はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

原文に触れて初めて、私はシャーロック・ホームズに恋をした「MONKEY 探偵の1ダース」

こんにちは。

柴田元幸氏責任編集「MONKEY」第20号「探偵の1ダース」です。

私にとって雑誌とマスキングテープは集めるものという認識がありまして、こちらもややインテリアになりつつあるのですが(インテリアとしてもめちゃくちゃ優秀です)、ハズレもないので、地味にオススメの雑誌。年3回発行。

私は、読み続けている雑誌がことごとく電子化するという憂き目を見ておりまして(COURIER JAPONとyom yomが電子化の餌食に)。利便性も上がるし、エコなのもわかるけど、やっぱり手に取ってワクワクしたい!だって雑誌はインテリアだから!!!

こちらは永遠に紙媒体で出し続けてほしい!そう願っている次第です。

MONKEY vol.20 探偵の一ダース

あるテーマについて書かれた短編小説の詰め合わせです。(※時々オシャレなイラストが挟まったりする。壁に貼っておきたい。)

今回すごく好きだった小説はコレ。

蕎麦屋ケンちゃん失踪事件

探偵業を営む夫婦のもとに、日ごろ利用している蕎麦屋の夫婦から、息子のケンちゃんを探してほしいという依頼が舞い込む。ケンちゃんは、おそらく障害のある男性で、悪いことに巻き込まれがち。出会い系で関係を持った女に「お前はこの子(ハナちゃん)」の父親だと迫られ、金を巻き上げられているということが分かったが…。

探偵の日常という感じの短編。「もとは裏社会出身の男(とその妻)」×「小さい探偵事務所」とか、「困ったときに警察よりも話しやすい親近感」×「仕事が超早く正確であるというその道のプロ」という、探偵の持つ絶妙なちぐはぐさが乙。

エピローグの、「依頼をしてくる人の多くは、調査が終わると私たちと距離を置くようになる。依頼人が、少なくないお金を払ってまで知ろうとすることの中には、たくさんの隠し事や恥や悲しみや愛が詰まっていて、一応の解決を見た後は、それら一切合切を知られた私たちに顔を合わせるのは気まずいものなのだ。一度は親兄弟よりも腹を割った存在となる私たちだが、全てが終わった後は、こちらも素知らぬ他人に戻ろうとする。」が印象的で切ない。

他にも

百の耳の都市「雪国」 星新一ショートショートを彷彿とさせる短編。漂流していた録音データに入っていた、目の見えない男「芳二」の声。芳二が仏様と出会い、仏にも老病死があることが報告されていた。(古川日出夫)

このあたりの人たち「シモーヌ」 複雑な来歴の人形と、それを半月の間所有した女の子の話。(川上弘美

「偽物」 有名な作家を騙り金を無心する精神疾患のある女と、それをうまくやりすごそうとする編集者(と新人)の駆け引き。女は意外にまっとうな小説論を語っていて、編集者は対応に困るが…。何事も穏便に収めようとするのは編集者の性か。(新井敏記)

「みんな仕事の一部」 「ロサンゼルス・シティ・ディレクトリ」という電話帳的なものを持ち、ディレクトリへの掲載を勧誘して回る男の物語。自分の受け持ちの地区で立て続けに3つの死人が出たことで関連が疑われた「俺」は…。アメリカの裏路地に迷い込んだ気分になる。オースターぽい。(柴田元幸訳)

がお気に入りでした。

さて、探偵小説に欠かせないのは「シャーロック・ホームズ」ですが。

コナン・ドイル「青いザクロ石の」が柴田氏による新訳とともに。また、「西村義樹×柴田元幸の対談 ホームズの言葉ー『もの』が読解可能な世界」と題して、シャーロック・ホームズの言葉が紹介されています。

私はもともと、シャーロック・ホームズが好きではありませんでした。言い方も勿体付けているし、「ハァ!?」っていうようなこと平気で言っちゃうし、何で生計立てているかも謎。ワトソンとの関係もはっきりしないからです。

しかし、これを読んでそれらの謎が氷解し、ホームズの素の魅力に気付きました。

まずは「口調」の謎。

訳するにあたり苦労するのは、「論理的な物言いの、余計なプライドもなく、事実をスパっと切っている感じを透明に伝えること」らしく、そうしないと、嫌な奴の自慢や理屈っぽくてばかばかしく聞こえてしまうらしい。…と、原文に触れてみて気付いたのは、「読みやすい!」ということ。一文が短く、飾りだったり複雑な構文が少ないため、淡々と言っている感が伝わってきます。中学生英語のように明快。

もとは、ネチネチ、くどくど喋っているイメージありましたが、淡々と事実を羅列して、その事実を並べられたことについてのみ喜んでいる(事件を解決したことでどうこうという欲がない)感のある理系男子のようなイメージに変化。10歳以上若返った印象。

次に、「仕事」の話。

ホームズはオックスフォード英語辞典(OED)によると、amature detectiveだそうです。他には、consulting detectiveとか。何で生計をたてているかについては、研究家の間でも問題になるそうですが、おそらくある程度の資産があって、趣味の領域で探偵活動をやっているようです。

…今までは、おっさんが何やってんだと思っていましたが、既に私の頭の中のホームズは20代のさわやか理系男子(チェックのシャツとジーンズ着ていそう)に書き換わっているので、まぁ、ブラブラしている点についてはなんかどうでもよくなってきたw

 

さいごに、「ワトソンとの関係」の謎。

邦訳では、「ワトソンくん」だったり(ときには「ワトスンくん」だったり)することがありますが、「Watson」よりも「Doctor」と呼ぶことのほうが多いらしいです。My dear fellow(ねぇ、君)とかも。

個人的には、海外文学の魅力の一つが呼び名のバラエティだと思っていて、一人の人をいろんな呼び方で呼びますよね。会話文にもある程度バラエティあるけど、特に地の文。ファーストネームで読んでみたり、肩書きで読んでみたり「いつもポケットにビスケットを忍ばせているあの子」というように、その場限りのアダナまでつけてみたりする。愛を感じるし、その時の主人公の「気分」みたいなのも伝わってくる。

ホームズ→ワトソンは、今までは上司が呼びつけてるみたいに思っていたけど、普段は「ねぇ」とか「なぁ」とか呼んでばかりで、どうしても名前を呼ばなきゃないときに、名字で呼び捨てする印象に変わりました。

ホームズとワトソンは、いろんなエピソードで「凡庸な私(ワトソン)と凡庸でない彼(ホームズ)」として対比されているそうです。その中でワトソンは、ホームズにとっての「砥石」で、ホームズがワトソンに自分の考えを語ることで、ホームズの推理も冴えてくるという。そういう関係。

最もキュンときたのは、ホームズがワトソンに送ったメッセージ”Come at once if convenient-if inconvenient come all the same.” これキュンとくる!ちょっとツンデレ要素ありますね。

柴田氏の語った「ヴィクトリア朝の末期は、価値観が急激に変わっていった時代。のんびりしていたと思われがちだけど実はいろんなものが次々に開発されて劇的に変化していった時代だった。その中にあって、ホームズとワトソンが、ベイカー・ストリートに安定した生き方を安定した言葉で語っている」というホームズとワトソン(それを語ったドイルの小説)の魅力も相まって、尚のこと彼らを好きになりました。

彼らの関係が、無職のおじさんの交わり→理系男子学生のサークル的な印象に変化するとは…翻訳ってすごい力を秘めている…。

と、日本語に訳出しきれていない部分が余すところなく紹介されました。今までの「なんかいやな感じ」は、「『ワトソンくん』とまるで部下を呼ぶような口調でワトソンを呼び、帽子が大きい人は頭が大きいから賢いとかとんでもないことを真顔で言っても何とかなってしまう、ほぼ無職の日本のオジサン」としてホームズを見ていたからなんです。

まぁ、ここまでくどくど書いてきたけど、ただ、「ホームズの英語を聞いただけで彼に惚れてしまっただけ」、という…六本木でイケメン外国人にクギヅケになっているのと何ら変わらないですけどね。

でも、それでもいい。私はホームズに恋をした!!

次のページで、付け合わせのように添えられたドイル父のエピソードも趣深い。

翻訳家の柴田さんが責任編集しているということで、「翻訳」の面白さだったり難しさが随所で語られます。いけ好かない男ホームズの生の声に触れ、自分が読んでいる海外文学は、原文とは大なり小なり違うものだという、日々忘れがちなことに気づかされました。(ああ…英語の母語話者として生まれたかった…)

だからと言って、原文こそ全てという原理主義者になるつもりはありません。吸収率とスピードが一気に下がるし。翻訳とは、文化だったり著者のバックグラウンドだったりをひっくるめて日本語に変える作業であり、そんな苦労をしながらも黒子に徹してくれる翻訳者に感謝。(お金と時間があったら、原文と訳書をダブルで買って好きな文章を突き合わせするとかやりたい←語学力UPにも効果あるらしいですよ)

 

前書きに柴田氏の「授業とも感想文と関係ないまとまった読書」が探偵小説だったという話が出てきて、自分のそういう読書体験っていつだったかなぁとぼんやり考えました。

実は次号の発売が迫っています(6/15予定)。ぜひ手に取ってみてください。

おわり。