はらぺこあおむしのぼうけん

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結局人は、他人と喋っているように見せて、他人のような何かと喋ってるだけなのだろう。 カズオ・イシグロ「遠い山なみの光」

こんにちは。

久々のカズオ・イシグロ作品、4作目です。心のどこかでどんでん返しを期待していたのですが、今回は淡々と。

原題は「A pale view of hills」で、もともと「女たちの遠い夏」というタイトルだったとのこと。改題され、直訳の「遠い山なみ~」になったそうですが、この小説の題材はズバリ、「女たちの遠い夏(の思い出)」です。

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

主人公は悦子という、英国在住の日本人。英国の田舎町に住んでいる悦子のもとに、ロンドン在住の下の娘ニキが数日間の里帰りをしたときの話。ニキが里帰りしている現在と、忘れられない長崎時代を何度も行き来するという構成です。

悦子は長崎生まれで、20代の頃に終戦を迎えます。その後数年のうちに一番目の夫二郎と結婚し、長女の景子を出産します。イギリスに渡るまでの詳細は最後まで不明ですが、二番目の夫はおそらく英国人で、二人の間に生まれたのがニキでした。

引っ込み思案だった景子は、ティーンエイジャーの頃から自室に引きこもりがちになり、やがて逃げるように一人暮らしを始めます。そして自殺。対してニキは明るくて自立心が強く、ロンドンに出て友人に囲まれ楽しく暮らしています。2020年現在でいうと、おそらく60代前半の女性。結婚しない、子どもを産むってどうなの?と、旧来の価値観にいちいち歯向かっていくタイプ。田舎町に引っ込んでいる母も、地元に残るという選択をした幼馴染たちも、孤独のまま死んでいった姉も…過去の自分にまつわる全てのものを憎んでいます。わかる!上京したての頃ってそんなもんだよね。

さて、そんなニキの久々の帰省。母娘といえども全く噛み合わない会話…ニキと向かい合うと緊張する…悦子は長崎時代の思い出に引き寄せられていきます。

 

原爆で家族を失った悦子は、緒方という男の世話で緒方家に居候することに。そこで息子の二郎と出会い、結婚。焼け跡に競うように建てられた団地に住んでいた新婚時代、焼け残ったあばら家で暮らす母娘の佐知子と万里子に出会います。佐知子はアメリ進駐軍のフランクに熱を上げ、一緒にアメリカに渡るという約束を何度も反故にされながらも、自分の人生はアメリカにあると夢を見続けている哀れな女。そのせいで育児放棄されている娘の万里子は、学校にも行かせてもらえず一人で空想にふけるようになります。

悦子は、ノーと言えず誰にでもいい顔をする女ですから、佐知子みたいなメンヘラ女の唯一のお友達みたいになってしまい、面倒ごとを抱え込みます。妊娠中なのに、家に夜遊び帰りの佐知子が飛び込んできて、「万里子がいなくなった!!一緒に探して!!!」と駆り出されるなんて日常茶飯事。バイトを紹介して!と言われ知人のうどん屋を紹介したら、「私アメリカに行くからさ、辞めるわって言っておいて」と丸投げされる。ただ、何十年も経って思い出されるのは、佐知子たちと遠出をしたある夏の日。そして、自分は佐知子の望んだ道を歩み、景子を犠牲にしてしまったのでは、という思いでした。

物語は、ニキに「お母さんの波乱万丈の人生を詩にしたいっていう友達がいるんだけど、長崎のイメージがわくような絵葉書みたいなのない?」と言われて古いカレンダーを見つけ、ニキと散歩をしながら語らうというようなシーンで終わります。

 

2~3時間くらいで割と読みやすい。川端康成作品のように、女性の主人公の、人生がままらなないい感じがうまく表現されていて面白いです。カズオ・イシグロ作品ですから3週間くらいかかると覚悟していましたが、スイスイ読める。

この話の面白みは、

1.ちぐはぐな会話

2.女の生きづらさ

3.忘れられない思い出

 

ひとつめ。最初のほうから感じていた違和感なのですが、会話がぎこちない。例えば、藤原という未亡人と悦子の会話。

藤原「悦子さん、あなたの人生はこれからなのよ。なにをそんなに苦にしているの?」

悦子「苦に?私は何も苦にしていませんけど」

藤原「子どもさえ生まれれば絶対に幸せになるわ」

なんか噛み合っていない…コレ、訳の問題なのかしら?なんて疑っていたのですが、解説の助けを得てやっと合点がいく。自分が言いたいことを相手にぶつけたくて、その糸口を見つけようとしているからちぐはぐなんです。

例えて言うなら、頭の中にアピールエピソードを詰め込んできた就活生。どんな変わり種の質問をされても、最終的には自分が用意したエピソードに収斂させるつもりですから、相手と会話のキャッチボールをするつもりなんてないんですね。

その特徴が顕著なのは佐和子です。会話の途中、何も言っていないのに、「私は恥じていないのよ」と進駐軍の男に未来を託している自分を正当化したり、逃げられた時には「娘のためを思っての行動よ。あなたも母親になればわかるわ」と。また、フランクのことを何も咎めない悦子に対し、「私を可哀想に思っているのね」と早合点し、なんでフランクのことを聞かないのよ!!とキレる佐和子。じゃあそれならばと「どんな見た目なの?」と苦し紛れに質問した悦子に、「なんであえてそんな質問するんだよ!!」とさらにキレる。

佐和子は、「そんなアメリカ人に入れあげて、本当は大丈夫なの?」と咎めてほしいんです。そしてそれに対して「あなたこそ、こんな国にいてどうするの?娘の教育のためにも、アメリカにいく必要があるのよ。馬鹿じゃないの?」とマウントをとりたい。

また、未亡人藤原も同じ。もとは良い暮らしをしていたのに原爆で何もかも失くし、うどん屋を営んでいます。同じように家族を亡くした悦子から「悲しいわ。あなたみたいに前向きに生きたいわ」とかいう言葉を引き出したいがために、「疲れてるわね?」「辛いわよね」と決めてかかるんですね。そして「子どもがいれば~」と自分なりの結論を押し付けるんです。

他にも、どんな会話をしても年長者への恩や自分たちの苦労話に持っていく、価値観で凝り固まった義父の緒方も強敵で、誰とどこで話をしていても会話がちぐはぐ。読んでいるほうも疲れるんです。

ただ、考えてみると、渡る世間のえなり君のように「そうだよ母さん~」と、相手の質問の糸を的確に把握し、反対意見と根拠を過不足なく詰め込んで長広舌を振るうことのできる人間なんてそういないわけで、結局人は他人と喋っているように見せて、「自分が好き勝手に理解した他人のような何か」と喋っているだけなのかもしれません。

 

ふたつめ。

「日本で女はダメ。日本にいたんじゃ、女に幸せなんてないじゃない?」という佐和子セリフや、「つまらない夫と子どもに縛られてつまらない一生を送るなんてばかばかしい」というニキのセリフ。悦子は、ニキを見るたびに「普通の女の幸せ」という枠からはみ出たいと願った佐和子を思い出し、そういうトガった生き方に内心反発しています。しかし、二郎を捨て英国に渡った自分も、彼女らと同じ穴のムジナであると心のどこかで胸を痛めています。

作品中では、義理の親と同居しないと言ったらみんなに驚かれたり、夫に言いたいことを言えなかったり、義父のわがままに付き合ったり、そういう女性の人生が描かれ、しんどそう…

私はサザエさんの波平がどーーーにも好きになれないんです。「子育てに参加することなく、子どもを怒鳴りつけることだけ一丁前な年寄り」なとことか、仕事ぶりも、今話題の妖精おじさん感漂っているし、ちょっと受け付けない…笑 悦子らが生きた日本の世界も、家父長制社会で、サザエさんとそう変わらないんだと思います。先日も、「女は妊娠・出産してやめるから迷惑だ」という理由で、医学部の入試の点数が公然と操作されているというニュースがありましたが、これって翻って、男性医師にとってもマイナスだと思うんですよね。男だったら過重労働してもいいの?っていう。家父長制から今なお続く生きづらさが過去のものになることを祈るばかりです…

 

みっつめ。

辛い時に思い出す人っていますか?泣くほど辛いわけでもないけど、しっくりこない人生を抱えて歩いているようなときに思い出す人です。当時は張り合っていたり、相手が自分より幸せになるなんて許さん!とか思ったりしたんだろうけど、今なら純粋な気持ちで幸せを祈れたりする、そんな相手。

私は教育実習のときに出会った友達のことを時々思い出します。次の春に一緒に上京してきて、東京の町を散策したりしました。当時は寂しくてしょうがなかったから、彼女先に東京に慣れてしまったらどうしようとか邪な気持ちもあったと白状しますが、数年後、彼女がお母さんの介護で地元に帰り、それっきりに。眠れない日に、ふと、彼女のことを思い出すことがあります。私とて「幸あれ!!」と物申せるほどの人間ではありませんが、彼女の毎日が、恵比寿だの六本木だのに出かけて「すげぇ!!!」と言っていた頃のようにワクワクした日々だといいなぁと思ったり。

悦子にとって佐和子はそんな相手です。佐和子と共に出かけたある夏の日の思い出。遠き山なみはその日に見たものです。なんか好きになりきれない相手だけど、日頃のモヤモヤを全て忘れ去って、昔からの親友のようにふるまえたあの日。人生には時々、こうやって、他人と一瞬だけ深くつながり合う瞬間があるから面白い。

 

というお話。いやー!面白かった!!内面描写を綿密にするでもなく、事件を起こすわけでもなく(むしろ悦子の自叙伝を書いたら相当な面白さになると思うんだけど、あえてしない)。それなのに、どうしてここまで魅力的な人間を作り出してしまうんだろう。多くの作品は、生まれ育ち、自分に大きな影響を与えた事件や人間を中心に書かれていて、読み終わる頃には主人公の人生を何でも知っている感じですが、この小説は、悦子と佐和子のある夏の日だけに焦点を当て、無駄な情報を削ぎ落しているのがすごい。悦子と二郎の離婚のゴタゴタとかめっちゃ知りたいのに。笑

解説は池澤夏樹氏。豪華ですね!池澤氏によると、作家には、作中で自分を消す者とそれができない者がいると書いてありました。三島由紀夫は、自分が割り込んでコメントを加えてしまう(笑)。司馬遼太郎はコメントどころか、登場人物の会話を遮って延々と大演説を振るう(爆笑)。そしてカズオ・イシグロは、見事に自分を消し、カメラワークを指示する監督に徹するそうです。ほうほうほう、わかる~!

 

同じく解説によると、「遠き山なみの光」「日の名残り」「浮世の画家」の3作は、リアリズムに転向したかのようなテイスト…とありました。ということは、読みやすいということ?ということで、次は「浮世の画家」を読んでみたいと思います!

 

おわり。

 

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