はらぺこあおむしのぼうけん

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ありのままの自分を認められない大人たちが、信仰の原点に立ち返る ハヤカワ・ミステリ文庫「ありふれた祈り」

こんにちは。

「ザリガニの鳴くところ」に続き、泣けるミステリ第2弾!(最近アタリが続いており、コチラも2020年で5本指に入りそうだけども…笑)

ウィリアム・ケント・クルーガー「ありふれた祈り」です。

「あの夏の全ての死は、ひとりの子供の死ではじまった。」

から始まるこの小説。一日で読み切り、こちらも数日落ち込んでしまいました(ただ、さわやかな感動もあった)

ありふれた祈り (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ミネソタ州ニューブレーメン郊外の小さな田舎町で立て続けに起きた死と、大切な人を失った家族の再生がテーマの物語。

主人公はフランクという少年。父は町の牧師。母は普通の主婦ですが、若い頃は歌手志望だったこともあり、ちょっと派手め。そんな母の期待を一身に背負った娘アリエルは、音大への進学を予定していますが、彼氏の影響なのか、町を出ることを今更渋りだし、一家は険悪なムード。また、弟のジェイクには吃音があり、姉には口唇口蓋裂の名残があるせいで、家族に恥ずかしさを覚えているフランクでした。

1961年の夏の初め、ボビー・コールという少年が列車にはねられて亡くなります。彼の死は事故死として処理されますが、フランクらは殺人を疑っています。疑う理由はないわけではありませんが、それ以上に、「何か恐ろしいこと」を求めるお年頃。少年探偵団的な好奇心で大人のことに首を突っ込みます。

ボビーの死に続き、謎のインディアン男がボビーの事故現場のそばで亡くなり(自然死)、その後エミール・ブラント(フランクの母の元婚約者)が自殺を図り、最後にアリエルが殺されます。アリエルの事件の真相を解明しようとするにつれ、町は互いを疑うようになり、隠していた秘密も暴かれるようになる。面白半分で噂をする奴もいれば勝手に人を疑い、その家に石を投げる奴も出てくる。

一家の要であったアリエルの死を機に、フランクの家族も崩壊していきます。

母は娘の失踪直前まで一緒にいた娘の彼氏カールに疑いの眼差しを向け彼を糾弾しようとしますが、父は母にカールを疑うことを禁じるどころか、全面的にカールの言い分を信じようとします。怒った母はついに、神への冒涜を口にします。

崩壊寸前の家族を救ったのは、弟ジェイクが起こしたささやかな奇跡でした。

 

この物語は「望むものが増えすぎてありのままの自分を認められない人たちが、信仰の原点に立ち帰る」というストーリーです。

戦争の傷が癒えぬまま、神にすがろうとする父。玉の輿に乗りセレブ生活を送ることを夢見てきたのに、蓋を開けてみれば貧乏くさい牧師の妻という座に落ち着いてしまった母。などなど…この物語には、「自分の人生はこんなはずじゃなかった!」と、本当の自分から逃げ、何か別の者になろうともがく人間がたくさん出てきます。

母のカールへの(そして神への)怒りはもちろん八つ当たりではありますが、父も父で、神の教えにすがるばかりで、憎しみや怒りという感情と向き合うことから逃げているようにも見えます。同じ状況の時、「神の教えに従えば必ず出口が見えるんだよ(だからアリエルを殺した犯人を憎むのはやめなさい)」を言われたところで、果たして納得できるでしょうか。

おそらく父も母も、アリエルの事件が起きるずっと前から、自分の本心に蓋をして、優しさをやりくりしていたのでしょう。アリエルを失ったことで、「こうなるはずじゃなかった人生」へのどうしようもない気持ちが一気に噴出してしまったのだと思います。「自分であること。それからは逃げられない。なにもかも捨てることはできても、自分であることは捨てられない」というジェイクの言葉が印象的。

 

誰もが自分の感情でいっぱいいっぱいになり、神を疑い、他者への思いやりを失った時、ジェイクの「ありふれた祈り(ordinary grace)」が皆の意識を変えました。

「天にまします我らが父よ、この食べ物と、これらの友と、わたしたちへの家族の恵みに対し、感謝します。神の御名において、アーメン」

葬儀の夜、父の上司みたいな偉い牧師にかわり、ジェイクがこんな食前の祈りをささげるのです。

助言や忠告に満ちた「儀式用の」祈りの中ではなく、「ordinary grace(ありふれたお祈り)」の中に、神への信仰の原点を見つけた大人たち。

自分を憎んでいたのはジェイクも同じです。人前では三語としゃべれず、バカにされたり、それが原因でいじめられたりしてきた。自分の吃音を何度呪ったことでしょう。しかし、大切な姉を失ったとき、自分の持っているものや望むものを棚卸しすることで、神への感謝が生まれてきたのでした。

 

哀しいかな、長く生きれば生きるほど望むものは増えていき、「ここまで到達したい」いう合格点もどんどん上がっていきます。そして、神(それに類する存在)に対しても、あれもこれもと求め、傲慢になっていきます。自分は、足しても引いても自分にしかなれない。そんな単純なことに気づけない大人がとれほどいることか。

 

「神」の存在をテーマにした小説は、日本だと「沈黙」とか「塩狩峠」とかあって、世界に目を向けると超有名なところでは「罪と罰」とか「神の門」とかいろいろあるけど、なんかこう、大上段に構えている印象がありました。うまく言えないけど、「神の存在に意見を差しはさむことは、特別な人間が相当の覚悟を持って行うことであり、軽々と語るもんじゃありません!」というような。

しかしこの小説は、普遍的なテーマとして神と人間を語っており、「神の愛について考える」「信じるとは何か考える」という活動が、生活に根差していると感じました。神の存在を信じているからこそ、何とかしてその存在を感じようとする、庇護のもとにいようとする意識が見えます。「神」や「信仰」についての本とみても差し支えない。

 

「ザリガニ~」と同様、ミステリ以外の要素もてんこ盛りで、大変充実した読書時間でした。

犯人は私は最後の最後までわからなかったので、ミステリとしても良作とは思いますが、犯人(とその結末)に対して怒りしか生まれてこなくて、大変やるせない。

 

40年後の自分が過去(1961年)を回想するという構成のため、「これから見舞われる悲劇に、そのころの僕は気付く由もなかった」とか「この次に訪れる死は、僕らにとってもっと耐えがたいものとなった」とか、情報をちょい出しし、次へ次へと促します。

なんと!!!「耐えがたい死」があると予告したあと、実に約200ページほども被害者の名前を明かさないままフランクのDaily Lifeを見せつけるなど。バラエティ番組ばりの引っ張り加減に、一気読み必至です。

 

「少年」「夏」「成長」で検索すると「夏の庭 The Friends」がテッパンだし、それに「死」を絡めても「夏の庭 The Friends」がヒットしそうだけど、個人的には「夏の庭 The Friends」と同じ熱量でこの本を定番にしたいです!今年の夏はこれを読んでほしい!

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

夏の庭―The Friends (新潮文庫)

 

 おわり

 

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