ひとりぼっちだから本を読む、ひとりぼっちじゃないことを確かめるために本を読む ハヤカワepi文庫 「書店主フィクリーのものがたり」
こんにちは。
こちらは2016年の本屋大賞(翻訳小説部門)で大賞をとった「書店主フィクリーのものがたり」です。
本屋大賞に翻訳小説部門があったの知らなかったw
さて、タイトルの言葉、じんときますよね。ここのくだり、わたしもすっごく語りたいのですが、、解説のテーマがばっちりここの話なので、解説に譲ることにします(何様)。それは実物を読んで見てからのお楽しみ。
書店主フィクリーの物語、もちろん本好きがたくさん出てきます。フィクリーの人生を通じて、本とは何か、生きるとは何かについて考えさせられる。読書好きにはたまらん!!これが本屋大賞でなくて何が本屋大賞を取る!!!
フィクリーは、アリス島という小さな島で書店主をしています。妻のニコルが亡くなり、酒浸りの毎日。あるとき、置き手紙とともにエマという女の子が店に置き去りにされ、彼女を育てることになります。エマの父親になったことではじまるフィクリーの新しい人生。とまぁストーリーは結構ありがち。でも読んでみると、思っていたのと違う。そんな軽いのじゃない!
テーマはたっくさんあるんだけど、これ。
「ぼくたちは、ぼくたちが愛しているもの」
「ぼくたちは、ぼくが愛するものそのもの」
どういうこと?
フィクリーはどんな人か。フィクリーを理解するための一番いいエピソードはこれでしょう。大学で出会った未来の奥さんニコル。彼女と付き合い始めてから、所属していたアカペラグループをクビになるんです。ニコルに夢中になってアカペラグループに顔をださなくなるんですね。ニコルに「わたしの生まれた町で本屋をやろう」と誘われ、本屋になるフィクリー。ニコルと出会ってから、フィクリーの世界はニコル一色。ニコルを愛しているフィクリー。つまり、フィクリーの人生はニコルそのもの。
ニコルの死後は、息が詰まりそうな町で、たまにくる奥さん連中と夏場の観光客のために店を開いている男。ガンコでいけ好かない男。何も愛していないフィクリーは、虚です。
それが、エマと出会ったことで、エマを愛し、出版社の販売員エミリーを愛し、元の義理の姉イズメイを愛し、巡査のランビアーズを愛したフィクリー。エマを育てるためには、自分の殻にこもって酒飲んで死ぬのを待っているのではダメですから、心を開いていくんですね。
自分が勝ち得たもの、手にしたもので自分ができているわけではない。自分とは、自分が愛しているものそのもの。自らの人生を振り返った時にフィクリーが導き出した結論はこれでした。
自分の顔って、自分では見えないですよね? それと同じように、自分のことは自分では見えない。人間は実は他者の中でしか生きられないんです。本に関する考察を深めた作品は、自分との対話というテーマ、自分の内なる世界を深めることに着地するものが多いと感じますが、逆なんです。本ばかり読んで、本とばかり対話して来た男フィクリーが死を意識した時、一番愛するエマに伝えたかった教訓が、「つながる。ひたすらつながり続けること」なんです。
「多くの本の中身を見なければいけない。ときには失望することも受け入れなければならない。だからこそ、ときたま魂の高揚をえられるのだ」
と。これは本になぞらえていますが人間関係のことですね。他人とつながらなければ、人は死んでいると同じ。つながる努力を怠ってはいけない。
書店主が主人公の話ですから、「本があればいいや」かと思いきや、逆なんです。新鮮。驚き。クライマックスに向かってジェットコースターを降りていく感覚。
これは私のバイブルたりえる本かもしれない。なんてねw 作品中は、「本屋のない町は町じゃない!」「本屋はまっとうな人間をひきつける」にはじまり、「本屋は教会!」「聖地!」のような本の虫をくすぐる言葉がどんどん出てきて幸せ…!!
皆さん、読書沼、どっぷりはまりませんか?
おわり。