はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

子どもを本好きに育てたい!という観点から読む「書店主フィクリーのものがたり」

こんにちは。

私もそうですが、子どもには本好きになってほしいと思っている親御さんはたくさんいるのではないでしょうか。想像力が養われるし、物知りにもなるし、孤独の慰めにもなりますね。本の存在に助けられたことは数知れず。

子どもはどうやったら本好きになってくれるかなぁ?と日々考えています。好きな本について語り合うのも良いし、本を貸し借りしたい。昔自分が集めた本に魅力を見出してくれたらなお嬉しい。

今のところ、

1。本を読む姿を見せる

2。本に触れやすい環境を作る

3。子どもの絵本を読みながら「これおもしろーい」とオーバーアクション(そうすると覗きこんできます)

はやっていますが、成果は出るでしょうか。

 

さて、「書店主フィクリーのものがたり」の作者ガブリエル・ゼヴィン氏も、大層幸せな本の虫だったそうです。小説を読むだけで伝わってくるんですよね、本への愛。本書を、「本好きの子どもを育てるには?」という観点から読んでみることにします。

 

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はじめに、めくってすぐの謝辞のところ。

「私という人間の形成期に、諸々の本を与えてくれた両親に」

とあります。たくさん本を買ってくれた父親。昼休みに車で本屋に連れて行って、新刊は当日に手に入るようにしてくれた母親。そして会うたびに本を贈ってくれた祖父母。(財力よ…!)

出ました!本がそばにある環境作りですね。そして、本屋詣で。実際に本を手に取れる、読みたいと思ったらすぐに読めるメリットがあります。本を読むモチベーションが一番高いのは、その本を初めて知ったときでしょう。Amazonは手にするまでタイムラグがありますが、本屋さんでは買ったらすぐ読める。時間を作って本屋詣で。そして、ケチケチしないで本を買うこと。これ大切ですね。

私は、ブックオフに連れて行きたいなぁと思っています。最近の本屋さん、新聞広告に掲載されていたり、話題になっている本ばかりが平積みされていませんか? こちらとしてはもっさりした掘り出し物との運命の出会いを求めているんだけど、容姿端麗で話が面白く誰にでも愛されるイケメン本ばかりが並んでいますよね。そういう本は、お呼びでないんです。そんなイケメン本は、出張の時、新幹線で読む本を切らしているときに、品川駅で山手線から乗りかえする間に書店でさっと買うつもりだから別にいいんです。と、本屋に行っても新たな発見もなく手ぶらで店を出ることも多くなりました。その点ブックオフは安いし、掘り出し物が多いし、安いし最高ですね。

どこかで、「ゲームも飽きたので、子どもの頃の娯楽といえば本。しかし、新品を買うと1冊で小遣いが飛んでしまうので、古本屋の1冊100円コーナーの本をいっぱい読んだ」という子どもの頃の思い出を読んだことがあります。それ以来子どもを連れて行くならブックオフだな、と思っている私。ブックオフ最高。

 

次に、こんな台詞。

「おまえは読書が嫌いなんだね、といえば、子どもはそう思い込むものよ」

はい。これを逆手にとって、「あんたは本好きね〜」といいまくればいいのでは。そして、「小1でこんな本を読めるなんて!!!すごすぎ〜!天才!!ママはこれを小3で読んだのに(オススメ本をチラ見せ)」と虚実織り交ぜてオススメ本に誘導する手もあると思います。

昔聞いたのは、書斎にわざと連れて行って、「これは大人の本だからダメなのよ」と本を見せると、親が留守の時にこっそり忍び込んで読むようになると。そんな裏技も駆使しましょう。

 

最後にこの会話。

「白鯨はお好きですか?」

「大嫌い。あれはまず学校の先生の推薦でしょ。親たちは、わが子がなんだか高級なものを読んでいるのでご満足なわけですよ。でもそんなふうに読書を強制すると、子どもは本嫌いになりますよね」

 

「白鯨」って読んだことあります? 私もいつかレビューしたいと思っているのですが、まぁ、評価される理由がよくわからない。ネタなのか本気なのかよくわからんのです。

海外でも推薦図書みたいなものがあるんでしょうか。小説内では、白鯨が槍玉にあげられているんですよね。例えば、フィクリーとある女性の食事シーン。女性が、フィアンセについて「彼はいい人なんです」と言うんですね。そしたらフィクリー、「それは大事なことだ。完全な人間なんていないから。おそらく誰かが、高校時代、彼に『白鯨』を読ませたんだな」と言い放つなど。子どもの敵扱いされています。

 

話はそれましたが、最後の教訓は、本を読むことや読む本を強制しないことです。

いつも思うんだけど、推薦図書って対象年齢から見たらつまらない本多くないですか? 推薦図書を買ってもらえるような中流家庭以上の子どもは金銭的な苦労を知らないことが多い。そんな子どもに教科書的な苦労話を読ませても、そんな体験がないからわからないんです。それを想像させるための本かもしれませんが、まぁつまらない。

読書感想文も悪習ですよね。推薦図書で読書感想文書こうとしても、共感できない本を読まされた挙句、かっこいいことをいわなきゃないなんて、無理。感想が出てこないんです。中学生で人間失格読んで感想文書いていた子がいたけど、中学生であれに共感できるって、早熟なのか中二病なのか、もはやわかりません。私は社会人にならないと人間失格の良さがわからなかったなぁ。

 

とまぁ、3つ挙げました。ぜひ意識してみましょう。

 

蛇足ですが。私は、母を反面教師にしています。ダメな例を紹介しますね。

母は、最後の二つを忠実にやり遂げていたため、大の本嫌いが完成しました。推薦図書を押し付けては、それを放り出した私に、「お前は本嫌いだ!」と暗示。

母の監視下でなくなってからミステリーやエロい話を読み始め、本って自由!めっちゃ面白い!と感動。推薦図書と伝記ばかり押し付けられていた私は、書籍において、殺人や性描写など、過激なシーンは規制されていると割と本気で思っていたのです。

あと、やってはいけないのは、人の読んでいる本を批判することです。「パパは歴史小説ばっかり読んでいるから人の気持ちがわからないんだ!」と父の愚痴を聞かされていました。人の本の趣味を批判してはいけない以前に、夫婦の問題を子どもに押し付けてはいけません。そんな母はどんな崇高な本を読んでいたかというと、吉本バ○ナとか林真○子(ファンの人のごめんなさい)、夢占いの本、痩せる本…人のこと言えた義理か!!!と。大人になってから父の本棚を見て、司馬遼太郎宮部みゆき、いいじゃん。父もいい趣味してるじゃんと思ったものです。

 

さて、長々と書いてしまいましたが、本書の教えを参考に、また、見も知らぬ私の母親を反面教師にして、是非是非共に、読書大好きっ子を育て上げましょう!

子どもと一緒に読書を楽しむためにやっていることがあったら教えてください!!

 

おわり。

 

書店主フィクリーのものがたり (ハヤカワepi文庫)

 

ひとりぼっちだから本を読む、ひとりぼっちじゃないことを確かめるために本を読む ハヤカワepi文庫 「書店主フィクリーのものがたり」

こんにちは。

こちらは2016年の本屋大賞(翻訳小説部門)で大賞をとった「書店主フィクリーのものがたり」です。

本屋大賞に翻訳小説部門があったの知らなかったw

 

書店主フィクリーのものがたり (ハヤカワepi文庫)

 

さて、タイトルの言葉、じんときますよね。ここのくだり、わたしもすっごく語りたいのですが、、解説のテーマがばっちりここの話なので、解説に譲ることにします(何様)。それは実物を読んで見てからのお楽しみ。

書店主フィクリーの物語、もちろん本好きがたくさん出てきます。フィクリーの人生を通じて、本とは何か、生きるとは何かについて考えさせられる。読書好きにはたまらん!!これが本屋大賞でなくて何が本屋大賞を取る!!!

 

フィクリーは、アリス島という小さな島で書店主をしています。妻のニコルが亡くなり、酒浸りの毎日。あるとき、置き手紙とともにエマという女の子が店に置き去りにされ、彼女を育てることになります。エマの父親になったことではじまるフィクリーの新しい人生。とまぁストーリーは結構ありがち。でも読んでみると、思っていたのと違う。そんな軽いのじゃない!

 

テーマはたっくさんあるんだけど、これ。

「ぼくたちは、ぼくたちが愛しているもの」

「ぼくたちは、ぼくが愛するものそのもの」

 

どういうこと?

フィクリーはどんな人か。フィクリーを理解するための一番いいエピソードはこれでしょう。大学で出会った未来の奥さんニコル。彼女と付き合い始めてから、所属していたアカペラグループをクビになるんです。ニコルに夢中になってアカペラグループに顔をださなくなるんですね。ニコルに「わたしの生まれた町で本屋をやろう」と誘われ、本屋になるフィクリー。ニコルと出会ってから、フィクリーの世界はニコル一色。ニコルを愛しているフィクリー。つまり、フィクリーの人生はニコルそのもの。

ニコルの死後は、息が詰まりそうな町で、たまにくる奥さん連中と夏場の観光客のために店を開いている男。ガンコでいけ好かない男。何も愛していないフィクリーは、虚です。

 

それが、エマと出会ったことで、エマを愛し、出版社の販売員エミリーを愛し、元の義理の姉イズメイを愛し、巡査のランビアーズを愛したフィクリー。エマを育てるためには、自分の殻にこもって酒飲んで死ぬのを待っているのではダメですから、心を開いていくんですね。

自分が勝ち得たもの、手にしたもので自分ができているわけではない。自分とは、自分が愛しているものそのもの。自らの人生を振り返った時にフィクリーが導き出した結論はこれでした。

 

自分の顔って、自分では見えないですよね? それと同じように、自分のことは自分では見えない。人間は実は他者の中でしか生きられないんです。本に関する考察を深めた作品は、自分との対話というテーマ、自分の内なる世界を深めることに着地するものが多いと感じますが、逆なんです。本ばかり読んで、本とばかり対話して来た男フィクリーが死を意識した時、一番愛するエマに伝えたかった教訓が、「つながる。ひたすらつながり続けること」なんです。

「多くの本の中身を見なければいけない。ときには失望することも受け入れなければならない。だからこそ、ときたま魂の高揚をえられるのだ」

と。これは本になぞらえていますが人間関係のことですね。他人とつながらなければ、人は死んでいると同じ。つながる努力を怠ってはいけない。

書店主が主人公の話ですから、「本があればいいや」かと思いきや、逆なんです。新鮮。驚き。クライマックスに向かってジェットコースターを降りていく感覚。

 

これは私のバイブルたりえる本かもしれない。なんてねw 作品中は、「本屋のない町は町じゃない!」「本屋はまっとうな人間をひきつける」にはじまり、「本屋は教会!」「聖地!」のような本の虫をくすぐる言葉がどんどん出てきて幸せ…!!

 

皆さん、読書沼、どっぷりはまりませんか?

 

おわり。

夢ってなんだ、人生ってなんだ 田山花袋「田舎教師」

こんにちは。
自然主義文学の話で一度触れた田山花袋の登場です。「田舎教師


田舎教師 (新潮文庫)



いい!田山花袋は、写真を見ると、満足感と自信にみちあふれた顔してるから、深~い、暗~い小説を書くイメージがありませんでしたが、「田舎教師」、「重右衛門の最後」の二作品には、すっごく胸打たれ、しばらく立ち直れません。

主人公の清三は、学校を卒業してすぐに、家計を助けるために教師として働き始めます。仲の良かった学友はみんな上級の学校に行くんだけど、自分は教師のまま。このまま少年少女の成長を見て癒される程度の人生で終わっていくのかなぁ、と葛藤する清三の人生。
友のように夢を見たい、恋もしたい、でも、自分の抱えているものがすごく大きい気がして、なかなか生きることに積極的になれない清三は卑屈になり、自棄をおこすことも。

夢を追えとか、ちいさくまとまるなとか、世の中には、でかい夢を見て、成功するために努力することを特に称賛する雰囲気がある。ただのサラリーマンで終わるなとか、家と会社の往復の人生は損とか。しかし、本当にそうか。夢ってなんだろう。人生ってなんだろう。多くの人が通ったみちを丁寧に書き出した名作でございます。

「攻撃は最大の防御」というか、守るよりも攻撃するほうが気持ちは楽です。攻撃は加点方式、守りは減点方式ですからね。夢をがむしゃらに追う時、それこそ、死ぬこと以外かすり傷のスタンスで挑戦できるわけです。加点されていくだけですから。でも、大切なものを抱えてその日常を守ろうと生きる守りの戦いは、達成感もない。ヘタをすれば減点される、減点方式です。今手に持っているものを守るには、という考え方になると、途端消極的になってしまうんですね。

友とは立っている場所が違うわけですから、友ほど向こう見ずには生きられない。上を仰ぎ見ては、自分を嫌いになっていくわけです。子育て中のママとか、大黒柱のお父さん、共感できるところが多いのではないでしょうか。

やっぱり古典っていいな。
おわり。

クソ母に胸糞悪くなること請け合い モーパッサン「ピエールとジャン」

こんにちは。
最も好きな作家は「モーパッサン」の本。
私的には冷遇されていると感じる作家の一人。ゾラもそう。今手に入るのは「女の一生」「脂肪の塊」「ベラミ」くらいで、もう少し多くてもいいのになぁと思っています。


フランス自然主義文学は、ゾラとモーパッサンによって確立されました。現実を客観的にとらえた作風が特徴です。彼の作品に影響を受けた作家は、漱石をはじめ数知れず。日本の自然主義文学といえば、田山花袋永井荷風らが有名です。

現実は、99%期待外れなことからできています。少女漫画のように、好きな男の子が前触れもなく告白してくることもないし、ムカつく女子のことを、「あのアバ○レ、いつか痛い目見るだろう」とか思っていても、ちゃっかり医者と結婚した彼女のセレブアピールをインスタで延々と見る羽目になったり。人は自分に注目していないし、今か今かと機会を窺っている間に老いていきます。勧善懲悪なんてなく、巨悪は巨悪のまま。そのありのままをテーマとしたのが、自然主義文学。読後感は必ずしもハッピーではありませんが、ああ、でもみんな同じような気持ちを抱えているよな、さぁ頑張るか、と諦めがつく作品が多い。
読み解くポイントは、モーパッサンは「厭世観」、ゾラは「運命論」。


ピエールとジャン(新潮文庫)

さて、漱石が、「une vie(女の一生)の比にあらず」と評価した、モーパッサンの名作「ピエールとジャン」。日本では人気がなかったのか、文庫本は売ってないです。新潮文庫Kindleだけ。

ロラン家のピエール(兄)、ジャン(弟)のところに、古い友人マレシャル氏の遺産が転がり込んできた。そこには、「ジャンに一切を譲ります」と書いてある。なんで弟だけなの? という疑問から、もしやジャンはロラン夫人とマレシャルの子では? という疑惑にかわります。ジャンの出自に気づいてしまったピエールは迷います。これを口にすればジャンは傷つくでしょう。
しかし、ロラン夫人(母親)の開き直り感がピエールの絶望を誘い、ついにはピエールがすべて暴露してしまう。それを聞いたジャンは、母をそれでも愛すると誓い、居場所のなくなったピエールが出ていく。

ロラン夫人は臆面もなくマレシャルが一番好きな人と言っていて、実際あんまりピエールを愛してないんですね。あくまでもジャンが一番。おまけとしてピエール。ピエールは卑屈で暗い性格。それはもちろん、ジャンが産まれたときからジャンに愛情が注がれていたからなんでしょう。対してジャンは、愛されて育った坊っちゃんのようで、幸せに生きていく典型。

そしてなぜかロラン夫人は自分が被害者なんです。愛されてしまった私可哀想。好きでもない男の息子を育てる羽目になった私可哀想。それでも私精一杯頑張っているのに、どうして私を責めるの!!!と。とにかく、母として以前に、人間として本当に最低なロラン夫人。好きでもない旦那の子だったとしても、お前の子だろうが。同じ時代を生きていたら、ネットに顔と名前晒して袋叩きにしてやりたいレベルですw 最後にロラン夫人は、「一回の過ちが、人生ダメにすることもあるのね(えへへ)」と完全に開き直り。人生開き直ったもん勝ち。

私的嫌いな登場人物ランキング、ワースト10に入るロラン夫人。
マリアビートルに出てきた王子もきらいだったけど、あとあと海に浮かべられてたからまぁ良いとして、あれでしょ、ロラン夫人は、愛する息子ジャンと二人で楽しく暮らし、ジャンが連れてきた嫁をいびり倒し、介護までちゃっかりしてもらった後、ジャンに看取られながら「いろいろあった人生だっだわ…」と最後までなぜか自分が被害者なんでしょ。その影でピエールは、振り向いてくれない母親の背中を追いかけ続けるのに。お前サイテーか。となります。

世の中自分が傷つけてきた人には目もくれず、開き直ったもの勝ちなんだよねぇ、結局。。。

おわり。

【6月映画公開】共依存に依存症。毒親の親はだいたい毒親 「ガラスの城の約束」

こんにちは。

「ガラスの城の約束」つづきです。

 

 

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毒親の親はだいたい毒親」これ。

以前は本作品の母親(ローズマリー)と父親(レックス)がどんだけクズ親かを書いたと思うのですが、今回は親の親。祖父母がどんな親だったかについて。彼らの育った家庭も、典型的な機能不全家族です。

 

母方の祖母は過干渉型。お金持ちで、土地も持っている。もともと専業主婦でしたが、子どもには教育が必要だと感じて教師に転向した祖母。自分の娘(ローズマリー)にも、教師になるために教員免許を取るように強要します。独善的で押し付けがましく、価値観を押し付ける。例えば、「土地は絶対売ってはいけない」実は祖母の死後、ローズマリーは100万ドルの価値のある土地を相続していました。しかし、母の教えに頑なに従い、それをずっと眠らせたままに。そんな大金があれば、普通の暮らしを送れたのに。大人になってそれを知ったジャネットは憤慨し、絶望します。

また、ローズマリーは高額なジュエリーを集めているんですが、それを絶対に手放せない。住んでいる家の床で2カラットものダイヤを見つけるのですが、それを売ろうともしないで自分のものにしてしまいます。「苦しい時には食べ物よりも自尊心のほうが大事」と。土地の件といい、ジュエリーの件といい、典型的な愛着障害ですね。アル中呑んだくれ夫とも結局別れられず、最後はゴミを集めて家をゴミ屋敷にしています。

父方の祖父母は、ネグレクト型。家族揃ってアル中で、アルコールなしには生きられない。ジャネットの家に負けず劣らず貧乏。腹たつことをすればぶん殴り、子どもを平気で地下に閉じ込める。性的虐待もあります。

 

とはいえ、日々の生活に困っているなら、祖父母の家に居候すれば当面の問題は解決されるのですが、それはできない。実家に帰ると、母も父も、自分が自分でいられなくなるんです。むっつりと押し黙ってしまう。

最初はクソ親だなぁと思って憤慨していましたが、彼らも自分たちの親から向けられた仕打ちを消化しきれていないんです。子どもに愛情はあるのに、うまく向けられない。子を幸せにする以前に、自分を幸せにできない。壊れた器のようで、愛情を注いでも注いでも、漏れていってしまう。私はぶっちゃけ、この親、どこかで子どもを捨てて逃げるなと思っていたんです。でも、それはしなかった。自分が育てるのだけはやめませんでした。ジャネットが学費に困った時は、ホームレスの身ながら、どうにかこうにかして1000ドル近くを見つけてくるんです。そういう愛ががいつまでも子どもを苦しめるんだけれども。

 

さて、なんの答えの出ないままこの小説は終わります。これ、ノンフィクションですから、現在進行形のお話なんですね。「ひどいこともされたけど、一番愛してくれたのは父」という言葉が印象的。親子の愛って決まった答えも形もないけど、自分が同じ立場だったらどうするだろうか、なんて考えさせられました。しかし、読後感はなぜか清々しい。

 

映画の公開が楽しみです。

おわり。

 

男版ファムファタール? 三島由紀夫「禁色」

こんにちは。

久々に古典文学。三島由紀夫の「禁色」です。

禁色 (新潮文庫)


自分の醜さを呪う老作家俊輔が、女を愛せない美しい青年悠一を操り、自分を袖にした女たちに復讐を試みる話。悠一は美しく、誰からもすぐに愛されるんです。悠一は自分が美しいと知っているドS野郎。愛する悠一の気を引こうとして苦戦する老いた男女のもどかしさが、とっても痛々しい。

悠一は、言ってしまえば光源氏。「カルメン」のカルメンにも近いものがあります。カリスマ的なオーラを持っていて、人を引きつけて離さない。この、神的な美しさを悠一に自覚させたのは彼を見初めた俊輔でしたが、この美しさのせいで最後に自分を失ってしまうのも俊輔。孤独な老人の描写が哀しくてもう。

その俊輔に復讐された女たちはというと、俊輔の期待とは裏腹に結構すぐに立ち直り、新しい男を作ったり、ビジネスをしてみたり、自分の道を楽しげに歩む。悠一に翻弄された女性のふっ切れかたは、見てて鮮やか!いつの時代も女性が強く、男性のほうが損してるのかもねぇ、きっと。

おわり。

忘れようにも忘れられない、心に刺さった本といえば。。。

こんにちは。

タイトル通りでございます。いい大人になってから出会った本ですが、その後読んだ何百冊の本の洪水にも流されず、私の心の中に杭となって刺さっている本。

私の中で特別な本です。

 

モモ

モモ (岩波少年文庫(127))

 

言わずと知れた名作中の名作。モモという女の子が時間泥棒を追いかけていく話。

モモが孤児であることに着目。彼女は孤児ですから、小さいながら自分のことを自分でできます。そして、考えが大人びているんですね。何かあっても、あわてない、さわがない、そして落ち着いて次の一手を考える。激しい感情を表に表さない子どもです。子どもらしいポジティブシンキングというわけではなく、前に進むためには何をするべきなのか、しっかりと考えることができる。子どもがキャーとかワーとか言いながら冒険に出る話とはまた違った読み心地。世界観がすごくしっかりしていて、自分まで不思議の国へ旅行にいった気持ちになれます。

 

西の魔女が死んだ

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

 

不登校がちの主人公が、おばあちゃんのお家で魔女修行をする話。

ポイントは二つ。みずみずしさというか、等身大の女の子の姿。悩んでいることとか、ぶっちゃけくだらないんですよね。周りより大人だからこそ気になることもあって、でも小心者で。私も周りがくだらねぇと思っていた人なので、結構共感できました。

もひとつは、おばあちゃんとの距離感。もちろん、おばあちゃんは魔女ではない。魔自然の営みに逆らわず、自分の内の声に耳を傾ける自然派ライフを送っているわけです。普通は、ばあちゃんの家に行けば上げ膳据え膳こっそりお小遣い、「ママ厳しいわよねぇ」なんて味方になってくれるもんですが、このおばあちゃんは魔女なのでそんなことはありません。もちろん敵ではないけど、味方でもない。対等な大人として接してくれる、絶妙な距離感。

学校に行かないことは子どもにとって大問題ですが、そんなことがほんの小さなことに思える、一つも二つも大人になる女の子の話。

 

スキップ

スキップ (新潮文庫)

 

北村薫そのいち

これはタイムリープもの。高校生が、40代のおばちゃんになってしまうんですね。子どもがいて、夫がいて、高校の先生をしています。夫が絵に描いたようにすごく良い人なんだけど、教え子に淡いときめきを覚えたりしてしまうんです。

「恋を知らずにおばちゃんになってしまった主人公の悲しみ」これがポイントです。失われた時間・失われた若さへの渇望。そして自分の来た道を振り返った時にそれが空っぽであることへの恐怖。これをこんなにリアルに書いた作品はなかなか見当たらないなぁ、と感心しました。悲しみが深すぎて自分まで落ち込んだ気持ちになります。

 

ターン

ターン (新潮文庫)

 

北村薫そのに

こちらは、交通事故をきっかけに、誰もいない世界で同じ日を繰り返すという話。そんなあるとき、電話がかかってきます。外の世界の、見も知らぬ男の人から。時々電話で話すようになり、その彼のことが好きになる。不思議な世界の淡い恋。そして危険な男との遭遇。ドキドキ・ハラハラが止まらない作品。

朝起きたら、昨日と同じ状況に戻っている。最初は好奇心が上回りますが、自分の行いが一晩経つと無になってしまう虚無感に圧倒され、どんどん無気力になってしまいます。その中で彼女は、明日に残せるもの、残せないもの、は何かと考え始めます。モノがあふれる世界で、自分の身とできるものはほとんどない。ほんと、記憶と人との繋がりくらいなもので。哲学的な話ですが、人の営みの本質に触れたような気がする作品。スキップもそうだけど、寓意なんでしょうか。

 

 

不思議を売る男

 

不思議を売る男

 

母娘で営んでいる骨董店に、不思議な男が住みつく。この骨董店は火の車なんだけど、「本さえ読ませてもらえれば無給でいいんで!」と言われ、とりあえず家に置いておくことに。彼はお話が上手で、くる客くる客におもしろい話を聞かせては、品物を売りさばいていく。という、典型的な枠小説です。話ひとつひとつがおもしろく、最後にはこの男の正体も明かされ、純粋におもしろい。

自分でも、なんでこれ?って感じなのだけれど、いろいろな枠小説を読んでみてもこれが一番なんです。子ども向けにしては大人向けの教訓めいたものもあり、ずっと手元に置いておきたい。例えば、癇癪持ちの男に対して「穏やかな性格に恵まれなかった哀れな魂」と表現したり、性格が悪くて周りの男子を馬鹿にしている女の子が「自分が感じの悪い不機嫌な女の子であることはわかっている。しかし自分にふさわしい恋人が現れたら本当の自分が現れる。輝くばかりの、穏やかで、優しく、しとやかな私。そうすればみんなに優しくなれる」と自分を過大評価したまま救われない話とか、お、重い…!

 

これからもたくさんの刺さる本と出会えますように。

 

おわり。