はらぺこあおむしのぼうけん

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若い頃の熱狂が失われて用心深い私生活に入った中年男。実は氷の上に立っていた。新潮クレスト「アムステルダム」

こんにちは。

 

イアン・マキューアン(私の中で)3作目。新潮クレスト「アムステルダム

一言でまとめると、物語の筋は星新一ショートショートを見ている感じで、無駄が少なくまとまりが良い。ちょいちょい老いることのエッセンスみたいなものを織り交ぜてくれるのですが、全てを削ぎ落してみるとブラックユーモア小説です。

 

アムステルダム (新潮文庫)

 

モリー・レインという女性の葬式の場面から物語は始まります。彼女は40~50代くらい。ある時左腕の痛みを自覚した彼女が医者に行ったときはもう手遅れ。数週間後には言葉が出てこなくなり、最後には意識も曖昧なまま寝たきり生活。あっという間に亡くなってしまいました。

モリー・レインの葬式に列席していた音楽家クライヴ、「ザ・ジャッジ」という新聞の編集長ヴァーノンは、モリーと若い頃からの付き合いで、時期は(おそらく)異なっていたものの、共にモリーと恋愛関係にあった時期があります。外務大臣のガーモニーは、次期首相と目される勢いのある政治家で、モリーとは長いこと愛人関係にあったと思われています。

喪主の夫ジョージは資産家です。過去に付き合ってきた男からは想像できないほど普通の男。しかし、独占欲が強く、モリーの闘病中はこれ幸いと自らが介護し、最期を看取ります。友人との面会も制限し、特にクライヴ、ヴァーノンを極端に嫌っていました。陰湿なジョージ。周囲には、モリーが病気で亡くなったことで、モリーを独占するという夢をやーーっと叶えられたんだろうな、なんて思われています。

 

一人の男をめぐって女がバッチバチというのは結構ありがちな設定ですが、これは逆。しかも、ある程度の地位にあるいい年した男たちですから、そんなに激しくやり合うことはないだろうと思ったのもつかの間、開始数ページでガーモニーからクライヴにきつい一発。

モリーから聞いたけどよ、お前、EDらしいな。失せな」

これはヤバい!

 

物語は、「ガーモニーの痴態PHOTO」が出てきたことから大きく動き始めます。

遺品整理をしていたジョージが発見したガーモニーの痴態。ジョージは、著作権を含めモリーの遺産を全て相続した自分に、この写真を処分する権利があることを強調し、ヴァーノンに見せます。そしてこの写真の権利を、最も高い値を提示した新聞社に売ることを知らせます。販売部数が落ちてきて編集長の椅子が危ういヴァーノンは、一も二もなく飛びつきますが、社長たちのお偉方は渋い顔。首をかけて掲載するか悩むヴァーノン。親友のクライヴに相談すると、クライヴから強烈に反対されます「モリーとガーモニーの間の信頼関係のもとに撮影された写真を暴露することは、モリーの意に反する。絶対にやめるべきだ」と。

クライヴはクライヴで悩んでいました。彼は国家の大切な式典で使用する曲の作曲を依頼されていたのですが、モリーの死で作業が思うような作品ができません。ヴァーノンは日も置かずに電話をかけてくるし、思い通りにいかなくて汚い言葉を投げつけてくる。二人の友情に亀裂が入り、厄介ごとにも巻き込まれます。

そしてガーモニーの立場も危ういんですね。写真そのものは公開されていないものの、痴態PHOTOの存在は皆に知られている。首相も渋い顔。さてさて…

今までの人生、たくさんの競争で勝ち抜いてきた男たちが、次々にリタイアしていく。モリーの葬式で始まった物語は、葬式で終わります。そして葬式の場で秘かにほくそ笑むのは…誰だ?という、面白い構成。

 

ヴァーノンはクライヴの生活をこのように評します。「年を重ねて成功を収めたことで、高級な目的に的がしぼられた。若い頃の熱狂が失われ、私生活は用心深くなった」と。これはヴァーノン本人にも言えるでしょう。こういう、自分は気付いていなかったけれど、実は危なげな立ち位置にある男たちが、精神の均衡を失っていくというのがこの物語の見どころ。そしてそのトリガーとなったのは間違いなくモリーの不在でしょう。

クライヴは学生時代にモリーと出会い、それから長いこと付き合っていました。若いころに初々しい恋愛をした仲であることもあり、一番モリーの死を悼んでいるように見えます。最後は、面会を制限しモリーを独占したジョージを憎みながらも、自分もジョージの立場であったら、同じことをしただろうな、なんて思っている。

ヴァーノンは、若い頃のパンツ一丁でビリヤードをやるというような、なんとも怪しげなパーティで出会ったモリーのことを、都合の良い女としてとらえている一面があります。ヴァーノンはもともとドライな性格で、クライヴのこともうまく利用している節もあります。

ガーモニーはなんでも卒なくこなす憎たらしい男です。人に囲まれた中でも、クライヴにしか聞かれないような声で「お前EDだろ」と言えるあたり、絶対悪い奴!!痴態PHOTOの件はザマミロと思いましたが、策士の妻の援護射撃もあり、何とか切り抜けたりします。なんかむかつく男。

そしてそんな三人の男を深く憎むジョージという男…構成の妙!!!

 

モリーのエピソードはあまり描かれていなかったので想像しかできませんが、いわゆるあげまん。「あなたはあなたのままでいいのよ」いうようなことを言えるいい女。彼女のそばにいると、彼らは、自分がここにいてもいいんだと感じられ、身を守っていた分厚い鎧を脱ぐことができたのでしょう。そういう存在が奪われたとき、一気に精神のバランスが崩れてしまったのだろうと思います。

心の糧を失ったとき人はどうなるかというと、すごく疑り深くなったり過激な行動に出るようです。クライヴとヴァーノンの友情に亀裂が入るところが特に印象的。クライヴは友情における不均衡を感じ、過去の思い出も全て不幸の色に染め上げます。そして、友情の再定義をするために旅行に出かけるのです。ヴァーノンも出世頭として慎重に階段を上ってきましたが、劇薬を求めて、お偉方への根回しもせずにガーモニーのPHOTOを2倍以上の値段を提示してお買い上げ。

自分が不幸になった気がした時に「まぁまぁ」と言ってくれたはずのモリー、危ない橋を渡ろうとしたときに諫めてくれたはずのモリーモリーがいない今、どうやっていいかわからなくなるんですね。物語の初めから故人としてしか登場してこないモリーの、圧倒的な存在感。そして物語は最悪の方向へ舵を切ります。

 

タイトルの「アムステルダム」とは、合法の殺人(老いた親などをいろいろと理由をつけて殺してもらう)ができる場所として物語に登場します。解説を読むと、作者と友人の符牒だそうで、「自分のことがちゃんとできなくなったら、俺がお前をアムステルダムに連れて行ってやる(だから俺のこともよろしく)」というものだそう。お前もうやばいなというかわりに、「お前アムステルダム~!」と言って突っ込む感じ。

自分のことが自分でできなくなる恐怖は想像に難くありませんが、この物語でも生々しく出てきます。例えば、クライヴがモリーのことを思い出すところ。意識がもうろうとする中でもはっきりしていた時間はあっただろうなぁ、そんな時、面会が制限されている事実も知らないで、モリーはどれだけ孤独を感じていたか、と考えます。そして、自分もある日そうなるかもしれないと怯え、自分には家族がいないことに恐怖を覚えるんですね。老いを自覚し、身近な人があっけなく逝ってしまうと、いきなり身に迫ってくる。

 

ストーリーというか仕掛けそのものはありがちというか、使い古されたものでありながらも、うまく「人生とは何か」を絡ませて、ブッカー賞へと高めたその実力たるや!!他の作品も読みたくなりました。

 

おわり。

イアン・マキューアンの他作品はこちら。

dandelion-67513.hateblo.jp

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