はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

ブラックユーモアに満たされたロシア小説 新潮クレスト「ペンギンの憂鬱」

こんにちは。

 

ロシア文学は好きですか?チェーホフトルストイドストエフスキー…私は超絶有名人しかしらないのですが、苦手なんですよね。全体的に暗くない?なんかこう、いつも曇天!みたいな。あと、ブラックジョークがきつい。チェーホフ・ユモレスカというチェーホフの短編集があるのですが、これも、8割方苦笑いなんですよ。もちろん面白いんだけど、読後感はどんより。

チェーホフ・ユモレスカ―傑作短編集〈1〉 (新潮文庫)

チェーホフ・ユモレスカ―傑作短編集〈1〉 (新潮文庫)

 

 

紹介するのは、新潮クレスト「ペンギンの憂鬱」。これは新潮クレストのベスト4(新潮クレスト創刊20周年のフリーペーパー「海外文学のない人生なんて」より)とのことで、明るいやつを期待してました。ペンギンが出てきたら否が応でも明るくなんだろ、っていう。帯に「憂鬱症のペンギンと売れない小説家の共同生活…」的なことが書いてあるわけで、これはアレだ。人語を操れるのではないかと錯覚するくらい人間臭いペンギンが、うだつの上がらない小説家にささやかな幸せをもたらすやつだ!と妄想するわけですが、ハズレー!これも曇天系ブラックユーモア小説。

 

ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス)

 

売れない小説家ヴィクトルは、ペンギンのミーシャと暮らしている。あるとき割の良いバイトを紹介された。それは、まだ生きている人の哀悼記事(十字架)を執筆し新聞社に提供する仕事。素材を渡されて、ココは必ず入れてくださいと赤丸つけられているところを漏らさず入れれば、あとは自由。事務的すぎず、でも感情的すぎない文章を…と、執筆意欲を刺激される上に割も良く、平凡に暮らしている。

しかし、十字架を書かれた人が次々に謎の死を遂げていく。ある時、「ペンギンじゃないミーシャ」という中年男がポケットマネー?で十字架の作成を頼んできたあたりから、状況がおかしくなる。人間ミーシャは、ソーニャという娘を置いて蒸発。のちに死亡。人間ミーシャからは、クリスマスプレゼントとして大金と拳銃が送られてくるなど。怖!

そのあと、新聞社の編集長が一時的に失踪。自分たちがやべえ仕事をしていることと、そのせいで一時的に命が狙われていることを暴露する。そして、「お前が不要になったら、お前も殺されるだろうなぁ」と物騒なことを言い残して去る。のちに、「なんとか片がついたぜ!」と帰還してから(どうやって片をつけたんだ?やっぱりやっちゃったのか?)は、また比較的平和な毎日に戻る。そのころには、ソーニャと、ソーニャのシッターとして雇ったけれども直後に男女関係になったニーナと、家族?が二人増えているヴィクトルであった。

そんなある日、ニーナが「あなたのファンに会った」「そのファンの人は、あなたの写真が欲しいらしい」と意味深なことを言ってくる。脅かされる平和な日々。ニーナを見張り、そのファンとやらの後をつけ、潜伏先に押し入るヴィクトル、そこで目にしたのは…世にも奇妙な物語が好きな人なら、そこに何があったのかはピンときますよね?アレですよ、アレ。事実上の死刑宣告のアレ。と、サスペンスとしては巧みな構成。

一番真相に近いのは編集長だと思うのだけど、結局黒幕は明らかにならないです。人生の不条理というか、末端の人間ってこうやってポイされていくんだよね(もちろん編集長も末端にいる)、というすごいこわーい展開。

 

サスペンスとしてはきれいにまとめられているので、その他の話を。

この物語を読むうえで重要なのは時代設定。舞台はソ連から独立したばかりのウクライナ。超絶やべぇマフィアが跋扈し、殺人、発砲なんて日常茶飯事の浮足立っている国。爆弾を抱えている国が平和な国になっていくための過渡期であるということです。

社会不安。明日も見えない、誰も信頼できない世の中で、ペンギンと身を寄せ合って生きてきたヴィクトルは、十字架の執筆という形で社会と関わりを持つことになる。そして社会の歯車に巻き込まれる。そういう茫洋とした不安がひたひたと感じられる作品。

 

父親に置いて行かれたソーニャを見て、ヴィクトルはこう思います。「この世の中は子どもにとっては酷だ。世の中も、自分の生活も奇妙だ.。でも、理由を知る必要はない。ただ生きのびることを考えるだけだ」「今の時代、自分の居場所を確保しておくだけでも大したことなんだ。願わくば誰の恨みも買わずに」

正直、ヴィクトルの生きる糧がよくわからないんですよ。向上心はないけど、生きることには執着している。しかし無感動。積極的に生きる気も積極的に死ぬ気もないという。中盤からはソーニャの存在が大きくなってくるかと思えば、そうでもなく。無気力な若者というのは、不安な社会の落とし子なのかな、という印象。

作品中には、ピドパールイという死にたがりの老人が出てきました。彼はペンギン博士。身寄りもなく、死を前にしながらも穏やかです。「人生の一番いい時は過ぎてしまった…」が口癖。対してヴィクトルは、「辛い生のほうが楽な死よりはマシ」という人生観。この2つの人生観の対比が妙。ピドパールイは言います。「一世紀の中には、5年くらい良い時代があるもんだ。それを貪り、食い尽くしたらまた冬の時代。自分は良い時代のおこぼれにあずかったから良いけど、お前たちは可哀想だなぁ」ここにも世代間格差…怒!!!

不安な時代はとにかく理不尽なことが多い。良き時代に生まれつくことができなかった金も権力もない弱い人間は、その理不尽さに耐えながら、自分と家族が生きのびるためのことだけを考えていくしかない。何が正義かとかは関係ない。小さくまとまろうが、しょうがない。ただ耐えるのみ、という圧迫感。「人生がしっくりこない」はヴィクトルの口癖です。しっくりこない人生を背負って、それでも生きていく。これが、この小説が曇天である理由かな、という感じです。

 

で、ペンギンはなんのためにいるの?っていう話ですよ。

解説によると、「本来いるはずのないところにいて苦しんでいる、宙ぶらりんなヴィクトル(社会も?)を表徴する存在」ということ。このペンギンは、閉園した動物園からもらわれてきた存在で、人間との生活が肌に合っていない。どんどん弱っていくんですね。本来いるべき場所に帰りたい、そのいるべき場所はどこかわからないけれど、帰りたい、逃げ出したい、そういうヴィクトルや社会の表徴なんだそうです。あと、最後のオチにも必要な存在なので、それは読んでからのお楽しみ。

 

ブラックなネタも満載。

カギを変えてもなぜか家の中に怪しげな手紙やブツが置かれることについて、なんでカギをかけて寝たのにこういうことになるんだ!!と怒るヴィクトルに「完全に閉まるドアがなんてねぇよ」と平然と言う怪しい男。「ペンギンを葬式に連れてきてくれ。葬式にお似合いだろ?だって白黒だし」という発言や、大病を患ったペンギンを前に、「子どもの心臓を移植すれば治りますよ。心臓はお宅が用意しますか?それとも私が調達しましょうか?」と平然と聞く獣医。

どこまで冗談なの??笑っていいの?ってなります。

 

サスペンスとしても一級品ながら、社会問題や社会不安を的確に言い表している、ブラックユーモアもたっぷりと、大満足でした。

 

おわり。 

最後の10ページ足らずのためにある300ページもの物語 カズオ・イシグロ「日の名残り」

こんにちは。

とりあえずノーベル賞受賞作家だし読んどく?という軽いノリで読み、衝撃を受け一気にファンになってしまったカズオ・イシグロ作品。

「わたしを離さないで」でも同様だったのですが、立ち上がりが緩慢なんです。(わたしを~ほどではないけれども)ちょっと飽きてくる。それでも読み進めていくと、最後の10ページで泣かされる。

 

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

 

dandelion-67513.hateblo.jp

 

ざっとあらすじ。

父親の代から執事をしてきたスティーブンスが短い旅の中で自分の人生を振り返る話です。旅の目的地は、元同僚ミス・ケントンの住む町。一日目ーー夜。二日目ーー朝。というように、旅行日記の体裁をとりながら、ダーリントン・ホールで自分がさばいた大規模な外交会議や父の話、好きだった女中頭ミス・ケントンの思い出が語られます。300ページにわたる他人の日記。「…でございます」とかいう執事口調もあいまって決してぐいぐい読み進められる類のものではないのですが、六日目ーー夜の日記の10ページ足らずにこの本の教訓全てが凝縮されている。教訓というのは、

1.人生の「転機」はあとからわかる。(岐路に立っているときにはそれとわからない)

2.過去を振り返っても詮なきこと。

3.大切な人との時間は有限。

のみっつ。教訓については別に目新しさはないですね。エッセンスを抽出するとこういう感じ。

 

さて、以後ネタバレです。じんわり騙されたい人はここでSTOP。

 

 

裏表紙のあらすじを引用しますと、「長年仕えてきたダーリントン卿への敬慕、執事の鑑だった亡き父、女中頭への淡い想い、二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々ー過ぎさりし思い出は、輝きを増して胸の中で生き続ける。」こんなことが書いてあるわけです。これを読んでどう思いますか?ダーリントン卿という人格そして社会的な地位ともにとっても素晴らしい人のもとに仕え、良いお父さんを尊敬し、女中頭の恋は、きっと叶わなかったけれども良い思い出だったのかな。しかも何十年も経ってから会いに行くとは??もしや、そういう展開!?って思いません??

しかし!!そうは問屋が卸さない。

 

まずはスティーブンスと父親の物語をみていきましょう。

ある時ダーリントン・ホール人手不足の際に父を呼び寄せたスティーブンス。父は御年74でしたが、父親もスティーブンス本人も、まだイケる!と思っていました。しかし、お父さんのまだらぼけ?が始まり、掃除機がほっぽり出されていたり、銀食器磨きが途中でやめられていたり、鼻ちょうちんをこさえたまま給仕したりと衰えが隠せない。ミス・ケントンは遠回しにスティーブンスに指摘しますが、「え?そんなことありえない(怒)」と取り合わない。あるとき父が庭で転倒し、ついにダーリントン卿に「お父さんの仕事を減らしてあげてはどうか…」と言わせてしまうという、主人に家のことを心配させる大失態をおかす。

当時は大規模な会合を控えており、自信を喪失した父に寄り添ってあげることも、卒中を起こし寝たきりになった父の看護をすることもなく、スティーブンスは仕事に邁進する。執事としての仕事を完璧にこなすことこそ父親の望みだろうと自分を納得させていますが、死の床にある父はずっと「俺は良い父親だったか?」とスティーブンスに問い続けていました。スティーブンスは父を尊敬していたものの、それは執事としてであって、父親としてではない。結局、父の老いを認めることのできないまま永遠に別れてしまいます。

 

次は、女中頭ミス・ケントンとの恋。

ミス・ケントンは気の強い女。過去にはお父さんのことでやりあっていますし、超多忙な時期には「こまごましたことを話しかけんな!要件は紙に書いてよこせや!!」という大喧嘩をし、一時冷戦状態になるなど、さながら漫画の主人公とヒロインの出会いのよう。長年、ココア会議という、毎夜お屋敷や使用人のアレコレについて問題をすりあわせる会議をしていましたが、それもすれ違いによりスティーブンスが一方的に終わらせます。いつもならプリプリしながらスティーブンスの謝罪を待つ彼女でしたが、このときは「お願い、また会議をしよう」と懇願します。しかし、意地になり願いを受け入れないスティーブンス。「また時期が来たら仲直りできるだろう」と気長に構えています。そんな中、ミス・ケントンに「プロポーズをされた」と打ち明けられ、「それはおめでとう」とそっけなく返します。ミス・ケントンは「本当にそれでいいの?」と詰め寄りますが、彼は仕事に戻ってしまいました。ミス・ケントンは結婚し、お屋敷を離れます。その後手紙のやり取りがありましたが、結婚生活はあまり幸せではないようです。何度か家出し、そのたびに叔母の家に厄介になっているミス・ケントン。旅行の目的は、ミス・ケントンのダーリントン・ホールへの復帰の打診でもありました。

さりげなく現状を訪ねるスティーブンスに、彼女は率直な言葉をぶつけます。「あなたとの人生を想像して不幸な気持ちになることもある。でも、時計は戻せない。架空のことを考えるわけにはいかない。人並み、もしくは人並み以上の幸せに気付き感謝すべきだったわ」「結婚当初は不幸だったけれど、やっと夫を愛するようになった」と。そして、「孫が生まれるのよ」とにっこり。スティーブンスは自分の思い違いにひどく落胆します。ミス・ケントンに会ったのが四日目。五日目の日記はなく、6日目の夜まで飛んでいます。スティーブンスの落胆が窺われます。

はっきりとは書かれていませんが、スティーブンスは、ミス・ケントンとかつて両想いであったろうということは認識していました。そして、彼女が現在あまり幸せでないだろうと想像し、ダーリントン・ホールへの復帰が彼女にとって良い提案になるだろう、そして、自分たちの関係も簡単に元に戻れるだろうとかなり楽観的でした。しかし、これは大きな勘違い。

ミス・ケントンは「あのとき」引き留めてほしかった。それが叶わなかった彼女は、ずっと前を向こうと努力してきました。時々過去を振り返り、甘美な妄想に浸り、感情が高ぶって家出もしたりしたけれど、それでも前を向いてきた。辛い毎日だったでしょう。そんな中、夫への愛なのか情なのかも生まれ、孫を待つ身となった今、いきなり背後から肩をトントンたたかれて、昔に戻れたらいいなぁ…なんて、彼女からしたら「何を今更、ふざけんな(怒)」なんです。

 

ティーブンスは、父との関係においても、女との関係においても鈍い。永遠に一緒にいられるだろうと無条件に思い込み、唯一分かり合えるチャンスを逃してきた。家族も、惚れた女も幸せにできなかった。明るい結末を期待している読者としては、結構びっくりします。実は主人公は、残念な老人だったと。

 

まぁでも、すんごい仕事をしてきたようだし、執事として大きな功績を残せればトントンなんじゃない。

最後、執事としての人生についてはどうでしょう。

文中、「良き執事とは何か」「執事の品格とは」というテーマが何度も出てきて、自分はかの有名な執事に匹敵するレベルでは…?感がじわじわ染み出してくる。それに、当時の有名人がお忍びでダーリントン・ホールを訪れたということもさりげなくアピられ、さぞや栄光の執事人生だったんだろう、となるわけです。

しかし、読めば読むほど雲行きがあやしくなる。ダーリントン卿は英国貴族で、理想は高いが世間知らず。第一次世界大戦後のドイツの動き(ハイパーインフレによる民衆の苦労。ヒトラーの台頭やユダヤ人への圧力)に危機感を抱き、自分が何とかできないかと外交官や篤志家を家に招き非公式の会合を持つわけです。豪華なパーティー会場で青臭い理想論を語りながらワイワイやっている古き良き時代の金持ちたち。あるとき、アメリカ人の男に「敗戦処理はプロに任せるべきだ。アマチュアの出る幕ではない」と皆の前でバカにされますが、「プロというのは利権に巣くう奴らのことだ。気高い理想を掲げる僕らはアマチュアで結構!」と一蹴します。ダーリントン卿へ贈られる拍手。すごい!となるのですが、実はこの頃がピークで、そのあとダーリントン卿はピエロとしていろんな人に利用されまくった後、悪人に仕立て上げられポイ捨てされたということが語られる。以後は、「ダーリントン・ホールから来ました」とかいうと、「え?ダーリントン卿ってどんな人?」って知らん人にニヤニヤ聞かれるなどという、屈辱的な日々。最初のほうに「優秀な執事の条件の一つに、品格のある素晴らしい雇い主に雇われたというのがある」という語りがあるんです。これを読むと、読者は、ダーリントン卿はさぞ素晴らしい人だったんだろう、そしてそれに仕えたスティーブンスも栄光の人生だったのだろうと錯覚させられます。しかし、読み進めるにつれて、スティーブンスの人生が「栄光の人生」から「結構しょぼい」に変わっていくんです。最初から「僕のしょぼくれた人生について」と宣言してくれれば良いのですが、「素晴らしかった俺の人生を振り返る」感を出してくるのですから、最後まで読んで、だ、騙された!となる。ある意味新鮮な体験。

 

冒頭で、「ダーリントン・ホールはアメリカ人のファラディへ売却され、普通は持ち主の変更により解雇されるところを、使用人が優秀だという評判もあってファラディ氏は執事のスティーブンスをはじめ過去の使用人を全て雇い続けることを希望しました。しかし既に大部分の使用人が辞めてしまっていて、人員不足の感は否めない。この話は、ファラディ氏が一時アメリカに帰るためできた休暇を利用して、元女中頭を訪ね、元女中頭に復帰を打診しようという話です」という語りがあり、アメリカ人の雇い主に困惑する姿が描かれます。大した意味もないように思えるので読み流すのですが、実はこれはすごく重要な設定で、「古き良きイギリスは既に失われた後の話ですよ」という説明なんです。本書が教科書の教材にならば、ねらい:前の持ち主はどうなったか? 次の持ち主はなぜアメリカ人なのか?を念頭に置いて読む。と学習指導要領に書いてあるレベルで重要なポイント。

 

と、やっぱりノーベル賞受賞作品。一筋縄ではいきません。わたしを離さないでの時も思いましたが、味わい深いというか、最後に驚きを用意してくれているんですね。ミステリー的な種明かしとも違って、「ああそういう意味だったのか」と読み終わってからもう一度考え込んでしまうというような。

バス停で泣くスティーブンスに、老人が声を掛けます。「夕方が一番美しいんだ。人生も夕方が一番良い時だ」と。それに感化されたのかどうかはわかりませんが、「さて、アメリカンジョークの勉強をしよう」と決心するスティーブンス。挫折や後悔を乗り越えるため、彼もまた、前を向くことにしました。

 

おわり。

本ばかり読んでいても真の幸せは訪れない…か? 新潮クレスト「ソーネチカ」

こんにちは。

前回、「ほかの本も読んでみたい!」ということで終わっていたコレ、読みました。

 

 

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新潮クレスト「ソーネチカ」中編の中でもかなり短い部類。2時間もかからず読めますが、突き付けてくるテーマは重め。

ソーネチカ (新潮クレスト・ブックス)

 

本の虫で可愛くない娘ソーネチカが、画家の男ロベルトに見初められ結婚し娘ターニャをもうける。ターニャが大きくなり、ヤーシャという娘を連れてきたが、いつしかロベルトとヤーシャの関係が怪しくなり…。二人の関係に気付いてしまったソーネチカは、不幸な現実をどう受け止めるか。という話です。

 

ソーネチカと本。そして本は人間にとってどんな存在なのか。と考えされられる本。ソーネチカが本を求めるシーンが何度か出てきますが、それは彼女の不安定な精神状態を表す重要なサイン。

ソーネチカは姉と兄の3人兄弟の末っ子として生まれます。姉は美人ですが、ソーネチカはブス。巨乳であるものの体が貧相なので、すごくアンバランス。本人もそれを気にしていて常に猫背。友人も作らず、部屋にこもって本を読んでいるのが好きなソーネチカ。一度恋をしましたが手ひどくフラれ、ますます本にのめりこむようになります。現実と本の世界が曖昧になり、本の中の出来事に大号泣したり、本がないと生きていけない。大学の史学科に進み図書館で働き、それなり幸せに暮らしていました。結婚なんてはなからあきらめていたのですが、イケオジのロベルトに見初められ2週間で結婚。

家庭に入ったソーネチカはぱったりと本を読まなくなります。良い家に住むため、少しでも良い生活をするために貯金に励み、生きていくことに集中するんですね。当初は幸せを感じていましたが、自分の理想と現実の間の溝は大きくなるばかり。本好きの思慮深い女性になってほしいと願っていた娘は、音楽に夢中になり、堂々と男を部屋に連れ込み朝帰りさせるなど。そしてついに訪れた娘の自立と愛する夫の不倫。現実に打ちのめされた彼女は十数年ぶりに本を開きます。

 

結婚後、彼女が本を開いたのは二度。夫の秘密を知ってしまったとき。そして、娘と夫が家を出て初めて一人で寝ることになった夜。

むさぼるように本を読みながらも、昔のように本の世界に入り込めないことイライラし「若いころは文学の麻酔にかかったものだが、今は自分から進んで麻酔にかかろうとしている」とソーネチカは思う。私も「本を、何か本を読もう…」と夜中ベッドから起きだしてくるとき「ああ、今自分は満足していないんだなぁ」と感じます。一時的ではあっても、麻酔にかかろうとする。私の場合は本ですが、人は現実に打ちのめされると、暴飲暴食、ゲームなど何かに逃げ込もうとします。何かに圧倒され自分を空にする。そうして気持ちをリセットして、また現実に向かっていく。

しかしソーネチカが本の世界から戻ってくることはなかった。夫と夫の不倫相手を許し、夫の死後は、俗世間から離れ、私は本があるからいいわ、と二度と現実と向き合おうとしませんでした。たぶん読者は拍子抜けします。娘が一緒に暮らそうというのを無視し、「さ、本読もう」で終わるんですよ。え、これってハッピーエンドなんですか?どういうテーマなんですか?誰か教えて!

 

いちばんすとんときた言葉は裏表紙にあります。

「大抵の人間が激怒しそうな状況でソーネチカが些細な幸せを見つけて、自分は幸せだなぁと思うことについて、作者は無垢ゆえの神々しさを見ているとする向きもあるが、そうではあるまい。こういう人が作者の頭の中で生まれてしまったからそういう人の人生を描いただけであろう。人間を祝福する上で、これ以上のものがあるか」という言葉がありました。いやもう、これ以上の解説はないというか、ソーネチカは「こういう人」で、生き方が良いか、悪いか、というレベルではないっていう。

ソーネチカに限らず、私も含め世の中の人はほんんど「こういう人」です。矛盾のかたまりであり、弱くて、間違いをたくさんおかしている。あるときは幸せで、あるときは不幸で。小説の主人公は良い、または悪いお手本、もしくは何かを表徴する存在であり、存在や行動が批評に足るべき存在ととらえられがちで、読者も読者で主人公の生きざまや考え方に何か学ぶべきところがあると無意識に思っています。しかしこれは、主人公がごくごくごくごく平凡な女で批評するに足らず。そんな小説なのかもしれません。

 

ただ、ソーネチカもこういう小さい人間になりたくてなったわけではないということは付け加えておきます。ソーネチカは容姿に恵まれず、家族に「ブス」「ブス」と言われ育ってきました。自己肯定感を高めることができなかった人間に多いのが「自分は幸せになってはいけない」「自分は不幸な状態が一番落ち着く」という認識。ソーネチカも夫を奪われたとき「ああ、こうなるべきだったんだ」と感じます。これは不幸以外の何物でもないと断言します。仮に美しく生まれなくても、自分は価値ある存在と思って生きていければ、娘に厳しく教育できたり、夫の不倫を断固拒否できたりしたわけです。そういう意味ではソーネチカの人生は不幸の種を撒かれ、それを丁寧に育て続けてきたという不幸な人生です。ただ、本の世界に逃げるという選択肢は幸、不幸、判断が分かれるでしょう。

 

本と人との関係が示唆された本はたくさんありますが、私は、この小説の「本の世界に逃げて幸せ」論についてはあまり共感できず。本というのはあくまでも現実を生きるための糧であり、立ち向き合うべき敵(現実)がない状態で本を読んでいても、残るのは空虚さではないか。恋愛小説を読むにしても、失恋、裏切り、別れ、違和感、そうう経験がなければ、何も得られないのでは、と思っています。

例えば「夏の嘘」では、「こんな年になって本を読んでもしょうがないでしょう」と老女が言うことで、読書という行為は明日を生きるためにするものだと示唆され、「書店主フィクリーの物語」では、本ばかり読んでいた頑固オヤジが死を前にして、「人とつながれ。人は人の中にしか生きられない」と、本の限界を示します。

 

dandelion-67513.hateblo.jp

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答えは人それぞれですが、本の中に逃げ込んで済ませられるほど現実は甘くないし、読者に勇気を与えるために書かれた本を読んだところで隠遁生活者は何を思うのか。と思ったり。あくまでも私にとっては、「イケオジと結婚し貧しいながらも家庭を得た女が現実に対峙しきれず本に逃げ込んだ小説」に見え、ずっしり読後感で「あぁ…」となりました。

 

自称「本の虫」にこそ読んでほしい本。

おわり、

 

誰からも好かれる人は誰をも愛する人 新潮クレスト「陽気なお葬式」

こんにちは。

 

新潮クレスト「陽気なお葬式」。個人的に新潮クレストはハズレを引くことがない作品として重宝しています。さらに、背表紙に統一感があり、装丁のデザインも素敵ということでコレクター魂を揺さぶられ、財布のひもが緩んでいくわけです。一冊一冊も高いんだけどさあ、集めてしまうんですよ。そして肌触りが良い。

陽気なお葬式 (新潮クレスト・ブックス)

 

本作品は1991年のニューヨーク。モスクワから亡命してきた画家アーリクが主人公です。アーリクは、アトリエ兼自宅の倉庫で妻ニーナ、元カノのイリーナ、その子マイカ、元カノのワレンチーナ、などの女どもに囲まれながら死を待つ身です。病名は明かされませんが、何かの難病で、どんどん体が動かなくなっている模様。ぼーとっしている時間も増えてきました。あれこれ世話を焼いてくれる医師が往診してくれますが、おそらく助かる見込みはない。そんな中、ニーナは民間療法にはまり中で変な液体を購入し始めたり、洗礼を受けさせたいと言い始めたりして雲行きが怪しい。そもそも元カノや嫁が一人の男を囲んでいる時点で健康的とは言えませんから、いろんなところに地雷が埋まっているわけです。自分が死んだあとも自分が愛したかわいこちゃんには笑っていてほしい、そう願ったアーリクが起こした奇跡。

 

と、死にゆく男とそれに関わってきた人間。男の死により彼らにささやかな幸福が訪れる。という、テーマとしては結構ありふれています。そしてこういうテーマの小説はだいたい、「看取りというイベントの中で残される者が大切なものに気付く」、「死後に起きるサプライズが残された者の生きる糧となる」の2パターン、もしくはそのセット技なのですが、この小説もこの枠からは抜け出せておらず、正直ちょっと期待はずれなところがありました。

 

みどころは、なぜアーリクは愛されたか、というところに尽きると思います。みなさんの周りにもいると思うのですが、待ち合わせの時間も守らなくて普通にドタキャンしたり、時々お金も忘れてきたりして借りたりしているような奴。そのくせそういう奴は無償の愛を注がれたりしている。なんで??と。まぁ、答えは解説に示されているので言ってしまうと「誰のことも嫌わないから」なんだそうです。アーリクも、誰も拒まない。妻との家にはいつも誰かがいて、出てけなんて言わない。カフェで知り合った人に「この町を案内してやる」といろんなところに連れまわす(ただし金はないし、結局男女関係になってしまうけれども)

 

「誰のことも嫌わないから愛された」これは半分当たり。そしてその残り半分は「力があるから(=与えられるものがあるから)」だろうなと私は思います。「力」とは才能でもよし、地位でもよし、イケメンでもよし、パパが金持っているからでもよし。その人のそばにいれば何かが得られ、誰のことも拒まない人のところには人が集まってきます。多くの凡人はそれが金だったり人脈だったりステータスだったりするのですが、アーリクは、集まる人全てに「居場所」を提供できた人でした。

冒頭にさらっと「亡命画家」と書きましたが、時は冷戦時代。モスクワからの亡命者がたくさんいました。アーリクのまわりにいるのはみんな亡命者。ワレンチーナは米国人と形式結婚をして亡命。他にも書類を偽造したり命がけで国境を越えてきたような人も。「20キロの荷物と数十語の英語だけを持って、他の全てを捨ててやってきた」彼ら。自力でアメリカで生計を立てて生活を軌道に乗せなければ生きていけない彼ら。うまくアメリカになじんでいる古くからの友人を羨望のまなざしで見つめ、どう生きていったらいいか常に自問している。国を見捨ててはいるけれども、モスクワで起きたクーデターのニュースには釘付けになり、何とも言えない虚無感で満たされる。皆、アーリクのもとにしか居場所がない。ニューヨークの薄汚れた倉庫の中で、それぞれ地獄を抱えながらも平気なふりをして、身を寄せ合って生きている。

「居場所」とか、コンクリートジャングルの東京でバンドマンと売れない小説家など事情ある根無し草がたむろしてかけがえのない絆を作るというしょぼいレベルの話じゃなくて、マジで命を洗濯する場所としての居場所です。各々の物語が描かれますが、試行錯誤しながら亡命に活路を見出した彼らの地獄。そして初めての国で泥にまみれながら生きてきた亡命生活。彼らにとってアーリクの存在はどれほど大きかっただろうと感じるものがあります。イリーナはアーリクの死後、「アーリクは亡命なんかしていなかった。ロシアにいたころと同じような環境をニューヨークでも作ってしまっていた。暢気で、無責任なアーリク…」と回想します。亡命してきた人間が一番求めているものを無意識に提供してきたアーリク。彼の葬式には誰だこいつ?というような人もたくさん集まり、陽気な雰囲気が漂っていました。

 

アーリクみたいになりたいって??止めませんが、自己啓発本に書いてあるように「すべてのものに感謝しよう」「いろんな人の長所を見るようにしよう」というライフハックを実践している時点で、天性の人間に追いつけない気がするので、安易にその立ち位置を求めるのはやめたほうが良いと思います個人的には。こういう「仲間づくり」は、こちらの2冊に詳しいです。私は読んではみたけれど、実践できなかったですがw

 

ルフィの仲間力  『ONE PIECE』流、周りの人を味方に変える法

ルフィの仲間力  『ONE PIECE』流、周りの人を味方に変える法

 

 

 

 

地味な部分で、イリーナとニーナの関係には思うところがたくさんありました。イリーナはサーカス団の娘で、アーリクとは古くからの付き合い。イリーナとアーリクはプライドがぶつかって別れたんです。お互いのことを必要としていたのに、それを言えずに「別れてやろう!」となった。アーリクとニューヨークで再会したイリーナは「自分と別れた男はどんな女と結婚したんだろう?」と興味津々。ニーナはお嬢様でした。出かける直前まで、どっちのドレスが良いか決めかねて「わからないわ!」と泣いている。アーリクにこっちにしなよ、と言われ「じゃあそうするわ。あなたが言うなら。」とにっこり。あと生活力がなくて結構バカ。

ニーナの行動全てにイライラするイリーナにアーリクは「あの子は弱い子だから…」とか言いますが、イリーナは「ニーナみたいなのが最強な女なんだよ」と秘かに舌打ちします。あるあるですよね??恋愛経験豊富ないい男が自称弱い女という最強の女と結婚する構図。あれなんなんでしょう。イリーナはこっそりアーリクに生活費を渡していました。ある時まとまった金額を渡したとき、「おお、これでニーナに毛皮のコートを買ってやれる。あいつは本物志向だから」と言われ歯ぎしりしたりw

わかるわかる!!!となりました。

 

女性の作家の作品で筆致は優しく胸にしみいる感じなので好きです。次の2作もこういう女ごころが満載なのではないかと期待しています。即購入。早く読んでみたい!

ソーネチカ (新潮クレスト・ブックス)

ソーネチカ (新潮クレスト・ブックス)

 
女が嘘をつくとき (新潮クレスト・ブックス)

女が嘘をつくとき (新潮クレスト・ブックス)

 

 

おわり。

幸せは一種の健忘症。期待と絶望は健全な精神の証拠 新潮クレスト「ロスト・シティ・レディオ」

こんにちは。

新潮クレスト「ロスト・シティ・レディオ」です。

 

ロスト・シティ・レディオ (新潮クレスト・ブックス)

 

内戦中の架空の都市の首都。主人公はノーマというラジオパーソナリティの女性です。彼女は日曜日の夜に、視聴者からリクエストがあった行方不明者を探すレギュラー番組を持っていました。ある日、ラジオ局にビクトルというぼろをまとった少年がノーマを訪ねてやってきます。彼が持っていたのは、彼の生まれ育った1797村の行方不明者リスト。それを届けるために、彼は村から送り出されたのです。

ノーマにはレイという夫がいます。彼は出会ったときから謎多き男で、数年前に失踪。ノーマから見ても怪しい組織とつながりがあるように思えていたのですが、過去を聞いてもはぐらかすばかりで、彼の過去に疑問を持っています。ビクトルが持ってきた1797村の行方不明者リストにレイの名前を見つけ、ノーマはレイの過去を知っていくことになります。

 

文章の構成は、現在と過去の往復でちょっと読みにくいのですが、謎多き男の過去がだんだん明らかになっていくという壮大な謎解きなので飽きずに読めます。海外文学といえば欧米に偏りがちな読書家は多いと思いますが、私もその一人。戦争といえば国家対国家の争いしか知らない私にとっては、独裁政権や何年も続く内紛の話は新鮮でした。どんどんこういう地域の話が邦訳されるといいなと思います。

 

印象的なのは、全体に流れる無気力さ。1797村はたびたび軍の徴発に遭っており、軍人が入ってきたら母親は森の中に子どもを隠して守ったりしていますが、いつ何がおこるかわからないという恐怖疲れからくる無気力さが村を支配している。運命を受け入れているといえば聞こえが良いですが、実際他の選択肢がないんです。先祖代々この土地で暮らしてきて、他の生き方を知らないからこの村でしか生きていけない。

でも子どもは結構柔軟です。ビクトルにはニコという友達がいて、彼は村を出たい村を出たいといつも言っていて、怖いはずの軍人にも興味津々。通りかかった軍人に「なんでこんな暑い村に住んでるの?」と聞かれ「俺だってこんな村は嫌いだ!」と言ってのけます。「こんな村に生まれたら、出ていくときに本当の人生が始まる」という言葉が的確に彼らの人生を表しています。

 

そんな1797村のみんなが楽しみにしているのが、日曜夜のラジオ。村を出て行方不明になった人が見つかるのではと期待を込めて聞きます。「彼らは日曜日を待った。そして次。そして次。日曜日の夜は記憶するということがどれほど危険か、ビクトルの心に焼き付けた。母親はあの亡霊、父親についての知らせを求めて耳を傾けているのだろう。」ビクトルの父親も行方不明者です。母は父の情報を求めて期待してラジオを聞いては絶望している。いっそ忘れられたら楽なのに。

そしてこう続きます。「ビクトルは祈った、僕の番が来たときは母親に忘れてもらえますように。彼も首都に旅立つつもりでいたからだ。幸せは一種の健忘症なのだろう」と。もちろんビクトルは架空の存在ですが、子どもにこんないらんことを考えさせるなんて罪だよ。子どもなんて夏休みのカルピスが濃いか薄いかで一喜一憂しておけばいいんだってば。

 

幸せは一種の健忘症。そして、忙しくて自分の不幸にすら気付かない状態もある意味幸せかもしれません。戦争が終結し、ノーマのもとには大量の電話がかかってきました。「戦闘が終わったいま、人々は突然、必死になって訪ねてきた。私の愛する人はどこに行ってしまったの?と」

これね、「この世界の片隅に」にもおんなじようなシーンがあったのですよ。玉音放送を聞いた途端緊張の糸が切れ、今更娘を失ったことに絶望する義姉の姿。戦争などの極限状態は人に「生きる?」「死ぬ?」の二択を皆に等しく迫り、「命あってよかった」と感謝する日々を強いるわけです。期待も絶望もする時間がない。でも、そんな日はいつか終わり、「朝ごはん何食べようか?」と悩むときが訪れる。そんなときにやっと、大切なものの不在に気付いて愕然とするのです。

 

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この世界の~に続き、現在鋭意読書中の銀河英雄伝説、それにコレ。まったくの他人事とも思えず神経すり減らします。モモでも読もうかな。

 

おわり。

 

個人的にまんがで読破唯一のヒット作と思っている 島崎藤村「破戒」

こんにちは。

純文学の原点へ。
個人的にかなりヒットした作品。青春小説としても、恋愛小説としても価値ある作品。

破戒 (新潮文庫)


自分の出自を隠して教員をする主人公吾松は、父親から、生きるために、とにかく身分を隠せと教えられる。後ろ暗さから人に馴染まず、逃げるようにあらゆる交わりを避ける吾松。父の葬儀に参加したことにより身元がばれ、教員を辞することに。周りの人が自分のことを被差別部落の人間と思わずに接してくることに後ろめたさを感じており、何度も何度も打ち明けようとするんです。でも父の、隠せ。隠せ。とにかく隠せ。一時の怒りですべてを打ち明けたら、その時は世の中から捨てられたと思え。という教えが頭から離れない吾松。息子にだけは同じ人生を歩ませまいと心を砕く父の姿が印象的でした。

この作品は、漱石にして「後世に残すべし」と言わしめた名作。下敷きには、あの罪と罰があります。秘密の暴露のシーンはもちろん、こんな身分に生まれなければ、他の人を羨むこともないだろうという思想。性格の優しさなど、似ているところが沢山あります。罪と罰のあとに読むと良い作品。
最後には涙。とにかくはらはらするけど、救いが用意されていて一安心。

これは、賛否両論(私の周りだけ?)の「まんがで読破」シリーズの唯一のヒット作と思います。
小説の長さ的にもちょうどよかったのかも。
蟹工船はまだ許せるけど、白鯨は…は???ってなるやつ。
一時はやってたけど今は下火でしょうか?

破戒 ─まんがで読破─

詮索好きで意見してくるおじさんおばさんはどこにでもいる。自分が守ってきたどうでもいい価値観を頑張って守りたくて、「大人げない」とか「おかしいよね?」と言ってくる。そういうジェネレーションギャップは無視して、若者は若者で新たな時代を築こう、というメッセージを受け取りました。

おわり。

「あのときこうしていれば…」を実現してくれる不思議な帽子 新潮クレスト「ミッテランの帽子」

こんにちは。

いつか書こう書こうと思っていた、新潮クレスト「ミッテランの帽子」レビューです。

 

ミッテランの帽子 (新潮クレスト・ブックス)

 

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ミッテランの帽子が持ち主を変え、次々と持ち主を少しずつ幸せにしていくというお話。かなり使い古されたモチーフではあるのですが、なかなか面白い。

最初の所有者は冴えない会計士ダニエル。彼は政治力・発言力のある同僚に圧されなかなか存在感を示せずにいましたが、帽子をかぶることで自信を持て、出世への道を拓きます。次の持ち主は長年にわたり不倫をしているファニーという女性。不倫相手に別れを告げ、小説家になるという夢を実現する。次はスランプ中の天才調香師アスラン。自分の力を信じ、新しい香水を完成させる。次に帽子を手にした資産家ベルナールは、妻の尻に敷かれて退屈な生活をしていましたが、殻を破り自分の人生を歩み始める。

 

例にもれず「帽子が不思議な力を持っているわけではなく、帽子を持っているという自信が自分のもともとの力を引き出した」という教訓ではあります。「流されずに意見を言う」「悪い関係を断ち切る」「自分を信じる」「内なる声に素直になる」、これをすればミッテランの帽子を手に入れたも同然だよ、めでたしめでたし、

 

とはいかない。

私はひねくれているので、いい話だと思いながらも、「でもこれ、元持ち主ってずっと幸せでいられんの?」と思ったりします。事実ダニエルは帽子を失くしたとわかってから血眼になって探し回り、怪しげな広告を出したり、帽子の持ち主だと思われる人に手紙を書いて気味悪がられたり、最後には犯罪まがいのことにも手を染める。幸せなことに犯罪が露見したり、帽子に執着することで出世街道を転落することはありませんでしたが、ちょっとそこらへんご都合展開では?と少し不満。

不倫女ファニー。小説で成功するまではいいですが、不倫体質はどうなったんだろう。次回作以降が成功しなければまた逆戻りのような気もしたり。アスランは天才調香師復活の喝采を浴びた後、惜しまれながら引退します。これは、もう香水を作れないという不安の裏返しともとれる。

 

結局のところ、幸せとはふっとわいたチャンスであり、それをつかみ続けるのは意志や努力なのだろうという印象。こんな文章がありました。「人生は時としてある道へと人を導くが、当人はその分岐点にあることに気付かない。運命という偉大なGPSが決めてくれた道をたどらないとき、帰還不能を示す標識も見当たらない。そしてひとたび飲み込まれると、歩んでいた道に戻れない」と。この帽子は、「あのときが分岐点だったなぁ」という分岐点に戻し、歩んでいたはずの道に再び歩めるようにした小説でもあります。一度間違いかけた道から引き戻してくれたは良いけど、そのあとも人生は選択の連続ですから、染みついた価値観を一掃しない限りまた誤った道に引きずり出されるような気はします。

 

ハートウォーミングな話かと思えば、最後はサスペンス展開。ミッテランが帽子の行方を追っていないとでも思いますか??ミッテランは再選できるのか?それもあわせてお楽しみに。

冷えた白ワインと生牡蠣が食べたくなる作品でした。

 

おわり。