はらぺこあおむしのぼうけん

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自分のものだと思った相手には平気で不義理をはたらく モーパッサン「わたしたちの心」後半戦

こんにちは。

前半戦の続き、いっきまーす!

わたしたちの心 (岩波文庫)

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パリに戻り愛人関係となった二人は、秋、そして冬を迎えます。冷え切っていく心と季節の描写の対比が素晴らしい。

モーパッサンの自然の描写は本当に美しいです。絵を見ているよう。名前も忘れてしまった短編に、森の中で(おそらく)セックスする男女の描写があるんですが、直接的に描くんじゃなくてヒバリの鳴き声の表現と男女の睦言を交互に書いて読者に想像させるというやべぇ作品があって、あれは忘れられない…。

モーパッサンの自然描写の美しさの例示に、わざわざこんな短編の話を持ち出さなくても、と思われると思いますが、ほんとすごいん作品なんですって!!いつかタイトルがわかったらお知らせしますねw

 

SNSのコメント欄でいちゃつくほうが女にとって幸せ

すでに隠れ家を訪れ数時間を過ごすのに疲れてきたビュルヌ夫人。てっきり「今日は生理で…」とか「なんと、今月は二回も生理がきたのよびっくり!」とか言ってテキトーにごまかしてるんだろうと思いきや、一応体の関係も継続していたようです。ある日、「今日の午後のアレもしんどいな~」なんて考えていた彼女はついに、「今日は風邪をひいていることにしよう」と思いつきます。自分だけの約束ごとを持っているとき、それを破ってしまうと途端にどうでもよくなる現象があると思いますが、彼女もソレ。仮病を使った日以来、輪をかけてマリオルに冷たくなります。

キスもしないまま「それでは今晩。遅れないでね」と帰っていくビュルヌ夫人を、寒さに凍えそうなマリオルは見送ります。はて、今晩とは…? 現代の日本人の感覚だと、隠れ家でいちゃつく以外二人は会っていないんだろうと解釈しがちですが、そんなことはなくて、実は毎晩彼女のお家のパーティーにお呼ばれしているマリオル。そしてパーティの時の夫人は、昼間の塩対応は嘘のように優しく、特別扱いしてくれるんです。マリオル的には、パーティで優遇されるよりも隠れ家で会いたいんですが、ビュルヌ夫人は逆。隠れ家で会わなくてもいいから、パーティの時に恋する男の姿をしていてくれればそれでよいんです。

これが、SNSでいちゃつきたい女の心理。恋人未満の男に限らず、男友達であっても、LINEで1対1に「かわいい!」「好き!」「会いたい!!!」と連発されるより、自分のSNSの投稿に「かわいい!」以下略をしてくれたほうが100倍嬉しい。なぜなら、SNSはオープンで、「男にかわいいと言われている自分」を対外的にアピールできるから。1対1でかわいいと言われても誰にも自慢できないけど、5人、10人にかわいいとコメントされるだけで、何も言わなくても自分の価値がぐっと増すんですね。ビュルヌ夫人はこんな効果を狙っていました。

「今度ご飯に行きたいな~!」のLINEは既読スルーされていても、その子の投稿に、「オススメのお店があるから行こう!」とコメントすると高確率でリプライがあるはず。まぁ、どっちにしろご飯企画は実現しないと思いますが。

 

★惚れぬいた相手に対しては自分を曲げて対応する

季節が深まり、心も体も寒い、ついでにお財布もちょっと寒くなってきたマリオルは、ビュルヌ夫人の愛に飢えて死にそう。もうだめかもしれない…何かに負けそうになる自分を、こんな言葉で叱咤します。

「自分は何をやっても中途半端だった。アレの分野でもコレの分野でも、負けてしまうことが怖くて本腰を入れずに傍観者を決め込んでいた。自分は今まで何かをやり遂げたことがあるだろうか…ここが踏ん張り時では…?」

まるで、就職活動中の学生ですね。

マリオルは自分で回顧しているように、すかした態度でアラフォーまでやってきました。音楽も芸術もやろうと思えば人並みプラスアルファくらいにはできるけど、どれかに注力してダメだったとき劣等感を抱くのが嫌。どうせ生活にも困らないし、流行りのものをかじって通ぶっているだけでいいだろう、と。爛れた恋愛に陥るまではそんな態度でいても困ったことはありませんでしたが、ビュルヌ夫人の気持ちが冷めていく中、全然関係のない過去のコンプレックスまで持ち出して、「このままでいいのか」という気持ちになります。マリオルは、今まで見せたことのない積極性をもってビュルヌ夫人を振り向かせようと試みますが、実を結びません。

実際、負けそうなわけでも、踏ん張り時でもないからです。マリオルの独り相撲。正直、恋愛なんていうのは教科書通りにいきませんから、魂が呼び合う相手ならプータローでも変態男でもOK。逆に、侯爵だろうが王様だろうが、セックスしたくない相手はどーーーしても無理なんですね。そんな簡単なお話。就活生が、「大企業に求められている学生」の金型に自分を押し込んでいくように、マリオルもビュルヌ夫人の理想に合わせて自分を捻じ曲げ、痩せていくのでした。

 

★自分のものだと思った相手には平気で不義理をはたらく

さて、春を迎えてもいっこうに心が癒されないマリオルは、パリを脱出することを考えるようになります。パリを離れてビュルヌ夫人から距離を置けば、彼女のことを夢見て泣く日々からは卒業できるだろう、と。そして、ちょっと思わせぶりな手紙を書いて、本当にパリを離れるのでした。連絡先を誰にも知らせずにおいて、彼女の名前を目にするかもしれない新聞も遠ざけて、滑り出しは上々。これが辛い恋愛を遠ざける最善手でありますから、回復に期待。そんな中、近所の飯屋(といっても結構立派なお店)のウェイトレスをしていた少女エリザベトを下女として雇い、彼女との恋が芽吹きます。

ここまで書いてきてわかるように、ビュルヌ夫人と出会うまでは、いいものを食べいい服を着てひげをきちんと整えて、そして何事にも深入りせずスキャンダルなんて皆無、まぁまぁいい男だったマリオルは、今やげっそり痩せ、どこから見ても捨てられ男に。新居の世話をしてくれた男は、「パリからは(使用人を)誰も連れてきていない。新しい生活を始めたくて。良い人がいたら見繕ってくれれば」と話したマリオルを見て、「こいつ絶対ワケあり男。センチメンタルジャーニーwww」と内心小馬鹿にします。また、エリザベトに寝る前本を読んでもらおうとマリオルが選択したのは、直情型の女に振り回される男を描いた「マノンレスコーwww」。なんか、すごくみっともないなぁ…という印象。

 

話がそれましたが、物語の最後、やはりビュルヌ夫人を忘れられないマリオルは「あなたは私をどう思いますか?」と禁じ手の連絡をしてしまいます。ビュルヌ夫人からの返事を首を長くして待つ彼が見たのはビュルヌ夫人。会いに来てくれたのでした。「また明日8時、パリで会いましょう」と約束し別れる二人。あー、元通りw

そんな二人を見て全てを察したエリザベトはさめざめと泣きます。「私はあのご婦人の代わりなんですね。あなたがパリに戻るとき、私は捨てられるんですね」と。しかしそんな彼女にマリオルはこう声をかけたのでした。

「君を一緒に連れて行くよ。君をちゃんと好きでいる。ここにいるときと変わらず、好きでいるからね」

この言葉をもって、物語は終わります。

お金も居場所もないエリザベトを手中に収めたマリオルは、平気で心のこもってないアイラブユーをささやきます。これは、ビュルヌ夫人がマリオルに対してやっていたのと全く同じこと。優位に立っている相手に対しては、いくらでも不義理をはたらけるんですね。

 

さて、恋愛の教訓6つは以上です。

最後に一番印象に残った言葉を。

「大好きよ」と平然と言ってのけるビュルヌ夫人に対し、マリオルはこういいます。

「恋するのに足すものも引くものもない!好きに程度なんてもんはなくて、大好きっていうのはつまり大して好きでないということと同じでしょう!!!」

大好きは大して好きじゃないって…!!!「いい男、ほんとはどうでもいい男」並みの格言出ましたーーー!!!と3度見してしまいました。

でも実はこの言葉、物語を貫く、すっごく重要な言葉なんです。ということでもう一回、ラストの言葉を見てみましょう。

「君を一緒に連れて行くよ。君を”ちゃんと”好きでいる。”ここにいるときと変わらず”、好きでいるからね」

さぁ、” ”の部分、「ちゃんと」とか「ここにいるときと~~」とか、余計なものがついているんです。自然派食品のブランドは「無添加」、「余計なものはいらない」という言葉が大好きですが、愛にも余計なものはいりません。好きに余計なものをひっつけたくなる愛は、本物じゃない。そう言ってビュルヌ夫人を詰ったのも忘れ、彼も平気で不純な愛をエリザベトに示したのでした。

 

と、モーパッサンの作品ってすごく面白いんです。自然主義文学と呼ばれるだけあって、電車で3つ隣に座っている人にも起こりそうな出来事をつぶさに描く手腕というかなんというか。でもその中に、最後に解説したような伏線もしっかり用意して。そういう魅力があります。

女の一生」、その他短編集もぜひ。

 

おわり。

 

★2を書きながら思い出した記事はこちら

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