はらぺこあおむしのぼうけん

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全く異質な2つの話を切り口に、日本人の死生観・信仰・国民性に深く切り込んだ超力作。「津波の霊たち」リチャード・ロイド・パリ

こんにちは。

 

2020年1月に文庫化されたばかりの「津波の霊たち」リチャード・ロイド・パリ

 

3.11の後に至る所で報告された「心霊現象」と、訴訟問題にもなった「大川小の悲劇」の二本柱で、全く異質なこの話を切り口に、日本人の死生観・信仰・国民性に深く切り込んだ超力作。海外でも高い評価を得ています。

津波の霊たち 3・11 死と生の物語 (早川書房)

3.11の時は東京にいましたが、私の故郷は沿岸部の大損害を受けた地区。被災者である家族や友人の生の声と、絆!絆!と涙活に勤しんでいた東京の友人とのギャップを感じて、孤独を感じました。「絆なんてねーよ」と薄々感じていた私は、この本を読んで救われたような気がします。

 

はじめに、心霊現象について。

津波の後、自分の近親者の霊に会ったという話がいろいろなところで聞かれたというのは結構知られています。会いたい人の声が聞ける電話ボックス、なんていうのもあった。

この本には、目撃証言に加え、憑依、口寄せなどのエピソードも載っている。お寺の住職が仔細を語り、それをジャーナリストが系統立てて説明するのを見ていると、心霊現象をあまり信じないタチの人は戸惑ってしまうと思います。

多くの聞き取りにより、日本人は無信仰に見えて、目に見えない多くのものを信じていると著者は感じました。この本では、心霊現象を「トラウマの吐露」であると解釈します。肯定することも否定することもしませんが、人間が立ち直る一助となることは間違いないようです。

 

次に、大川小学校で起きた悲劇。

こちらも訴訟にもなった有名な悲劇。安全なはずの学校で、多くの小学生が亡くなりました。津波が来るから山へ逃げようと懇願した子がいたにもかかわらず、それを撥ねつけ1時間以上も校庭に留まる指示をした教師たち。一人だけ生き残った教師は体調不良を理由に姿を消し、発言にも多くの嘘が混じっていたことがあとからわかります。調査委員会を作った者の、子ども達からの聞き取り資料はしれっと破棄されました。

通常、自治体を被告とした訴訟は、原告側の負けになることがほとんどだそうですが、大川小訴訟は最高裁までもつれ込み自治体が敗訴した極めて特異な例です。

 

心霊現象も訴訟の話も、膨大なインタビューが収録されています。被災者の生の声を、外国人特派員の目線で構成し直すことで、あまり認知されてこなかった、「(良くも悪くも)日本らしさ」というものが浮かび上がってきます。心霊現象は日本人の信仰を、訴訟の話では根底にある全体主義的な部分を浮き彫りにしました。

 

大川小の悲劇をめぐる学校や教育委員会の不審な動きには当初、「何かを隠している」といういわゆる陰謀論めいたものが囁かれました。しかしそれを「無能であることをひた隠しにしているだけ」と一刀両断。ゴメンを言いたくないというだけのために、多くの人を傷つける結果になりました。

また、大川小訴訟が最高裁までもつれた点については、「何か争いたいことがあるわけではない。ただ、自治体は負けるわけにはいかないという意地のようなもので控訴し続ける(その費用は税金ですがね)」と鋭い指摘を。

外国人なりの”Why Japanese People?”という鋭いツッコミを起点として、「日本人の”美徳”は当時報道されたほど良いものなのか」という問いを投げかけてくる。鷹のような目(外国人の勝手なイメージです)に射すくめられたら、何も言えねぇ…

 

また、原子力発電のリスクや日本の政治の特性や問題点についても取り上げられています。3.11を機に、日本は大きく変わるかもしれないと考えた著者でしたが、結局臭いものにはフタをするいつもの毎日に戻ってしまいました。この本にはコロナについては書いていませんが、著者はそれをどう捉えたことでしょう。

外国人の「日本はここがおかしい」論にはアレルギーを示す人が多く、「だったら国に帰れ」と反論されがちですが、10年以上特派員として日本に住む著者は、外側から好き勝手言っている外国人とは少し違う印象。もちろん、いつまで日本にいるのかはわかりませんが。

 

”東京で被災した東北人”としてずっとモヤモヤしていたことが的確に言い表され、約10年経過してやっと心の澱を掬ってもらえた気がしました。

「いいとこ取り」されて報道される被災地の状況、気遣う振りをしながら消えた故郷について聞きたがる人たち…こんなアレコレは今思い出してもモヤるけど、あの頃、故郷の友達や家族や親戚の苦しみは、”あっち側”の人たち(特にマスコミ!!)の格好のネタとして様々に調理され、消費されていたように思います。

 

いわゆる絆の押しつけは、被災者にとって大変苦しいものでした。

被災者は、震災前に特に仲が良かった相手ほど仲違いをすることがあります。無意識に、震災によって「何を失った人か」「何が残った人か」を比べた上で、関わる人間を選ぶようになってしまう。誰を失ったか、家は残ったか、ある程度”釣り合い”が取れない相手とは、関係は結べない。”釣り合い”の取れた相手と一時的に強い関係を結ぶが、些細なことをきっかけに粉々に崩壊する、そしてそれっきり。

「震災があったからこそ人の絆のありがたみがわかった」という論調もありますが、破壊や破滅の”おかげで”強くなる絆があるというのはおそらく間違っている。生き残るために家族や他人が強く結びつくというのは、小さい動物が群れを作るのと同じ行為で、それ以上の意味合いはないような気がします。

 

他にも、閉鎖的な陰湿さに関する批判も本質を突いています。訴訟を巡るインタビューは大変リアルで、涙なしには読めません。敵は市だけかと思えばそうではなく、原告団となった保護者に対する”村八分”がまかり通りました。ルールを守り、与えられたものを受け取り、粛々と生きている”普通の”人は受け入れられるが、ひとたび声を上げ権利を主張すると、手のひらを返される。欲しがらない、批判しない姿勢を暗に求められるという、若干戦時中的なマインド。

大川小で唯一生き残った教師に不利な証言をした個人事業主が、証言後、一気に市からの仕事を干されたという話にはぞっとする。

あんなにありがたがった絆(wって何なんだろう。

 

薄々気付いていたけど、読んでいて「やっぱり震災で多くの絆が失われたよな…」という結論に達しました。

 

悲しくなるのでこの手の本は避けていているのですが、悲しすぎて泣けてくる。震災だけでも辛いのに、そのせいで人と人とがバラバラになるなんて。

全くもって伝わりにくい表現ではありますが、読みたくないけどページをめくる手が止まらず、自分にとって大切な本だけど、辛すぎて手元には置いておきたくない、そんな本。

 

おわり。