はらぺこあおむしのぼうけん

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「もうそこらへんでヤメにしたら?」と言ってくれるかけがえのない存在の欠如。 カズオ・イシグロ「わたしたちが孤児だったころ」

こんにちは。

カズオ・イシグロわたしたちが孤児だったころ

後半戦、いっきまーす。

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

 

dandelion-67513.hateblo.jp

 

後半戦へ行く前に、前回どんな終わり方をしていたかっていうと。

カズオ・イシグロ作品の特徴として、主人公の回想の中に思い違いや嘘が混じる、というものがあります。そしてその嘘をよーく見ていくと、重大な事実が紛れている、というような構成。だから、過去作品と同様のアプローチで本作品を読んでみようとしたのですが、主人公の行動がヤバすぎてお手上げ寸前。だから、逆に、バンクスが語る真実だけを洗い出してみよう、というアプローチに変更したところで終わっていました。

 

これはさすがにウソじゃねぇだろ、って思われるポイント。

★孤児だったこと

ひとつめは、彼が孤児だったことです。ていうかタイトルにもあるし、コレは触れないと。そしてもう一人(以上)孤児がいます。だってタイトルは”WHEN WE WERE ORPHANS”。WEって、バンクスと誰?というと、これは、前半にも少し出てきたサラ・ヘミングスを指します。

サラとバンクスの出会いはこうです。

ケンブリッジ大の友人オズボーンを通じて、ぺーぺー探偵ながら社交界に顔を出し始めたバンクス。その頃から、金のある男を手玉に取っているサラ・ヘミングスは有名でした。しかしサラからしてみれば金もなさそうなバンクスは眼中にありません。パーティで顔を合わせるけれども話したこともないという関係のまま数年が経過します。あるとき、大事件を解決して有頂天になっていたバンクスは、そろそろサラに挨拶してもよかろう、と思って声を掛けます。しかしサラの返事はそっけない。バンクスはバカにされた気がして怒り心頭に。

順調に探偵として名を上げていったバンクス。サラのことはすっかり忘れていましたが、今度はサラのほうから声をかけてきます。「今度のサー・セシル(偉い老代議士)のパーティ、あなた行くんだったら、私をお相手にして連れてってくれない??ね?ね??」と。すげーむかついたバンクスはお断りをしますが、パーティ当日、なんとサラは入り口で待っています。強引についてくるサラを撒いてパーティ会場に逃げ込み、ほっとしたのも束の間、サラは入り口で暴れていました。その後ある紳士のとりなしでサラは会場にもぐりこむことに成功します。うわ、めちゃくちゃ気まずい…ってなったバンクスは、一人煙草をふかすサラに謝罪。仲直りした二人は、以後、腐れ縁のような感じになります。

こういう最低な出会いをした二人がわかりあったきっかけは、二人が共に孤児であったこと。一緒におしゃべりをしていた女性が「わたしのお母さんは最低でぇ~」とずっと母親の愚痴を垂れているのに耐えられず号泣してしまったサラ。そんなサラをバンクスは放っておけません。しかし、手を貸そうものなら「ほっといて!私は大丈夫だから!!!同情すんな!!!」とはねつけられる。そういう関係のまま、ついには結ばれず終わる二人でありました。

 

★孤児の生き方

ここで、二人の孤児の性格を見ていくことにします。

バンクスはちょっと陰気な感じですね。いつもイライラしています。

例えば、

・古い同級生に会い、「お前ちょっと変わってたよな」と言われたとき。それは人違いだ!!!とわざわざ別な同級生の名前を引っ張り出してきて否定します。

・パーティーについていかせて!と懇願するサラを見て、「俺がぺーぺーの頃は、俺のことを馬鹿にしたクセに」とイラ。意地悪をする。

・自分をイギリスまで送ってくれた大佐と十数年ぶりに再会したものの、大佐はみすぼらしい感じになっていた。共通の話題として、渡英する際の自分の船上での様子が話題になった瞬間、今更こんなこと話して何になる、この老いぼれが…。と不愉快に。

こういうところから導き出されるのは、自分は自らの努力によって成功したという自信を持ち、「俺をバカにするな。利用するな。そんなこと許さねぇ。俺の過去を知るみすぼらしい男なんて消えてしまえ」なんてトゲトゲしている男。成功しているはずなんだけど、寛容になれない。

サラは、いい男をつかまえてのし上がりたい、という気持ちを隠さない女です。最後は、お目当ての老いぼれ代議士と結婚し上海に渡りますが、そんな夫はDV野郎。何年も耐えた後、ひとりマカオに逃げることに。サラはこんなことを言います「何かを探し求めながら、何年も無駄にした。価値あると認められた時にだけもらえるトロフィーのようなものを」そして「あったかい家庭が欲しいわ」と。バンクスに言わせると、あったかい家庭云々発言は本心ではないようですが、前半部分は、サラをずっと苦しめてきた焦燥感です。

ひとりマカオに渡ったのちは、フランス人と結婚したサラ。「幸せよ!」という手紙をバンクスに送っていましたが、そんなことをわざわざ書いてよこすなんて、さしずめ幸せではなかったということであろう、とバンクスは推測しています。

二人とも、ハングリー精神というか、「なにくそ!」「まだまだ!」という気持ちが強い。満たされなさ、と言い換えることもできます。もとの性格もあるとは思いますが、この満たされなさは、二人が孤児であったということと無関係ではないと思います。

そしてラストの言葉をまとめるとこんな感じ。

「まだ成し遂げていない。まだ駄目だと言われ続ける人生。こんな気持ちにならずに生きていける人はたくさんいる。しかし私たちは、そうではない。私たちは、親の面影を求め続ける孤児なのだ」と。

この言葉は、自己肯定感の欠如とも違って。「もういいよ。十分頑張ったね」こんな言葉に飢えていたのかなぁなんて想像します。だから、頑張ることを止められない。

大人になってもなお、自分で「もうここらへんで良しとしよう」と決めることができないのは、親から「もう大丈夫だよ」と声をかけてもらえなかったから?だから「もっと」「もっと先に!」と走り続けてしまう。ということなのかな?

ただ、親がいるからといって、必ずしもこんな言葉をかけてくれるような親ばかりではないと言い添えておきますが。。。

 

★孤児を引き取って育てていること

バンクスは、ジェニファーという孤児を引き取って育てています。

バンクスは消極的に見える人間。あまり自分の希望が見えません。例えばランチに行ったら、AセットとBセットどっちがいいだろうって迷って、私と同じのを選ぶタイプ。でももう片方のほうが美味しく見えて、「やっぱりあっちにすればよかったわ。だって同じの頼んだほうが同時に出てくると思ったから一緒のにしたんだけど」とかあてこすってくる陰湿なタイプです。(イメージです)

ただ、ジェニファーを引き取ろうとするとき、バンクスは、両親の捜索以外で自らの意思を強く見せます。この熱量に読者はびっくりします。何をしても無感動なジェニファーにバンクスは、「全世界が目の前で崩れ落ちるような体験をしたけれども、再び構築することができる。自分がそばにいる」と声をかけます。コレって、バンクスが言ってほしかった言葉なんだろうね。

「上海に両親を探しに行く」と言った時の使用人の反応は冷たいものでした。しかしジェニファーはおとなしく受け入れます。「両親は生きているのかしら」という疑惑のまなざしではありましたが、 自分が信じるならやったほうがいい、と送り出します。

唐突な感じで登場したジェニファーでしたが、この小説におけるジェニファーの役割は、バンクスと現実の世界を結び付けておくための唯一の綱に思えます。ジェニファーの存在以外は全て、真偽を確かめようのない思い出として扱ったとしても差し支えない。それくらい彼女との会話だけが際立っているんですね。

 

物語の最後でジェニファーは、同居を提案します。一緒に田舎で暮らそうと。彼女の言葉を聞いたバンクスは、「ロンドンは刺激を受けられて楽しいところだ。ロンドンを離れる気はさらさらない。でも、いつかは、ここを離れてジェニファーと暮らすのもわるくないな」と考えます。ここにきて初めて、「ここらへんでもう終わりにするか」と、自分の落ち着く場所を見つけられたバンクスなのでありました。

 

というお話。解説には、日本人として英国で過ごしたカズオ・イシグロの気持ちも反映されている、という話もありました。これは、「自分はどういう存在で、どこに行くべきなのか」というアイデンティティの物語なのかもしれません。

 

次はカズオ・イシグロはお休み~。ちょっと疲れてきた!!ラストの超!超大作「充たされざる者」に向けて充電。

すごくどうでもいい話なんですが、今、Amazonが勧めてきた本が本当に自分に合っているかを知りたくて、勧められたら本を片っ端から読んでみようと思ってます。あれってどういうアルゴリズムでたたき出してるんでしょうね。わくわく。

 

おわり。

 

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