はらぺこあおむしのぼうけん

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なんか世の中嫌な奴ばっかりだな 村上柴田翻訳堂「呪われた腕ーハーディ傑作選」

こんにちは。

村上柴田翻訳堂のラインナップ、「呪われた腕ーハーディ傑作選」です。帯に、「これを読むと小説が書きたくなる」とか書いてあります。読んでみると、この構成の美しさ、無駄のない言葉に素晴らしい…となる。創作されている方々は、俺もこういうの書くぞ!!ってなるのでしょうね。

 

呪われた腕: ハーディ傑作選 (新潮文庫)

 

 

dandelion-67513.hateblo.jp

 

これは、トマス・ハーディー氏の短編集です。例えばこんな話。

「わが子ゆえに」

ソフィという女性は、女中として働いていた牧師館で、妻を亡くした牧師に見初められて後添いになります。元女中ですから教養もない、育ちも悪いわけで、牧師としても身分違いを承知の上での結婚でした。しかし牧師もすぐに亡くなってしまいます。牧師には先妻との間にランドルフという息子がいました。血のつながらない母と母一人子一人というメジャーの五郎状態。しかし彼はソフィの育ちの悪さが気に入らない。母親を恥ずかしく思っている。

ソフィにはサムという幼馴染がいました。庭師で、若いころにサムはソフィに求婚します。ソフィを忘れられないサムは牧師の死を知り、再度求婚。ソフィは結婚に応じたいのですが、ランドルフがいい顔をしないので先延ばししています。時期が来たらランドルフも認めてくれると信じ待ちますが、大学生になっても家を出ても、ランドルフは認めない。意地になっています。そしてソフィは失意のうちに亡くなり、ソフィの葬列を見送るサムを、ランドルフがじっと睨みつけていました。

 

「憂鬱な軽騎兵

ある村でドイツ兵が駐屯していました。あるドイツ兵と恋に落ちる娘。ドイツ兵は娘に駆け落ちしようと提案します。さてこの娘、他の村の男と親同士で結婚が決まっていました。その婚約者は村のごたごたを片付けてから絶対迎えに来ると言いながらも、全然その気を見せない。娘は駆け落ちを決意しますが、駆け落ちしようというまさにその日にその婚約者とやらがやってくる。自分を迎えに来てくれたのであれば、婚約者と結婚するのが筋だろうと、駆け落ちを断念する娘。

婚約者と散歩していると、そいつはこんなことを言います「実は俺、結婚してるんだ。かわいい女と。だから頼むからこの結婚は当人どうしで破談になったことにしないかい??おやじにも頭あがんねぇからさぁ」と。婚約者が自分を迎えに来なかったのは、その嫁とやらとただ離れがたかっただけで、娘のことなんかできる限り引き延ばそうと思っていた。娘はとんでもないことをしてしまったと思いドイツ兵の野営地へ急ぎますが、ちょうど、脱走のかどで愛するドイツ兵の処刑が行われていました。

 

どっちも、胸ふさがれる思いです。嫌な奴ばっかり出てくる。

ランドルフとか何なん?お前のせいでお母さん苦労したのに、自分が自立してからもなお身分が低いからって嫌がらせしやがっててめぇふざけんなよ。と。ランドルフはよくいるアレですよ。世の中の幸せの総量は決まっていると信じ込んでいて、誰かが幸せになるのに躊躇してしまうどころか、誰かの幸福をぶんどって自分のものにしようと考えている人。UBERとかメルカリの評価に、何があってもなくても基本BADをつける人がいるらしいんですが、ランドルフも現代にいたら絶対こんなタイプですね。

あと、婚約者!!!お前はゴミくずだ。

 

世の中、「我慢する側」と「我慢させる側」に綺麗に分かれています。そしてそれは絶対的なものではなく相対的なもの。遅刻する奴は誰に対しても遅刻すると思われがちですが、好きな人と会う時には15分前に到着し、どうでもいいと思っている相手には平気で30分も遅刻してきます。ほとんどの人間は無意識に、自分が楽しいことばかりして生きていきたい、自分より弱そうなやつは積極的に蔑ろにしよう。強い人には媚びておこうと思っています。

子どもを持って気づいたのは、「世の中優しい人もいるんだな」と思う割合と、「反撃しない相手にはこうも人間はストレスを簡単にぶつけてくるのか」と思う割合が1対9くらい。日本のオジサンってほんとすごいんです。会社のストレスを平気で妊婦や乳幼児にぶつけてくるんです。でも、でっかいキャリーバック持って大声で電話している外国人にはそっと場所譲ってあげたりするんです。こいつにはやりたい放題やってやろう、この人には従おう、と即座に判断。数十年の社畜人生で培われたんでしょうか。

 

さらにそういう嫌な奴はいつも「被害者意識が強い」んです。ランドルフは「みじめな母親に育てられた俺かわいそう」、婚約者は「好きな女がいるのに結婚させられる俺かわいそう」と。自分のせいで何かをあきらめている、不幸になっている相手の事情なんか考える余裕もない、だって自分が世界で一番不幸なんだから。

対して、「自分の都合を相手に押し付けてはならない」「誰にでも優しく」「人はきっと分かり合える」の信条を持っている心根が優しい人は、多くの場合で我慢する側にまわり、割を食う。自分の気持ちより相手を慮ってしい、自分の幸せはいつも後回し。

 

悲しいかな、世の中こうなんです。よくアクションRPGで〇ボタン押すとダッシュできるじゃないですか。うじゃうじゃいる周りのモンスターに攻撃を与えられるわけでもないけど、圧かけて避けさせるやつ。あんな感じです。嫌な奴がダッシュすれば、いい人が避けてあげるんです。でも嫌な奴は「こんなごちゃごちゃ邪魔されて可哀そう俺」ですからね。報われない。

弱肉強食、気を抜いたら負ける。優しさを見せたら一瞬で吹っ飛ばされる。人生そういうもの。しかも強い人間に限って、「争いのない世の中になってほしい」とか言い出します。お前結構好戦的で、実は人からいろいろ奪ってるけどな!その口がな!!となる。

 

他にも怖い話、愛情の話、いろいろありますが、不思議な読後感。そして、弱い人間を食い物にする強い人間へのイライラ感。ハーディは、人生における運命と偶然に起きるすれ違いに強く興味を持っていたとのことです。主人公が徹底して孤独に描かれている、そして嫌な奴がいっぱいいるのがすごく印象的でした。

 

おわり。