はらぺこあおむしのぼうけん

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嘘の後ろ側に見える悲哀と救い 新潮クレスト「女が嘘をつくとき」後半戦

こんにちは。

新潮クレスト「女が嘘をつくとき」。引き続き後半戦です。

 

女が嘘をつくとき (新潮クレスト・ブックス)

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前回は、器用な女の嘘を見てきました。まるで呼吸をするようにホラ語りをする女。嘘がばれても、「ああ、ばれちゃったの」で済ませられるような図太さをもっています。
しかし今回は、虚構の世界に救いを求めている女の嘘。現実と向き合えなかった女の物語。

 

第4ラウンド 詩人になりたがった老女 アンナ

この話の主人公が女学生マーシャ。文学少女マーシャは、ひょんなことから知り合った元教師の独居老人アンナに魅せられ、彼女の身の回りの世話をするように。マーシャに心を許したアンナは、若いころい創作した詩を聞かせるようになります。彼女の詩に衝撃を受けたマーシャは、ますますアンナを崇拝するように。

ほどなくしてアンナは亡くなります。素晴らしい才能をもちながら、ついに詩人として日の目を見ることがなかったアンナをずっと気の毒に思っていたマーシャは、追悼会で、こっそり書き留めていたアンナの「未発表の」詩を朗読します。ニヤニヤ笑う人、あからさまに不機嫌になる人、何事かささやいている人たち…どうしようもなく気まずい空気が流れたその時、ジェーニャが「乾杯しましょう」と声を掛けます。ジェーニャもこの会の列席者でした。閉会後、アンナのアパートで二人きりで食器を洗いながら、ジェーニャは種明かしをします。アンナ未発表の詩はすべて、文学を専攻している人ならだれでも知る、有名な詩人のものでした。

 

ジェーニャは彼女の動機を図りかねます。アンナは、自分を偽るような人間でも、若い女の子をからかって遊ぶような人間でもありませんでした。その証拠に、列席者は、未熟な文学少女がアンナを崇拝するあまり、アンナとの会話を曲解してあんな事件を起こしたと信じ込んでいるんですね。

とはいえ、私生活でも幸せに恵まれなかった哀れな老女が、死を意識して初めて、自分のことを何も知らない学生を前に、なりたかった自分を演じたのだろうというと推測されます。アンナは、自分にも人にも厳しく、妥協を許さない厳しい教師でした。そんな折り目正しい教師アンナの恥部を見てしまったようで、どうしようもなく哀しい気持ちになるジェーン。

 

第5ラウンド どうしても分かり合えない世界 ロシアの娼婦たち

あるとき、ロシア出身でスイスで働いている娼婦を取り上げたドキュメンタリー映画の脚本を任されたジェーニャ。監督のミシェルと、コーディネイターのレオと共にスイスへ取材旅行に出かけます。

娼婦たちは、皆そろいもそろって同じ嘘をつくんです。「素晴らしい母、暴力を振るう養父。養父からの暴力をきっかけに家を飛び出しスイスに職を求め、こんな仕事をしてはいるが、自分は他の娼婦と同じ価格では寝ない。銀行を経営しているスイス人の婚約者がいて、結婚と同時にこの仕事から足を洗う予定でいる」と。そして全員「リューダ」という女の名を挙げる。ジェーニャは、彼女たちは「リューダ」を神格化しており、彼女のサクセスストーリーを自分に当てはめて語っているのではないかとあたりを付け、ついにリューダとの面会を果たす。モデルのように美しいリューダは、何か国語も話せ、明らかに他の娼婦たちとは違うオーラを持っている。リューダが話すことだけは嘘でなく「本当」だと安心したのもつかの間、アルコールが入った途端人が変わったように卑猥な言葉を口にしはじめたリューダは、他の娼婦たちと何ら変わりない生活を送っていたのでした。

 

この話はメインはジェーニャの疎外感です。当時、夫婦仲、子どもとの関係は最悪。反対を押し切って取材旅行に来た彼女は、「自分の人生どうにでもなれ」と思っています。どういう経緯で出会ったのかしらないけど、ミシェルもレオもなんかおかしい人。情緒不安定で、ミシェルなんて妻不在の家に自分を招き、妻の服を着せようとする。普通の人なら、ちょっとこの仕事はやめておこうと思うレベルなのですが、ミシェルはこういう胡散臭い世界にのめりこみたいと思っている時期。ストリップに出かけたりアル中の女たちに囲まれくだらない嘘を聞き、そんなおあつらえ向きの胡散臭い人たちに、ジェーニャはちょっと親近感を覚えるんです。

どうしようもない世界に居心地の良さを感じ、旅行先ということも相まって一時的にハイになります。ミシェルと契約を交わしモスクワで脚本を書き始めるジェーニャは、次第に「なんか違う」と感じ始める。結局自分は、モスクワからも、誰にでも門戸が開かれていると思っていたスイスの地下世界からもつまはじきにされたと気付いてしまった。そんなとき、ミシェルがヘロインの過剰摂取で死に、彼女の一時の夢は終わりを告げる。

 

精神病院でわちゃわちゃする「クワイエットルームにようこそ」とか、普通の女が転落していく「嫌われ松子の一生」、ちゃぶ台をひっくり返す男を愛する女の悲哀「自虐の詩」などなど、どうしようもない人間と、そこに見える一筋の光明を題材にした映画はたくさんあります。こういう映画は、もし自分が「普通の世界」から転落したら、最底辺の世界で生きていけばいいや。最底辺の世界ならこんな自分にも座る席はあるだろうし、愛してくれる人はいるだろう、そこに幸せも転がっているだろうから、まだ普通の世界で頑張ろうってギリギリ踏ん張っている人間の需要に支えられていると思うのですが(偏見ですか?)、そんな最底辺の世界にもセレクションがあるとしたらどうでしょう?

自分は、何でもありの嘘世界、最底辺の世界でも認められなかった(=クソみたいな娼婦ですら、誰も本当のことを話してくれなかった)、そんな疎外感を感じたジェーニャでした。

 

最終ラウンド 「あなたは神を信じますか」 リーリャ

アホ中学生のリャーリャじゃないよ、リーリャだよ。リーリャは幼いころからの知り合いで、薬剤師。あるときなかなか手に入らない薬の調達を頼んだことにより、交流が復活します。交流と言っても、リーリャがジェーニャに金をせびりにきてホラ話をして入信をすすめてくるだけですから、ジェーニャは適当にあしらっています。リーリャは五度も結婚に失敗し、宗教もあれこれ渡り歩いているなど。ジェーニャは金にも困っていないし、夫との関係も落ち着いて、息子も自立したので、仕事に集中し穏やかな毎日を送っている。しかし突然、ジェーニャの人生は急転します。事故に巻き込まれ、寝たきりになってしまいました。

ここでやっと、ジェーニャがどういう人か明かされます。不器用な頑固者という印象を持っていたのですが、夫曰く「幸運な星に生まれた人間」だそうです。豊かな人脈を持ち、才能もある、全てを持っている幸せな人間。しかし、寝たきりになったことで全ての人間関係を断ち、殻にこもります。

「ひどいじゃないのよ!!!なんで連絡くれないの?」その殻を強引に破ってきたのがリーリャでした。よりによって、ろくでもないやつが寄ってきたと拒絶するジェーニャでしたが、ぽつぽつとリーリャと言葉を交わすようになります。因果応報、懺悔の日…いろんな宗派が混じりあった荒唐無稽な話を聞きながら、少しずつ癒されていったジェーンは、また新たな気持ちで生きようと決心したのでした。

 

ジェーニャは決して宗教に傾倒したわけではありません。ただ、いろんな宗教を渡り歩いて得たおもしろい話(虚構の世界)に心から居心地の良さを覚えた、ということ。ジェーニャは何度も嘘に振り回されてきました。自分を偽る必要もない強くて幸運なジェーンは、嘘に頼りながら自己を保っている人をどこか醒めた目で見てきた。しかし、不自由な体を抱えて死を思ったとき、やっと虚構の世界が自分を迎え入れてくれたんです。

リーリャは思いもかけないことを言います「ずっとあなたに嫉妬していた。あなたの人生がうらやましいと思っていた」と。リーリャも複雑な気持ちを抱えていたんですね。前半戦で、自己を偽りたい女は、不幸のにおいをかぎ分けると書きましたが、実はリーリャだけは幸せそうに見える相手に向かってホラ話を聞かせていたのでした。

 

原題は、「貫く線」と訳されるそうです。こうやって見てみると、ジェーニャを「嘘(虚構)」という一本の軸から見た物語に思えてきます。ジェーニャが淡々と嘘を暴き続けていく話かと思えば、最後は虚構に助けられる、そういう筋。嘘をつく女たち。嘘に共感はできないけど、心の動きは理解できる。そしていつの間にか愛してしまう、そんなお話でした。

 

おわり。

 

 

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