はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

どうせお前ホラ語ってんだろという目線で読み解く カズオ・イシグロ「忘れられた巨人」前半戦

こんにちは。

カズオ・イシグロ忘れられた巨人」です。

カズオ・イシグロ作品は、「私を離さないで」、「日の名残り」に続き3作目。彼の作品は、文章が超絶難解というわけでも、世界観がぶっ飛んでいるというわけでもないのですが、何となく読みづらい。ただ、後半に向けてゆっくりと全貌が明らかになっていく仕掛けが見事で、鳥肌が立つような快感を覚えます。ぱっと霧が晴れていく爽快感を味わいたくて、退屈に思える前半部分に耐えながら、コツコツ読み進めてしまうんですね。まぁ、何冊も連続して読むのはしんどいので、3ヶ月に1冊くらいかな、用法用量を守って摂取しましょう。

 

忘れられた巨人

 

舞台は6、7世紀のイギリス。アーサー王伝説を下敷きにしているそうなのですが、歴史もの、しかも軽く1000年以上も昔のよその国ということで、過去の2作と比べてめちゃめちゃ入り込むのに苦労します。6、7世紀のイギリスは、もともとその土地に住んでいたブリトン人と、侵攻してきたサクソン人の争いが絶えない時代。女子ども関係なく殺したり、村を焼き討ちにしたり、略奪の限りを尽くしていました。というこの歴史的背景が重要です。

 

主人公はアクセルとベアトリスというブリトン人の老夫婦。彼らが息子を訪ねて旅する中で、竜と戦う話です。竜って、、、ドラクエかよ!ってなるんですが、鬼が出て町を荒らしたり、もののけの類に悩まされているような世界観のようなので、一旦そういうものとして扱います。では、何で竜と戦うかというと、記憶を取り戻すため。というのも、この世界では記憶が長くは続かないという事態が発生しています。娘が迷子になったと血相変えて探している母親がいたかと思えば、10分後には娘がいなくなったことを忘れている始末。アクセルとベアトリスも例外ではなく、昨日のことはもちろん、二人の思い出はほとんど失っています。思い出そうとすると頭が痛くなってくるんですね。

人々の記憶が失われる。その事態は、竜が吐く霧によって引き起こされているのではないか?と二人は考えています。竜が現れるようになってからこの世の中はおかしくなってしまったという気がしているんです。さて、彼ら老夫婦は隣の村(といっても歩き通して3日くらい?)に暮らしているらしい息子に会いに行くために危険な旅に出かけます。「息子は」「息子は」と何度も話題には出てくるのですが、老年にさしかかり、かつ、怪しげな毒霧にやられているとあれば、二人の証言はとても曖昧。半信半疑で読み進めます。

旅の途中で滞在した村で、アクセルとベアトリスは、若い戦士のウィスタンと、ケガをした少年エドウィンに出会い、彼らと同道することになります。ウィスタンは気持ちのいい若者ではありますが、胸に一物ある模様。また、関所のそばで出会った気高き老騎士ガウェイン卿も、親切にしてくれますが何かしら企んでいるように思われます。アクセルとガウェイン卿は過去に何かがあったみたい…と、ここまでが前半。

後半は、霧の正体(そもそも本当に竜のしわざなのか)、ウィスタンやガウェイン卿の旅の目的が明らかになります。そして「覚えていられることが幸せなのか」「忘れることができるのが幸せなのか」ちょっと考えさせられます。

 

さて、恒例の解説を読んでみると、そこには衝撃の言葉が。

「そもそもカズオ・イシグロの代名詞といえば『信頼できない語り手』であるが」

って、「語り手が信頼できない」って公認なのかよ!!!今まで何度も「読み返してびっくり」とか「後半で印象が変わる」とかごまかして書いてきましたが、これはひとえに、語り手が平然と嘘をつくからに他なりません。嘘をついているというより、自分自身をだましているに近いのですが。とはいえ、世界的な文豪の作品に「ここに出てくる主人公いっつもホラ語ってんだよね」なんて、なかなか言い出せないわけですから、なんだよもー早く言ってよーという気分。

「信頼できない語り手」とお墨付きをもらった以上、心置きなく夫婦のホラ前提で読み進めていけるわけです。ということで、ここら辺が嘘くせぇと感じた部分を挙げていきます。

 

1.記憶が長く続かない病

さて、最も気になっているのが、竜の吐く霧で記憶が長く続かない件。

私はもともと、アクセルとベアトリスの認知能力に疑問を持っていたため、そいつらの思い過ごしだろとハナから相手にしていませんでした。

だってベアトリスはいつも怒っているんです。「村の人は意地悪だ!ロウソクも使わせてもらえない!!!」と。ベアトリスの言い分は「自分たちが年寄であるという理由だけをもって、村の人は自分たちからロウソクをとりあげるなど、いじめをしている。理不尽だ!」ということなのですが、村人からも相手にされてず、居場所はないところを見るに、こいつら、一回くらいボヤ出しちゃったんんじゃないの?そして、周りがさんざん注意しても言うことを聞かない、近所でも有名な頑固オヤジなのでは?なんて、ただの認知症の初期症状と認定していたのですが、さすがにそれは違うようです。

アクセルとベアトリスは、いわゆる「オシドリ夫婦」。オシドリ夫婦と世間でさんざんもてはやされている芸能人が、本当に仲むつまじいかは置いといて、何くれと世話を焼き、本心から互いをいたわり合っているように見えます。アクセルはベアトリスをお姫様と呼び、ベアトリスの希望はなんでも叶えてあげようとします。ベアトリスもアクセルに全幅の信頼を寄せています。神父に、「記憶が戻ってしまったら、嬉しいことだけでなく悲しい思い出も戻るのでは?」と聞かれたとき二人は、それでもいいと答えます。どんな記憶と直面することになろうとも、二人で共有していたはずの思い出を失うよりも悲しいことはないと。ああ、妬けるねぇお二人さんと思うのですが、ここが、カズオ・イシグロの十八番、信頼できない語り手ポイントと推理します。結構エグい事実が隠れているのでは?と。それで霧が晴れた瞬間、ドーーーン!みたいな。

ベアトリスは何度も、「あなたが家を空けた夜」という言葉を口に出します。まんじりともせず朝まで待ってた的なことを言うんですが、やっぱり不倫的なそういうアレなのかな?そこらへん、すごーく怪しいなと思ったわけです。

 

2.隣村の息子に会いに行く

うちの息子、先月出ていったのよ~くらいのテンションで息子のことを語りますが、絶対20年くらいは経ってんだろうと思うわけです。息子がどんな理由で出ていったのかはわかりませんが、老親を放っておくなんて簡単にできない時代、孫の顔を見せに来てもおかしくないだろう…と考えるとすでに亡くなっている…?もしくは幻…?

 

実際のところは後半戦で。

後半戦につづく。

 

カズオ・イシグロの作品はこちら

 

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子どもを優しい子に育てるメリットなんてどこにもない 「ギルティクラウン レクイエムスコア」

こんにちは。

 

ギルティクラウン レクイエム・スコア I (トクマ・ノベルズ)

 

コードギアス反逆のルルーシュ」を見て、ルルーシュの生き様に惚れ込んだ私。コードギアス好きならこれ!と薦められたギルティクラウンを読んでみました。制作スタッフが同じらしく、世界観や設定がかなり似ているようです。


舞台は十数年後の日本。アポカリプスウイルス(APウイルス)感染が原因の、皮膚が硬化し死に至る病が流行しています。今のところ治療法はなく、ワクチンを定期的に打ち発症を遅らせるしか術はありません。こんな大変な病気が流行っているのに、無能な政府は保身に走り、対策は後手に回りました。結局、パンデミックを警戒し、アメリカ主導で組織された超国家的組織GHQに乗り込まれ、実質的に支配されている状態。日本解放を謳う地下組織「葬儀社」が今回の主人公です。

葬儀社は、カリスマリーダー恙神涯のもと、EGOISTというバンドのヴォーカル兼広告塔のイノリ、クラッカーのツグミ、モビルスーツみたいなやつのパイロット綾瀬、武闘派の大雲、アルゴ、参謀の四分儀、ボマーの研二など精鋭が集っています。APウイルスの研究拠点であるセフィラゲノミクス社からあるアンプルを奪取して、涯が「王の力」を得る計画でしたが、トラブルにより、その場に居合わせた集というごく普通の高校生が「王の力」を得てしまいます。「ごく普通」とは言いましたが、集はガンダムSEEDでいうところのキラ・ヤマト。なんでもできるスーパーコーディネーター的立ち位置なのですが、それは最後にわかります。

「王の力」というのは、誰もが持っている「心」を引き出して武器や道具として使う力。心はヴォイドと呼ばれています。その人を具現化したようなもので、イノリは剣、優しい子は回復系の包帯、お調子者の男子はどんな鍵でも開けてしまうカメラ、キョドッてる女子はいろんなところを見渡せる双眼鏡なんてものも。ヴォイドを引き出すときの動きがとにかくエロくて、そこがすごく気持ち悪いので減点30ですw
集はしぶしぶ葬儀社の活動に手を貸し、そこで自分を認めてくれる存在を得て成長していきます。ついに友人に裏切られ、友人の弟を殺したりもします。悩みながらも、「自分にしかできないことがある」と自分を納得させ、葬儀社の活動に身を投じていく集。ついに、自分を理解してくれていた涯の死を経験し、彼の気持ちは大きく揺れ動きます。ここまでが前半(1~2巻)。

後半(3~4巻)は、葬儀社解散後の世界。自分を理解してくれた少女を失ったことで闇落ちした集と、かりそめの姿で生き返った涯との対決がメイン。ヴォイドの正体や、涯が葬儀社を結成した理由も明らかになります。もちろん設定や展開に無理もあるけれど、ストーリーは面白く、登場人物それぞれが個性的なので読んでて飽きないです。テロリストを主人公にした物語の宿命ですが、中心メンバーがバタバタ死んでいき、すごく悲しい…

 

「王とは?」「自分の思う王になれ」という言葉が何度も出てきます。涯と集は所詮異なる人間。涯を真似ても仕方がない。自分が最も力を発揮できるやり方で、皆を導く王になれ、と。一旦は闇落ちして悪政を敷いた集でしたが、自分にできることは皆で協力して敵に立ち向かうやり方だろうという結論に達します。これは、カリスマとして軍隊式にオラオラと葬儀社を導いてきた涯と対極に位置する姿に描かれているわけで、ほとばしる「善」のオーラ。

小説でもドラマでも友情努力勝利を標榜するような漫画でも、主人公には人望があることが多いです。それは、「人に助けてもらえれば大事を為せるよ。カリスマになるのは難しくても、人望を得ることは誰にでも出来ること。明日から君も、周りの仲間を大切にして頑張れ」というメッセージに思えるのですが、果たして人望ってそんなに簡単に得られるものなのでしょうか。

 

涯の放ったこのセリフ「常に選ばれ、それを簡単に手放してきたお前には絶対わからない 」が印象的です。涯には持って生まれたカリスマ性はありますが、人生において何度も、一番愛されたい人を他人にかっさわれるという憂き目を見ています。ただ、涯は決して周りの人を蔑ろにしてきたことはなく、むしろ周りに気を配り、死んだ仲間を夢に見てうなされるような優しい心を持っています。対して集は、生まれつきの愛され体質でありながら、あれは嫌これは嫌と、序盤は自分を想う人に平気で背を向けています。世の中は不公平で、常にたくさんの人から手を差しのべてもらえる人もいれば、伸ばした手を誰からも握ってもらえない人がいるわけです。

例えば、涯を密かに思っていた綾瀬。彼女は、薄情なイノリがいつも涯に必要とされているのを見て、「なぜイノリだけ?」「私の何が問題なのかな?」「これからどうすればいいのかな?」と自らに問いかけ続けています。しかしあるとき、「今自分が置かれている状況はすでに、涯の出した答えなんだ」ということに気付き戦慄します。涯に告白するまでもなく、自分が選ばれないという時点ですでに「(あくまでも今の時点では)イノリの方が好きですよ」という返事をもらっているのも同じということ。「誘われなかった」「連絡がない」「自分のことが忘れられている」…こと人間関係は、相手が自分をどう思っているかの結果を、常に突きつけられているようなものなんです。

優しくあっても、努力をしても選ばれない人間はどこにでもいます。逆に、別に優しさも思いやりもなくても、人が寄ってくる人間もいる。こればっかりは生まれつきなのでしょう。私もそんなに選ばれる側でもないですから、小説などで「人に愛されるのは簡単では?」というメッセージを受けとると、首をかしげてしまうのです。

 

まぁ、所詮ライトノベルなのでアレコレ語るつもりはありませんが、最後まで読んで一言。

「子どもを優しい子に育てるメリットなんてないのでは?」

幸せな記憶しか持たない集と、辛い生い立ちの涯が目指す「王」の姿の対比が興味深い作品ですが、もともとメンタルが豆腐の上に親しい人の死を経験した集の闇落ちは強烈です。GHQの陰謀により130人余りの生徒とともに学校一帯を封鎖された集らは、限られた物資で生き延びつつ、学校からの脱出を画策します。唯一ヴォイドを使える集を「王」とし、ヴォイドの有用性をランク分けして徹底的な階級制を敷きます。集のまわりにはイエスマンばかりの親衛隊を配備し、上位ランクの者が下位ランクをリンチなんていうのも日常茶飯事。普通に人死にも出ています。涯も手段を選ばないタイプでしたが、葬儀社の元メンバーから言わせても「涯だってそんなことしねぇよ」という極悪非道さ。

私はこういう展開が大好物なので「集イケイケー!罪も悲しみも苦しみもぜーーーーーんぶ背負って頑張れ!」なんて応援したものですが、一部の生徒の裏切りに遭い、集は過去の行動をあっさり「ゴメン」で済ませます。もともと厚遇されていた親衛隊たちと、「ゴメンね」「いや俺も悪かった」とお友達ごっこをして終了。お前のせいで虐げられてあの世送りにされた奴らにも謝ってこい!いったん、あの世までいって謝ってこい!ってなる。

悪を為したものは簡単にゴメンと言ってはいけません。ゴメンと言われても失われたものは戻らないし、逆に、憎しみの的を失った被害者たちを苦しめるからです。涯はそれを理解していました。

 

多くの読者は、「集と涯どっちが優しい?」と聞かれると、集一択!となるんでしょうが、私からしたら涯のが100倍優しかろうと思うわけです。

ひとつめ。涯の闇落ちは、葬儀社のリーダーとして非合法活動に身を投じる程度ですが、集は学校全体に絶対服従の身分制を敷き、意図してクズを痛めつけても笑っていられるレベルなんです。下位層がリンチに遭っていたり、物資をもらえなくて苦しんでいても心を痛めずにスルーできます。究極の状態で現れた本性が陰湿なイジメって、集、終わってんな。

ふたつめ。自分が悪いことをしていると気付いても心を削られないどころか、恥ずかしいとも思わないタフさ。涯は葬儀社のメンバーをだましているところや、テロ活動で弱い市民に苦労を強いていることに罪の意識を抱いていますが、歯を食いしばって目的を達成しようとします。対して集。王として気に入った親衛隊をはべらせて、クズどもをいじめていたわけですが、あんなどす黒い自分を見られたことにも羞恥心を抱かず、今までのお友達と仲直りできるって、メンタル太いなと。涯よりも断然太いんだよ。

しかし、葬儀社のメンバーも集を真の王とみなし、最後は涯の敵に回ります。その上、「涯もそう望んでいたのではないしら?」と都合よく解釈し、涯の死を受け入れます。共に死線をくぐってきていながら、涯の苦しみを一緒に担いでくれる人は誰もいなかったんかい!と悲しくなる。辛い出来事のせいで悪を為しても集は許されて、涯は許されないというのも切なすぎでは…!

 

育ちの良さとピュアな見た目で優しい心を持った若者とみなされがちな集ですが、心の底では黒いものがうごめいている上、それをあっさりなかったことにできる太さは、「優しい」とは程遠くて。本当に優しい子は、自分がやったことのせいで苦しんでいる人を見かけたら同じように心を痛め、自らの過ちを恥じることができる子です。子育てにおいては「優しい子に育てる」というものが当たり前のように言われていますが、子どもを、本当の意味での優しい子に育てるメリットってどこにあるの?ないよね?なんて思いました。ロールキャベツ男子のように、ウサギの皮をかぶったキツネに育てるほうがいいのかもしれません。

真面目で優しそうに見えた集の母も、集に輪をかけて性格が悪いんですね。生き返った涯に戸惑う葬儀社のメンバーに、「涯をよみがえらせたのは自分だ」ということをわざと隠します。涯への同情から攻撃の手が弱まれば、集の身も危うくなるからです。母として気持ちはわかりますが、集の母は「うーん、私も悪い人間ねw」ですぐに気持ちを切り替えられるあたり、すっごいメンタル太いな…。

 

息をつくように悪事ができること、そしてそれを「私が悪いのよー」で開き直れるメンタル。これが勝ち組のオキテなんでしょうと、モヤモヤ。でもただ、これが現実なのでしょうがないですが。

 

4巻もありますが、ついつい一気読みしてしまいました。

 

おわり。

ナンバーワンを目指す気楽さとオンリーワンであれない地獄 朝井リョウ「死にがいを求めて生きているの」後半戦(ネタバレ)

こんにちは。

朝井リョウ「死にがいを求めて生きているの」後半戦。螺旋プロジェクトの肝である「戦う理由」についてです。

前半戦はこちら

 

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死にがいを求めて生きているの

今回いつでもどこでも誰とでも戦いまくっているのは、堀北です。彼は、目に見える/見えない敵と常に戦っている好戦的な人間。堀北をいつもそばで見ている智也は堀北が争いを求めている姿を見て、嫌悪感を通り越して呆れています。高校まではまだいいけど、大学に入ってからの堀北の行動は異常。古い友人にも「あいつ、汚い権力に立ち向かうのに命注ぎます!みたいなこと言い始めて、なんか、ドリンクバーぐらいすぐ命注ぐんすよ!」と馬鹿にされています。ドリンクバーw なぜ、わざわざ戦いに行くのか?そこには堀北なりの理由がありました。

高校までの堀北は、ナンバーワンになることを目指していました。しかし、運動でも勉強でも競わせることをやめていった時代、ナンバーワンになった自分を誇示できずにフラストレーションを抱えていました。そして大学に入学。彼はそこで、壁にぶち当たります。ナンバーワンになれる場所がない、と。高校までは、自分たちがやるべきことは決まっているから、与えられたミッションをクリアしていけば自分の優秀さを確認することができる。しかし、大学になったら皆に平等に与えらえたミッションがないことに気が付きました。そして、ルールが変わった世界にいち早く順応した、自分よりも偏差値が低い奴らが、どんどん自分を抜いていく。社会に出ると、自分が優れている分野を探し、そこで個性を出さないといけない。そしてその上で一位にならないといけないんです。つまり、オンリーワンを目指す必要がある。(まぁ、それで取り組んだのがジンパ復活とかださい。というのはおいといて)

実はナンバーワンとオンリーワン、オンリーワンになるほうが断然難しいんです。こんなことが書いてありました。「人間は、自分の物差しだけで自分自身を確認できるほど強くはない。ナンバーワンよりオンリーワンは素晴らしいけれど、それはつまり、今まで誰かがやってくれた順位付けを、自分で行わなければないということ。見知らぬ誰かに、『お前は劣っている』と言われる苦痛の代償に、自ら自分自身に、『あの人より劣っている』と言い聞かせる悲しみが続くという意味でもある」と。これ、ぐさっと刺さる。

ネット社会になったおかげで、「あの人」という幅がすごく広がりました。今まではせいぜい学校の友人の間レベルだったものが、全国(世界)の幅広い年齢層の人に公開でき、いいね!で評価しあうこともできる。刺激にもなるけど、今までは自己満足で済ませられたものに評価がついてしまう困惑。自分より10個も下の中学生のほうがめっちゃすごいことしている…なんてショックを受けることもしばしば。わざわざ公開する必要はない、自分の中に秘めておけ!って言われるかもしれないけど、そこは、「人間は、自分の物差しだけで自分自身を確認できるほど強くはない」わけですから、それも難しい。

さて、この小説に出てきた与志樹という少年も、高校に進学し、同じ壁にぶち当たりました。中学では国語の教師に気に入られ、全校生徒の前で表彰された経験も。教師からの評価が生徒の中の順位に大きく影響する中学という世界で彼は、自分がヒーローになったように感じていました。しかし、高校に上がり自分と似たような成績の人間が集まり、ルールが変わります。自分と同じレベルなのは当たり前で、その中で個性を出さなければ誰にも見向きされない。同じ高校に進学した中学の同級生がいました。与志樹は彼をネクラと馬鹿にしていましたが、実はすごい物知りであることを知ります。彼の含蓄に富んだ一言は同級生に受け、皆は彼を尊敬するように。彼に「お前変わったな」と、高校での変化を揶揄した与志樹は、「お前は全然変わらないな」と言い返されます。幼い、と。

「年齢を重ねる中で求心力となりうる要素は変わっていく。自分が持ち合わせていた要素が有効な時代が終わってしまったなら、自分の中身を更新していかなければならない。」という言葉も、刺さる!要領の良さって大切ですよね。いい大学に入るのはすごく簡単なんです。しかし、大学に入学してからは、勉強の出来不出来は全く意味がなくなる。どれだけ要領良くできるかが重要ですと、いきなりゲームチェンジされるわけです。個人的には、卒業する程度に勉強して、あとは就職の準備をしろという大学の在り方はすごく問題と思いますが。

堀北が戦いを求める姿を冷めた目で見ていたのは智也ですが、前半戦で触れたように、智也が堀北を追っていたのは、争いをやめさせるため。しかし智也もふと思い当たります。「堀北に争いをやめさせようと画策していたことは、自分なりの争いではなかったか。争いに意味はないと言いながら、自分は戦う堀北と間接的に争うことで自分を維持してきたのではないか」と。智也も智也で、堀北を止める戦いに生きがいを感じていたのです。

海VS山の単純な争いではなく、この世で生きる中で誰もが直面する戦いを取り上げたうえで、しっかり海と山の対立も中に入れ込む。すごい!他にも、2つにわけようとしたら、線より1cmずれている人も、1kmずれている人も一緒くたに、ざざざっと分けられてしまう危うさ、や、戦いは複数対複数になった時点で核を失うとか、ついつい頷いてしまう言葉も。

 

朝井リョウさんは、SNSや若者の特性、社会の構造を本当によく理解してるんだと思います。本の中には、「うわ~」ってなるものも多いのですが、彼?彼女?の論は現在の日本で起こっていることに裏打ちされた納得感があり、勉強になります。

印象に残った言葉をあれこれ。

「祭りのとき、みこしをかつぐ男は男らしい。祭りのとき、ご飯を作って応援する女は女らしい。祭りのとき、みこしをかつぐ女は男よりももっと男らしい。しかし、祭りのとき料理を作る男は、気持ち悪い」

うん、わからんでもない。弓削といううだつの上がらないサラリーマンはこういいます「みこしを担ぐことに向いていない男は、行き場がない。みこしも担げる女に抜かされて、でも料理を作ったらキモいと言われる。女むかつく。」みこしは社会や会社のメタファーでもあると思うわけですが、女にも言い分があります「この理論でいくと、みこしを担がせてもらえるようになったのがざっと30年前?しかしその時は『男であれ』と要求された上で。今はやっと女としてみこしをかつぐ(出産等女性のイベントも許容される)ようになったけど、制度は穴だらけだし、飯作るのはまだまだ女の領分だし。しかも、みこしの上から年寄りに、女はフォローにまわったほうがいいんじゃないか!と公然とヤジられるけどね?」と。

よくよく考えてみると、みこしをかつぐ女も、かつげなくてあえいでいる男も、実はみこしの上に載っている古い価値観や制度が共通の敵なわけですが、弓削みたいな男は、なぜか頑張ってみこしをかついでいる女を敵だと思っています。男に負けるのは許容できるけど、女に負けるのは許せない。ずるい、となる。弓削なんて、最後は気に食わない女上司と後輩への腹いせに、会社に火を放つんですよ。

まぁ、弓削の言い分もわかりるんです。女の生き方は広がったけれど、男の生き方は古いまま変わらず。専業主婦はOKだけど、家に男がいるのはヒモと呼ばれる。何度も言うけど、敵は古い価値観です。しかし日本人は、共闘せずにずっと男女でいがみあったままなんでしょう。

 

また、

Facebookは若者が見向きもしなくなった。喧伝したいことが両手いっぱいの中年しか残っていない」

最近、Facebookみてます?中年の長文投稿は置いといて、日経とか新聞社のFacebookのコメント欄はかなり気持ち悪いです。おそらく時間と承認欲求を持て余した老人がうろついているので、コメントも過激だし、「俺たちは日本を作ってきた(ダメにしたの間違いでは?)。今の若者はなっとらん!」という老害の見本市みたいになってますよ。本名なのに。絶対見てはいけません。

 

最後にイマイチポイント。

・シーソーモンスターで出てきた嫁姑は絵本作家になり、「アイムマイマイ」という絵本を出します。この本でその内容が少し語られるんですが、アンパンマンみたいなことを言うんですよ。元スパイの二人組だったら、もっと毒あること言ってくれてもいいのに、なんて少し残念。

・最後の最後の3ページ、たたみかけるように戦いの本質が語られるんですが、すっごーくくどいんです。同じこと何回も言うから、だれてきます。セリフも長まわしで、そこだけ超残念!!

 

さて、話は前半戦に戻りますが、堀北はあの事故をきっかけに改心したのでしょうか?堀北が智也の病室に毎日現れるのは反省した証拠なの?そうなんだよねぇ?と思っているあなた。最後の最後にどんでん返しが待っているのでお楽しみに!私は本気でぞっとして、再読しました。と、ミステリー要素もちょっとあり、大満足。

 

これを螺旋プロジェクト最後にするのもおすすめです。今までのご先祖様の出来事も『海山伝説のすべて』という本を引用する形で軽く触れてくれるし、「壁」がどうして必要なのかも語られます。おさらいする形でこれを最後に読むのも良いと思います。

 

おわり。

螺旋プロジェクトもおわり。

 

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皆誰かの生き方を必死になって真似ている 朝井リョウ「死にがいを求めて生きているの」前半戦(ネタバレ)

こんにちは。

螺旋プロジェクト、ついに最後になりました!

螺旋プロジェクト平成編。朝井リョウ「死にがいを求めて生きているの」

朝井リョウの名前は初めて聞いたのですが、「桐島、部活~」とか、「何者」とか作品のほうは知っていました。映画は見たことがあるので、名前と過去の作品が一致した時は、「ああ、イマドキの若者の心をとらえて離さない感じだろうなぁ」と警戒。もはやあれもこれもと選ぶことのできない年齢に達してしまった人間としては、こういう作品は正視できないのです。「で、こんな世の中だけど、おばさんたちはどうするの?やばくない?」と無言で責められている気がするので。

死にがいを求めて生きているの

本作品は、様々な登場人物を主人公とした連作短編でありながら、真の主人公は山族の堀北雄介、海族の南水智也の二人。

物語は病院のシーンで幕を開けます。語り手は友里子という看護師。昏睡状態の智也のもとに足しげく通う堀北という男がいます。智也は何かの事故に巻き込まれ、その現場に堀北が居合わせた、ということ以外はまだ明かされません。「幼いころから自分のそばにいていつでも手を差し伸べてくれた智也。自分はそのありがたみに気付くことがなかった。だから今はできる限り側にいて、目を覚ます瞬間には絶対に立ち会いたい」という堀北。

舞台は約20年前の北海道へ。語り手は先日転校してきたばかりの、一洋という小学生。智也が世話を焼いてくれたのがきっかけで、智也、堀北、一洋の3人で遊ぶようになりますが、優等生タイプの智也と乱暴な堀北、性格が正反対なのになぜ仲良しなのか、一洋は疑問に思います。堀北は人に勝つことが大好きで、近々行われる運動会を楽しみにしていますが、くしくもゆとり教育全盛期。運動会の花形競技である棒倒しや組体操が廃止され、堀北は本気で悔しがります。

高校時代の堀北も相変わらずで、成績上位者の順位張り出しを廃止されたことに異議を唱えています。相変わらず智也は堀北のあとにくっついており、「高校くらいになれば自分に合う友達とつるむはずなのに、気性が荒い堀北と、おとなしい智也がつるんでいるのはなぜだろう?」と、いぶかしげに思っている友人たち。

北大に進学した堀北と智也。堀北はジンパ(ジンギスカンパーティ:古くは北大の構内でできたらしい。ほんと?)の復活に向けて活動する中で、世の中をラップでdisる活動をしている与志樹や、ホームレスの支援活動をしているめぐみなど、自分と同じように世の中のあり方に疑問を唱える仲間と知り合い、「革命家の集まり」なるものを始めます。もう大学生だし、いい加減、智也と堀北の間に距離ができたろうと思いきや、堀北は「毎月会おうってしつこい友人がいる」と与志樹に智也を紹介するなど、二人の交際は続いているようです。そんな中、ジンパは別な団体の手によりあっさり復活してしまい、燃え尽き症候群になった堀北は、自衛隊に入ると言い出します。与志樹は堀北を心配しますが、智也は、「ああ、あいつそういう奴だから」と相手にしません。「南水って、堀北に対しては冷めているくせに、なんで堀北と一緒にいるんだろう」与志樹もそんなことを思います。

 

さて、ここまで読んできてわかると思うのですが、「なんで二人って仲が良いの?」っていうところがミソで、そこから螺旋プロジェクトでおなじみ、「戦う理由」なんていうものが出てきます。以降ネタバレも含みます。

平成の世の中では、海族と山族の争いなんて話はもちろん忘れ去られていますが、「帝国のルール」いう(進撃の巨人風?)漫画の流行、そして海族と山族をクソ真面目に研究した『海山伝説のすべて』という本が賞をとったことで、にわかに都市伝説として注目を浴びつつありました。そして、旧日本軍が秘かに毒ガスの研究をしていた「キセンジマ」という島と、古文書にある「鬼仙島」が同一では?なんていう説も歴史ミステリマニアには知られた話です。

続いての語り手は弓削という映像制作会社のプロデューサー。大学4年生になった智也は、大学院へ進学。堀北は、自衛隊への入隊熱は落ち着いたものの、学生寮自治を守る活動も尻切れトンボ。しかし、あるとき、「大学辞めました。キセンジマへ渡るために東京で共同生活を始めます。世界平和のために云々。ではでは!」みたいなFacebookへの投稿を最後に消息が途絶えます。

弓削は、できる後輩に押されて絶賛干され中なのですが、テレビ局のプロデューサー石橋のもとで秘かに「キセンジマへの上陸プロジェクト」を進めることになります。学生バイトの一洋(あの一洋ね)の助けもあって、「長老の声を聞ける」と自称する男が学生などを洗脳し、狭いアパートで聖戦のための準備をさせている、そして今、堀北がその中にいる、という情報をつかみます。長老への接触を試みていた弓削は、同様に潜入を希望する智也と合流し、長老のもとへ向かいます。

長老の家で言い合いになる堀北と智也。その中で、智也がずっと堀北のそばにいた理由、死にがいの意味が明かされます。

 

1.智也が堀北のそばにいた理由

智也の父は、海山伝説の研究者でした。「海山伝説のすべて」の著者でもあります。両親から、海山伝説の話と、自分が海族であること、そして堀北雄介に近づくな、と告げられた智也は、父への反感を覚えますが、堀北の攻撃的な性格を目にし、どうしようもない嫌悪感を抱く自分もいました。

成長し父の著書を読むようになった智也は、その本に書かれている特徴が自分に良く当てはまることに衝撃を受けます。しかし、心のどこかで信じたくない彼は、それを否定するように堀北に近づくように。智也は、高校生の時、亜矢奈という海族の女の子と出会い、彼女とある取り組みを始めます。それは、「堀北が海山伝説に気付かないようにすること」。堀北は争いを求める性質であることは火を見るよりも明らかであるが、幸いなことに、その原因に気付いていない。「山族は争いを好む」というお墨付きを得てしまったら、彼は暴走するだろう。何に夢中になっても構わないが、その矛先が海山伝説に関連するものになったら全力で止めよう、と二人で決めたのでした。

智也は、海山伝説を科学的に否定/証明しようと、工学部で人体について研究するようになりました。そして大学生活も終わりに近づいた今、堀北がキセンジマへの上陸を目指すと知り、彼を止めに来たのです。

 

2.死にがい

死にがいとは、「死ぬまでの時間を、自分は生きてていいんだ!って思わせるなにか」を指します。堀北は、洗脳されたふりをしていました。それは「自分には何ができるかを突き詰めた結果、洗脳され、一度は世界を救おうとまで思い詰めたが、全部を失ったあと、生きているだけで素晴らしいということに気づいた」人間になるためのアリバイ作りのため。「こういう経歴さえあればプロブロガーとして食っていけんだろ」と言います。日本にも困ってる人はたくさんいるのに、わざわざ途上国に行って謎の体験をし、判で押したように「自分の小さな力でも世界のためにできることはあると気付いた」コメントする就職予備校生みたい。彼ら、「小さな力でも~」って言葉に箔つけるためだけに行ってるよね。目的と手段の逆転。

人は生きるためになにかをしているはずなのに、いつか、「これくれらいやれば死んでもいいか」という視点で何かを探し始める、これも目的と手段の逆転です。

「死にがい」って言葉を聞いたとき、頭に浮かんだのが、独身貴族やDINKSの知人。いいもん飲み食いして、家具や食器にこだわり、「自分が幸せになれる場所を自分はすでに見つけています」アピールをしています。彼ら、自分でその喜びを見つけたように見せかけているのですが、みんな誰かの真似をしている感じがする。「こういうのにこだわるのが自分たちのような人間の正解なのだろう」と無意識に寄せていっている。

そして皆「好きなものに囲まれ、いろんなことを体験しないと。だって限られた人生ですから」と言うんですね。私はそれを「死ぬまでビンゴ」と呼んでいます。「かけがえのない友だち」「夢中になれる趣味」「充実した仕事」「旅行」「こだわりの酒」「こだわりの食」など、ビンゴカードを前にやるべきことをつぶしていく感覚。今までは定年したじいちゃんの仕事でしたが、子育てという足かせもない人は、早くから「死ぬまでビンゴ」に取り組み始める。当面は来年の五輪ボランティアでしょう。それが彼らの生きがいに該当するのか死にがいに該当するのか、ただの死ぬまでビンゴの「ボランティア」の項目なだけなのか、刮目して見よ!!

まぁ、彼らはただただまぶしい存在。幼子を持つ母親は、子どもの世話の間に自分の起きて食ってうんこして寝るをぎゅうぎゅう挟むだけで、彼らの言うところの「限られた人生の大切な一日w」が終了してしまう生物なので、生きがいでも死にがいでも何でもいいから、生命維持機能以外のことに取り組める時点でうちらは負けています。

 

二人の主人公の人生を余すことなく描きながらも、それ以外の人の苦しみや痛みも丁寧に向き合う。「今この時代を生きる苦しみ」を若者の独りよがりにならずあぶりだす、すごい作家さんだなぁと感じました。

 

と、長くなってしまったので、「戦う理由」ともろもろは後半戦に続く。

おわり。

 

螺旋プロジェクト他の話はこちら

 

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照れやの女より恥ずかしがり屋の女のほうが100倍お得である コレット「青い麦」

こんにちは。

 

シェリ」で有名なコレットの「青い麦」。新訳が出たので読んでみました。

シェリ」は、元高級娼婦のレアと、シェリ(わたしのかわいい子)と呼ばれる青年フレッドの長い交際を描いたもので、心理描写や当時の風俗の描写が巧みで高い評価を得ています。個人的には、レアが食べるものがいちいち美味そうなところが印象に残っています。(続編の「シェリの最期」はいまいちだったやうな…)

 

青い麦 (光文社古典新訳文庫)

 

16歳のフィリップと幼馴染の15歳のヴァンカは、毎年両家族合同で海辺の別荘に滞在しています。二人は幼馴染で、ずいぶん前からお互いを想いあっていますが、気持ちを伝えてはいません。そんなとき、あまり遠くない別荘に「白いドレスの女(ダルレイ夫人)」が滞在するようになります。30歳そこらの不思議な魅力のある女性。フィリップは次第にその女に惹かれていき、ついに彼女に初めてのセックスを教えてもらいます。

幼馴染の二人の曖昧な関係が美しい女の登場で揺さぶられていく、という短い物語の中に、ヴァンカ、フィリップ、ダルレイ夫人それぞれの苦しみが描かれます。

 

ヴァンカは男っぽい性格なので思わせぶりなことを言って駆け引きをしたりはしませんが、いっちょまえに年頃の女子の危うさを持ち合わせており、いきなり「死ぬ!」みたいなことを言い出します。対してフィリップ。ヴァンカへの想いはもちろんあるのですが、思春期特有の「大人の女への興味」「俺はもっとイケるのでは?」という全知全能感もある。「俺はヴァンカごときで終わらねぇ」、そんな気持ちも心の隅っこにあります。そんな中、手ごろな人妻を発見し、いそいそと彼女の家に向かっていくのです。

 

まず、フィリップとダルレイ夫人について思ったこと。

私が感じたのは、「人を利用しようとして近づくと、最後は自分が負ける」というところ。これ、太宰治人間失格にもありました。主人公の葉蔵は、堀木という怪しい男に出会います。当初は「相手してやるか」という気持ちで接していましたが、最後には、堀木に利用され、堕落していきます。まぁ世の中にはガチのペテン師がいて、利用しようとして近づきしゃぶりつくすような人もいるんだけど、そういうわけではなく、普通の人間が他人を利用しようとする時の話。

人を信じて傷つくほうがいいなんて思っている人は世の中にほとんどいなくて、男からチヤホヤされて貢がれている女や、若い女をとっかえひっかえしている男に内心憧れているのは皆同じ。そんな願いを叶えるために手ごろな男(女)を見つけて自分の欲望を満たすけれども、普通の人間は不安や罪悪感にさいなまれ、他人に向けたはずの負の感情に自分のほうが害されてしまうのです。

フィリップも「あの女を利用してやろう」という動機で近づくのですが、欲望が満たされたことへの喜びよりも不安が強くなる。いつしか、ダルレイ夫人の顔色を窺い、へりくだった態度をとるように。そんなオドオドした自分にも嫌気がさします。自分のほうがダルレイ夫人を利用しているはずなのに、自分は全然幸せじゃない。

ダルレイ夫人も、詳細は書かれていませんがおそらく現状に不満を抱えている女です。本当は不器用なんだけれども、童貞少年相手であれば、自分は謎の女になりきって手のひらで転がせるんじゃないかなぁなんて考えている。出会った頃はいきなりフィリップを叱りつけて謎の言葉をかけるなど、つかみは上々。しかし、次第にフィリップに惹かれていき、自らパリでの再会を匂わせたときには、「優位の限界」を感じます。彼女、うっかり自分の本心を言いそうになると、すぐにフィリップを押し倒すんですね。「彼女のように愛を乞う者も、(セックスの間は)自分が施しをしているという幻覚に浸ることができる」という表現が辛辣。

フィリップもダルレイ夫人も「なりたい自分」があるけれど、その姿にうまくリーチできていない人間。生まれ持った負けん気の強さで、もっとやれる!と自分を飾り立ててはみるけれど、簡単にメッキがはがれ、利用したはずの相手への罪悪感とみじめな自分への劣等感でボロボロになっていきます。

ダルレイ夫人は今後もこんなことを繰り返していくんだなぁと思いますが、フィリップは、思春期の後は一皮むけて、いけ好かない男に成長しそうだと感じました。というのも、フィリップは薄情なんです。ダルレイ夫人との唐突な別れの後、ヴァンカへの罪悪感で涙し、失神までします。感受性の豊かな男の子だなぁとは思うのですが、彼の話を聞いてみると全て自分のための涙なんですね。こいつ、かわいい顔して女を踏み台にしてのしあがっていくんタイプなんじゃないか、なんて感じました。

 

続いてヴァンカについて。

彼女については、「照れ屋よりも恥ずかしがり屋のほうがお得」これに尽きる。ヴァンカを見ていると、素朴で照れ屋なジブリヒロインを彷彿とさせます。ヴァンカはフィリップと対峙するとき、ふざけたり黙り込んだりしてします。もともと男っぽい性格であるのと、幼馴染に恋をしているという照れくささがそうさせてしまうのですが、もったいない!!!もったいないよ!!!

例えば気持ちを伝えようとする時、強がって笑うんじゃなくて、頬を染めて「私の気持ちわかんないの?」と言うだけでいいんですよ。そうすれば、フィリップの16歳の夏は、変な女との爛れた関係よりも、ぐっと女らしくなったヴァンカとの秘め事で満たされたかもしれない。

とにかく男っぽい彼女ですから、ダルレイ夫人との不埒な関係に話が及んだ時も、「あんたの打ち明け話なんて聞きたくないわ!浮気を弁明しようとするのは、あの女とのアレコレを思い出してもう一度幸せをかみしめたいからよ!くそったれ!」と、フィリップの最も痛いところを突きます。気持ちはわかるけど…これは言ったらまずくねぇか…とハラハラしてしまうんですね。

 

その後フィリップとヴァンカは無事?初体験を果たすのですが、翌朝鼻歌を歌っているヴァンカを目にし、フィリップの心は冷めてしまいます。「あのあと、女の子は泣くものじゃないのか?」とフィリップが少し残念に思ったからなのですが、そんなニワカ知識どこで覚えてきたんだよ!と突っ込みたくなりますね。そして、やっぱりフィリップは薄情!!

 

と、ストーリーもシンプルで理解しやすく、さらさらと読み進められますが、感じることがたくさんあります。あと、情景と心情の描写が秀悦。「明るい日のもとでは(昨夜のダルレイ夫人とのあれこれを)思い出して浸ることはできない」とか「夜はいくらでも他人に優しくできる気がする」とか。ちなみに私が感じたのは、大人の危機感のなさ。思春期の男女を二人きりにしたり、同じ部屋で過ごすことを許したり。もっとしっかり注意しとけ!と。

 

光文社古典新訳文庫は豪華な解説が魅力なのですが、本書の解説は鹿島茂先生でした。簡単に内容をまとめると、「青い麦」は、若い女の子と若い男の子の恋愛を取り上げたという点で、社会へのインパクトがあったそうです。というのも、当時の上流社会の結婚は、持参金の額がモノを言うので、男女間の愛情の有無はあまり問題になりませんでした。若い娘は傷物にされたらたまらんと監視されて育ち、恋を知らぬまま結婚します。若い男は、上流社会の人妻から手ほどきをしてもらった後結婚。箱入りのまま結婚した女は、今度は夫公認で独身男子と交際をし、手ほどきをしてあげる。というもの(すごくサステナブルな社会ですね)だったので、男女の初々しい恋愛を題材にしたものは珍しかったそうですよ。

 

ずいぶん昔の作品ではありますが、今読んでもみずみずしさ溢れます。 

おわり。

面白いんだけど非現実演出のための小道具が過剰すぎて集中できないミステリ 恩田陸「黄昏の百合の骨」

こんにちは。

 

もともと知名度は高かったものの、蜜蜂と遠雷で一気に大御所感が出た恩田陸初期の作品「黄昏の百合の骨」。「三月は深き紅の淵を」「麦の海に沈む果実」「黒と茶の幻想」三部作の関連作品。不思議な雰囲気が漂っています。

黄昏の百合の骨 (講談社文庫)

 

女子高生の理瀬は、つい最近「魔女の家」と呼ばれるお屋敷に越してきた。もとは祖母といとこの亘、稔と共に住んでいたが、イギリスに留学してから何年も離れていた古いお屋敷。今は亘、稔も自立して家を離れ、今は祖父の出戻り娘、梨南子と梨耶子の二人が住んでいる(祖母と祖父は子連れ同士で再婚したため血はつながっていない)。魔女の家…その屋敷がそう呼ばれる所以は、その古びた外観の薄気味悪さだけでなく、祖父の失踪、祖母の死、梨南子の夫の病死など、謎の事件が続いていること。

理瀬が魔女の家に越してきたのには理由があった。半年前に亡くなった祖母が「理瀬が半年以上住まない限り取り壊してはならない」という遺言を残したから。祖母の一周忌に合わせて大学生の亘、稔も戻ってきて数日間共に暮らすことになるが、理瀬の身の回りに謎の事件が起こり始める。ポストに投函された脅迫文、隣家に住む友人朋子の家で飼っていた黒猫の死、朋子にアプローチしていた少年田丸の失踪。朋子の弟慎二の「このままだと死んじゃうから逃げて」という忠告…理瀬も理瀬で、屋敷の中で「ジュピター」を探している。誰もが何かを隠している。皆が疑心暗鬼になり互いを探りあうが、そんなとき梨耶子が謎の死を遂げ…

 

どんでん返し、伏線の回収は見事。一部の恩田陸作品には「さんざん引っ張っておいて結局真相がわからん奴」という驚くべき刺客がいますが、これは大丈夫です。展開が気になってページをめくる手が止まらない一気読み系。

 

と、ミステリとしてはGOODなんですが、非現実・非日常を演出するための小道具が中二臭くて蕁麻疹出そうなところがイマイチ。

はじめに、理瀬も朋子も金持ちなんです。そして彼女たちがが通う紫苑という女子校は「中途編入できるの!?」と驚かれるほどのお嬢様学校。紫苑の近くにある朋子の幼馴染雅雪と田丸が通うS高も県立の進学校。朋子の父、稔は医師。雅雪の父も弁護士。亘はおそらく京大の学生。学生起業しているらしく、アメリカ留学目前。

医師に弁護士、お嬢様校と進学校、学生起業に留学…そういうとんがり要素は少しだからこそ効いてくるのに、アレもコレもと盛り込みすぎで渋滞を起こしている。そして、金のにおいに敏感な設定の梨耶子は、「学士様!お医者様!」亘と稔を過剰にちやほやしていますが、20代の学生起業家と勤務医…ぶっちゃけ、懐具合には期待できないと思うんだけど。

まだ続きます。

理瀬のイギリス住まいの時点であれだけど、なんと、親が決めたヨハンというの婚約者がいたり。また、理瀬は隠れて煙草を吸っているのですが、部屋の片隅にうずくまって吸うんです。「ここなら煙が漏れないからばれない」とか言っているんだけど、煙草って臭ぇんだよ!!!部屋の端っこで吸ったからってばれないもんじゃねえから。絶対ばれてるわ。となる。さらに、その吸いさしを稔が吸うという演出も粋を通り越してくどい。実は、亘との秘めたる恋もあります。

弁護士医師婚約者イギリス複雑な家系海軍…少女漫画に出てくる夢のような設定をてんこ盛りした挙句、禁断の恋愛、タバコでちょい悪アピールなんて、鳥肌立つわ。「俺んち海外にいっぱい別荘があって明日プライベートジェットでいくわ」とか平気で言う小学生の嘘を聞いている気分。

それ以前に、理瀬シンパは皆美男美女。色白で目が美しい「誰が見てもうっとりする」容姿を持っている登場人物が、いち、にい、さん、よにん…も出てきます。そんなに要る?????一人でよくね?逆に、理瀬にディスられている人は損な役回りを押し付けられるなど。。。そもそも理瀬は、頭脳明晰で勘が鋭く、演技派で、危うさがないため感情移入はできません。理瀬が最も信頼する稔のセリフ回しも、キマりすぎでだせぇ…という印象。

 

また、本書の見どころとして、「闇と光」と「善と悪」の対比があります。中二臭ぇ。。。幼い頃から大人の複雑な事情に巻き込まれ、家のアレコレを知悉しスレている理瀬、稔は闇。「私たちは『こっち側』の人間でいい。『あっち側』にいる亘だけは守りたい」と、生まれながらに心優しい亘を、魔女の家のドロドロとした事情に巻き込まず、明るい道を歩いていけるように腐心しますが、亘は亘で、それに疎外感を覚えています。「善は悪の上澄み」とか、うわー、中二臭ぇ。。。(何度目?)

中二臭い小道具に、中二臭いメッセージを畳みかけてくる。自分が中学生だったら、「かっこいい!」「素敵!」となったのでしょうが、30過ぎるとこういう胃もたれする小道具は2、3個が限界。

 

そういえば、私が恩田陸にはまったのは、「ネバーランド」という小説がきっかけ。今思えばあれも中二臭ぇ話だったな。。。老いを実感せずにはいられませんでした…

ミステリの構成がよかっただけに、舞台設定をもう少し作りこんでほしかったな。

おわり。

 

関連作品はこちら。

三月は深き紅の淵を (講談社文庫)

三月は深き紅の淵を (講談社文庫)

 
麦の海に沈む果実 (講談社文庫)

麦の海に沈む果実 (講談社文庫)

 
黒と茶の幻想 (上) (講談社文庫)

黒と茶の幻想 (上) (講談社文庫)

 

 

夜中に目が覚めたとき襲われる猛烈な不安を一日中抱き続けた土曜日 新潮クレスト「土曜日」

こんにちは。

 

ある脳神経外科医の一日をつぶさに書いた作品。夜中に目が覚めたとき、そして寝付けない夜、私たちの心を支配するのはネガティブな感情です。怒り、不安、孤独感、混乱…

土曜日の朝4時に目覚めた脳神経外科医の主人公は、床につくまでの間、実にたくさんの出来事に遭遇しました。夜中に目覚めたとき特有の妄執を抱えたまま一日を過ごした男の記録。自分まで夢を見ているような気持ちになる不思議な小説。新潮クレスト「土曜日」です。

土曜日 (新潮クレスト・ブックス)

 

朝4時に目覚めてしまった脳神経外科医のヘンリー・ペウロン。家の窓から空を眺めていたら、炎上した飛行機がヒースロー空港に向かうのを目撃した。9.11のテロが起きた直後の世界。テロか?事故か?と不安になる。隣で眠る妻ロザリンドと何回やっても飽きないセックスをしたのち仕事に向かうが、車で軽い接触事故を起こし、3人の男に絡まれる。しかしそのリーダー格の男バクスターの奇妙な行動を見たペウロンは、彼が遺伝性の病を患っていることに気付き、それを指摘し一旦は難を逃れるが、逆恨みした彼らは家に乗り込んでくる。その場にいた家族(妻、妻の父、娘デイジー、息子シーオ)が人質に取られるが、バクスターは詩人であるデイジーの詩を絶賛し理解しあう。ペウロンは息子と協力し、バクスターを撃退する。一息ついたペウロンは、勤務先の病院から急患の連絡を受け病院へ向かうと、瀕死の重傷を負ったバクスターがいた。彼の処置を終え帰宅すると妻から、デイジーが妊娠中で、父親はいないが出産する意向があるということを聞かされる。ペウロンは物思いにふける。まぁでも、妻がいるからいいか、と思い寝る。

おしまい。

 

突飛なストーリーですから、どこまで真面目に読んでいったらよいかわからないわけです。自分なりにポイントと思われるのはこちら。

1.非現実的なイベント

そもそも、こんな一日あり得るんですか??あれもこれもと奇怪な事件に巻き込まれるのはもちろん、「君のお父さんも同じ病気だったろう」とかっこよく遺伝性の病気を指摘してバクスターと心を通わすとことか、デイジーの詩を絶賛され命拾いしたり、こういう展開を実際に起こったことととらえ、そのイベントから教訓を得るのは難しい。患者を見たら先ほど撃退したバクスターがこんにちはとか、もはやホラー。9割9分(それ以上?)妄想のストーリーなのでは、と感じます。

視点人物はペウロンなので、これをペウロンの妄想として分析して、ヒーロー願望?や深層心理を洗い出すのもできないことはないと思うのですが、私は、ペウロンの存在そのものが「妄想」というか「架空」のものなのだととらえました。フィクションである以上、ペウロンが架空の人物なのは当たり前なのですが、著者が伝えたいことを書くためにゼロから生み出した、そこらへんにはいない変わった男。そして、そんな地に足のついてない男の一日に、荒唐無稽なイベントをこれでもかと投入していく。不思議な世界に迷い込んでしまったようなペウロンの頭の中を、読者は神の視点で眺めていくような、そんな構成なのではないでしょうか。

 

2.非現実的な家族

ペウロンの妻ロザリンドは敏腕弁護士。エリート夫婦は一等地に居を構えています。娘のデイジーは新進気鋭の詩人。息子はミュージシャンです。娘とも息子とも相応の距離がありますが、娘は「読んでほしい本」と称して父に本を送ってきて激論を交わしたり、息子がリサイタルに誘ったり、良好な関係。

ペウロンは序盤で、自分の友人は若い女に目移りしているが、自分はロザリンドがいつまでも美しいと思う。セックスの度にすごく興奮すると感じているのだ読者に伝えてきます。その時は「ごちそうさま」と片付けたのですが、その後のストーリーを読み進めると、謎のアツアツっぷりに、もしや妄想の世界?ってなりました。絵に描いたような幸せな家族。デイジーが妊娠して、母親が途端、「応援するわ」っていうのもあり得るか?

 

3.で、言いたいことは?

非の打ちどころもない家族に謎イベントをぶつけて何が生まれるの?と思うわけですが、私は、「ぼんやりとした不安を抱えたまま、浮足立った男の一日の記録」ととらえました。彼の一日は、「ヒースロー空港に突っ込んでいく炎上した飛行機」から始まります。これを目撃したペウロンはニュースを見ますが、事故知らせはない。1時間後のニュースを見ても、特に大きく取り上げられてはいない。見間違いかな…??と、すでにここから漂う異世界感。

その後の一日は、今後の世界情勢への不安が頭をもたげています。もともとのペウロンがそうなのか、この日特別に浮足立っていたのか、自分の意志や感情のなさが目立つ。あれが嫌いとか悩みとか、そういう生々しい感情があっても良いのに、その場の雰囲気に流されてぼーっとしている。3人組に絡まれて殴られた時も、「頭は守らなきゃないなぁ。今まで頭を打ち付けて大変な人をたくさん見てきたから」と考えているんですね。

おそらくですが、もともと心配性の彼。朝方4時に目覚め、不安な光景を見て彼の心はそれで飽和状態になっているんですね。でも仕事に行く。寝不足の頭に浮かんでくるのは、情勢不安に伴う不吉な予感ばかり。そんな中、3人組に絡まれ、何とかやり過ごしたと思ったら家に乗り込んできて、とトンデモイベントが立て続けに起こり、自分を失ってしまう。っていう様を、読者に体験させるべくありありと書いただけの小説なのかな?って思いました。

ほんとにほんとに、これで終わり。ユリシーズ読んだ時と同じ気持ちになりました。難しいし、よくわからん!!

 

こちら、以前紹介した「初夜」の作家です。内面をつぶさに書くのは得意なんでしょうが、今回は「初夜(ハート)」なんていう俗っぽいテーマではないので、真意を測りかねてしまいました。頼みの綱の解説も、まじでよくわかんないw

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「初夜」と同じ衝撃を得られると思って期待しましたが、返り討ち。奥が深いです。

おわり。