はらぺこあおむしのぼうけん

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恋愛においてのみ”気の流れ”は存在すると思う 映画「人間失格 太宰治と三人の女たち」を予習する① ~山崎富江「雨の玉川心中」~

こんにちは。

 

来月の13日から、小栗旬主演の映画「人間失格 太宰治と三人の女たち」が公開されます。そんなに興味はなかったのですが、予告編を見て、「見ます!見ます!公開初日の予定を確認しますね」となるレベルで心奪われました。キャストも豪華だし、小栗旬の演技にも期待が持てそう。そしてそして、藤原竜也坂口安吾、、、考えるだけでニヤけてきます。

三人の女というのは、妻の津島美知子、斜陽の日記のもとを提供した太田静子、太宰と心中をした山崎富江です。今日取り上げるのは、山崎富江「雨の玉川心中」。青空文庫で読めます。

 

雨の玉川心中 01 太宰治との愛と死のノート

 

山崎富江太宰治と初めて出会ったときから心中までの日記。ときどき、両親や太田静子への手紙も挟まっていたりして苦しい胸の内が伝わってきます。

山崎富江は育ちが良いお嬢様。成績優秀で、美容師として働いていました。三井物産の社員と結婚するも、夫は新婚数週間で海外赴任、そのまま徴兵されて行方不明になります(のち戦死が確認される)。戦後は美容師の資格を生かし、三鷹にある進駐軍の施設で働いている。そこで太宰治との出会い。おそらく一目惚れなのでしょう。すぐに恋に落ちた模様。そのころ太宰治結核を患っていましたし、アルコールに煙草、原稿料はぱーっと使ってしまう手がかかる男ですから、仕事面や身の回りの世話をするようになりました。最後は金銭的な面倒も見るようになり、当時の価値にして1000万円ほどあった預金を全て使い尽くしてしまうなど。

 

読んでみると、彼女の生真面目さが伝わってきます。取り乱している中でも、自分の考えをしっかりまとめられる。また、聖書などから引用したり、恋歌を引用してみたり、博学で、典型的な優等生タイプ。

優等生タイプは基本的に、「自分にできないことはない」という前提に立っています。自信過剰というよりは、「決まったアプローチである程度の努力をすればできないことはない。できないのは自分に原因があるからだ」と思っている。そして、逃げたり諦めたりすることは悪であると。越えられない壁にぶち当たったときは、その壁を越えることを自らに課します。学業や仕事においては、その姿勢は称賛に価すると思いますが、恋愛においてはそういう態度でいると大変危険です。

日記の中には、ままならない逢瀬への不安や、太宰の愛を感じられない焦り、自分を励ます記述や、もう流れに身を任せてしまおうという記述が交互に出てきて、なかなか実態がつかめない男に翻弄されていることがありありとわかります。そうして中盤からは死を願うようになる。体調不良の太宰を横目に、「私も体を壊したい」と深酒する描写があり、大変危険な兆候だなぁと感じました。古今東西、「自分を大切にしようと思えない恋愛は悪い恋愛」と決まっています。あともう一つ、「会わない時間に不安を感じるのは悪い恋愛」。会いたいと思うのは普通ですが、目の前に相手がいないと不安で何も手につかないというのは良くない。相手を物理的に独占することでしか心のつながりを感じられないというのは良い恋愛とはいえません。

 

では、太宰は悪い男だったのか?というと、そういうわけではない。一緒に死ぬことを頻繁にほのめかし、愛の証のように見せる行為は、富江の心を弄ぶようでオイ!ってなりますが、人間の良い悪いではなく、そういう相性の二人だったのかな、という理解。

日頃から「俺はお前がいないとダメだ」口にしているような男と別れると、「自暴自棄に陥って変な気をおこしたら嫌だな大丈夫かしら」とか心配になるんですが、半年後にはしっかりした年上の女と結婚して平和な家庭を築いていたりします。太宰も自己破滅型で簡単に死を口にするし、金銭トラブルも多いようで、ダメンズと呼んでも差しさわりはないと思いますが、ダメンズとうまく向き合える女性っていうのは必ずいます。それは、「銀座の女に学ぶ会話テク」とか「相手の心に入り込む恋愛術」などのハウツー本で学んだからとかではなく、自分がもともと持つ”気”がそうさせるのだと思っている。富江といると何となしに死を想っていた太宰も、妻の前では「明日の朝ごはんは何だろうか…」とか平和なことを考えていたりしたんじゃないかな。と、感じてしまいました。

私は、風水とか波動とか気の流れとか信用しない人間ですが、恋愛においてのみ気の流れとか相性はあると思っています。スピリチュアル的な部分で、富江と太宰の相性は良いとはいえなかったから、富江の心が疲弊していったのでしょう。全部スピリチュアルで片付けるつもりはないですが、ルックス、価値観、経済力、趣味趣向からくる相性とかそういうレベルではなく、抗いがたい”気”の相性というのはあると思います。

ここで恋愛経験が豊富な女であれば「うーん。良い男なんだけどなんか疲れるな、やっぱり私には手に負えないかも。次にいこう」となるのでしょうが、生真面目な女は前述のハウツー本なりなんなりを持ち出したりして自分を曲げて相手に合わせる方法を選択します。そして不幸になっていく。富江も、太宰と共に在ることだけを求め、死に向かって突っ走っていったのかなと思います。

 

と、「雨の玉川心中」の感想はここで終わり。二階堂ふみが演じるようですが、映画ではどういう風に描かれるのでしょう。

 

さてさて、本日の裏テーマは、「あまり幸せではない恋愛をしている友(娘)にかける言葉」です。ここで、「悪い男にだまされているんだ!目を覚ませ」と断じてしまうともっともっと意固地になって結婚とかしようとするので刺激するのはおそらく危険です。だからといって、好きにしなさいと言うと相手の男に主導権を握らせることになる。

”気”を持ち出して泣き落としはどうか?と思っているんですが、あんまり強硬に主張すると、コイツついにスピリチュアルに走ったと余計煙たがられそうなので、恋愛において根を詰めるのは何の意味も価値もない。一緒にいて泣きたくなる相手が、一緒にいて笑える相手に変わることはないし、一緒にいて不安を感じる相手とは、何年たっても不安なまま、と丁寧に説得していくしか方法がないのでしょうか。

あと、時々ありがちなのが、ここで別れるとあの女に取られる!とずっと居座るパターン。男が次の彼女と付き合い、自分といたときよりも幸せになると、自分が負けた、魅力がなかったように感じる人がいますが、あんまり意味はないと思います。ほんとーーーに、ただの相性です、と30年生きていると思います。

あとは、恋愛で心が疲れたら気の流れがね…とか、別れ話をするときはカフェなど人目につくところで、交番の前でも可。別れたらしばらくは道歩くときは注意。防犯ベルを忘れずに、という実務的な話もしたいのですが、それはおいといて。

 

ダメンズというのは、人によって違います。ダメンズと思われていた男が、しっかりした姉さん女房を見つけて真っ当な人間になることもあるけど、それは自分が悪いのではなく、相手との気が合わなかっただけ。負けたわけでも、努力がたりなかったわけでもない、そう思います。

恋に悩むすべての乙女に、Take it easy.と伝えたい。

 

おわり。