はらぺこあおむしのぼうけん

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ジョン・ハート「川は静かに流れ」

こんにちは。

 

「ラスト・チャイルド」の作者ジョン・ハート、こちらも高評価な「川は静かに流れ」です。玄関のポーチから川が見渡せる、という語りから始まるこの小説、舞台が良い。大きな川を擁する町って、それだけで絵になります。

 

川は静かに流れ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

Netflixで人気作品の「Vergin River」というドラマがあるんですが、こちらも川沿いの町が舞台で、ときおり挟まる情景がステキ!日本のちっこい河川、Arakawa River沿いなんかでは到底起きそうにないロマンスがてんこ盛りです。

Virgin Riverは、田舎町に逃げ込んできた女メリンダと、彼女に好意を抱いてしまうバー経営者ジャックのすったもんだがテーマなのですが、夫の一周忌も待たずにジャックにとりあえず抱かれてしまうメリンダと、元カノを妊娠させておきながら、元カノの目の前でメリンダといちゃついてしまうみっともないおじさんジャックの人間臭さが見物。

身勝手放題の二人ですが、いざ風向きが悪くなると、メリンダもジャックも「夫が死んだとき…」とか「イラクが…」と「過去のトラウマ!!!」を取り出して被害者面。人の目も気にせず我を通し、責められると被害者面をするという、田舎の頑固オヤジ化していく都会育ちのメリンダがツボ。

自分の欲望に素直でイイですね~。都合が悪くなるとトラウマという錦の御旗を振りかざす!!自分本位でファンタスティック!!!

と、私の中の村西監督が顔を出す。笑

話がそれましたが、「Virgin River」主人公がとっても美人なので是非見てみてください!!

 

 

さてさて、

主人公アダムは、生まれ育った町に6年ぶりに戻ってきました。6年前、殺人容器をかけられたアダム。無罪となったものの周囲の彼を見る目は変わることなく、父親には勘当されたも同然の身。「ここは自分が全てを失った場所」と言いながらも戻ってきたのにはかつての友人ジョーからの懇願があったからです。

6年ぶりに戻ってみた町は、原発推進派と反対派に分かれて真っ二つ。広大な土地を所有しながらもそれを売ろうとしないアダム父のせいで、原発計画は頓挫しそうになっており、一触即発の雰囲気。モーテルにいたのに外に連れ出され半殺しにされるなど(そして警官の元カノにその姿を見られるなど)散々な目に遭います。ジョーはガールフレンドを殴ったとかで雲隠れしており、話すこともできません。

そんな折、アダムが妹のように大切にしていた女性グレイスが何者かに暴行されるという事件が起きます。その後もアダムの周りで謎の事件が続き…ついには実家の敷地内で死体が見つかります。アダムが帰ってきたその日から立て続けにこんなことが起きるなんて…警察の彼を見る目も冷たい…

(やめとけばいいのに)アダムは独自で捜査に乗り出します。関係者に無遠慮に近づいていく彼は、自分の家族に巣くう闇や父親の大きな嘘に気づき、ついに、6年前の事件との関連まで突き止めて…

 

崩壊の序章である6年前の事件とはこういうもの。

アダムの義理の妹・弟(双子)のパーティの日で青年が殺害されます。アダム逮捕の決め手となったのは、継母(義理の妹と弟の母親)の証言でした。

・アダムと同じ年頃娘と息子を連れて再婚した継母。

・彼女が一人だけアダムに不利な証言をしている。

うーん・・・こういうの「やくまん」って言うんじゃなかったっけ?

と、事件そのもの、ついでに本当の黒幕についての謎は簡単に解けてしまう気がするんだけど、この物語の本当のテーマは「家族の再生」なので早まらないで読み続けることにします。

ジョン・ハート「崩壊した家族は豊かな文学の土壌だ」(趣味悪)というようなこと言っているけど、今回もそういう趣。ちなみに本作品も「ありふれた祈り」も「ラスト・チャイルド」もエドガー賞で…エドガー賞は家族の再生系多くない?なんて思ったりするんですが、それはアメリカで人気のテーマなのかしら?

 

アダムの母は小さいときに自殺をしました。死の理由もわからず、アダムは母の喪失に苦しんできました。そんなときにやってきた継母。6年前の事件の際、唯一彼に不利な証言をしたのが彼女なのですが、アダムの父は妻のほうを信じ、アダムを追放します。

母の死に父の不信…実質的に家族を失った彼は、二度と帰らないと心に決めて故郷を後にしたのでした。

6年ぶりに戻ってきたあとも、父と義理の家族との関係はぎこちなく、溝も埋まらない。さらに、新たな事件をきっかけに今まで隠してきた秘密も露見し、彼の一家を揺さぶります。

そんな「至る所にびびが入っている家族」が、先延ばしにしてきた選択を突きつけられ、一気に破滅に向かいます。破滅の先に残るものはあるのか…。

 

という、すでにバラバラになっていた家族を、もっとバラバラに解体して主人公とその周りの人物をさらに痛めつけるというストーリーなのですが、ただ「家族の問題は面倒ですね、機能不全家庭っていうのは大変ですね(あー自分は幸せな家に生まれて良かった!)」と決めつけるのは拙速で、事の本質はすごくシンプルです。

アダムが怒っている理由というのはただひとつ、「思いやり(信頼)を態度で示してくれなかった」からなのです。あのとき父が自分を優先していてくれれば、信じていることを態度で示してくれれば…とずっと父を恨んでいる。

父には父で言い分があるのはわかる。当時の父にとって後妻は最注意人物。不信感を露わにすることで「だって私は他人ですもんね」とスネられたら二度目の家族も崩壊してしまう。後妻を家族として認めていることを示すためには、それなりのものを差しださなければならなかった。しかし、それはアダムに対しても同じで。血のつながった家族だから後回し、言わなくてもわかってくれる、そんな怠慢こそが家族の崩壊を招いてしまったのです。

 

家族の物語というのは取り扱い注意で、家族だから言葉なしにわかりあえて当然、家族の過ちは何が何でも許すべき、「だって家族だもの、それができない人はゴミ」という無神経な罠がちりばめられていることが往々にしてあります。そういう、家族を受け入れられない人を笑顔で排除するストーリーは、家族のことで疲れ果てた人を傷つけることにもなりかねません。

個人的な妄想ですが、家族の再生を好んで取り上げ、安っぽい結末でふわっとまとめにかかる作家はおそらく、家族に恵まれてHAPPYな子ども時代を過ごし、家族の確執なんて言うのはおとぎ話の中でしか知らなくて、とりあえず取り上げてみたくてたまらないのでは…そして自分が与えた試練にたじろぐ登場人物をサディスティックな目線で眺め、散々やつれさせた挙げ句に「それでもいいじゃないの、家族だもの(みつを)」と当たり障りないところでまとめてエクスタシーに達しているのではないか、と真剣に思っている(あくまでも想像です)

 

前置きが長くなりましたが、態度でも誠意(金銭的な意味で)でも示さない家族にひどく傷つけられたことがあったとして、「本当はあなたのことを思っていた」や「ああは言っても信じていた」と弁解されたときの回答はただ一つ、

「知らね」

でいい。だって示してもらっていない愛情は受け取れないもの。傷ついているのであれば、許さなくてもいい。血のつながりがあるかどうかというだけで、家族も所詮は他人。思いは形で示さないと伝わりません。

 

最後、アダムはもう一度父にチャンスを与えます。父はそのチャンスをどうするかが山場。

本当に悪い奴には天誅!!!とか思ってしまう私としては、倍返しもなし、見せしめにすることもなかった点は個人的に今ひとつだけど、それも一つの回答。父の判断にアダムがどう応えるかまでは描かれていませんが、いろいろ想像してしまいます。

 

さて、このストーリー「家族の物語」として読むと後味が悪いのですが、「男の友情」という側面から見ると大変爽やか。アダム父と使用人の友情や、アダムと彼を6年ぶりに呼び寄せたジョーとの友情。命をかけて相手を救ったり、批判を覚悟で相手をかばったり。

相手が友人(他人)となると、彼らは必死で愛情や信頼はしっかり示すんです。丁寧に示してきた信頼と愛情で、一生ものの絆を得たアダム父子。

すごく逆説的なやり方ではありますが、友達に示したのと同じように、家族にも愛や信頼を態度で示さないといけない、ということが伝わってくる物語。

 

次は「キングの死」(ジョン・ハート)を読んでみたいと思います。

 

おわり。