マジかよ!こんなオチありかよ!!! チェスタトン「木曜日だった男」
こんにちは。
チェスタトン「木曜日だった男」です。タイトルに惹かれて手に取り、「この世の終わりが来たようなある奇妙な夕焼けの晩…それは、幾重にも張り巡らされた陰謀、壮大な冒険活劇の始まり…日曜日から土曜日まで、七曜を名乗る男たちが巣くう秘密結社とは」という煽り文句にやられ、即ご購入。
頭の中には、ハラハラドキドキの冒険譚「新アラビア夜話」や、あなたは月曜日、私は金曜日と各曜日を担当する神がワイワイやる「有頂天家族」のイメージ。絶対面白そう!と一気読みを期待しますが、そうは問屋が卸さない。
序盤は難しい詩から哲学的な問答が続き、あ、これはキツいかも…ってなります。一旦解説を読んでみると、読者の興味を削ぐから内容は書きません~なんて書かれ、のらりくらりとかわされ続け、ぜんっぜん理解の助けにならない。それどころか、「解説から先に読んでしまう皆さん!どうぞ物語をお読みください!」なんて言葉で締められるもんですから、負けてたまるか!と読んでみて、ああそういうことかと納得。とにかくこの小説、ネタバレ厳禁。おそらくオチを知ってしまうと、読む気がなくなると思います。
舞台はイギリス。奇妙なくらい真っ赤な夕焼け空の下、グレゴリーという男とサイムという男が出会います。互いに「今から知ったことを警察には言わない」という約束を交わしたのち、「楽しい夜」を過ごすためにグレゴリーはサイムを怪しいお店の地下に連れて行きます。サイムが葉巻をくゆらせていると、天井がぐるぐる回って床が落ち、気付いた時には「無政府主義中央評議会」なる会合に参加していました。
無政府主義中央評議会は、月曜日~日曜日の7名から構成される秘密結社。ちょうど木曜日の席に、不慮の事故(っていうのすごく怪しいよねぇ)で空きがでたため、グレゴリーが木曜日に推薦される予定でした。しかし、実はサイムは警察官なんです。しかも、無政府主義者を特別に取り締まる哲人警察官と呼ばれる特別職。この機に乗じていっちょ潜入捜査をしてやろうと、木曜日の座をぶんどったサイム。
物語は、警察官と無政府主義者の攻防がメイン。一人ぼっちだと思っていたサイムでしたが、評議会の中には同志が。彼らと共に、評議会の本質や評議会のトップである日曜日の正体に迫ろうとします。
今回は2段階にネタバレしていこうと思います。
まずはオチに触れない程度で。
サイム(木曜日)以外のメンバーは、
・眼鏡の下に煌めく目を持つブル博士(土曜日)
・「…アルヨ」レベルの片言を話すポーランド人ゴーゴリ(火曜日)
・ぷるぷる震える老教授ド・ウォルムス(金曜日)
・日曜日の腹心?最も日曜日に近い書記(月曜日)
・近々予定されている爆弾テロの実行犯。ボマーの侯爵(水曜日)です。
サイムが初めて会合に参加した日、「この中に裏切り者がいる!」と言った日曜日。サイムははっとして拳銃を握りますが、裏切り者は火曜日でした。火曜日のポケットの中からは青いカードが出てきます。冷や汗をぬぐいながら、「アレ、俺が持っているのと同じじゃん…」とサイム。青いカードは、哲人警察官の証なんですね。
帰り道、プルプル老教授が後を付けてきて、二人とも青いカードを持っていることを確認します。その後、ブル博士、侯爵も同じカードを持っていた。最後は書記が「この印籠が(意訳です)…」と例のカードを取り出そうとした瞬間、老教授「ああ、もういらんいらん!!そのカードはトランプできるくらい持ってるわ!!!」とめんどくさそうに手を振ります。なんだよ、日曜日以外全員スパイじゃねぇか!!
疑心暗鬼の評議会活動から一転、同期研修の雰囲気になった5人(ゴーゴリは出てきません)、内定者研修で未来の同期が集まると、いっとう先に「採用面接」の話になりますよね。彼らも例にもれず、面接で出会った「謎の男」の話に。彼ら哲人警察官は、公務員試験を受けるような正規ルートではなく(当時公務員試験があったかどうかは知らんけど)、町でいきなりスカウトされ、真っ暗な部屋で謎の男と面接した結果になることができる職業です。「謎の男ってどんな人だった?」、「暗い部屋だからわかんねぇよ」なんて話をしているうちに、日曜日との対決が迫ります。そして、日曜日と謎の男が同一人物という事実が発覚。ラストは、日曜日と対面し、「あなたは誰ですか?」と問うサイム。
冒険活劇のエッセンスは30%くらい、あとは「無政府主義」とか自分の政治的思想の問答が50%。残りはオチを読んでからの再読用お楽しみ小道具20%の構成比の物語。実のところ、政治とか主義主張のところが退屈なんです、ただ、日曜日の正体が気になるから、それだけのために読み続けるんですね。
そして第二段階のネタバレ。
本当にいいですか?
これ、夢オチなんです。
日曜日と哲学的な問答をしたサイム。「あなたは苦しんだことがあるんですか?」という問いかけに、「汝らは我が飲む杯より飲み得るや?」という聖句を返した日曜日。その後…
あ、寝てたわ。で終了。これは、許せんッ!!!!!!
さっきも書いたように、話も難しくて、よくわかんねぇってなりながら読み進める。それはひとえに、哲人警察官を任命した謎の男と、無政府主義中央評議会のドンが同一人物たという話の結末が見たいからなんですよね。それが消化不良のまま夢オチとは…許せんッ!!!!不思議の国のアリス的に、夢の中でのストーリーがある程度面白ければまだ良いけど、ここまで尻切れトンボなのはちょっと…。
一通り憤慨した後、夢オチ小説という観点で読み返してみます。
まずは、不思議な雰囲気ただよう描写。印象的な真っ赤な夕焼けの夜だったり、グレゴリーの妹と2、3分会話しただけなのに、そのうちにガーデンパーティーがお開きになって自分たちだけになっていたというような不可思議な流れ。あと、「(飲んでいないのに)シャンパンを飲んでいるような気分」というサイムの言葉…どこから夢だったのかな~?なんて。
次に、人間を越えたデカさの人が数人出てくるところ。最初は、恐怖でそういうふうに思い込んでいるのかな?なんて思いましたが、夢オチと聞いて納得。
最後に、日曜日の真の姿の話。採用面接の謎の男もそうだけど、日曜日の顔をみんなで思い出そうとすると、皆全然言うことが違う。顔を思い返そうとすると、どんどん姿は曖昧になっていき、キーンと頭が痛くなってくる。朝起きてすぐに、昨晩の夢を思い出すとこういう気分になりますよね。
とまぁ、こんな具合。
他に気に入ったポイントは、会話。日曜日が悪玉っぽくてかっこいい。例えば序盤にスパイとして放られたゴーゴリに「君が拷問されて殺されれば、僕は2分半は不愉快になる。君が誰かにココの話をすれば、僕は2分半の不愉快を忍ばねばなくなる。君の不愉快は知らん。お気をつけてお帰りください」という日曜日。好き。個人的に好みのセリフ。
チェスタトンは初めて読んだんですが、解説を読むと「ブラウン神父シリーズ」という有名な作品があるそうですね。日曜日みたいなゴッドファザー的悪玉が出てくることを祈りながら、いつかチャレンジしてみたいと思います。
おわり。
漱石の倫敦時代を勝手に補完してくれるありがたい小説 島田荘司「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」
こんにちは。
好きな作家TOP5には入るであろう夏目漱石。
故人ですから、もちろん新作が発表される見込みはない。漱石の作品を読破してしまうのが惜しくて細々と読み進めていましたが、5年ほど前に虎の子の「明暗」(未完)を読んで以来、漱石の新作に触れることはありませんでした。
しかし、漱石の未発表手記の体裁をとって書かれていた本作品。お、まだ未読の作品残ってたじゃん、って気分。最高です。ほんと最高。もっちろん創作なのですが、彼のロンドン時代が目に浮かぶようで、最後はなぜか涙ぐんでしまいました。
夏目漱石とシャーロックホームズが出会っていたとしたらどうだろう?という想像のもとに書かれた本作品。漱石がベイカー街を訪れたという記録は残っていますから、同時代を生きたベイカー街の有名人であるホームズのことを知らないわけなかろう、というわけです。ワクワク。漱石が実在していたという事実に引っ張られ、勝手にホームズまで実在していたような気分になります。
時は19世紀末のロンドン。夏目漱石はイギリス留学中、シェイクスピア研究の権威であるグレイグ教授の個人授業を受けるため、毎週ベイカー街に通っています。漱石は下宿で、ある出来事に悩まされていました。夜、どこからともなく「出ていけ」「出ていけ」という声が聞こえるんです。気味悪くなって下宿を変えてみても、同じ声が聞こえてくる。しかしこの亡霊、よくわからん歌を歌っているんですが、時々歌詞を間違えたり、うろ覚えでふんふん~ってなったりして、なんとまぁ人間臭いんですね。その話をグレイグ教授にしたところ、ホームズに相談してみたらどうか、と紹介されます。
この小説は、漱石の未発表手記と、ワトソンの未発表原稿を交互に引用するという形で進み、奇数章は漱石手記、偶数章はワトソン原稿となっています。漱石の手記に記載してあったホームズの女装癖やコカイン中毒の話がばっさりカットされているあたり、ワトソン原稿は世に出すことを想定していろいろ整えているな、という感触。漱石の手記のほうが真実に近いと思います。ただ、最後の活躍の場面は盛られていると思いますが。
さて、ホームズと面会を果たし、亡霊の件を相談した漱石。「すぐにいなくなりますよ」とだけ言われて返されますが、その通りその夜から亡霊はいなくなりました。数日後、ベイカー街へお礼に参ると、ある女性が来ていました。彼女の身の回りで起きた事件が、タイトルにある「ミイラ殺人事件」。概要はこうです。
彼女は裕福な未亡人。数か月前、幼い頃生き別れになった弟が見つかりました。早速郊外の屋敷で一緒に暮らすことにしましたが、弟はずっと東洋のある国で暮らしていたようで、その国の怪しげな民芸品を大量に持ち込みます。その中に長行李に入った大きな仏像がありました。俺は東洋で呪いかけられた!と神経質になっている弟は、変な香をもくもく焚き、暖炉に火も入れず、謎のお祈りを長行李に捧げています。そんなある時、締め切った弟の部屋で火事が起き、焼け跡に1体の死体が。遺体を検分すると、既にミイラ化していました。弟が東洋の呪いで死に、しかも一晩でミイラになったとパニックなる女性。しかもミイラの喉には「つね61」と読めなくもないメモが詰まっている。「同じ東洋なんだからさ」という簡単な動機で、漱石の手も借りながら捜査が進みます。
「ミイラ殺人事件」そのものは、ミステリーオタクでなくとも、過去に有名どころのミステリを読んだ経験のある人なら、素材がそろった時点でトリックはわかると思います。面白さは、犯人の見つけ方。新聞広告を利用するのですが、それがなかなかパンチきいている
この小説の根底にある面白さは、当時のイギリス人の東洋のイメージ。ちなみに弟が「東洋」と呼ばっていたのは、おそらくインドとかチベットかそういう場所です。日本と全然違うんですが、あちらの人にとっては全部一緒なんですね。というか日本なんて知らない。「東洋には、一晩でミイラになる方法があるんでしょうかね~?」とか平気で聞くし、漱石が部屋の中に武田信玄が着ていたような日本の甲冑を見つけ、この民芸品、全然統一感ねぇなって思ったり、そういうちぐはぐさがいちいち笑えるし、重要なポイントです。
さてさて、私が知っている漱石のロンドン生活は、困窮、劣等感、孤独…など暗いイメージ。実際そうだったと思います。イギリス女性よりも背が低い劣等感、顔が黄色いとバカにされる(気がする)、ギリギリの留学費用のせいで、いろいろ勉強しようにもお金がとにかく足りない!!!こんなエピソードが印象的です。手紙をもっと書いてほしいと妻に頼むも、なかなか来ない。来たと思ったら「あれこれ忙しくて」なんて言い訳。怒った漱石は「あれこれ」って何だ?手紙を書けないなら書けないとはっきり言ってよこせよ!!と妻に返信。誰も知っている人がいない町で一人。毎日曇っていて、冬はめちゃくちゃ寒くて、でも下宿はボロボロ…誰だって精神崩壊を起こしそうです。
そんな辛いロンドン生活を、奇妙だけど気の置けないホームズとワトソンが彩ってくれたと想像するだけで心温まるものがあります。別れは苦手だと、皆に内緒で日本へ向かう船に乗り込もうとした漱石のもとへ、「私に隠し事はできませんよ」と笑いながら見送りに来るホームズ達。二度と会えないとわかっている、その別れのシーンが愉快で、でも切なくて…涙
私はホームズはあんまり読んでいないのですが、「スイスで遭難」というエピソードや、赤毛同盟の新聞広告を漱石が目にしていたりと、ホームズファンが喜びそうな小ネタも満載。
漱石、ホームズの2作品を読んだような満足感でした!30年以上前の作品ですが、たくさんの人に読んでほしい!
おわり。
逆転裁判っていう有名なゲームのシリーズに、「大逆転裁判」っていうのがあって、それにも、ホームズと漱石の邂逅という設定があります。漱石もホームズもぶっ飛んでいますが、これも本当に良作!特にBGMがいいんです。こちらもあわせてオススメ!
やっぱり作者は主人公を助けてしまうのか。救いの光ほとばしるラストがちょーーーっと微妙な「ロボット・イン・ザ・ガーデン」~B面~(ネタバレ)
こんにちは。
前回、ベンの成長、ベンとエイミーの関係の修復という面からレビューした「ロボット・イン・ザ・ガーデン」A面。今日はB面です。(もはやA面/B面は死語でしょうか。私とてMD世代w でも、A面とB面以上にぴったりくる言葉が見つからない)
大人向けファンタジーとして良作であるし、もちろん、記事に書いたことは嘘ではありませんが、とはいえ、ラストは個人的にすごく微妙でした。ベンに救いを与えすぎなんですよね。
以下は配慮のかけらもないネタバレ・卑屈なレビューなので、本を読む前の方。そして、「感動した!最高!!!」と思っている方は回れ右。
まず、タングの修理の話。ベンとタングが世界半周した理由。それは、どーんなロボットオタクも、開発者以外にタングの修理は不可能と判断したからです。特に中心部分にあるガラスのシリンダーとその液体が何かよくわからない。それでわざわざタヒチまでやってきた。タングの開発者ボリンジャー。かつてはロボット研究の権威でありながら極秘の研究で大事故を起こし、タヒチで隠遁している老人です。と聞けば、すり切れたジーンズとボロボロの麦わら帽子かぶって、ポンコツロボットに身の回りの世話をさせながら、「もうカラクリなんてどうでもよくなったわ!わしは自給自足するんだ。イモ食って屁して寝る!」と言っていそうな年寄りを真っ先にイメージしますが、そんなことはない。俺はもう一発花火上げてやるとぎらついたジジイです。
無人島にそぐわない、先進技術を満載した家を建て、その中で研究に没頭しています。彼は、自ら学んでいく、いまだかつてないAIチップの開発に成功し、そのプロトタイプを搭載したのがタングだったんです。AIチップに学習させるためだけに急いで作ったから、タングはゴミを集めたような姿だったんですね。そしてAIチップだけ取り出して捨てるつもりだったと。ロボットへの愛なんて何もない。
「この秘密を知ってしまったからには生きては帰さん」と、悪人に使いまわされたセリフを吐き、ベンたちを閉じ込めた老人。しかし、命からがら逃げだします。ただ、タングの設計者のもとを逃げてきたは良いけれど、もともと懸念されていた修理や維持管理の問題はどうなる?タングは死んじゃうの?とハラハラしていたら、「自分で直せるよ!」と言い出したタング。おそらく旅の中で自分の構造を思い出したようなのですが、怪しげな液体はサラダ油だよ!壊れたら新しいシリンダーと取り換えっこすれば大丈夫だから!!だから、これからもボリンジャーの手を借りなくても一生一緒にいられるね!という流れになるんですね。どこにでもあるサラダ油で、シリンダーも特注品じゃなくて簡単に交換可能だと…?
もちろん嬉しいけど、随分あっけない。「開発者は悪い奴だけど、そいつしか直せない。自分がタングの構造を理解しない限り…悔しいけどタングの命は握られてるんだ」みたいな設定あってもワクワクするんだけどなぁ。
続いてエイミーとの関係。復縁を目論むベンに対し、実は恋人がいるから別れようと思ってたの…と後だししてくるんですね。しかも一緒に暮らしていると。離婚の理由て、子どもが欲しくなったかったからじゃねぇじゃん!新恋人の子どもが欲しかったからだろうがよ!!スポーツ選手のような体格のハンサムマッチョに、ベンは完膚なきまで叩きのめされます。
復縁は難しかろう…とあきらめ、タングと二人の生活を楽しみはじめたベンでしたが、ある日エイミーが訪ねてきて妊娠の事実を告げます。「微妙な時期で、時期もかぶってたし、あなたかロジャーの子どっちかわからないの…。あなたは変わったわ。あなたの子だったらいいなぁ」なんて言い始めます。その時は「どうせロジャーにも同じこと言ってるんだろ」と皮肉る余裕があったベンでしたが、根は優しくてぼんやりしたモップ頭。だんだんその気になってきて、エイミーが子どもを連れて泊りにきたときのためにと子ども部屋まで用意し始めるなど。実家かよ。
ベンの幸運はこれだけに止まりません。
・ロジャーが出張で出産に立ち会えず、ベンが立ち会う。
・エイミーとの暮らしのために出張先で働いていたロジャーはすでに悪役感漂う。
・産まれてきた女の子は見るからにベンの子。モップ頭Jr.
・エイミーとロジャーはその晩に別れる。
・でも別に子どもの父親が云々というわけではなく、もともとロジャーは結婚に興味なくて、やり手の弁護士の彼女というブランドが欲しかっただけという薄情な男らしい。
・うちで暮らそうか?子ども部屋もあるし。
という流れに。
エンディングに向けての花道が盛大に用意されていて、あっけなく諸問題が解決されるところがすごーーーーーーく微妙です。タングの修理が素人でも十分可能だということが判明したり、ロジャーがいきなり悪人化することで元サヤへの罪悪感をなくすあたり特に。今までの300ページ何なん??
もし…ベンの子でなければ?ロジャーがベン以上に思いやりのあるいい男だったら?タングの命が狂った老人の手を借りないと維持できなければ?大人向けのファンタジーならば、そういう毒を一つくらい残しておいても良いのでは?
さて、不貞行為はあったけれども、運良くベンの子どもだったし、ロジャーはボロカスに言っても問題ない感じだし、タングは永遠の命を獲得したし、見事、人から羨まれる女への復活を果たしたエイミー。エイミーが高級志向で、夫の愛車のホンダ・シビックはガレージに隠し、わざわざ家の前にピカピカの高級車を止めて、週末はセレブ友達とホームパーティーをするのにご執心だっていう設定覚えてました?
実は、エイミーという問題は依然残っているんですよね。そもそも、自分が不倫しておきながら、「あなたのせいだ!」といきなり家出して間男と暮らし、妊娠したらしおしおとモップ頭のところに戻ってきて、元サヤに戻れそうと踏んだらさっさと間男を捨ててそいつをクソミソに批判する。このエイミー問題は解決しないま、これからもやっていけるの?なんて心配してしまう。そもそも妊娠してなかったらイケメンエリート男と、ずっとほしかった高機能アンドロイドと幸せな家庭を築いていたのでは…なんて。そりゃ、産後のごたごたがあるうちは無職のモップ頭の優しさが身に染みると思いますが、どうなの?3年も経てばハンサムマッチョが欲しくなるんじゃないの~?とデリカシーのかけらもないコメントをしたくなる私。イケメンかつやり手の外科医のロジャーは、エイミーが最も求めていた男性像だったはずなのに、いきなり当て馬にされた感あって哀れ。
最近も芸能人でいたような。不倫をすっぱ抜かれる前に「子どもの考え方ですれ違いすでに離婚してました。元夫の公認。不倫じゃありません」アピールした人。それと同じくらいの性悪さを感じますが、そこは、だ、だ、だ大丈夫なのベン?本当に水に流せる?とオドオドしてしまいました。ベン的には、自分以外の男とよろしくやっている姿を想像しながら寂しく独り寝をするくらいなら、やっぱりより戻しておこうか的な感覚なんでしょうか。
自分が変わることで変えられるものももちろんあります。しかし、やっぱり変えられない事実もあるし、変えるためには遅すぎることもあります。もちろん、地球を半周しようが全てを変えることはできなくて、変えられるのは自分の一部だけ。
エイミーが一時的に態度を軟化させたのも、子どもの父が自分だったことも、ロジャーが体良く消えてくれたことも、実はただの幸運なのに、それもこれも旅のおかげ!タングのおかげ!これから俺たち超HAPPY!とまとめちゃう感があって、いくら何でもきれいに仕上げすぎでは。という気がしました。やっぱり作者は主人公に肩入れして幸せを用意してあげるものなんだろうか。
私が欲しいのは毒だよ!ドロドロしたのくれ!という気分になりました。とはいえ、それを差し引いても、いい話でした(なんのフォローにもなっていないけどw)
おわり。
関連作はこちら。
結末は読めているんだけどページをめくる手が止まらない。英国版ドラえもんの実力やいかに? デボラ・インストール「ロボット・イン・ザ・ガーデン」~A面~
こんにちは。
最近話題になっていて、本屋さんでも平積みされているコレ。
デボラ・インストール「ロボット・イン・ザ・ガーデン」です。英国版ドラえもんと書かれて絶賛されていましたが、さてさて。
舞台はイギリス。無職男のベンは、有能な弁護士である妻エイミーから白い目で見られています。「働いたら負け」的なことをのたまい、主夫を名乗る割には、家事をなーんもしないで書斎にこもってばっかり。ただ、ヒモではないんです。両親から少なくない遺産を相続して働く必要がないし、そもそも家は彼の所有物ですから、妻としては余計始末に負えない。そんな時、家の庭に1台のロボットがやってきました。エイミーが捨てろというのも聞かず、こわれかけのロボット(タング)に心奪われているベン。ついにエイミーは、離婚を切り出して家を出ます。傷心のベンはますますタングとの交流に夢中になりますが、タングの胸のシリンダーは壊れかけている…出不精のベンでしたが、タングについていた消えかけの文字(Micron...)を頼りにタングを直す旅に出る…!
この世界は、炊事や掃除洗濯などができるアンドロイド(洗濯なら洗濯、掃除なら掃除と1個だけ)が普及し始めた時代。と言ってもまだ中流階級~上が手にできる代物で、ルンバの発売当初に近い感じ。粗削りで未完成な部分は多いんだけど、とりあえず持っているだけでスゲーみたいな。付き人とかキャディー、運転手とかいうもっとすごいアンドロイドも一部の富裕層に広まり始めています。これを近未来SFという表現もできるのですが、1960年台からAI研究だけがぐんと進んだとすれば、2010年くらいにはこんな感じになっていただろうな~みたいな印象。つまり、パラレルワールド。というのも、人と人との連絡手段とかスマホとか、車だって自動運転は取り入れられていないし、ロボット以外の小道具は今と全然変わらないからです。
Micron…という文字から、マイクロンシステムズというアンドロイドメーカーではないかと推測し、まずはイギリスからサンフランシスコに。そこからある人を頼りテキサスへ。そして東京へ。最後はパラオに。という地球半周旅行をしたベンとタング。パラオでやっとタングの開発者に出会い、タングの修理をしてもらいますが、それがなんと狂ったジジイでまあ大変。部屋に閉じ込められて危機一髪のところで難を逃れます。
こんな長旅をする中で、ベンはエイミーとの関係を見直し、イギリスに戻ってきたときにはひとまわりもふたまわりも大人になっていました。そしてエイミーとヨリを戻してめでたしめでたしというストーリー。ベンが旅に出る前から、というか裏表紙の概要を読んだ時点でこういう結末は読めているんですが、面白い。
著者は子育て経験ありの女性ということで、タングは幼い子どもそのもの。ダダをこねればベンが言うことを聞くとわかっているから、すぐに金切り声をあげるんですね。ベンはそんなタングにイライラしたり、かわいいと思ったり。「子どもなんていらねぇ」と思っていた彼も成長していきます。
ベンっていうのは、自分のことを「何をやってもダメだと思っているから、もう挑戦しなくなった」人間で、「一つのことに集中できずに気まぐれに何かをはじめて、そして飽きて次にいくような」人間と自己分析しています。他人には「人生を後悔の積み重ねで終わらせるつもりですか!」と説教したりするんですが、本当にそんな生き方が正しいのかはよくわかっていない、だって自分ダメ人間だし、と自信のない人間。
彼の無気力や自信のなさには実は原因があって、それは、両親の死。両親はもともと冒険好きでしたが、子どもが幼いうちは我慢していました。子どもが成人してから「いつ死んでも結構!」と危険な旅に出て、それで本当に帰ってこなくなった。人生これから(といっても28歳)という時に両親にいきなり死なれて結婚式や孫を見せられなかった、そして優秀な姉に幼いころからコンプレックスを抱えていた…。ベンは誰かに「よかったね!」「すごい!」と認められたかったけれども叶わなかったし、妻に選んだのも自分より格段にできるヤツだったし、と、無気力感を抱いていたようです。(まあ、それは半分正解。残り半分は、中途半端な小金持ちのせいで勤労意欲が低いのに加え、もともと気が小さいだけだろうと私は思っていますが)
子どもがいると「無理だ」や「やーーーめた」ってなる瞬間はたくさんあるし、子どもの「おなかすいた」や「おしっこー」は最優先事項ですから、否が応でも変わっていきます。そして子どもは親を無条件に愛し信じてくれる。ベンもタングという存在を得て、人として成長していき、無気力症候群を脱していきました。
そしてエイミーとの関係。結婚当初は子どもなんかいらないねと話していた二人ですが、エイミーの気持ちは変わっていたようで、「あんたがこんな父親じゃ子どものことなんか考えられないじゃない!」と怒られびっくりします。
こんな言葉が印象的です。自分の後ろをぽてぽてついてくるタングに「どこ行くの?」「なんで?」と聞かれたベン。いちいち説明すんのめんどくせぇなと思った時、「エイミーと自分。どこに行きたいか?行き先は変わっていないか、確認することを怠ってきたな」ということに気付きます。夫婦ならば、何も言わなくても、タングのようにどこまででもついてくると思っていた。しかし、そういうわけではなかったんだ。と。「結婚は見つめ合うことではなく同じ先を見つめることだ」みたいな言葉がありますが、まさにそれ。同じ方向を見ているか、相手が見つめているものは変わっていないか。「夫婦ならわかるだろう」ではなく、言葉にして確認する必要があるのでしょう。
ただ、ベンとエイミーという組み合わせが最良なのかは謎です。おとなしいベンに比べてエイミーはインスタでセレブアピールする妻そのもの。飛行機もビジネスクラス、隙を見せればすぐにホテルの部屋をスイートにアップグレードするなど。「子どもなんていたらこんな楽しいことできないからね」なんてにっこり。実は、離婚騒動の裏には、エイミー、お前最低だなと言いたくなる事情があったのですが、それはお楽しみ。
ベンがモップ頭という表現は何度も出てきます。古今東西、漫画やアニメにモップ頭のキャラで、冷酷無比な人間がいないように(本当かな?)、彼もぼーっとした優男。やさしさがウリなんでしょうが、結構イライラする。
例えばタングをホテルにおいて一人で飲みに出たシーン。アメリカでは、ロボットを一人で置いて出かけることは、虐待行為として禁止されています。それを知らずに警察沙汰になり、警察官にこってり絞られました。ロボット置いてくなんて最低!とののしられたベンは、「俺はタングを愛しているのに、その気持ちは周りの人に伝わらない。。。こんなに愛しているのに。。。」と心の中で逆ギレし被害者面。そうじゃないだろ、子育てってそういう我慢の積み重ねだし…とイライラ。
と、まぁここまではギリギリ許せるんですが、東京でも同じことをするんですね。今度は鍵をかけ、フロントにも「置いていくからよろしく」と声かけていくのですが、ほんと、わかってない。アメリカのこと忘れたか!と聞きたくなります。
また、タングの開発者に面会するにあたり、自分で直せないならば開発者のもとにタングを置いていくしかないだろうと決心するベン。最後の思い出作り!と、数日前まで長旅の疲れとタヒチの熱気にやられてオーバーヒートし、意識朦朧、死にかけていたタングにグラスボートの旅をプレゼントします。だから熱中症になると言っておろうが!!!とブチ切れそう。
子どもを二度も置き去りにしたり、最後の思い出作りにタングが死ぬのも構わず日光の前に引きずり出すなど、自分本位なんです。
ただ、こういうベンが変わっていくのも(おそらく)この物語のウリなのでしょう。のび太君を見守っていく気持ちでのんびりいきます。とはいえ、のび太くんよりも陰湿な部分はありますが。
著者は日本に来たことあるのかな?と思われる描写も多々。
金切り声を上げるロボットに好意的な目線を送る。人気者になれる。ずっと歌っているロボットにまわりはイライラしているようだが、何も言われない。フロント係が世界一優しい!!!と感動しきりです。ただ、日本人から一言「それはお前が英国人だからだよ」と突っ込みたい。日本人は日本人に対してはびっくりするほど冷たいけどな。外国人には基本的にはイエスマンで、おもてなしというかもはや委縮なんですけどね。
と、簡単に言うと「旅で吹っ切れた!」っていう話です。もちろん面白いし(一気読み3時間くらい)、タングの行動がかわいいし、AIと人間の在り方についても考えさせられる部分はありますが。絶対面白そう!と自分で勝手にハードルを上げたのも悪いけど、ちょっと薄かったかな。。。という。あと微妙な下ネタが気持ち悪い。
ベンとエイミーが実際このあとうまくいくかは未知数だし、ベンのやる気もどれだけ続くんだろう。何て思いましたが、今日はA面でおしまい。B面では結構ブラックな話をしていきたいと思います。
おわり。
これは連作で、「スクール」が出たばっかりだそうです。続けて読んでみたいと思います。
若い頃の熱狂が失われて用心深い私生活に入った中年男。実は氷の上に立っていた。新潮クレスト「アムステルダム」
こんにちは。
イアン・マキューアン(私の中で)3作目。新潮クレスト「アムステルダム」
一言でまとめると、物語の筋は星新一のショートショートを見ている感じで、無駄が少なくまとまりが良い。ちょいちょい老いることのエッセンスみたいなものを織り交ぜてくれるのですが、全てを削ぎ落してみるとブラックユーモア小説です。
モリー・レインという女性の葬式の場面から物語は始まります。彼女は40~50代くらい。ある時左腕の痛みを自覚した彼女が医者に行ったときはもう手遅れ。数週間後には言葉が出てこなくなり、最後には意識も曖昧なまま寝たきり生活。あっという間に亡くなってしまいました。
モリー・レインの葬式に列席していた音楽家クライヴ、「ザ・ジャッジ」という新聞の編集長ヴァーノンは、モリーと若い頃からの付き合いで、時期は(おそらく)異なっていたものの、共にモリーと恋愛関係にあった時期があります。外務大臣のガーモニーは、次期首相と目される勢いのある政治家で、モリーとは長いこと愛人関係にあったと思われています。
喪主の夫ジョージは資産家です。過去に付き合ってきた男からは想像できないほど普通の男。しかし、独占欲が強く、モリーの闘病中はこれ幸いと自らが介護し、最期を看取ります。友人との面会も制限し、特にクライヴ、ヴァーノンを極端に嫌っていました。陰湿なジョージ。周囲には、モリーが病気で亡くなったことで、モリーを独占するという夢をやーーっと叶えられたんだろうな、なんて思われています。
一人の男をめぐって女がバッチバチというのは結構ありがちな設定ですが、これは逆。しかも、ある程度の地位にあるいい年した男たちですから、そんなに激しくやり合うことはないだろうと思ったのもつかの間、開始数ページでガーモニーからクライヴにきつい一発。
「モリーから聞いたけどよ、お前、EDらしいな。失せな」
これはヤバい!
物語は、「ガーモニーの痴態PHOTO」が出てきたことから大きく動き始めます。
遺品整理をしていたジョージが発見したガーモニーの痴態。ジョージは、著作権を含めモリーの遺産を全て相続した自分に、この写真を処分する権利があることを強調し、ヴァーノンに見せます。そしてこの写真の権利を、最も高い値を提示した新聞社に売ることを知らせます。販売部数が落ちてきて編集長の椅子が危ういヴァーノンは、一も二もなく飛びつきますが、社長たちのお偉方は渋い顔。首をかけて掲載するか悩むヴァーノン。親友のクライヴに相談すると、クライヴから強烈に反対されます「モリーとガーモニーの間の信頼関係のもとに撮影された写真を暴露することは、モリーの意に反する。絶対にやめるべきだ」と。
クライヴはクライヴで悩んでいました。彼は国家の大切な式典で使用する曲の作曲を依頼されていたのですが、モリーの死で作業が思うような作品ができません。ヴァーノンは日も置かずに電話をかけてくるし、思い通りにいかなくて汚い言葉を投げつけてくる。二人の友情に亀裂が入り、厄介ごとにも巻き込まれます。
そしてガーモニーの立場も危ういんですね。写真そのものは公開されていないものの、痴態PHOTOの存在は皆に知られている。首相も渋い顔。さてさて…
今までの人生、たくさんの競争で勝ち抜いてきた男たちが、次々にリタイアしていく。モリーの葬式で始まった物語は、葬式で終わります。そして葬式の場で秘かにほくそ笑むのは…誰だ?という、面白い構成。
ヴァーノンはクライヴの生活をこのように評します。「年を重ねて成功を収めたことで、高級な目的に的がしぼられた。若い頃の熱狂が失われ、私生活は用心深くなった」と。これはヴァーノン本人にも言えるでしょう。こういう、自分は気付いていなかったけれど、実は危なげな立ち位置にある男たちが、精神の均衡を失っていくというのがこの物語の見どころ。そしてそのトリガーとなったのは間違いなくモリーの不在でしょう。
クライヴは学生時代にモリーと出会い、それから長いこと付き合っていました。若いころに初々しい恋愛をした仲であることもあり、一番モリーの死を悼んでいるように見えます。最後は、面会を制限しモリーを独占したジョージを憎みながらも、自分もジョージの立場であったら、同じことをしただろうな、なんて思っている。
ヴァーノンは、若い頃のパンツ一丁でビリヤードをやるというような、なんとも怪しげなパーティで出会ったモリーのことを、都合の良い女としてとらえている一面があります。ヴァーノンはもともとドライな性格で、クライヴのこともうまく利用している節もあります。
ガーモニーはなんでも卒なくこなす憎たらしい男です。人に囲まれた中でも、クライヴにしか聞かれないような声で「お前EDだろ」と言えるあたり、絶対悪い奴!!痴態PHOTOの件はザマミロと思いましたが、策士の妻の援護射撃もあり、何とか切り抜けたりします。なんかむかつく男。
そしてそんな三人の男を深く憎むジョージという男…構成の妙!!!
モリーのエピソードはあまり描かれていなかったので想像しかできませんが、いわゆるあげまん。「あなたはあなたのままでいいのよ」いうようなことを言えるいい女。彼女のそばにいると、彼らは、自分がここにいてもいいんだと感じられ、身を守っていた分厚い鎧を脱ぐことができたのでしょう。そういう存在が奪われたとき、一気に精神のバランスが崩れてしまったのだろうと思います。
心の糧を失ったとき人はどうなるかというと、すごく疑り深くなったり過激な行動に出るようです。クライヴとヴァーノンの友情に亀裂が入るところが特に印象的。クライヴは友情における不均衡を感じ、過去の思い出も全て不幸の色に染め上げます。そして、友情の再定義をするために旅行に出かけるのです。ヴァーノンも出世頭として慎重に階段を上ってきましたが、劇薬を求めて、お偉方への根回しもせずにガーモニーのPHOTOを2倍以上の値段を提示してお買い上げ。
自分が不幸になった気がした時に「まぁまぁ」と言ってくれたはずのモリー、危ない橋を渡ろうとしたときに諫めてくれたはずのモリー。モリーがいない今、どうやっていいかわからなくなるんですね。物語の初めから故人としてしか登場してこないモリーの、圧倒的な存在感。そして物語は最悪の方向へ舵を切ります。
タイトルの「アムステルダム」とは、合法の殺人(老いた親などをいろいろと理由をつけて殺してもらう)ができる場所として物語に登場します。解説を読むと、作者と友人の符牒だそうで、「自分のことがちゃんとできなくなったら、俺がお前をアムステルダムに連れて行ってやる(だから俺のこともよろしく)」というものだそう。お前もうやばいなというかわりに、「お前アムステルダム~!」と言って突っ込む感じ。
自分のことが自分でできなくなる恐怖は想像に難くありませんが、この物語でも生々しく出てきます。例えば、クライヴがモリーのことを思い出すところ。意識がもうろうとする中でもはっきりしていた時間はあっただろうなぁ、そんな時、面会が制限されている事実も知らないで、モリーはどれだけ孤独を感じていたか、と考えます。そして、自分もある日そうなるかもしれないと怯え、自分には家族がいないことに恐怖を覚えるんですね。老いを自覚し、身近な人があっけなく逝ってしまうと、いきなり身に迫ってくる。
ストーリーというか仕掛けそのものはありがちというか、使い古されたものでありながらも、うまく「人生とは何か」を絡ませて、ブッカー賞へと高めたその実力たるや!!他の作品も読みたくなりました。
おわり。
イアン・マキューアンの他作品はこちら。
どうしても戻りたい“あの時”がある人と、そうではない人 新潮クレスト「ファミリー・ライフ」
こんにちは。
新潮クレスト「ファミリー・ライフ」
事故によって寝たきりになってしまった兄と崩壊する家族を、弟目線で描いた話。自分の体験に基づいた作品のようです。こういう救いのない系は、実はすごく苦手。得られる教訓も少なく、読後にやるせなさが漂うので。
インドのデリーで暮らす父、母、ビルジュ(兄)とアジェ(弟)の4人家族は、アメリカへ移住します。当時のインドは貧しく、職を得てアメリカに出られる人のは一部の勝ち組だけでした。一足先にアメリカに行った父に呼ばれ、4人で暮らすことが叶ったアジェ一家でしたが、幸せだった生活は一変します。ビルジュがプールの事故で寝たきりになってしまうのです。プールの底に頭を打ちつけ、沈んだ兄。たったの3分水中で意識を失っていただけで、家族の人生がガラッと変わった。たったの3分…
もともと寡黙だった父は酒に溺れます。母は兄を元に戻そうと、怪しげな呪術に頼るように。父と母、もともと会話が少ない夫婦でしたが、事故の後は互いを傷つけるような言葉を投げ合います。アジェはまだ甘えたい年頃でしたが、両親に迷惑をかけまいと自分を抑え、優秀な兄のかわりになろうとします。そんな暮らしを続けて数年、父はアルコール依存症患者専門の病院に入院しました。また、ビルジュの自宅介護をすることを選択した一家は、家を購入し、リビングにビルジュのベッドを置きます。いつでもどこでも、ビルジュの姿から逃れられない。そんな生活にアジェは疲れていき、文章を書くことに居場所を求めるようになりました。
ほぼ著者の経験が反映されているストーリーで、救いがありません。学校でも孤独を感じているアジェが、兄のことを打ち明けることで友人の気を引こうとするところが哀れで悲しい。そしてどんどん兄の話は大げさになっていき、ついには友人に相手にされなくなるなど。
教訓めいたものはなくて、ただただ人の弱さや嫌らしさを目の当たりにします。例えば、自分は幸せだと思いたいがためにがビルジュのもとに集まってくる人や、ビルジュの姿を教材として、自分の子どもに何かを気付かせようとする大人。
私が嫌いな言葉はいくつかありますが、「人生いつだってやり直せる」っていうのが無責任で嫌。人生やり直せる人と、やり直せない人がいます。アジェ、それだけでなく彼の家族も皆「あの3分に戻れたら」を何百万回も繰り返し思っています。ちょっと良いことがあって元気になっても、すぐに「あの3分に」という気持ちに引き戻されるんです。人生は選択の連続ですが、「あの時に戻る」っていう選択をするしか幸せになれない一部の人間がいるのも事実。そんな人に、「いつだってやり直せる!前を向けよ!」って言ったところで、余計に傷つけるだけです。
あとは、「命があるだけよかったね」という言葉も無配慮で大嫌いですね。「命があるだけ~」という言葉は、何もかも失った人が自分を慰めるために使うならまだしも、何も知らない人間が他人にかけていい言葉ではありません。
「あっち側の人間」の苦しみは「あっち側の人間」にしか理解できないわけで。彼らは「あの時」が訪れる前の時間を何度も繰り返し生きているのです。もちろんそれを乗り越えられる人もいますが、乗り越えるのはすごくすごく難しい。「こっち側」にいるアジェの周囲の人間は「なんでそんなにメソメソしているんだろう」と、アジェの卑屈さに飽き飽きして、陰に陽にそれを伝えます。ただでさえ辛い人生を生きている彼、周囲の無関心に胸が痛くなりました。物語のラストは、大人になったアジェの「幸福を重荷に感じる。僕はまずいことになった」という言葉で締められます。アジェの人生に幸あれと祈らずにはいられません。
という、「あっち側」の生活をのぞき見してしまった悲しみと、「あっち側」の世界の入り口はそこここで口を開けているという恐怖。そういう切なさが満ちた作品でした。
個人的にすごい気になったのが、インド人の国民性。濃い!というか近い!!
他人あての郵便とか普通に見るんです。「アメリカ行きの航空券が届いたよ~」とか言って隣人のババアが持ってくる。ビルジュが自宅介護になるとき、まるで卒業式の花道のように列をなし、様子を見学しに来る。あとは超名門校に合格したアジェの噂を聞きつけ、「うちの子どもを祝福して」と手のひら返したように優しくなる。などなど…。まぁ、嫉妬、怒り、興味の感情に素直に従っているだけで他意はないというか、善意の皮をかぶって他人の状況を探り陰でほくそ笑むような日本人ぽい意地の悪さはないんだと思いますが、ちょっとしんどい!
ただ、平穏な生活においてはうざさ99%な密な人間関係ではありますが、そのお節介さに助けられる場面もあるようです。たとえばビルジュの事故の後、一家よりも先にアメリカで暮らしていた叔母夫婦が、段ボールで簡易な祭壇を作り、夜通し祈りを捧げます。アメリカになじみ、素敵な住まいを自慢していた夫婦が、家族の危機にあたっては、部屋が煙くなることも厭わずに香を焚き続ける。まるで自分の子どものことのように泣いてくれるのです。叔母夫婦の手助けが、長く続くビルジュの介護生活を大きく支えてきたということは言うまでもありません。
筆者の悲しみや怒りを追体験する系の小説でした。…人って弱いよなぁ。…人生、どうしようもないこともあるよなぁ。…人は他人に無関心なんだよなぁ。…人は人の悲しみに気付こうともしないんだよなぁ。と相田みつを風のつぶやきが何度も頭をよぎる。歯がゆさ満点の作品。
おわり。
同じようなテイストの作品。スマトラ沖地震で家族を亡くした女性の小説「波」
知らないという恐怖。理由を失えば、それだけ恐怖は怪物的になる カズオ・イシグロ「忘れられた巨人」後半戦
こんにちは。
カズオ・イシグロ「忘れられた巨人」後半戦です。息を吐くようにネタバレしていこうと思います。
前半戦はこちら。
ウィスタン、エドウィンと旅をすることになった老夫婦は、ガウェイン卿なる老騎士と親しくなり、しばらく共に旅をします。老夫婦、「私たちは年寄りだから、道を急がなきゃ」と言う割には、道草を食ってばっかりなんですよ。高名な修道院があると聞けば、せっかくだから寄っていこう!とヘラヘラ訪ねていく。そこで大規模な襲撃に遭いますが、ガウェイン卿の手助けで辛くも脱出。しかし、ウィスタン、エドウィンとは別れてしまいます。
ガウェイン卿とも別れ、旅を続けていた二人は、ある村で出会った少女の願いを聞き、山の頂を目指すことになりました。すでに旅の目的は竜退治に変わっている様子なのが一番気になるけど置いといて…そこで老夫婦、ガウェイン卿、ウィスタン、エドウィンが集結し最後の決戦が行われます(老夫婦は危ないから見学)。そして全てが明らかに。
まず、ガウェイン卿とはどのような人物なのかというと。ガウェイン卿は、アーサー王に竜を守るよう命じられていました。竜の吐く霧が過去の記憶を失わせていたというのは、年寄りの妄言ではなく本当のことで、ブリトン人とサクソン人の戦いの記憶を人々から消させるため。戦いの記憶が消えてしまえば、憎しみの連鎖は絶ちきられ、平和な世の中が続いていくように思えるからです。そして竜も虫の息。このまま見逃してくれないか?と懇願します。
対してウィスタン、彼は竜を倒しに来ています。幼い頃ブリトン人から受けた仕打ちを憎み続けている彼は、「虐殺と魔術の上に成り立ったかりそめの平和になんの意味がある」と言い、「骨を掘りおこす(記憶の封印を解く)」と主張して譲りません。実際、平和に見える今の世の中でも、争いの火種はいたるところでくすぶっており、ブリトン人とサクソン人のいがみ合いが起こっています。しかも、記憶が竜の霧で失われているせいで、相手への恐怖だけが独り歩きし、サクソン人と見れば理由もなく襲うなど、恐怖がモンスターのように成長し続けているわけです。
と、ここでしばらく言い合いが続くのですが、話が全く噛み合ってないんですね。ガウェイン卿は、全体の利益を主張します。またあの時代に戻りたいのか!?と。対して老夫婦は「それでも、思い出は大切。私たち時間がないの」と、個人の利益を主張。ウィスタンのそれっぽい主張に全力で乗っかって「竜倒したい!記憶取り戻したい!」と主張します。
竜とて不死身ではないですから、竜と争いの記憶を持つ人々がこの世から退場するのを待てば良いのでは。年寄りに時間がないのもわかるけど、私怨と個人的な興味で寝た子を起こすっていうのもどうなのかしら。少なくとも、このパンドラボックス的なものをどうするかなんて、4人で簡単には決めてはいけないのでは?と、この中でいちばん可哀想な役回りのガウェイン卿に肩入れしたい気持ちも沸いてきました。
互いに譲らない二人はいざ尋常に、勝負。ガウェイン卿は亡くなります。そして竜も死に、お待ちかねの記憶ー!ぱんぱかぱーん。
「ベアトリス不倫してました」
おい、こんな記憶のために竜もガウェイン卿も犠牲にしのかよ!!息子は、仲の悪い親に嫌気がさし、もう帰らないと出ていきました。その後、疫病で亡くなったとの知らせが届いたと。ぜんぜん嬉しくない記憶。そしてアクセルも思い出します。自尊心から妻を罰したい欲望があったこと。口では許しを説きながら、心の中に復讐の小部屋を作っていたこと。そのせいで息子にもひどい仕打ちをしたこと。もう最低。クソジジイ。
ウィスタンらは、争いの気配を感じます。遠からず、大規模な争いが起こるだろうと。「これまでも習慣と不信がわれらを隔ててきた。それに新しい土地への欲望。これが混ざったら何が起こるやら」…できる限り遠くに逃げよう!解散!とそそくさと退散するのでした。なんだこれ、後先考えない老人の身勝手に振り回される、高齢化社会か!!!
とはいえ、一時的に記憶を失ったことで得た教訓もあります。
・苦しみと向き合うかもしれなかったとしても、人の好奇心は止まらない。
→記憶を取り戻してしまうことへの恐怖は道々語られますが、結局は「頑張って取り戻そう!」ということになってしまいます。まぁ、「この封印を解いて。悲しいことが待っているかもしれないけど、私は我慢できるわ!」とか主張する奴に限って、すげー打たれ弱いんだけどね。
・憎しみのもとがなければまあまあ平和に過ごせるが、茫洋とした恐怖がむくむく成長し、怪物的になる。それもそれで恐怖。
→災害時のデマとかそんな感じ。
国と国とが交わっていく中で、歴史理解、そして過去の出来事をどう扱うか(どう扱っているように国内外に見せるか)は避けては通れない道なのだと思います。そして、それぞれ立場や思いが違うわけで、いつまでもかさぶたを剥き続けていくのか、寝た子は起こさないのか、どのスタンス良いのか悪いのかは一概には言えません。ただ、ヨーロッパの国々は紀元前から国盗り合戦をしているってことを思うと、歴史解釈か民族紛争に対する思い入れは日本人よりも強いのかなぁ、なんて。移民の問題もあるし。
そして人と人との交わりも同じ。
さて、一言。
おいクソババア、お前ら、わがまますぎるんだよ!!!
老夫婦の自分勝手さが鼻につくこの小説。ベアトリスは記憶を取り戻すことに積極的なのですが、「ねえあなた、いやな記憶が戻ったとしても約束して。今の気持ちのまま私を愛すると!」と何度も夫に約束させます。序盤は「あなたが家を空けた夜」と、自分不倫されていた疑惑にとらわれているので、絶対に記憶を取り戻しておこうと思っているみたいなのですが、霧が晴れていくにしたがって、「私あなたにひどいことしたかも」と不安になってきます。そして不倫していたことが発覚し、「…」となって終了。
また、ガウェイン卿に何度も山を下りろと諭される中「我々は大丈夫」とついてきますが、ガウェイン卿の愛馬はちゃっかり占有。山頂に着いてこれからだというとき、「風が弱いところに移動したい。馬を貸してくれ」と言い出します。これにはガウェイン卿も「図々しいにもほどがある!お前がついてきたんだろうが!」と反論しますが、「この強い風が妻の体力を奪っておる。貸してくれるのか、貸してくれぬのか??」と詰め寄るなど。
そして極めつけがこのセリフ。決闘を前に死を意識したガウェイン卿が「私が死んだらこの馬に乗って山を下り、新鮮な草を食べさせてやってほしい」とお願いをすると、「私たちがお馬さんを使ってしまったら、あなたのことどうやって運んだらいいの?私たちに優しくしてくれるのはありがたいですが、ご自分のご遺体のこともお考えになって。遺体を野ざらしにするなんて、そんなこと私できませんわ」とにっこり。決闘を前にした人間にこんなこと言う??いい年して愛され天然を目指しているのかどうかは知らないけど、お前ほんと黙っとけ!と言いたくなる。
認知症かどうかは置いといて、この二人、短絡的思考しかできない頑固老人であることはおそらく確かで、会話がかみ合っていないし、自分の利益しか主張しません。そして、些細なことにこだわったり、見えない何かにおびえたり、アレです。偏執狂。この本を読んでいると、そんな永遠に理解し合えない老人と話をしているようなイライラが募り、介護している気分。作者は彼らにどんな役割を与えたかったのでしょうか。
最後は二人の死が示唆されますが、自分のやったことの重大さや今後のアレコレに向き合わずに逃げ切りなんて、子ども一人幸せにすることもできないで、お前ら、まっったく幸せな人生だったな!と突っ込みたくなりますね。
すごくどうでもいいけど、なんかむかつく女が出てくるシリーズはこちらです。
もちろん示唆に富んだ作品であることはわかるし、解説を読んでも世界情勢や当時のイギリスの状況なんていうのも想起させられるんだろうな~ということもわかるのですが、ふと、この小説、無名の新人が書いていたらどういう評価されるのかな、ほんとに評価されたのかな…なんて思ったりもするんです。察してください。
さて、この物語でも、「二人の愛が確かであることを示せれば、二人はずっと一緒にいられる」というエピソードが出てくるんです。「わたしを離さないで」にも同じエピソードがありますが、作者にとっての「確かな愛を示す」っていうのは、どういうことなのでしょうか。他の作品を読むとわかったりするのかな。
カテゴリも作ったところだし、また3か月くらい経ったら、カズオ・イシグロ読んでみようと思います。
おわり。
カズオ・イシグロの他作品はこちら。