はらぺこあおむしのぼうけん

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照れやの女より恥ずかしがり屋の女のほうが100倍お得である コレット「青い麦」

こんにちは。

 

シェリ」で有名なコレットの「青い麦」。新訳が出たので読んでみました。

シェリ」は、元高級娼婦のレアと、シェリ(わたしのかわいい子)と呼ばれる青年フレッドの長い交際を描いたもので、心理描写や当時の風俗の描写が巧みで高い評価を得ています。個人的には、レアが食べるものがいちいち美味そうなところが印象に残っています。(続編の「シェリの最期」はいまいちだったやうな…)

 

青い麦 (光文社古典新訳文庫)

 

16歳のフィリップと幼馴染の15歳のヴァンカは、毎年両家族合同で海辺の別荘に滞在しています。二人は幼馴染で、ずいぶん前からお互いを想いあっていますが、気持ちを伝えてはいません。そんなとき、あまり遠くない別荘に「白いドレスの女(ダルレイ夫人)」が滞在するようになります。30歳そこらの不思議な魅力のある女性。フィリップは次第にその女に惹かれていき、ついに彼女に初めてのセックスを教えてもらいます。

幼馴染の二人の曖昧な関係が美しい女の登場で揺さぶられていく、という短い物語の中に、ヴァンカ、フィリップ、ダルレイ夫人それぞれの苦しみが描かれます。

 

ヴァンカは男っぽい性格なので思わせぶりなことを言って駆け引きをしたりはしませんが、いっちょまえに年頃の女子の危うさを持ち合わせており、いきなり「死ぬ!」みたいなことを言い出します。対してフィリップ。ヴァンカへの想いはもちろんあるのですが、思春期特有の「大人の女への興味」「俺はもっとイケるのでは?」という全知全能感もある。「俺はヴァンカごときで終わらねぇ」、そんな気持ちも心の隅っこにあります。そんな中、手ごろな人妻を発見し、いそいそと彼女の家に向かっていくのです。

 

まず、フィリップとダルレイ夫人について思ったこと。

私が感じたのは、「人を利用しようとして近づくと、最後は自分が負ける」というところ。これ、太宰治人間失格にもありました。主人公の葉蔵は、堀木という怪しい男に出会います。当初は「相手してやるか」という気持ちで接していましたが、最後には、堀木に利用され、堕落していきます。まぁ世の中にはガチのペテン師がいて、利用しようとして近づきしゃぶりつくすような人もいるんだけど、そういうわけではなく、普通の人間が他人を利用しようとする時の話。

人を信じて傷つくほうがいいなんて思っている人は世の中にほとんどいなくて、男からチヤホヤされて貢がれている女や、若い女をとっかえひっかえしている男に内心憧れているのは皆同じ。そんな願いを叶えるために手ごろな男(女)を見つけて自分の欲望を満たすけれども、普通の人間は不安や罪悪感にさいなまれ、他人に向けたはずの負の感情に自分のほうが害されてしまうのです。

フィリップも「あの女を利用してやろう」という動機で近づくのですが、欲望が満たされたことへの喜びよりも不安が強くなる。いつしか、ダルレイ夫人の顔色を窺い、へりくだった態度をとるように。そんなオドオドした自分にも嫌気がさします。自分のほうがダルレイ夫人を利用しているはずなのに、自分は全然幸せじゃない。

ダルレイ夫人も、詳細は書かれていませんがおそらく現状に不満を抱えている女です。本当は不器用なんだけれども、童貞少年相手であれば、自分は謎の女になりきって手のひらで転がせるんじゃないかなぁなんて考えている。出会った頃はいきなりフィリップを叱りつけて謎の言葉をかけるなど、つかみは上々。しかし、次第にフィリップに惹かれていき、自らパリでの再会を匂わせたときには、「優位の限界」を感じます。彼女、うっかり自分の本心を言いそうになると、すぐにフィリップを押し倒すんですね。「彼女のように愛を乞う者も、(セックスの間は)自分が施しをしているという幻覚に浸ることができる」という表現が辛辣。

フィリップもダルレイ夫人も「なりたい自分」があるけれど、その姿にうまくリーチできていない人間。生まれ持った負けん気の強さで、もっとやれる!と自分を飾り立ててはみるけれど、簡単にメッキがはがれ、利用したはずの相手への罪悪感とみじめな自分への劣等感でボロボロになっていきます。

ダルレイ夫人は今後もこんなことを繰り返していくんだなぁと思いますが、フィリップは、思春期の後は一皮むけて、いけ好かない男に成長しそうだと感じました。というのも、フィリップは薄情なんです。ダルレイ夫人との唐突な別れの後、ヴァンカへの罪悪感で涙し、失神までします。感受性の豊かな男の子だなぁとは思うのですが、彼の話を聞いてみると全て自分のための涙なんですね。こいつ、かわいい顔して女を踏み台にしてのしあがっていくんタイプなんじゃないか、なんて感じました。

 

続いてヴァンカについて。

彼女については、「照れ屋よりも恥ずかしがり屋のほうがお得」これに尽きる。ヴァンカを見ていると、素朴で照れ屋なジブリヒロインを彷彿とさせます。ヴァンカはフィリップと対峙するとき、ふざけたり黙り込んだりしてします。もともと男っぽい性格であるのと、幼馴染に恋をしているという照れくささがそうさせてしまうのですが、もったいない!!!もったいないよ!!!

例えば気持ちを伝えようとする時、強がって笑うんじゃなくて、頬を染めて「私の気持ちわかんないの?」と言うだけでいいんですよ。そうすれば、フィリップの16歳の夏は、変な女との爛れた関係よりも、ぐっと女らしくなったヴァンカとの秘め事で満たされたかもしれない。

とにかく男っぽい彼女ですから、ダルレイ夫人との不埒な関係に話が及んだ時も、「あんたの打ち明け話なんて聞きたくないわ!浮気を弁明しようとするのは、あの女とのアレコレを思い出してもう一度幸せをかみしめたいからよ!くそったれ!」と、フィリップの最も痛いところを突きます。気持ちはわかるけど…これは言ったらまずくねぇか…とハラハラしてしまうんですね。

 

その後フィリップとヴァンカは無事?初体験を果たすのですが、翌朝鼻歌を歌っているヴァンカを目にし、フィリップの心は冷めてしまいます。「あのあと、女の子は泣くものじゃないのか?」とフィリップが少し残念に思ったからなのですが、そんなニワカ知識どこで覚えてきたんだよ!と突っ込みたくなりますね。そして、やっぱりフィリップは薄情!!

 

と、ストーリーもシンプルで理解しやすく、さらさらと読み進められますが、感じることがたくさんあります。あと、情景と心情の描写が秀悦。「明るい日のもとでは(昨夜のダルレイ夫人とのあれこれを)思い出して浸ることはできない」とか「夜はいくらでも他人に優しくできる気がする」とか。ちなみに私が感じたのは、大人の危機感のなさ。思春期の男女を二人きりにしたり、同じ部屋で過ごすことを許したり。もっとしっかり注意しとけ!と。

 

光文社古典新訳文庫は豪華な解説が魅力なのですが、本書の解説は鹿島茂先生でした。簡単に内容をまとめると、「青い麦」は、若い女の子と若い男の子の恋愛を取り上げたという点で、社会へのインパクトがあったそうです。というのも、当時の上流社会の結婚は、持参金の額がモノを言うので、男女間の愛情の有無はあまり問題になりませんでした。若い娘は傷物にされたらたまらんと監視されて育ち、恋を知らぬまま結婚します。若い男は、上流社会の人妻から手ほどきをしてもらった後結婚。箱入りのまま結婚した女は、今度は夫公認で独身男子と交際をし、手ほどきをしてあげる。というもの(すごくサステナブルな社会ですね)だったので、男女の初々しい恋愛を題材にしたものは珍しかったそうですよ。

 

ずいぶん昔の作品ではありますが、今読んでもみずみずしさ溢れます。 

おわり。