はらぺこあおむしのぼうけん

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親との不仲は子どもに厳しい生を強いることとなる。12歳少女の壊れやすい気持ちを描いた透明感あふれる小説。 村上柴田翻訳堂「結婚式のメンバー」(村上春樹訳)

こんにちは。

 

カーソン・マッカラーズ「結婚式のメンバー」。(村上春樹訳・村上柴田翻訳堂)

裏表紙の内容紹介には、「南部の田舎町に暮らし、日々の生活に倦む12歳の少女フランキーが、兄の結婚式で人生が変わることを夢見て奇矯な行動に出る」というようなことが書かれており、オビには「いつまでも輝きを失わないエヴァーグリーンな小説を」という言葉が。

私見ですが、こういう小説は注意が必要で、言うほど共感できないモノにあたることが多い。とりわけ、同調圧力の中、出すぎないよう細心の注意を払い、普通という境界線上を慎重に歩きながら成長してきた日本人・元ティーンエイジャーからすると、主人公の「奇矯」な行動がマジで理解できない。その上アメリカのティーンエイジャー(~1980年代は特に)にとっては、ドラッグ、酒、SEX(乱交含)などなどが日本人に比べ手に届きやすいですから、どーーーしたって理解できない世界観だったりするわけで…。(何度も言うけど私見です)

逆に言うと、日本の中高生は逃げ場がない分、うまく「消化」する術に長けている印象があります。そういう子どもの頃からサラリーマンのような生活をしてきた人たちの心情に寄り添ってくれるのは、朝井リョウという感じがしますね。

そんなわけですが、細々と集めている「村上柴田翻訳堂」ですから、久々のこういう系の小説にチャレンジ。結果、幼い頃の自分を見つけた気がしてちょっと落ち込むという。笑

結婚式のメンバー (新潮文庫)

1940年代、アメリカの南部にある町で、12歳の少女フランキーは退屈な毎日に飽き飽きしていました。背はここ1年でぐーーんと伸び、髪もボーイッシュなショートカット。卑屈な自分の性格にも、かわいくない容姿にもうんざり。そんなある日、アラスカに出兵していた兄の結婚が決まり、結婚式に参列することになりました。「兄の結婚式に出て、そのまま新婚旅行についていく。この町にはもう戻らない」そんな計画を立て、変な行動に出るフランキーの一夏を描いた物語。

 

自分じゃない何かになりたくて、今の暮らしに倦んでどこか遠くを夢見る。大人になりたいと願って苦いビールを飲んでみたりするし、どうでもいい男と関わり合ってやっぱりアブナイ目にあって、もちろん新世界に旅立つこともできなかったというところまで、ご想像の通りでして。透明感・等身大がウリなのかもしれないけど、すっきり過ぎて物足りなさはありました。12歳少女の一夏の出来事として、リアリティはあるといえばあるし、ないと言えばない。なんていうか、気持ちには共感できるけど、行動には共感できないからイマイチ身に迫ってこないというか…。

 

ただ、終始、フランキーの素直な気持ちの発露にドキっとさせられて、彼女のことをどうにかして助けたくなることは請け合い。

例えばフランキーは、「自分が他の人間だったらいいのに…」、「(兄と婚約者が来る)日曜日までにきれいになる必要があるのよ!(怒)」なんてことを言います。周りは「ハァ!?」という反応なのですが、私からしたら共感の極み。大人になった今もこういうこと思うし、実はそんな気持ちは幼い頃より強くなっているかもしれない…なんて。また、第一章で(地の文で)フランキーと呼ばれていた彼女は、第二章ではF・ジャスミン(Jaから始まる名前への憧れがあるため)と名前を変えます。あ~、これもなんかわかる~!名前変えても他人になれるわけではないのにね。

何者かになりたくて、そのためには何かをしないといけない気がして、気持ちばかりが先走り、変な行動に出る、そんな12歳の少女の気持ちが余すところなく表現されています。

 

ストーリーは、イトコのジョン・ヘンリー、黒人の家政婦ベレニスとの会話がメイン。ジョン・ヘンリーは同世代男子として、フランキーのありのままの姿を的確に(かつ冷酷に)描写する担当だとしたら、ベレニスは哲学担当。フランキーの孤独・焦りに一つ一つ答えを提示してくれます。ベレニスのアドバイスの軸になるのは、「手持ちのものでうまくやっていく」「布地にあわせてスーツを作る」という言葉。手を変え品を変え、フランキーに「自分が自信を持てる何かを見つけて(あくまでも12歳少女として相応しいもの)卑屈さから脱しろ」というメッセージを伝えています。

 

近所のかわいい女の子を見て、「ああいう風になりたい(一緒に遊びたい)」という劣等感に苛まれるも、その気持ちを認めたくないから「バカな女」と蔑み、怒りを身内(ジョン・ヘンリーとベレニス)にぶつけてプリプリ。一人で勝手に傷ついて、誰も自分を傷つけない世界(妄想の世界)へと入り込むフランキー。孤独で、でもプライドも高くて、なぜか悪いほうに取ってしまいとことん嫌われていく。

自分のことを言い当てられたようで古傷がうずく人もたくさんいるんじゃないでしょうか。笑

彼女の孤独がどこからきているのかというと、「どこにも所属していないという気持ち」です。彼女流に言うと「自分にはweと呼べるものがない」。「私たちは…」と言える仲間を持っていないということ。いっつも食後にカードゲームをする仲間のジョン・ヘンリーとベレニスは?というと。「それは嫌」だそうで。彼女はプライドが高いから、もっとキラキラ系の人々とつるんでこその「we」なんですよね。わかりますわかります。そんなフランキーは最後のほうにジョン・ヘンリーにすら距離を置かれて完全な孤独を味わいますが、それは今は置いといて…。

また、フランキーは人間が存在する意味についても考えを巡らせます。フランキーが頭でっかちだとしたら、ベレニスはとりあえずやってみようの実践タイプ。「そんなこと今から考えていたってしょうがないじゃない!」と一蹴します。しかし、フランキーの「私は閉じ込められている感じがする」というボヤキには「あんた以上に黒人である私たちのほうが閉じ込められているわよ」とピシャリ。そういうところからも、知識や経験は浅い(もちろん12年しか生きていないから)割にデカイ問題を抱え込んでふさぎ込む、というこの年齢独特の危うさというものが感じられます。

 

この本に書かれたフランキーの姿は、ごくごく一部のティーンエイジャーからすると、「私のことだ!」という共感の嵐だと思うんですが、いい大人の私は、フランキーに示せるそれなりの解を持っている大人として、フランキーの悩み相談に乗ってあげたいと思います。

賛否両論ありましょうが「こういう少女は、結婚してから人生が楽しく回り始める」というのが私なりの解。もちろんDV夫とかそういうヤバイのは除くし、16歳そこらでデキ婚しろとも言っていない。フランキーが主婦向きかどうかは知りませんが、結婚して「既婚!」の印を押してもらえると、彼女の人生はぐっと楽になると思います。

彼女のフラストレーションの根源にあるのは、普通になれない劣等感です。容姿への劣等感、自分の置かれた環境への劣等感など…。どんな形態であれ、結婚に至った人の多くは「普通」枠に入れてもらえるから、自分の安全地帯を持ち、そこによき理解者である夫さえいれば、他人になりたいという気持ちは薄らいでいき、自分の世界の中で幸せに生きていける気がします。

これはあくまでも日本的な価値観ではあるけれど、自分の経験上、未だ日本では、結婚していないと「何かある」と思われがち。それをはねのけるくらい元気ハツラツで自分を持っていればいいけど、彼女は今にもつぶれそうな甲羅でもって、自分のガラスのハートを必死に守っているタイプだから、そんなガッツはないと思うし、投げやりになって早くから独身を貫こうとか思うと、もっと嫌な女になっていくでしょう。

偏差値の高い大学に行けば奇人変人のが人気者になったりするから、今は普通の仮面をかぶりながら自分の世界を広げて、いい大学を目指せばよろしい。あなたは心が体よりも先に大人になっちゃっただけであって、変でも何でもないよ、落ち込むな、体の成長が追い付けば、絶対気持ちが楽になるから!!と、この世界にたくさんいるフランキー達に伝えたくなりました。

これからの10年以上(下手したら20年くらい?)、本に埋もれたって良い、思索にふけっても良い、自分の庭の手入れさえ怠らなければ、いつかその世代の「普通」になれる。私は30過ぎてからそう感じるようになりました。

 

ただ、私が唐突に「結婚」を持ち出したのにはもう一つ理由があって、それは、子育てのほとんどを放棄している「フランキー父」に対する当てつけでもあります。フランキーの父が、彼女の安全地帯たる家庭を守ってさえいれば、彼女はまだ見ぬ夫との安全地帯に夢を馳せる必要なんてないんです。少なくとも、①おしゃれのためのお金を渡してあげる、②「ありのままで可愛いよ」「お前くらいの年頃でそんなことを考えるなんてすごいじゃないか!!」というメッセージを伝える、のどちらかでもできていれば、フランキーはまだ救われるんだけどな…。「かわいい」という世間一般の指標でのみ自分をはかって落ち込み、自分の芽をつぶしてしまっている娘の孤独に気付き、お前が良き理解者たれや!と父親を説教したくなります。

近づきがたい親、子どもを押さえつける親、そんな親を持つと、自ずと子の人生は厳しいものになる、それは様々な小説で陰に陽に語られている真実。小説を読んで、フランキーの傷つきやすい心よりも、その心を作り出した父親の不器用さが先に立ってしまい、何とも言えない気持ちになりました。単純な、12歳の女の子の心は感受性が強くすぐ傷つく、その年頃の子は手に負えない!っていう図式ではなく、今のフランキーを作った根っこの部分も小説にはちりばめられているので、父親とフランキーの関係からも読み解いて二度味わいたい小説です。

 

読んでいて「・・・・・」ってなったのは、同族嫌悪的なところからきているのか、いくら何でもやりすぎでは?というオトナ目線からきているのかは謎ですが、感情が生々しすぎてその嵐にこっちもやられてしまい、ざわざわする小説でした。

ティーンエイジャー向けの小説は、「母親目線」として読んでしまうのがたまに傷。もっと純粋に楽しみたい気もしましたが、娘の相談に乗ってやるくらいの気持ちで、今後もチャレンジしていこうと思っています。

 

おわり。

 

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