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ブルックリンのありふれた日常の中、パワフルな老人が人生の悲哀を掬い取ろうとする等身大のおとぎ話 ポール・オースター「ブルックリン・フォリーズ」

こんにちは。

ポール・オースター「ブルックリン・フォリーズ」

「サンセット・パーク」で目の覚める体験をし、「インビジブル」でう~んとなったポール・オースター3作目。すっごい期待して読み始めたんだけど、「サンセット・パーク」ほどの感動はなく、普通でした。

ブルックリン・フォリーズ (新潮文庫)

主人公はネイサンという、元保険販売員。病気になり、妻と離婚し、子どもの頃を過ごした町ブルックリンに戻ってきました。そこで、甥のトムに再会します。トムは亡くなった妹ジェーンの子で、最後に会ったときには優秀な学生でしたが、なぜかタクシードライバーを経て今はハリー(ゲイ)が経営する古本屋で働いているそう(体重は20キロも増加)。再会を喜び、二人で楽しく生活していましたが、そこに飛び込んできたのが、トムの妹オーロラの子(トムから見たら姪)ルーシーでした。いきなり降ってわいたルーシーを育てる問題に二人は慌てふためき、そこから人生が動き始めます。

 

解説でも「ユルい」と書かれているように、今流行りの「しょうもねぇ町で自分たちなりの小さな幸せを見つける系」。金はあるが愛を失った老いぼれ(主人公)、親に捨てられた子、就職・結婚できない男、事情のあるゲイなど、小市民の共感を集める人たちが続々出てきて、狙ってるな…感はちょっとある。こういう社会の網から外れている人を登場させ、あがいている姿を見せてあげることで、自分の人生に自信を持てない人間(読者)を励まそうとするサービス精神に感謝(もちろん皮肉です)。

ここ数年の日本のドラマや映画のトレンドもこういう傾向があって辟易しているんだけど、何が嫌って、フィクションの社会的弱者にはめっちゃ寛容なのに、リアルワールドでは不寛容がはびこっているから。「こういう奴ら登場させときゃウケるんだろ」と、客寄せパンダとして利用されるところがビミョーな気持ちになる。

 

タイトルの「ブルックリン・フォリーズ」の「フォリーズ(Follies)」とは「愚行、愚かさ」のこと。ネイサンは人生の最後に、自分や自分が見聞きした愚かな行為をまとめた「人類愚行の書(The book of human follies)」を記そうと思っており、そのブルックリン版というような意味合いです。

元保険販売員ということで、ネイサンの勘(あと処世術)が冴えわたっています。いろんな人の人生を観察し、それを冷静に分析します(差し出がましく助言することもあり)。その分析にいちいち感心させられ、自分の身を振り返ってしまう。

例えば、通勤途中で遭遇するBPM(Beautifl Perfect Motherの略w)に一目惚れし、遠くから見て満足しているだけのトムに対して、「トムに必要なのはゲームに突入するガッツだ。それがないと、一人の苦しい地獄の闇に閉じこもり、ただやつれていくしかない。だんだん恨みがましい、本来なるべきでない人間になっていく」と分析します。若い人間が、傷つことを恐れ自分だけの世界に閉じこもっていると、いずれ人を憎むようになるということ。コレわかる!わかりすぎる!!

アレコレ分析した後に「オレの保険屋経験から言わせればさ」みたいなエクスキューズがつくところがちょっとわざとらしいけども、外資の保険屋さんって押しが強くて、その第一線を歩んできた人だからできる見方があるんだなという印象ではある。

そういう先達者としてのアドバイス(人生に対する分析)とか、ハードボイルド探偵のようなストーリー、登場人物それぞれの物語、家族の絆がいろいろ入った混ぜ込みごはんみたいな話で、作者が、自分の人生の中で忘れられないエピソードを少しずつ入れ込んだのかもなぁと想像されます。

 

印象に残った言葉はこちら。

ひとつめ、「Xは常に出発点」。ハリー(ゲイ)のセリフ。英語では、元妻をEx-Wife(エクスワイフ)とか言うけど、その「エクス=X」のこと。終わりは常に始まり。別れは出会いの始まり、、、イイね!(ただそれだけ)

一番好きなキャラはハリーなのですが、彼の人生と男気(ハリー的には言われたくない言葉だと思うけど)がカッコいいのでオススメ。

 

ふたつめ、「パンチにパンチを返すのはよせ」。

これは深い。これに続いて、「歯磨けよ?」「宿題やったか?」的なドリフっぽい言葉で、ありふれた日常を賛美するんだけど、たたみかけられてウルっとくる。これは、ネイサンのセリフ。

BPM(本名ナンシー)は離婚し、その後、男に倦み果てたオーロラと恋仲(女同士)になってしまいます、情事の痕跡を発見し「あの二人、家から放り出してやろうか」と怒り心頭のナンシーの母ジョイスにかけた言葉です。離婚を経験し、娘とも疎遠になって後悔をしたネイサンによる、人に怒りをそのままぶつけるな、というアドバイス。自分の気が晴れるわけでもなければ、巡り巡って自分に戻ってくるから、と。

オーロラとトムの関係にも同じことが言えます。オーロラは不良娘で、若いころから家を出たり戻ったり、ジェーンの心労の種でした。トムはオーロラの存在が母の寿命を縮めたと確信しているので、ルーシーやオーロラに対して良い感情を抱いていません。

正直、わがまま放題のルーシーやクソ娘のオーロラに対して、「なんか甘くね…?」なんてイライラしていたところにこのセリフ、はっとさせられます。「どうせ、パンチで返したところで、切っても切れない絆(家族)なんだから」という意味なのか、「すべての人間に対して、以下略」なのかは判断が分かれるところですが、怒りは視野を狭くするし、それをぶつけたところで何も得られないというのには激しく同意。

ただ、会社で毎日のように、握ったこぶしを使えずに言葉を失くしている私からすれば、少なくとも仕事においては、時々パンチで返すなどしないと、完全に舐められるなぁという印象。笑 バリバリエリートのネイサンに人生相談したいです。

 

起伏に富んだストーリーとは言い難いですが、読みやすいし、ジョークも冴えているし、グサッとささる文章もあり、さらっと読める割には充実した読書時間といえます。とはいえ、過去作と比較すると、展開も都合が良いし、ネイサンだって平気で人を傷つけその結果にも無関心だから、読者としては「おじいちゃんの話を聞いてあげる」という心の広さも必要。

以前、「サンセット・パーク」で「この期に及んで人生の新しい章を始めようとする恵まれた老人」という評価をしたと思うのですが、まさに今回の主人公ネイサンはそちら側の人間で、不遇の時代に生まれたわが身を嘆いているとぶん殴られそうな感じです。笑

 

ただ、最後の一文ですべてを持っていかれ、ガラっと見方が変わるのが、実はこの本最大の魅力なんです。

この本は、9.11前の日常を取り扱った作品として評価されているのですが、最後の最後に数時間後のテロを予言することで、読者の視点は、ネイサンやその家族、新しい友人たちの細々したやり取りというミクロなものから、ニューヨークの町を見下ろすようなマクロなものに変わります。ブルックリンをせわしなく歩くあの人にも、あの人にも全て、ネイサンやその家族と同じような物語がある。しかし彼らの人生は数時間後には…というような不気味な後味を残してこの本は終わります。

 

ありがちでユルい話の中に、9.11の足音をきっちり入れ込んでくる感。ポール・オースターはあなどれないな、と感じてしまいました。彼は9.11がなかったアメリカについての小説も書いているそうなので、今度はそっちも読んでみたいと思いました。

 

おわり。

dandelion-67513.hateblo.jp

闇の中の男

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