に全力でぶら下がっていくタイプで、講演を引き受けたり、ナントカ基金とかそういう団体の名誉顧問的なペーパー職を掛け持ちすることで食っています。

この小説は、2000年、2005年、2009年の3部構成で、50代から60代という、心と体の衰えが決定的になる約10年間のビアードを追っています。

 

2000年。

マリリン・モンロー似の妻パトリスは公然と不倫をしています。ガチムチマッチョの若い男(ターピン)との不倫を見せつけられ、プライドはズタズタ。ある時ビアードは、環境問題を考える有志が主催する、北極圏への視察旅行に参加することになりしました。好き勝手に地球環境を憂えて悦に入っているメンバーの中でチヤホヤされ、いい気分で帰宅したビアードは、リビングで風呂上りの部下オールダスと対面…

こいつとも浮気してたんかい!!!と、ビアードはもうカンカン!!口論の中、オールダスはカーペットに足を滑らせて、机に頭を打ち付け死んでしまいます。ここで事故だと言い張ったところで自分が殺したと思われる…ビアードは一計を案じ、ターピンの犯行に見せかけて現場を偽装します。ターピンはもともとアブナイDV男だったこともあり、有罪が確定。オールダスが残したノートをめくりながら、「17年(の刑期)は妥当だなぁ」と他人事のようにつぶやいたビアードでした。

2時間サスペンスマニアの私としては、犯罪が露見しビアードが転落するのがこの物語のミソだと思っていたのですが、先に言っておくとそういう話ではないです。

 

2005年。

オールダスのノートにあった、ソーラー発電に関する新技術のアイディアを盗み、一発当ててやろうと奮戦するビアード。技術の実用化や資金集めに奔走します。2000年の段階では「最新の研究内容はよくわからんなぁ」とごちゃごちゃ言っていたビアードでしたが、やっと研究者らしい姿が見れて一安心。読者としても応援できる感じになってきます。

私生活では、40間近の女メリッサと付き合い、彼女が妊娠します。結婚も子どもも望んでいなかったビアードは渋い顔をしますが、長らく子どもを望んでいたメリッサは産むことを主張。ただし結婚はせず、メリッサはシングルで子どもを育てることを決めます。

 

2009年

所長的な立ち位置になったビアード、ノーベル賞受賞者の面目躍如たるところです。私生活ではダーリーンという彼女ができ、うっかり結婚の約束をしてしまったビアードは焦りますが、ぶっちゃけ、気立ての良い女(メリッサも含めて)に囲まれて満更でもなさそう。ダーリーンとの結婚問題は延び延びにしておけばそのうち何とかなるだろうと、60歳を過ぎてもなお、問題を先送りしているビアードでした。

ただ、彼の人生は一気に坂を転げ落ちます。オールダスのアイディアを盗用したということで、オールダスの父から訴えを起こされ、出所してきたターピンにソーラー発電設備を破壊され、全ては無に帰します。代理人の弁護士も「今のうちに、犯罪者の受け渡し協定を結んでいない国に逃げるんだな」とアドバイスしてビアードのもとを去ります。何もかも奪われ「ブラジルに行くか…?」なんてぼんやり考えるビアードのもとを訪れたのは…?

最後は、初めて「愛」らしきものを覚えたビアード。ささやかな救いがあります。

ただ、オールダスの死を隠蔽しているし、見苦しいほど自己中心的だし、救い、必要…?と思ってしまうくらい、ビアードに共感も同情もできず、読後感はイマイチというか、不快w

 

こういうシーンがありました。

北極圏に行った時の話。フロントからの電話で起こされてロビーに行ったらすでに遅刻。もたもたとスノーモービルスーツを着たり脱いだりしていた時、柱に向かって頭を打ち付け頭につけていたゴーグルが割れました。レンズが曇っていたので、朝食の時の紙ナプキンでぬぐったら、割れた部分にマーマレードが詰まります。急いでふき取ろうとしたけれど、マーマレードはこびりついたままで、「朝食コーティング」された少し臭うゴーグルをつけると、ビアードの熱気でゴーグルはまた曇ってきたのでした。

1ページ以上かけて描写するんですが、マーマレードのベタベタ感と、ゴーグルの脂っぽさと微妙な臭いがリアルに想像されて、気持ち悪!ってなります。

また、2009年になると、ビアードの病気の描写が追加されます。おそらく糖尿。食事制限?が必要とわかっていながらもジャンクフードを食べ、一口目に舌先に刺さるような鋭い快感を味わって悶絶するも、二口目以降は箸が進まず嘔吐。酒をちょっと飲んで、風呂にも入らず横になる日々。また、手の甲のメラノーマは日々大きくなっていきます。

2000年の時から既に、ものぐさで食べ物に執着している姿は目に余るものがありますが、2009年になると、病気で気力も体力も奪われ、より食べ物に執着するようになります。しかし、だいたい吐いておしまい。

とまぁ、こういった不潔感と、ビアードの性格の悪さが相まって、正直読んでいていい気持ちはしない小説なのですが、ここまで読者に不快感を催させるという点では、すごい表現力なのだろうとは思います。

そしてさらに不快感を増すのが、ビアードを求める人の必死さ。パトリスやターピンは普通の感覚を持つ人間なのでビアードのもとを去っていきます。逆に、しつこく求めてくる女は、破れかぶれで痛々しい。父の面影を求める愛着障害系や、メンヘラ系女。ビアードも「俺のもとにいてくれてありがとう!!」という感じではなく、「めんどくせぇセフレ…」という扱い。メンヘラ系女たちは、チビデブハゲの最低男にすら低く見られていて、キャリアウーマンでもこういう罠に陥ってしまうか…と、恋愛の底なし沼感が垣間見えて切なくなる。

 

良かったポイントといえば。

過去の作品にもあった、老いに関する教訓がちりばめられていて、そこは平常運転で趣深いです。例えば、

「ある程度の年齢になれば、『安定期』とも呼べる時期に至れると思っていた。いろいろなやり方をマスターして、ただそこにいればいいという時期。メールには全て返事が出され、本は書棚にアルファベット順に並び…しかしこれまでの間、安定期はこなかった。それなのに、よく考えてみることもせず、次の角を曲がればやってくるのではないかと期待し続けていた。精いっぱい努力して、そこにたどり着けば、人生が明確になり、精神が自由になる瞬間、ほんとうの大人の人生が始まる瞬間がやってくるのではないかと」

これなどは、「人生には準備期間と本番がある」、「人生の最後に総決算があり、点数に応じてメダルがもらえるから頑張ろう」という勘違いの典型ですね。人生はいつも本番です。

あとは、「老いは孤独。それに備えたり、慣れることはできない」とか。

「ああ、自分は、死ぬまでちぐはぐな靴下を履き、メール返さなきゃなんて思い、部屋が汚いんだろうなぁ。返事を待っている友人や、愛人たちがいるなぁと思いながら死んでいくのか…」というビアードの言葉が切ない…!

話がそれるけど、ビアード見てて、やっぱり日本の老人ってアレだなって思ったんですよ。まず、2009年(約10年前)の時点で、普通にメールやPCを使いこなしている60代ってスゴイ。人差し指だけでタイピングしているわけでもなく、いろんな交渉事もメールでポン。しかも、愛人とのメールもバンバンやっている。スマホに対応しきれずドコ〇ショップで眉根を寄せながらしかめ面している老人よりも、かっこいいじゃん。

そして何より、友人の存在。ビアードは何度も言うけど、マジでクズなんです。でも、普通に友だちはいるし、相談できる相手もいる。妻にも子どもにも煙たがられ、見知らぬ女子ども相手に威張り散らしている自己顕示欲が宙ぶらりんな日本の老人とはわけが違う。やっぱり、20そこらで就職して、60代で定年するまで会社に缶詰めな日本の制度って、孤独な老人を量産するシステムなのでは、なんて感じました。それこそさっき書いたような、「人生の最後にメダル」発想の典型。

日本の老人と比べると、PC使いこなしている、友だちがいる、の2点においてだけなんだけど、まともな老人に思えてくるから、あら不思議。

 

もう1点。

環境問題に関するスピーチは、圧巻。

最近話題になった通り、日本は環境問題に関する意識が低いです。「小さなことからコツコツと」「やらないよりは何かやったほうが」という幻想の好例だと思うのですが、既に地球環境は、マイ箸を使ったりゴミ袋を有料化したところで手遅れです。「そんなのはせいぜい破局を1年か2年遅らせるだけ…」とビアードは言い、「国家は倫理的ではない。人類全体では強欲が美徳に勝る」と、ドラスティックな転換を求めます。

 

解説でも、「目前の快楽やプライドを追及する主人公に向けられるアイロニカルな視線は、温暖化の問題を先送りする世界中の”私”や、3.11後も原子力を手放せない日本中の”私”に向けられている」と書かれてあった通り、ビアードへの嫌悪感は、「自分にもこういう部分があるよなぁ」という同族嫌悪に近いものを感じます。

セックスに目がなく、健康に悪いと言われながらも食べるのをやめられない、そして何か面倒ごとがあると、とりあえず先送りするビアードは、誰の心にも住んでいるちっさいおっさんなのかもしれない(絶対嫌だけどw)

 

おわり。

 

イアン・マキューアンの過去作品はこちら

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人に好かれたい、人に認められたいという根源的な欲望からは絶対に逃げられない 佐藤多佳子「しゃべれども しゃべれども」

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

2020年1冊目。佐藤多佳子「しゃべれども しゃべれども」。落語家が主人公の話です。以前、「昭和元禄落語心中」っていうアニメを見て、面白い!って思っていたので、丁度良かったです。

平成9年の作品なんですが、ワープロ(!!)とかいう言葉が出てきて、時代を感じました。なんていうか、電気も通ってなくて、もちろん電話もLINEもなくて幌付き馬車を呼んだりしている時代の古典作品には古さを感じないけど、20年前とか、おぼろげな記憶のある時代の作品ってすげー古臭く感じてしまう。昔の作品を引っ張り出して読んでいるのはこっちなのに、勝手なものです。

しゃべれどもしゃべれども (新潮文庫)

主人公は今昔亭三つ葉という落語家。前座と真打の間の二つ目と呼ばれる立ち位置で、25を過ぎたくらい。吃音に悩むイトコの良から「話し方を教えて!!だって達ちゃん(本名)落語家でしょ!!」と懇願され落語を教えることに。直情型美女の十河、意地っ張り小学生村林、あがり症で頑固な野球解説者湯河原も加わり、互いに喧嘩しながらも交流を深めていきます。

時は平成一桁台。庶民の娯楽はテレビに移り、落語自体が廃れてきました。一町に一つはあった寄席もなくなり、落語家も減っていく。三つ葉は二つ目に上がって5年。師匠に「型から抜けられない」と指摘されて以来、練習すればするほど下手になりスランプ真っただ中。また、江戸時代から話し継がれている古典落語へのこだわりが強すぎ、最近の客にウケず悩んでいます。江戸の話をしようとすると、江戸独特の言葉の講釈を垂れなければならず、そうすると場も白け、客にウケない。対して、自分の師匠と古典VS新作で袂を分かった落語家は、テレビにラジオに引っ張りだこ。金もない、将来も見えない、好きな女にもフラれる。三つ葉の私生活も散々です。

と、ここまで書いて、ストーリーは皆さんが想像したものから大きく外れることはないでしょう。三つ葉と、しゃべりに問題を抱える4人との交流の中で皆、モヤモヤした感情に折り合いをつけ、前を向くようになります。読後感は爽やかで恋愛要素も含みますが、ありがちでさらっときれいにまとまりすぎていて、それこそ、「お後がよろしいようで」とにやりとされた気分であります。

 

今回は、大切な大切な「自己肯定感」のお話。

こういう表現があります。

「自信っていったい何だろう。何より肝心なのは、自分で自分を”良し”と納得することかもしれない。”良し”の度が過ぎるとナルシシズムに陥り、”良し”が足りないとコンプレックスにさいなまれる。だが、それが適度に配合された人間がいるわけがなく、たいていはうぬぼれたり、いじけたり、ぎくしゃくとみっともなく日々を生きている」

解説にも引用されているくらい、物語の肝となる部分です。この言葉に刺される人はたくさんいるのではないでしょうか。

ここで、遅まきながら、物語に出てくる「しゃべりに問題を抱えている4人」を紹介します。

まず、イトコの良。吃音のせいでいじめられていましたが、中学校でテニス部に入り活躍したことでそんな日々から脱し、大学卒業後はテニスコーチになりたいと思うくらい充実していました。しかし、テニス教室内のトラブルをうまくかわせなかったことで、もともとの心配性がひょっこり顔を出し、吃音がひどくなりました。

次に、直情型美女の十河。劇団に所属し、才能ある脚本家wの彼氏のもとで主役を張っていましたが、演技がダイコンと笑われ、「お前と一緒にいてもつまらん」と劇団員の前で馬鹿にされたことで決別。以来、人と関わるのが怖くなりました。

意地っ張り小学生の村林は、大阪から東京に転校してきたばかり。クラスのガキ大将に目を付けられ、何かにつけて馬鹿にされています。ガキ大将はスポーツ万能で成績もよく抜け目ないタイプ。負けん気が強い村本は挑発的な態度をとり続け、何かで大勝し鼻を明かせてやりたいと思っていますが、うまくいかず、クラスメイトもよそよそしい。

最後、野球解説者の湯河原。いろんな球団で代打として成績を残してきました。引退後は野球解説に呼ばれますが、しゃべりのテンポが悪くそろそろ干されそう…

”良し”とされるものは不変ではありません。4人はそれぞれ、以前の環境では何らかの定規で”良し”の領域にありましたが、環境が変わり、今まで持っていた”良し”の定規が取り上げられてしまったのです。仕方がないので、また改めて新しい定規を見つけ、自分で自分を”良し”と認めてみようとしました。しかし、世間一般のいろんな定規を自分をに合わせてみたところで、どんな定規においても自分は”良し”の領域にないのでは?と思い込み、自信を失ってしまったのです。人は、足しても引いても自分以外のものにはなれません。自分が持っているものを大切に磨き、他者のものと比べて進化させようとしています。しかしふと思い当たる。自分が大切にしてきたものは、他人にとってはガラクタなんじゃないか、と。そして心がぽっきり折れてしまう。

子育てしていると、「子どもの自己肯定感を高める~」って言葉をよく目にしますが、心地よく生きていく上で最も大切で、得難いものが自己肯定感。ほんと、どこかに売っていないものか…

 

また、話下手の根っこには、自己肯定感の欠如に加えて、人に好かれたいという怯えがあります。口は災いの元を地でいく三つ葉には、うまく話せない4人の気持ちが理解できていませんでした。しかし、好きな女性を前にしてモゴモゴしてしまった時、目の前の相手に認められたい、好かれたいという気持ちがあると、人は言うべきことを言えなかったり、言ってはいけないことをつい言ってしまう生き物なのだと気付いたのです。

じゃあ、嫌われることもいとわず思ったことを言えよと言ってしまえば簡単だけど、それができないから悩んでいるわけで…。世の中には「人に嫌われても構わないと思う」や、「バカは相手にしない」というような言説であふれていますが、個人的にはちょっと違和感。もともと人に好かれたいと思っていたが、大事な場面では嫌われる覚悟を持って行動する必要があると気付いた「嫌われる勇気」と、人を傷つけることも構わず散々無配慮な方言をしてきた人間が、開き直るよりどころとしての「嫌われる勇気」は全然違うものだし、さらに悪いことに、後者のほうが声がでかいからすごーく微妙な気持ちになるんですね。

印象的なシーンがあります。ガキ大将に落語を披露して、びっくりさせてやりたいといった村林に、良以外の大人は好意的でした。しかし良は「ガキ大将を挑発するな。こういうタイプは、何かの折に負けて見せて花を持たせてやれば、それで良しとして攻撃対象から外してくれるんだ。わざわざ勝つ必要はない。短期間ならまだしも、毎日毎日イジメられるのは本当に辛いことなんだ」と言って反対します。すごく現実的な意見。私はこちらに頷いてしまいました。人との争いを避けることも、立派な生きる知恵なんですよね。

人は一人では生きられない以上、好かれたい(少なくとも、摩擦を避けて心地よく過ごしたい)というのは根源的な欲求であり、本能であり、避けては通れないものであって、もちろん誰にも好かれる必要なないけれど、「嫌われる~」とか「バカとは~」を、人を傷つけることを正当化したり人間関係を少しでも良くしようともがくことを否定する論拠とするのも違うなぁと感じるんですね。ぶっちゃけ、「バカなんかとは付き合わねぇよ」と言えちゃう人は、自己肯定感がめちゃくちゃ高いか、最早ヤケクソなのではw というか、「バカとは付き合わないための本」みたいなのを手にできる人は、その「バカ」に自分が当てはまっている可能性は毛ほども意識していなくて、すげぇなって思うんです(棒読み)

 

話がそれましたが、結論から言ってしまうと、「自己肯定感の欠如」、そして、「人に好かれたいという怯え」この根本的な問題が、物語の中で解決を見ることはありません。一時的に”良し”よ思えるような出来事が起きることで、少しだけ自信を回復した彼らではありましたが、正直、一年も経たないうちに似たような問題を抱えてのたうち回るのではないかと感じました。もちろん、彼らの人生に幸あれとは思っているけど…。悩み続けることこそ人生というような、まぁ、無責任な終わり方なのよね(褒めています。逆にわーっと片付けられてしまったら残念)。

 

落語家を主人公に据えるだけあって、語り口が軽妙で面白い。例えば、「ついたあだ名は坊ちゃんだった。もちろん良家の子息ではない~」とか、夏目漱石ぽい。

正月だし?景気よく江戸前落語の話をぜひ。

 

おわり。

 

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自分のものだと思った相手には平気で不義理をはたらく モーパッサン「わたしたちの心」後半戦

こんにちは。

前半戦の続き、いっきまーす!

わたしたちの心 (岩波文庫)

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パリに戻り愛人関係となった二人は、秋、そして冬を迎えます。冷え切っていく心と季節の描写の対比が素晴らしい。

モーパッサンの自然の描写は本当に美しいです。絵を見ているよう。名前も忘れてしまった短編に、森の中で(おそらく)セックスする男女の描写があるんですが、直接的に描くんじゃなくてヒバリの鳴き声の表現と男女の睦言を交互に書いて読者に想像させるというやべぇ作品があって、あれは忘れられない…。

モーパッサンの自然描写の美しさの例示に、わざわざこんな短編の話を持ち出さなくても、と思われると思いますが、ほんとすごいん作品なんですって!!いつかタイトルがわかったらお知らせしますねw

 

SNSのコメント欄でいちゃつくほうが女にとって幸せ

すでに隠れ家を訪れ数時間を過ごすのに疲れてきたビュルヌ夫人。てっきり「今日は生理で…」とか「なんと、今月は二回も生理がきたのよびっくり!」とか言ってテキトーにごまかしてるんだろうと思いきや、一応体の関係も継続していたようです。ある日、「今日の午後のアレもしんどいな~」なんて考えていた彼女はついに、「今日は風邪をひいていることにしよう」と思いつきます。自分だけの約束ごとを持っているとき、それを破ってしまうと途端にどうでもよくなる現象があると思いますが、彼女もソレ。仮病を使った日以来、輪をかけてマリオルに冷たくなります。

キスもしないまま「それでは今晩。遅れないでね」と帰っていくビュルヌ夫人を、寒さに凍えそうなマリオルは見送ります。はて、今晩とは…? 現代の日本人の感覚だと、隠れ家でいちゃつく以外二人は会っていないんだろうと解釈しがちですが、そんなことはなくて、実は毎晩彼女のお家のパーティーにお呼ばれしているマリオル。そしてパーティの時の夫人は、昼間の塩対応は嘘のように優しく、特別扱いしてくれるんです。マリオル的には、パーティで優遇されるよりも隠れ家で会いたいんですが、ビュルヌ夫人は逆。隠れ家で会わなくてもいいから、パーティの時に恋する男の姿をしていてくれればそれでよいんです。

これが、SNSでいちゃつきたい女の心理。恋人未満の男に限らず、男友達であっても、LINEで1対1に「かわいい!」「好き!」「会いたい!!!」と連発されるより、自分のSNSの投稿に「かわいい!」以下略をしてくれたほうが100倍嬉しい。なぜなら、SNSはオープンで、「男にかわいいと言われている自分」を対外的にアピールできるから。1対1でかわいいと言われても誰にも自慢できないけど、5人、10人にかわいいとコメントされるだけで、何も言わなくても自分の価値がぐっと増すんですね。ビュルヌ夫人はこんな効果を狙っていました。

「今度ご飯に行きたいな~!」のLINEは既読スルーされていても、その子の投稿に、「オススメのお店があるから行こう!」とコメントすると高確率でリプライがあるはず。まぁ、どっちにしろご飯企画は実現しないと思いますが。

 

★惚れぬいた相手に対しては自分を曲げて対応する

季節が深まり、心も体も寒い、ついでにお財布もちょっと寒くなってきたマリオルは、ビュルヌ夫人の愛に飢えて死にそう。もうだめかもしれない…何かに負けそうになる自分を、こんな言葉で叱咤します。

「自分は何をやっても中途半端だった。アレの分野でもコレの分野でも、負けてしまうことが怖くて本腰を入れずに傍観者を決め込んでいた。自分は今まで何かをやり遂げたことがあるだろうか…ここが踏ん張り時では…?」

まるで、就職活動中の学生ですね。

マリオルは自分で回顧しているように、すかした態度でアラフォーまでやってきました。音楽も芸術もやろうと思えば人並みプラスアルファくらいにはできるけど、どれかに注力してダメだったとき劣等感を抱くのが嫌。どうせ生活にも困らないし、流行りのものをかじって通ぶっているだけでいいだろう、と。爛れた恋愛に陥るまではそんな態度でいても困ったことはありませんでしたが、ビュルヌ夫人の気持ちが冷めていく中、全然関係のない過去のコンプレックスまで持ち出して、「このままでいいのか」という気持ちになります。マリオルは、今まで見せたことのない積極性をもってビュルヌ夫人を振り向かせようと試みますが、実を結びません。

実際、負けそうなわけでも、踏ん張り時でもないからです。マリオルの独り相撲。正直、恋愛なんていうのは教科書通りにいきませんから、魂が呼び合う相手ならプータローでも変態男でもOK。逆に、侯爵だろうが王様だろうが、セックスしたくない相手はどーーーしても無理なんですね。そんな簡単なお話。就活生が、「大企業に求められている学生」の金型に自分を押し込んでいくように、マリオルもビュルヌ夫人の理想に合わせて自分を捻じ曲げ、痩せていくのでした。

 

★自分のものだと思った相手には平気で不義理をはたらく

さて、春を迎えてもいっこうに心が癒されないマリオルは、パリを脱出することを考えるようになります。パリを離れてビュルヌ夫人から距離を置けば、彼女のことを夢見て泣く日々からは卒業できるだろう、と。そして、ちょっと思わせぶりな手紙を書いて、本当にパリを離れるのでした。連絡先を誰にも知らせずにおいて、彼女の名前を目にするかもしれない新聞も遠ざけて、滑り出しは上々。これが辛い恋愛を遠ざける最善手でありますから、回復に期待。そんな中、近所の飯屋(といっても結構立派なお店)のウェイトレスをしていた少女エリザベトを下女として雇い、彼女との恋が芽吹きます。

ここまで書いてきてわかるように、ビュルヌ夫人と出会うまでは、いいものを食べいい服を着てひげをきちんと整えて、そして何事にも深入りせずスキャンダルなんて皆無、まぁまぁいい男だったマリオルは、今やげっそり痩せ、どこから見ても捨てられ男に。新居の世話をしてくれた男は、「パリからは(使用人を)誰も連れてきていない。新しい生活を始めたくて。良い人がいたら見繕ってくれれば」と話したマリオルを見て、「こいつ絶対ワケあり男。センチメンタルジャーニーwww」と内心小馬鹿にします。また、エリザベトに寝る前本を読んでもらおうとマリオルが選択したのは、直情型の女に振り回される男を描いた「マノンレスコーwww」。なんか、すごくみっともないなぁ…という印象。

 

話がそれましたが、物語の最後、やはりビュルヌ夫人を忘れられないマリオルは「あなたは私をどう思いますか?」と禁じ手の連絡をしてしまいます。ビュルヌ夫人からの返事を首を長くして待つ彼が見たのはビュルヌ夫人。会いに来てくれたのでした。「また明日8時、パリで会いましょう」と約束し別れる二人。あー、元通りw

そんな二人を見て全てを察したエリザベトはさめざめと泣きます。「私はあのご婦人の代わりなんですね。あなたがパリに戻るとき、私は捨てられるんですね」と。しかしそんな彼女にマリオルはこう声をかけたのでした。

「君を一緒に連れて行くよ。君をちゃんと好きでいる。ここにいるときと変わらず、好きでいるからね」

この言葉をもって、物語は終わります。

お金も居場所もないエリザベトを手中に収めたマリオルは、平気で心のこもってないアイラブユーをささやきます。これは、ビュルヌ夫人がマリオルに対してやっていたのと全く同じこと。優位に立っている相手に対しては、いくらでも不義理をはたらけるんですね。

 

さて、恋愛の教訓6つは以上です。

最後に一番印象に残った言葉を。

「大好きよ」と平然と言ってのけるビュルヌ夫人に対し、マリオルはこういいます。

「恋するのに足すものも引くものもない!好きに程度なんてもんはなくて、大好きっていうのはつまり大して好きでないということと同じでしょう!!!」

大好きは大して好きじゃないって…!!!「いい男、ほんとはどうでもいい男」並みの格言出ましたーーー!!!と3度見してしまいました。

でも実はこの言葉、物語を貫く、すっごく重要な言葉なんです。ということでもう一回、ラストの言葉を見てみましょう。

「君を一緒に連れて行くよ。君を”ちゃんと”好きでいる。”ここにいるときと変わらず”、好きでいるからね」

さぁ、” ”の部分、「ちゃんと」とか「ここにいるときと~~」とか、余計なものがついているんです。自然派食品のブランドは「無添加」、「余計なものはいらない」という言葉が大好きですが、愛にも余計なものはいりません。好きに余計なものをひっつけたくなる愛は、本物じゃない。そう言ってビュルヌ夫人を詰ったのも忘れ、彼も平気で不純な愛をエリザベトに示したのでした。

 

と、モーパッサンの作品ってすごく面白いんです。自然主義文学と呼ばれるだけあって、電車で3つ隣に座っている人にも起こりそうな出来事をつぶさに描く手腕というかなんというか。でもその中に、最後に解説したような伏線もしっかり用意して。そういう魅力があります。

女の一生」、その他短編集もぜひ。

 

おわり。

 

★2を書きながら思い出した記事はこちら

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2019年に出会えてよかった本BEST10

こんにちは。

今年の総まとめに、2019年に出会えてよかったなーと感じている本を紹介します。2019年に”出会えて”なので、必ずしも2019年刊行ではありません(というかほとんど違うかも…

最も印象に残った本をもとに、連想ゲームのように紹介していこうかなと思います。

 

ーーー最も印象に残った本。

マザリング・サンデー (新潮クレスト・ブックス)

これは文句なしの一位。

マザリングサンデーという、メイドが年に一度もらえる休暇の一日を描いたものなんですが、季節感とか自然の描写が生き生きしていていて、こちらまで楽しい気持ちに。しかし、大事故により前半のピクニックムードは一転、ドライに見えた主人公の孤独が垣間見え、雇い主の愛情に心打たれます。90代になった主人公が回想しているという体で描かれるのですが、彼女が得た人生の教訓も味わい深い。

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傷ついた主人公が屋根裏部屋で本を読むシーンがあるんだけど、「辛い現実を忘れるために本を読む。それ以外に本を読む理由なんてあるか」みたいな文章があって、これがすごく印象に残った。ということで、

 

ーーー本の本。

本を読むとは何?

書店主フィクリーのものがたり (ハヤカワepi文庫)

妻を亡くして人との交渉を完全に断った書店主フィクリーが赤ちゃんを育てることになって人と関わる話。何か提案しようとしても「世の中の事全て本に書いてあるし、俺は膨大な本を読んでいるから何もいらん!!!おしまい!はいおしまい!!」とシャットダウンしてきたフィクリーは、子育ての中で様々な人と関わりを持って、本と人との関係は人と人との関係に良く似ていると気付いた。「とりあえず読んでみなさい(=とりあえず関わり合ってみなさい)」そして、「読んでみないと最高の本には出会えない」。本の虫が死を前にしてに気付いたことは、本もいいけど、人と人とのかかわりの中にしか人間の幸せって存在し得ないんだよ、ということだった。そんなお話。

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ふたつめは、逆。

ソーネチカ (新潮クレスト・ブックス)

ソーネチカという容姿に自信のない女の子は、本が大好き。チョイ悪オヤジと結婚したら、夫に不倫され、娘は自分とは全然違う夜遊び大好き娘に育ってしまう。絶望した彼女は本の世界にのみ生きるようになる。

ソーネチカの生きざまは賛否両論だと思いますが、気付きの多い作品。

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「ソーネチカ」を書いた作家さん(女性)は女性に関する観察眼が鋭くて、他の作品を読んでみてもおぉ…と思うことが多々ありました。お次は、

 

ーーー嫌な女が出てくる本

女が嘘をつくとき (新潮クレスト・ブックス)

ソーネチカの作家さんウリツカヤ氏の本。タイトルから期待できるでしょ?

嘘をつけない女が考察する、嘘をつく女の生態、ということで、6人の嘘をつく女が出てきます。異論はありましょうが、女は戦略的に、もしくは呼吸をするように嘘をつく、男は必要に迫られて嘘をつく(それ以外、必要もないのに嘘はつかない)とざっくり分けるとします。社会的にも成功し、こざっぱりとした性格の主人公が、平気でうそをつく女を、「なんで嘘をつくんだろう?」という目線で書いた観察日記。面白い。

だいたい時系列で書かれているんですが、最初は尊敬した女性に「私は貴族の出なの」並みのバカげた嘘をつかれ、それをまるまる信じてしまった主人公が、だんだんと荒唐無稽な女の嘘に慣れ、「これは嘘だろ?」と冷静に判断できるようになるという、主人公の成長が地味に笑えるポイント。寝たきりの生活になった主人公が、最後は嘘に救われるシーンはしみじみします。

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女であること (新潮文庫)

田園調布で穏やかに暮らしていた弁護士の妻市子のもとに、女学校時代の同級生の娘さかえが転がり込んできたことで起こるひと騒動。夫はさかえに懐かれて悪い気はしていないし、預かっている娘妙子はますます内にこもるし。

この三人の女の他にも、さかえの母の音子と不倫夫の意地と嫉妬など、女がらみのおもしろいエピソードがたくさんあって、「女の業」のようなものをまざまざと見せつけられる作品。登場人物に共感しつつ、すごーいイライラするんだけど、結末はハッピーエンドだったりしてなお良い。

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ミスター・セバスチャンとサーカスから消えた男の話 (RHブックス・プラス)

マジシャンだった男(ヘンリー)の人生を人に聞いて調べていく中で、死の真相や失った家族について知っていく本。BIG FISHの作者なんだけど、虚実ない交ぜの書き方が面白いし、探偵の人生考察が独特で引き込まれました。

ヘンリーはずっと、妹を探していました。不幸な男が探す生き別れの妹っていうのは色が白くて美人で、時々病弱だったりして、幸薄と相場が決まっているわけですが、全然違う。嫌な女だったっていうオチ。

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1人の男の人生を、彼に関わった様々な人が振り返り語るという構成により、いろいろな切り口からの教訓を得られました。お次は、人生の考察がテーマの本。

 

ーーー老いること

トリック (新潮クレスト・ブックス)

ミスター・セバスチャン~が気に入ってしまってしょうがないっていうのであれば、こちら。老マジシャン&人生の考察でテーマがカブっているし、雰囲気もすごく似ている。人に裏切られてきた老マジシャン(ザバティーニ)が、サンタがまだいるかどうか信じているくらいの少年と出会い、一つの小さな奇跡を起こす話。

ザバティーニが人生の最後に悔やんだことは、「後腐れなく生きてきたこと」でした。人は肉体が滅んだ時に一度死に、誰からも忘れられた時にもう一度死ぬという言葉がありますが、傷つくこと、裏切られることを恐れ人と関わってこなかった自分は、肉体が滅ぶと同時に、二度目の死も迎えるだろう、と。

体が言うことを聞かなくなり、深い思考ができなくなる「老い」。準備できるようなものではないけれど、どう生きるかを常に意識する必要性を感じました。

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日の名残り (ハヤカワepi文庫)

今更のノーベル賞受賞作品。記事が大作なので、多くを語る気はありませんw

人生の教訓はもちろん良質だけど、最後のどんでん返しにやられたクチです。老いてくると、年表とか履歴書のように「いつ、何が起こった」という正確な出来事よりも、その間にこぼれたもののほうが大きな意味をもってくるんだなぁと感じました。

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最後の最後。じーんとくるのはもちろん良いけど、みんなデトックスしたいだろ?ということで。

ーーー泣いた本

「泣ける本」で煽られて買った割には泣けなかったな…ってことが100回くらいあります。「泣ける」という言葉は安売りするもんではありませんね。あくまでも自分目線ですが、今年涙が出たのは2つ。

海を照らす光

長編です。子どもに恵まれない夫婦のもとにやってきた小さな赤ちゃん。二人は自分の子と偽りその子を育てますが、その赤ちゃんの母親の苦悩を知り、逡巡します。最後は事件が露見し子どもを返すことになるのですが、

・本当の母親のもとにいきなり連れてこられた幼子の困惑と実の母親の苦しみ

のところと、

・子どもを誘拐してしまった娘の母親の行き場のない怒り

のところに泣きました。そして、男親との熱量の差?もみどころ。

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ガラスの城の約束 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

主人公は成功した作家ジャネット。彼女はネグレクト系の被虐待児で、兄弟も親の毒気にあてられて微妙な関係。ホームレスと化した両親を見て、とても複雑な気持ちになります。親の老いへの戸惑いと愛憎が飾りのない文体で書かれたノンフィクション。

家を出ることにしたジャネットをバス停まで送る父のシーンに泣きました。

普段はボロボロで臭いアルコール中毒の父が、自分を見送るためにひげをそり、さっぱりした服に着替えたことに彼女は深く感謝します。父も母も毒親に育てられ、上手に子育てができないことにイライラして子どもに当たり散らしているんですが、でもやっぱり愛している。また読み返したい作品です。

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ということで、10作品挙げてみました。皆さんの、読書生活の良き出会いになれば幸いです。今年もあと2日。

来年も良き出会いがありますように!!!!

おわり。

【最新刊】中だるみ?とりあえず零ちゃんが将棋に集中できますように… 「三月のライオン」15巻(ネタバレ)

こんにちは。

本日(12/26)発売ということで、お財布握りしめて本屋さん行ってきました!

三月のライオン15巻です。既に前回号からモヤモヤ~っとしていましたが、どうなるかな?

3月のライオン 15 (ヤングアニマルコミックス)

 

今回は、Chapter 154~166、

①星のふる夜に(1、2)

②あづさ1号(1~5)

③道(1~6)

あかりの銀座物語

が収録されています。

 

①星のふる夜に(1、2)

前回は、職団戦~学祭のところで終わっていました。走って零を迎えたひなたは大仰にコケてしまい、足を怪我します。それをフォローするという体で自然に腕を組んで歩く二人。零の同級生にカップルと誤解されたことをきっかけに、ひなたに告白する零でした。

零の告白はどうでもいいんだけど、「好きな相手からあからさまに好意を寄せられても気付かないひなた」、「誰が見てもかわいい~!女の子なんだけどそれに無自覚であるひなた」や「後ろで告白を聞いていちいち突っ込んでいる同級生」などなど、少女漫画のあるあるを煮詰めたような構成に、そんなことあるかい!と体がかゆくなりましたw ひなたは中学生のときはイジメに立ち向かう芯のある女の子だったはずなのに、高校入学後は天然偽装?キャラになってしまいすごく残念。描かれていませんでしたが、おそらくひなたの答えはOK。二人の新しい関係が始まりそうです。

 

②あづさ1号(1~5)

今回の新キャラも濃い!!!野火止あづさという21歳の棋士が登場します。高校生デビューで天才ともてはやされてきましたが、二階堂に抜かれ、零にも抜かれ焦っています。ただ、彼は腐ることなく、一から立て直しができる強い心の持ち主。彼の悪い癖は、考え始めると時間が止まることと、将棋に集中すると家にいると勘違いしてしまい服を脱ぐというところw

人は情熱を失うと近道を求めるが、近道には人と同じものしか落ちていない。だから彼はあえて辛い道を突き進む。そして、できないことは、本当にできないかしんどそうでやりたくないかの二つに大別され、たいていの夢はしんどそうでやりたくない先に光っている、というばあちゃんの言葉を胸に、彼は研究を重ねます。

辛くも勝利した零ではありますが、彼は対局中に「まっくらな部屋」に至るのが早くなってきたと自覚します。「まっくらな部屋」とは言ってしまえば、未知の領域。幾千、幾万と見てきた過去の棋譜にない手。棋士は、大量に蓄積された過去の棋譜から次の一手を導き出しているそうですが、もちろん、見たこともない手に対しては自分で考えるしかなく、すさまじい集中を必要とします。自分とまっくら闇の境目がわからなくなるような激しい疲労を感じた零。そんな彼を癒してくれたのは、ひなたのシチューでした。

 

③道(1~6)

隠れファンも多い田中七段の過去が明らかになります。「鬼強くはないけれど憎めないキャラ」として周知されてきた彼が、最近とみに強くなった。という話。田中七段には息子が二人いるそうですが、小さい頃は病弱で何度も入院したそうです。そんな息子たちを抱え、夫婦で協力し合いながら育ててきました。子どもが大学生になり将棋に全力を傾けられるようになった今、これまでの自分のスタイルを捨てて新たな強さを手にします。

零は今回も辛勝しますが、今回の対局ではあっという間に「まっくらな部屋」に飲み込まれてしまいました。「自分が抱えてきたものはすごく大きいと思っていたけれど、田中七段に比べたら30%くらいだった。それなのに、こんな恥ずかしい将棋を指すなんて…」零は出口のない部屋に閉じ込められたような気持ちになります。実は零、今期の昇格はかなり厳しいようで、将棋のほうはあんまりうまくいっていない。

翌朝、学校の屋上でひなたと作ったおにぎりを食べながら零は思います。「今までは泥水でも雑草でも拾い集めて食べてこれたけど、あの生活には戻れない(=人のぬくもりを知ってしまった以上、あの孤独な生活には戻りたくない)」。今の零の悩みを、「アウトプットばかりでインプットが追い付かない状態」と看破した先生は、「おにぎり(三姉妹という自分の居場所)だけは絶対離すな」とアドバイスします。この言葉は、教師としても将棋を愛する者としても言うべきではないと思いながらも、先生は零を見送ったのでした。

 

感想

★「孤高の天才棋士」キャラはいったん終了?

人の口を借りる形ではありましたが、零が「病的に努力を重ねてしまう秀才」であることが明らかにされました。零の強さは、人並外れた研究量に裏打ちされていで、別に天才なわけではないと。というか、宗谷名人は天才ですが、彼もめっちゃくちゃ研究しているらしいし、彼を追う人たちも、寝るとき以外全部将棋に捧げています。

今までは、将棋会館=鬼の住処、棋士=鬼、と表現され、将棋の鬼の宗谷名人、胃の激痛に耐えタイトルに執着する島田八段、宗谷名人との対局に破れ壁を蹴破るほど悔しがる隈倉九段、文字通り命削る二階堂とか、棋士版銀英伝と呼びたくなるような漫画でした。そして、黒い気持ちを抱えてなお「勝たなきゃ自分の居場所がない!」と心を殺して将棋以外のことを頭から排除しようとする零も、彼らに負けず劣らず鬼の子!感がありましたが、最近の零は何かと注意散漫すぎて、彼ら将棋の鬼たちに伍するのはちょっとアレな感じ。過去の貯金で何とか勝っている感じがしますが、このままだとスミスや横溝と言った、将棋への熱意が読めない賑やかし先輩連まっしぐら…?

2~3号前くらいから気になっていたのが、零ちゃんあんまり将棋のお勉強してなくね?説。ひなたの高校受験を助けますとか言って家に入り浸っていた頃から、「毛布にくるまりながら棋譜を並べる」あのかっこいいシーンがなかったです。それ以上に三姉妹とワイワイ飯食ってるシーンばかりが目立つ。特に思うのが、毎晩?のように三姉妹の家に向かう零。対局終わって19時とかに三姉妹の家に着いて、22時にはお暇していると信じますが、何をしているの??そして、食後は嫁(ひなた)と一緒におにぎり作って…って、ヤダ、なんか気持ち悪っ!!!!!たかが2、3時間と思うかもしれませんが、その2、3時間も将棋に捧げている棋士たちに大きく溝を開けられている感があり、何とも言えません。それ以前に、ひなたと正式に交際するなら毎日家に行くなよな…。

三月のライオン、序盤は、棋士の業みたいなのをこれでもかと見せつけてきたんです。ライバル棋士には、感想戦の時に号泣したり、畳を延々にむしり続ける男とかいて、それがすごくかっこいいんですね。でも零ちゃんは、思うような将棋が指せなくて悔しい!!!!!!とか、焦る!!!!!ってなった気持ちを、嫁のシチューで流せるんでしょ。そういう程度なんでしょっていう。ここ数巻でゆるやかに零ちゃんに幻滅していっている私がいます。

三月のライオンは、「孤独」を背負っている零を象徴する「一人で部屋で過ごす姿」や「橋を渡って家に向かう」「毛布にくるまりながら棋譜を並べる」、そういうシーンが好きだったのに、今や入り婿…高校卒業したら二世帯住宅を建てたりして。零にとって将棋は孤独と深く結びついています。このままの鬼強さを維持するためには、昔のように、心を殺して将棋の鬼にならないといけない。しかし、三姉妹の優しさが欲しくなって、温かいほうに流れてしまうんです。島田八段や二階堂のように、将棋一本に絞る覚悟ができるかが今後の見どころかなと思います。

 

★桐島、将棋やめるってよ???

最後は、先生と三姉妹ともんじゃを食べながら、「自分がこれまでなくしたもの、手に入れたもの、僕がこれからなくすもの、そして、なくしたくないもの、その全部を乗せて、大きな川は流れていくのだ」なんていうシーンで終わり。

なくしたもの=家族(居場所)

手に入れたもの=三姉妹(居場所)

なくすもの=??

なくしたくないもの=三姉妹

って、もう将棋やめるんかなw

現在、零ちゃんを一足飛びで越えていった天才棋士がリアルに存在するわけで、彼の後塵を拝している感ハンパない。あんなにかっこよかった零がどんどん色あせていく中、将棋じゃない道を模索する系の漫画になるんでしょうかw

スランプの原因を、アウトプット、インプットと例えたあたり、先生は研究不足を見抜いているような気がします。しかしそこで喝を入れなかったのは、零が「タイトルを取りたい」と一度も口にしなかったこと、そして過去を知っている以上、居場所を見つけて幸せになってほしいという気持ちがあるからでしょう。

零は努力の子でした。将棋の悔しさは将棋でしか晴らせないはずなのに、モヤモヤを嫁のシチューで流し込んでおわりにしているあたり、今のところ飛躍は望めないのかな…?おそらく、おそらく今後、二階堂の死とか宗谷名人の過去編があるのでは?と思うので、そういうところで奮起するんでしょうか。

 

★あかりおねえちゃんのお相手問題

最後は、先生がモモちゃんを肩車しています。このまま先生とくっつくのかな?

あかりおねえちゃん(20代前半)にアラフォー男子を見合いさせようとする鬼畜な零に、前々回号くらいからすでに拒否反応を示していた私。タイトルも取っていないのに人の恋の世話をしようとする差し出がましさと、居心地が良い三姉妹のもとに身内をくっつけていこうという発想が本当に気持ち悪い。あかりさんのお相手探しは銀座でクラブを経営しているおばさんに任せておけよ。

前回号で、島田八段が「タイトル取るまでは女のことは考えられない」と言っていたあたり、島田さんはいったん脱落かな?このまま先生と…???

 

次号もまたクリスマスシーズンでしょうか?一年が長い…!!

 

おわり。

好きになっちゃダメだと思った時点で惚れているし、あの人のことが好きなのかしらと考える相手のことは好きじゃない。モーパッサン「われわれの心」前半戦

こんにちは。

モーパッサン「わたしたちの心」です。

わたしたちの心 (岩波文庫)


4、5年前に一度読んだきりだったのですが、9月に新訳が出たので改めて。「女の一生」や「脂肪の塊」、「ベラミ」等は現在も入手可能ですが、「わたしたちの心」は入手困難だったため、新訳が出るのはすごく嬉しい。この調子でどんどん新訳をお願いしたいです!

 

舞台はパリの社交界。マリオルという男が主人公です。独身、金持ち、特定の愛人もなく、いろんな場所に顔を出しては粋な男ぶっている。そんな彼がビュルヌ夫人というめんどくさい女に惚れ込み 、みっともないくらいひれ伏し、崇め、ボロボロにされ、意を決してパリを離れるも、彼女の魅力からは逃れられず飼い殺しにされる、そんなお話。恋愛における全ての感情の見本市とばかりに揺れ動く心が描かれる本小説、教訓とともにストーリーを追っていきましょう。

 

★好きな相手についての推測はだいたい当たらない

ビュルヌ夫人は、DV夫を亡くした未亡人です。金持ちの家に生まれ育ち、信頼しているパパに、「あの人と結婚したら?」と紹介されて結婚。しかし蓋を開けてみると夫はひどく横暴で、彼女を束縛し自由を与えません。結婚生活は夫の急死により幕を閉じますが、彼女は葬式のときに自然にニヤけてくるのを抑えられなかったくらい歓喜します。

その後は、結婚はもうコリゴリと気に入った芸術家風情を家に呼んで夜な夜なパーティに興じています。 特定の相手を作ることはしないけれど、誰にでも色目を使う彼女のまわりには、 自分にもチャンスがあるのでは?と夢見る男たちが互いに牽制し合いながらウロウロしています。彼らは、抜け駆けはしないという不文律のもと謎の連帯感で結ばれ、一致団結して新参者を排除し、顔を合わせれば決まって彼女の話。どうして彼女は特定の愛人を作らないのか?という素朴な疑問は、こんな推測に着地します。

『花も恥じらう乙女だった彼女は夢いっぱいで嫁いだが、夫は冷たく横暴で、夜な夜な変態プレイでも要求されていたんだろう。本当の喜びを知らない女はあんなものさ』

しかし、これは見当外れもいいとこ。友達以上愛人未満の男を絶やさない彼女の行動は、ただただ、いろんな男からチヤホヤしてほしいから。一度結婚したという免罪符もあるから好き放題したいけど、下手に愛人を作ると世間体もあるし、他の男友達も離れて行ってしまう。そしてそれ以上に、今の楽しい毎日を失うリスクを冒してまで愛人にしたい男がいない。それなのに親衛隊は、自分が選ばれない原因を元夫の横暴さに求めて自分を慰めています。

好きな相手の言葉や行動の源を推測しようとしても、正しい答えは出てきません。それはどこかで、「自分のことが好きであってほしい」という気持ちが邪魔するからです。実際、ベルンハウス氏というドンピシャの男が現れた後の彼女はみっともないくらい彼に入れ込み、親衛隊も空中分解しました。

 

★好きになっちゃダメだと思った時点で惚れているし、あの人のことが好きなのかしらと考える相手のことは好きじゃない。

初めてビュルヌ夫人に会ったマリオルは一目惚れ。しかし、すでに方々で彼女の評判を耳にしていたマリオルは、彼女が取扱注意の女だと承知していますから、彼女を愛してしまわないよう慎重に行動しますが、魅力には抗いがたく「おぉ…おぉ…」と懊悩する日々。自分は親衛隊のように丁度良い距離を取りながら彼女に接することはできない、と感じた彼は、もう会いませんと手紙を送ります。彼は「彼女を好きになってしまう前に彼女のもとを去ろう」と言っていますが、既に手遅れ。

対して、マリオルの手紙を読んだ彼女は、「やっと落ちた!」と秘かにガッツポーズ。最初に会ったときから既に3か月も経過していました。小心者のマリオルは彼女に溺れまいと、「私はあなたを疑っています」感満載で彼女に接します。もともと勝気な彼女がこんなおもしろい恋愛ゲームに夢中にならないはずもなく、手を変え品を変え、マリオルに秋波を送り続けました。そしてついにこの手紙…!「私寂しいわ。私のもとを離れないで」の言葉でマリオルの愛を手中に収めた彼女は高笑いします。

彼女にとって、マリオルを落とすのは一種のゲーム感覚であった反面、日々男に囲まれながらも満たされなさを感じており、自分には人を愛する能力が欠けているのかも…?なんて悩んでいたりもしました。そんな彼女が、久々に出会えた、側に置いておきたい男マリオル。「私はマリオルが好きなのかしら?」「マリオルなら愛せるかしら?」彼女は何度も自問します。しかし、結局彼を愛することはできず、「そのうち好きになれるでしょう!」の見切り発車はマリオルを不幸のどん底に突き落とします。「好きになれるかな?」と思う相手は現時点では「好きじゃない」わけで、時間が経っても好きになることはない。これは断言できます。

 

★「ひょっとしたら」と相手に思わせることで優位に立つ

さて、友達以上の関係を続けていたビュルヌ夫人とマリオルは、夏を迎えます。ビュルヌ夫人の家族旅行中にばったり遭遇した体で共に過ごそうと画策した二人は、同じ宿で一晩を過ごします。月を眺めながら「壁二つ先には彼女がいるのにこんなに遠い…」と物思いにふけっていたマリオルのもとに、なんとビュルヌ夫人が訪れます。そして二人は男女の関係に。マリオル的にはその夜はあんまりうまくいかなかったらしいのですが、とにもかくにも、愛人関係になれたことは大きな収穫でした。一足先にパリに戻った彼は、金をかけて逢引き用の隠れ家を用意するなど、がぜんやる気になります。

ビュルヌ夫人もパリに戻ってきます。最初のうちは順調でしたが、次第に逢引きは間遠に。あの夜の出来事はマリオルにとっては「二人の関係の始まり」という認識でしたが、ビュルヌ夫人としては「一区切り」。パリの楽しい暮らしの中で、マリオルの優先順位は下がり続けます。ビュルヌ夫人も冷めてきて、しばらくすると「つなぎとめるために体を与える」という荒業にでます。

なかなか会えない、そして会える日も遅刻してくる。ビュルヌ夫人の気持ちは完全に冷めてきているのに、マリオルは見て見ぬふりをします。★1で書いたように、マリオルの推測はもともと楽天的ではありましたが、「体の関係になった」という後ろ盾?を得た彼の想いは暴走し始めます。「女性にとって体の関係は大切なもの」→「それを自分に捧げてくれた」→「俺は彼女にとっての大切な存在であり続ける」という謎の三段論法をもとに、「セックスをしているから大丈夫」という根拠のない自信を持ちます。打ちのめされ、自信をなくした時も、3日前にもセックスしたしな…嫌いな相手とはしないよな…と、「ひょっとしたら自分たちの愛はまた燃え上がるかも」と希望の光を見るマリオル。完膚なきまでに叩きのめされれば諦めることもできましょうが、エサを時々与えられ、「ひょっとしたらまだイケるのでは?」という気持ちに逆戻り。

小説の中では、「恋にとらわれた心にあっては決して死に絶えることにない『もしかしたら』」と表現されていました。恋する男の中には「もしかしたら」の火種は常にくすぶっていますから、絶妙なタイミングに体を与えればOK。一時的に燃え上がらせ、深みにはまらせていく、ビュルヌ夫人の手練手管よ!!!

 

と、前半戦はこんな感じ。後半戦は

★自分のものだと思った相手には平気で不義理をはたらく

★惚れぬいた相手に対しては自分を曲げて対応する

SNSのコメント欄でいちゃつくほうが女は幸せ

の三本立てでお送りします~!

 

おわり。