はらぺこあおむしのぼうけん

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女は女であるのではなく女になるのだ 川端康成「女であること」

こんにちは。

川端康成「女であること」です。タイトルからすでに、女の生々しい欲望とどろどろした感情がバチバチぶつかりそうですね。期待を込めて即決し、お金と本を握りしめてレジに向かいます。

 

女であること (新潮文庫)

 

舞台は田園調布。主人公は市子という主婦。夫の佐山は弁護士、二人の間には子どもはいませんが、佐山が担当している死刑囚の娘妙子を家で預かっています。そんな市子のところに、市子の女学校時代の同級生の娘さかえが転がり込んでくる。さかえは天真爛漫でコミュ力が高く、佐山になつきます。さかえが来たことで、もともとふさぎ込んでいた妙子はさらに引きこもりがちになるし、佐山の態度の変化も気がかりで、市子はさかえを疎ましく思うようになります。さらにはさかえの母である音子も上京してきて、市子の心は乱される。そんな中妙子は大学生の有田と逢引きを重ねるようになり…

 

と、期待を裏切らずに事情のある女たちが続々と登場し、胸も鼻の穴も膨らむ展開。

それぞれの女は問題を抱えています。市子と佐山は子どもができずに悩んでいる。40を過ぎたところなので現代の感覚から言えば全然じゃん、という感じなのですが、何しろ同級生の音子がハタチ間際の娘を持っている、そういう時代ですから、半分諦めています。子どもがいないことについてお互いに何となく申し訳ない気持ちを抱えていて、少し距離がある。音子は実業家の夫がいましたが、夫は若い女と逃げていきました。女に負けたくない一心で、昔の家の明け渡しを拒否して住み着き、娘たちからは亡霊のようだと言われています。

さかえは、そんな「捨てられボケ」している母との生活に嫌気がさし、東京に出てきましたが、目標も持てずに若さを持て余している。「捨てられボケ」って強烈ですよね。中年になって夫に見捨てられ、若い女への当てつけのためだけに、住みたくもないところにどっかり居座り、過去ばかりを思い出している音子。市子は気弱なタイプなので、こういうごり押ししてくる女たちに振り回されっぱなしです。

 

女の心情を的確に書き表しているところが、この本の素晴らしいところ。テーマといえば「自然への回帰と同じように、女は女に帰る」ということ(解説にありました)。女としての矜持、女としての幸せ、美醜、優劣、いくつになっても、無意識にそういうものを求めているのが女なのだと。

一番忘れがたいのは、妙子と有田の恋です。有田は大学生。当時の大学生といえば将来が約束されたインテリですから、死刑囚の娘の妙子なんかとは釣り合いません。妙子は不安と、初めて恋を覚えた喜びから、正常な判断ができなくなり有田のところへ転がり込みます。有田も最初は二人の将来を意識こそすれ、一回セックスしてしまっては熱も冷めがち。一度母親のところに交際の報告をしたのですが、母親から泣きつかれ、学校の寮にぶちこまれて同棲は解消することに。有田は心が軽くなり、ほとんど妙子の家に寄り付かなくなります。

妙子は、「一人でいると有田のことばかりを考えてしまう。でも二人でいると、不安が募る」と友人に辛い心情を吐露します。「だから最初の頃とは違って、今はおとなしくして様子をみているの」とドヤ顔する妙子に、「静かにするなら最初からそうすべきでしょう。一線を越えた後では、追いかけ続けるしかないわ」と冷静に返す友人。ここは忘れられないシーンです。確実に二人の関係は破綻しているのに、「今距離を置いている」ってかたくなに主張する女っていますよね。女からの「距離を置こう」はうまくいくことはありますが、男から距離を置かれた恋愛は、十中八九破綻ですからね。ここ重要です。

 

市子には清野という過去に愛した男がいました。彼と遭遇し市子は焦ります。折悪くその時さかえが側にいて、鼻が利く彼女は清野と市子の関係に気付いてしまう。音子は男で、若かりし頃市子の逢引きのアリバイ作りに使われていましたから秘密を握っており、さかえか音子が佐山に清野のことを漏らしてしまうのではないかと気が気ではない市子。彼女はとにかく気遣いの女なので、胃に穴が開きそうです。

市子は別に、今も清野が好きというわけではありません。ただ、初めての男だったことと、恋が叶わなかったから思い出が美化されていて、自分が世の中に取り残された気持ちになるんですね。

 

完全に余談なんですが、

中学校の国語のM先生が「伊豆の踊子読んで、踊子が自分の座布団を、自分の体温を伝えないように裏返して渡すシーンがあってさぁ、そこぐっとくるんだよぉ」って口に泡をためながら熱弁していたのが忘れられなくて、それ以来、川端康成=女の奥ゆかしさを表現する神と認識しているのですが、今回もそういうシーンありました!さかえは東京に出てきてしばらくは、持ちだしたお金でホテル住まいしているんですね。なんですぐにうちにこなかったの?と市子に言われ、「はじまってしまって…ちょっと」ともじもじ。いわゆる月のものがきてしまったので、そういう体で男性の前に出たくなかった、しかも布団も使わせていただくのもなんか…と。こういところ、M先生、今回もぐっときましたかー?と叫びたくなりました。私はガサツな女なので、3回くらい読まないとさかえのもじもじの理由がわからなかったですよ。

 

と、「女の性」ってこういうことなのかな。と感じさせる作品。ある程度の年齢の女性なら、出てくる人全員の気持ちがわかると思います。どろどろしているかと思いきや、平穏な暮らしが乱されたことで市子の秘めていた女らしさが甦り佐山はぐっときてしまうわけで…もちろんあれがああなって…と、実は驚きのハッピーエンド。雲行きの怪しさに、中盤は、誰か一人くらい心壊すんじゃねぇかと思うのですが、安心して読めます。川端康成の作品の中ではかなり好きな作品です。

 

おわり。