はらぺこあおむしのぼうけん

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自分の犯した間違いの結果を引き受けていく勇気 早川書房「海を照らす光」

こんにちは。

早川書房の「海を照らす光」2016年に映画化されました。

 

灯台守であるトムと彼を取り巻く人々の数十年に亘る物語です。無学な私は、灯台守なんていう職業を初めて知りました。無人島に家族で住み、灯台の光を灯し続ける仕事だそう。なにそれ私やりたい!最高じゃん!と思いましたが、今は灯台は自動化されているそうです。残念でした。

 

海を照らす光 (上) (ハヤカワepi文庫)

 

 

舞台は第二次世界大戦後のオーストラリア。ヤヌス島の灯台守であるトムは、妻イザベルと二人きりで暮らしています。トムとイザベルは子どもを望んでいましたが、イザベルは3度の流産・死産を経験し失意の底に。イザベルが男の子を死産した数週間後、小さなボートが流されてきます。ボートには男の死体と、泣きわめく2ヶ月くらいの赤ちゃん。イザベルはこの子を自分の手元に置いておきたいとトムに懇願します。二人は、この事件を本土に知らせることなく、自分たちの子どもとして育てることに。ルーシーと名付けられた女の子はすくすくと育ち、二人は自分たちの犯した罪を忘れかけますが、ルーシーが3歳の頃、事件の真相を知ります。子を失った母親ハナを見て罪の意識に苦しむトム。そして事実が明るみに出て…

 

ヤヌスというのは神話に出てくる前後に頭がある生き物のことで、小説内ではヤヌスに絡めて、光と闇、罪と赦しなど相反する二つのテーマが鮮やかに対比されているようです。これについては解説が素晴らしいので割愛します。

 

私が一番印象に残ったのは、母親の覚悟、そして周囲の温度差。

本作品では、様々な人間の生々しい感情が丁寧に描かれます。これでもかと神様は試練を与える。どういう結末でもハッピーエンドにならないんだよな、と暗くなる。ルーシーの苦しみは8日目の蝉を思い出させます。誰の苦しみも痛いほど伝わってきます。が、一番共感できないのはお前だトム。「事件が明るみに出て…」と勿体ぶりましたが、トムが罪の意識に苛まれて余計なことをしてしまったことが原因です。

娘を奪われたイザベルはトムをなじり、イザベルの父母もいきなり孫娘がいなくなったこと、娘が夫からひどい裏切りを受けたことが受け入れられず困惑します。もちろん悪いのはイザベルなんです。しかし彼女は子どもを自分のものにすると決めてからは腹を括っています。自分がルーシーを幸せにすると。娘が悪いことをしたっていうのに、イザベルの母も、「自分の下した決定のままに生きていくべきだ。勇気とは、自分の犯した間違いの結果を受け入れ生きていくことだ」と主張し、最悪のタイミングで罪を暴露したトムを批判。グレースと名付け愛した娘がルーシーと名を変えて自分のこともすっかり忘れて戻ってきたハナは、娘を取り戻すために必死で半狂乱の体に。

母親は子のことしか考えていない。規則も法律も倫理も無視なんです。しかしトムは「罪が!」とか「俺は戦争の罪が!!!」とか言い始め、イザベル父は「娘の罪を軽くしたいなぁ」と上の空、ハナの妹は「お姉ちゃん頭おかしい。ルーシーはイザベルの元に返せば?」とか言い出します。

母親って孤独…と母親に共感してしまいました。結構突っ走っている感じに書かれているけれど、いや母親ってそういうもんだろと思うのです。

 

罪がどうとかわからない、赦すって何かもよくわからない。でも、トムの行動には私は納得できないんですね。よく、不倫の事実は墓場まで持っていけという人がいますが、私もそういう派。お前の罪は他人には関係ないんだから、他人様に苦しみを負わせてんじゃねぇと思うんです。楽になっているのはお前だけだぞ。一人で苦しめと。

 

大きく取り上げられてはいなかったのですが、個人的にはトムの父母の話、ハナの父親ポッツ老人の苦しみが印象的でした。読む人の立場によって感情移入できる人が変わると思われます。若いときに出会っていれば、もう少し罪と赦しについて考えられた気がしますが、母になった今は、イザベルとハナに心揺さぶられすぎてなにも入ってこないw という意味で、若いときに読めていたらなぁと思わざるを得ない作品でした。


おわり。