はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

最後の10ページ足らずのためにある300ページもの物語 カズオ・イシグロ「日の名残り」

こんにちは。

とりあえずノーベル賞受賞作家だし読んどく?という軽いノリで読み、衝撃を受け一気にファンになってしまったカズオ・イシグロ作品。

「わたしを離さないで」でも同様だったのですが、立ち上がりが緩慢なんです。(わたしを~ほどではないけれども)ちょっと飽きてくる。それでも読み進めていくと、最後の10ページで泣かされる。

 

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

 

dandelion-67513.hateblo.jp

 

ざっとあらすじ。

父親の代から執事をしてきたスティーブンスが短い旅の中で自分の人生を振り返る話です。旅の目的地は、元同僚ミス・ケントンの住む町。一日目ーー夜。二日目ーー朝。というように、旅行日記の体裁をとりながら、ダーリントン・ホールで自分がさばいた大規模な外交会議や父の話、好きだった女中頭ミス・ケントンの思い出が語られます。300ページにわたる他人の日記。「…でございます」とかいう執事口調もあいまって決してぐいぐい読み進められる類のものではないのですが、六日目ーー夜の日記の10ページ足らずにこの本の教訓全てが凝縮されている。教訓というのは、

1.人生の「転機」はあとからわかる。(岐路に立っているときにはそれとわからない)

2.過去を振り返っても詮なきこと。

3.大切な人との時間は有限。

のみっつ。教訓については別に目新しさはないですね。エッセンスを抽出するとこういう感じ。

 

さて、以後ネタバレです。じんわり騙されたい人はここでSTOP。

 

 

裏表紙のあらすじを引用しますと、「長年仕えてきたダーリントン卿への敬慕、執事の鑑だった亡き父、女中頭への淡い想い、二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々ー過ぎさりし思い出は、輝きを増して胸の中で生き続ける。」こんなことが書いてあるわけです。これを読んでどう思いますか?ダーリントン卿という人格そして社会的な地位ともにとっても素晴らしい人のもとに仕え、良いお父さんを尊敬し、女中頭の恋は、きっと叶わなかったけれども良い思い出だったのかな。しかも何十年も経ってから会いに行くとは??もしや、そういう展開!?って思いません??

しかし!!そうは問屋が卸さない。

 

まずはスティーブンスと父親の物語をみていきましょう。

ある時ダーリントン・ホール人手不足の際に父を呼び寄せたスティーブンス。父は御年74でしたが、父親もスティーブンス本人も、まだイケる!と思っていました。しかし、お父さんのまだらぼけ?が始まり、掃除機がほっぽり出されていたり、銀食器磨きが途中でやめられていたり、鼻ちょうちんをこさえたまま給仕したりと衰えが隠せない。ミス・ケントンは遠回しにスティーブンスに指摘しますが、「え?そんなことありえない(怒)」と取り合わない。あるとき父が庭で転倒し、ついにダーリントン卿に「お父さんの仕事を減らしてあげてはどうか…」と言わせてしまうという、主人に家のことを心配させる大失態をおかす。

当時は大規模な会合を控えており、自信を喪失した父に寄り添ってあげることも、卒中を起こし寝たきりになった父の看護をすることもなく、スティーブンスは仕事に邁進する。執事としての仕事を完璧にこなすことこそ父親の望みだろうと自分を納得させていますが、死の床にある父はずっと「俺は良い父親だったか?」とスティーブンスに問い続けていました。スティーブンスは父を尊敬していたものの、それは執事としてであって、父親としてではない。結局、父の老いを認めることのできないまま永遠に別れてしまいます。

 

次は、女中頭ミス・ケントンとの恋。

ミス・ケントンは気の強い女。過去にはお父さんのことでやりあっていますし、超多忙な時期には「こまごましたことを話しかけんな!要件は紙に書いてよこせや!!」という大喧嘩をし、一時冷戦状態になるなど、さながら漫画の主人公とヒロインの出会いのよう。長年、ココア会議という、毎夜お屋敷や使用人のアレコレについて問題をすりあわせる会議をしていましたが、それもすれ違いによりスティーブンスが一方的に終わらせます。いつもならプリプリしながらスティーブンスの謝罪を待つ彼女でしたが、このときは「お願い、また会議をしよう」と懇願します。しかし、意地になり願いを受け入れないスティーブンス。「また時期が来たら仲直りできるだろう」と気長に構えています。そんな中、ミス・ケントンに「プロポーズをされた」と打ち明けられ、「それはおめでとう」とそっけなく返します。ミス・ケントンは「本当にそれでいいの?」と詰め寄りますが、彼は仕事に戻ってしまいました。ミス・ケントンは結婚し、お屋敷を離れます。その後手紙のやり取りがありましたが、結婚生活はあまり幸せではないようです。何度か家出し、そのたびに叔母の家に厄介になっているミス・ケントン。旅行の目的は、ミス・ケントンのダーリントン・ホールへの復帰の打診でもありました。

さりげなく現状を訪ねるスティーブンスに、彼女は率直な言葉をぶつけます。「あなたとの人生を想像して不幸な気持ちになることもある。でも、時計は戻せない。架空のことを考えるわけにはいかない。人並み、もしくは人並み以上の幸せに気付き感謝すべきだったわ」「結婚当初は不幸だったけれど、やっと夫を愛するようになった」と。そして、「孫が生まれるのよ」とにっこり。スティーブンスは自分の思い違いにひどく落胆します。ミス・ケントンに会ったのが四日目。五日目の日記はなく、6日目の夜まで飛んでいます。スティーブンスの落胆が窺われます。

はっきりとは書かれていませんが、スティーブンスは、ミス・ケントンとかつて両想いであったろうということは認識していました。そして、彼女が現在あまり幸せでないだろうと想像し、ダーリントン・ホールへの復帰が彼女にとって良い提案になるだろう、そして、自分たちの関係も簡単に元に戻れるだろうとかなり楽観的でした。しかし、これは大きな勘違い。

ミス・ケントンは「あのとき」引き留めてほしかった。それが叶わなかった彼女は、ずっと前を向こうと努力してきました。時々過去を振り返り、甘美な妄想に浸り、感情が高ぶって家出もしたりしたけれど、それでも前を向いてきた。辛い毎日だったでしょう。そんな中、夫への愛なのか情なのかも生まれ、孫を待つ身となった今、いきなり背後から肩をトントンたたかれて、昔に戻れたらいいなぁ…なんて、彼女からしたら「何を今更、ふざけんな(怒)」なんです。

 

ティーブンスは、父との関係においても、女との関係においても鈍い。永遠に一緒にいられるだろうと無条件に思い込み、唯一分かり合えるチャンスを逃してきた。家族も、惚れた女も幸せにできなかった。明るい結末を期待している読者としては、結構びっくりします。実は主人公は、残念な老人だったと。

 

まぁでも、すんごい仕事をしてきたようだし、執事として大きな功績を残せればトントンなんじゃない。

最後、執事としての人生についてはどうでしょう。

文中、「良き執事とは何か」「執事の品格とは」というテーマが何度も出てきて、自分はかの有名な執事に匹敵するレベルでは…?感がじわじわ染み出してくる。それに、当時の有名人がお忍びでダーリントン・ホールを訪れたということもさりげなくアピられ、さぞや栄光の執事人生だったんだろう、となるわけです。

しかし、読めば読むほど雲行きがあやしくなる。ダーリントン卿は英国貴族で、理想は高いが世間知らず。第一次世界大戦後のドイツの動き(ハイパーインフレによる民衆の苦労。ヒトラーの台頭やユダヤ人への圧力)に危機感を抱き、自分が何とかできないかと外交官や篤志家を家に招き非公式の会合を持つわけです。豪華なパーティー会場で青臭い理想論を語りながらワイワイやっている古き良き時代の金持ちたち。あるとき、アメリカ人の男に「敗戦処理はプロに任せるべきだ。アマチュアの出る幕ではない」と皆の前でバカにされますが、「プロというのは利権に巣くう奴らのことだ。気高い理想を掲げる僕らはアマチュアで結構!」と一蹴します。ダーリントン卿へ贈られる拍手。すごい!となるのですが、実はこの頃がピークで、そのあとダーリントン卿はピエロとしていろんな人に利用されまくった後、悪人に仕立て上げられポイ捨てされたということが語られる。以後は、「ダーリントン・ホールから来ました」とかいうと、「え?ダーリントン卿ってどんな人?」って知らん人にニヤニヤ聞かれるなどという、屈辱的な日々。最初のほうに「優秀な執事の条件の一つに、品格のある素晴らしい雇い主に雇われたというのがある」という語りがあるんです。これを読むと、読者は、ダーリントン卿はさぞ素晴らしい人だったんだろう、そしてそれに仕えたスティーブンスも栄光の人生だったのだろうと錯覚させられます。しかし、読み進めるにつれて、スティーブンスの人生が「栄光の人生」から「結構しょぼい」に変わっていくんです。最初から「僕のしょぼくれた人生について」と宣言してくれれば良いのですが、「素晴らしかった俺の人生を振り返る」感を出してくるのですから、最後まで読んで、だ、騙された!となる。ある意味新鮮な体験。

 

冒頭で、「ダーリントン・ホールはアメリカ人のファラディへ売却され、普通は持ち主の変更により解雇されるところを、使用人が優秀だという評判もあってファラディ氏は執事のスティーブンスをはじめ過去の使用人を全て雇い続けることを希望しました。しかし既に大部分の使用人が辞めてしまっていて、人員不足の感は否めない。この話は、ファラディ氏が一時アメリカに帰るためできた休暇を利用して、元女中頭を訪ね、元女中頭に復帰を打診しようという話です」という語りがあり、アメリカ人の雇い主に困惑する姿が描かれます。大した意味もないように思えるので読み流すのですが、実はこれはすごく重要な設定で、「古き良きイギリスは既に失われた後の話ですよ」という説明なんです。本書が教科書の教材にならば、ねらい:前の持ち主はどうなったか? 次の持ち主はなぜアメリカ人なのか?を念頭に置いて読む。と学習指導要領に書いてあるレベルで重要なポイント。

 

と、やっぱりノーベル賞受賞作品。一筋縄ではいきません。わたしを離さないでの時も思いましたが、味わい深いというか、最後に驚きを用意してくれているんですね。ミステリー的な種明かしとも違って、「ああそういう意味だったのか」と読み終わってからもう一度考え込んでしまうというような。

バス停で泣くスティーブンスに、老人が声を掛けます。「夕方が一番美しいんだ。人生も夕方が一番良い時だ」と。それに感化されたのかどうかはわかりませんが、「さて、アメリカンジョークの勉強をしよう」と決心するスティーブンス。挫折や後悔を乗り越えるため、彼もまた、前を向くことにしました。

 

おわり。