はらぺこあおむしのぼうけん

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人生は奇跡と現実の甘辛ミックス 新潮クレスト「トリック」

こんにちは。

今日紹介するのは、新潮クレスト・ブックス「トリック」です。

私は外国の人の顔とか名前を覚えるのがクソ苦手なんです。なので、普通は「伊坂幸太郎の『死神の精度』です」って紹介するところを、海外文学だけは「新潮クレスト・ブックスの『トリック』です」と紹介しますw

 

トリック (新潮クレスト・ブックス)

 

2人の男の子の物語が交互に出てきます。

一人は、ナチ党政権下ドイツのモシェ。彼はアル中の父と暮らしています。お母さんは病気で亡くなりました。ある時、サーカスを見に行ったモシェはその虜になり、父のもとを飛び出してサーカス団の下働きとして各国を旅することに。

もう一人は、現代アメリカのマックス。彼は両親の離婚問題に苦しんでいます。父の部屋で古いレコードを見つけたマックスは、レコードに収録されていた「愛を取り戻す魔法」に魅せられ、ザバティーニというマジシャンを探すことにします。

さてここで、大体の人はザバティーニが誰かピンとくるし、それは予想通りです。ザバティーニとマックスはついに出会いますが、ザバティーニは「愛の魔法なんてない」と言い放ち、マックスのもとから姿を消します。両親の離婚を止めたいというマックスの思いは叶うのか?

 

ザバティーニは人を騙すことを生業にしてきましたし、幼い頃から厳しい現実と向き合ってきました。アウシュビッツの生き残りでもある彼は、その経験から世の中全てに対して不信感と冷めた目を持っています。対してマックスは、両親の離婚問題が持ち上がるまでは、ある程度裕福な家庭で何不自由ない生活を送ってきた、サンタクロースが実在しないということに気づいたばっかりの、まだ大人と子どもの狭間にいる存在。マックスと出会ったザバティーニは、「発する言葉が全て本心の存在なんているんだ」と驚き、少しずつマックスに心を開いていきます。ザバティーニとマックスの交流と、ザバティーニの辛い過去が交互に描かれる中盤以降は、ページをめくる手が止まりませんでした。

 

この世に何を残せるか。それがこの本のテーマの一つ。人が死ぬのはその人が完全に忘れ去られた時という言葉がありますが、それを生々しく感じられるストーリー。ザバティーニにはもちろん、愛した女も家族もいました。しかし彼らは死んでしまったし、誰も彼らのことを知らない。ザバティーニが死んでしまえばその人たちの存在も全て無になります。

人生を振り返るとき人は、確実に何かを積み重ねて生きているように感じていますが、実は他人の人生に交わらなければ、死とともに自分という存在は無に帰します。多くの人間は、自分の過去を取材してもらうことも、テレビ番組で回顧してもらうこともありません。自分の生きた痕跡を残そうと思えば、誰かの心の中に生きるしか手立てはないのです。

あ、今、「別に自分は何も残せなくても精一杯生きれば…」とか思いました? ザバティーニもずっとそう思って生きてきたクチです。しかし、若くて健康なときの選択や将来展望ほど当てにならないものはありません。私の父も普段は、太く短く生きる!ピンピンコロリ上等とか言っていますが、いざ体調が悪くなると、俺は死ぬかもしれないとギャーギャー騒ぎ始めるんですね。健康な時の決意なんて死を意識したらなんの効力も持ちません。ザバティーニも死を前にして、「後腐れなく生きてきたことが悔やまれる」と心情を吐露します。自分が死んでしまえば、愛した母も、父も、愛した女も自分の苦しみも喜びも全てがなかったことになってしまうということに今更気づいて戦慄するのです。人間関係においては失望も傷つくことも多いですが、それを怖れていては、誰の心にも留められないまま自分という存在は簡単に消えてしまうんですね。最後、「あの箱(棺桶)に一人の大きな人生がおさまってしまうんだなぁ」という葬式のシーンがあって、生きるって何かを考えさせられました。

そんなザバティーニですが、実は誰かの心の中でしっかり生きていたんです。それは読んでからのお楽しみ。

 

「トリック」というタイトルにあるように、辛い現実とその中に差し込む奇跡のバランスが絶妙!伏線らしい伏線はないものの、二度読みすると、コレがアレにつながっていたのか!と感動します。さすがトリック。

老人と少年が出会う系小説において老人が頑固なのはお約束ですが、ザバティーニは頑固なのはもちろん、その辺の汚いジジイそのものです。マックスのお母さんのパンツの匂いを嗅いで勃起したり、マックスにパンケーキを奢らせたり、しかも臭い。申し訳ないけど、序盤は感情移入もなかなかできないんです。ただ、老人と少年の友情モノとしては苦めで、爽やかな感動というよりはどっしり系。教訓もかなり重いなぁと感じました。

 

おわり。 

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