はらぺこあおむしのぼうけん

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子どもを優しい子に育てるメリットなんてどこにもない 「ギルティクラウン レクイエムスコア」

こんにちは。

 

ギルティクラウン レクイエム・スコア I (トクマ・ノベルズ)

 

コードギアス反逆のルルーシュ」を見て、ルルーシュの生き様に惚れ込んだ私。コードギアス好きならこれ!と薦められたギルティクラウンを読んでみました。制作スタッフが同じらしく、世界観や設定がかなり似ているようです。


舞台は十数年後の日本。アポカリプスウイルス(APウイルス)感染が原因の、皮膚が硬化し死に至る病が流行しています。今のところ治療法はなく、ワクチンを定期的に打ち発症を遅らせるしか術はありません。こんな大変な病気が流行っているのに、無能な政府は保身に走り、対策は後手に回りました。結局、パンデミックを警戒し、アメリカ主導で組織された超国家的組織GHQに乗り込まれ、実質的に支配されている状態。日本解放を謳う地下組織「葬儀社」が今回の主人公です。

葬儀社は、カリスマリーダー恙神涯のもと、EGOISTというバンドのヴォーカル兼広告塔のイノリ、クラッカーのツグミ、モビルスーツみたいなやつのパイロット綾瀬、武闘派の大雲、アルゴ、参謀の四分儀、ボマーの研二など精鋭が集っています。APウイルスの研究拠点であるセフィラゲノミクス社からあるアンプルを奪取して、涯が「王の力」を得る計画でしたが、トラブルにより、その場に居合わせた集というごく普通の高校生が「王の力」を得てしまいます。「ごく普通」とは言いましたが、集はガンダムSEEDでいうところのキラ・ヤマト。なんでもできるスーパーコーディネーター的立ち位置なのですが、それは最後にわかります。

「王の力」というのは、誰もが持っている「心」を引き出して武器や道具として使う力。心はヴォイドと呼ばれています。その人を具現化したようなもので、イノリは剣、優しい子は回復系の包帯、お調子者の男子はどんな鍵でも開けてしまうカメラ、キョドッてる女子はいろんなところを見渡せる双眼鏡なんてものも。ヴォイドを引き出すときの動きがとにかくエロくて、そこがすごく気持ち悪いので減点30ですw
集はしぶしぶ葬儀社の活動に手を貸し、そこで自分を認めてくれる存在を得て成長していきます。ついに友人に裏切られ、友人の弟を殺したりもします。悩みながらも、「自分にしかできないことがある」と自分を納得させ、葬儀社の活動に身を投じていく集。ついに、自分を理解してくれていた涯の死を経験し、彼の気持ちは大きく揺れ動きます。ここまでが前半(1~2巻)。

後半(3~4巻)は、葬儀社解散後の世界。自分を理解してくれた少女を失ったことで闇落ちした集と、かりそめの姿で生き返った涯との対決がメイン。ヴォイドの正体や、涯が葬儀社を結成した理由も明らかになります。もちろん設定や展開に無理もあるけれど、ストーリーは面白く、登場人物それぞれが個性的なので読んでて飽きないです。テロリストを主人公にした物語の宿命ですが、中心メンバーがバタバタ死んでいき、すごく悲しい…

 

「王とは?」「自分の思う王になれ」という言葉が何度も出てきます。涯と集は所詮異なる人間。涯を真似ても仕方がない。自分が最も力を発揮できるやり方で、皆を導く王になれ、と。一旦は闇落ちして悪政を敷いた集でしたが、自分にできることは皆で協力して敵に立ち向かうやり方だろうという結論に達します。これは、カリスマとして軍隊式にオラオラと葬儀社を導いてきた涯と対極に位置する姿に描かれているわけで、ほとばしる「善」のオーラ。

小説でもドラマでも友情努力勝利を標榜するような漫画でも、主人公には人望があることが多いです。それは、「人に助けてもらえれば大事を為せるよ。カリスマになるのは難しくても、人望を得ることは誰にでも出来ること。明日から君も、周りの仲間を大切にして頑張れ」というメッセージに思えるのですが、果たして人望ってそんなに簡単に得られるものなのでしょうか。

 

涯の放ったこのセリフ「常に選ばれ、それを簡単に手放してきたお前には絶対わからない 」が印象的です。涯には持って生まれたカリスマ性はありますが、人生において何度も、一番愛されたい人を他人にかっさわれるという憂き目を見ています。ただ、涯は決して周りの人を蔑ろにしてきたことはなく、むしろ周りに気を配り、死んだ仲間を夢に見てうなされるような優しい心を持っています。対して集は、生まれつきの愛され体質でありながら、あれは嫌これは嫌と、序盤は自分を想う人に平気で背を向けています。世の中は不公平で、常にたくさんの人から手を差しのべてもらえる人もいれば、伸ばした手を誰からも握ってもらえない人がいるわけです。

例えば、涯を密かに思っていた綾瀬。彼女は、薄情なイノリがいつも涯に必要とされているのを見て、「なぜイノリだけ?」「私の何が問題なのかな?」「これからどうすればいいのかな?」と自らに問いかけ続けています。しかしあるとき、「今自分が置かれている状況はすでに、涯の出した答えなんだ」ということに気付き戦慄します。涯に告白するまでもなく、自分が選ばれないという時点ですでに「(あくまでも今の時点では)イノリの方が好きですよ」という返事をもらっているのも同じということ。「誘われなかった」「連絡がない」「自分のことが忘れられている」…こと人間関係は、相手が自分をどう思っているかの結果を、常に突きつけられているようなものなんです。

優しくあっても、努力をしても選ばれない人間はどこにでもいます。逆に、別に優しさも思いやりもなくても、人が寄ってくる人間もいる。こればっかりは生まれつきなのでしょう。私もそんなに選ばれる側でもないですから、小説などで「人に愛されるのは簡単では?」というメッセージを受けとると、首をかしげてしまうのです。

 

まぁ、所詮ライトノベルなのでアレコレ語るつもりはありませんが、最後まで読んで一言。

「子どもを優しい子に育てるメリットなんてないのでは?」

幸せな記憶しか持たない集と、辛い生い立ちの涯が目指す「王」の姿の対比が興味深い作品ですが、もともとメンタルが豆腐の上に親しい人の死を経験した集の闇落ちは強烈です。GHQの陰謀により130人余りの生徒とともに学校一帯を封鎖された集らは、限られた物資で生き延びつつ、学校からの脱出を画策します。唯一ヴォイドを使える集を「王」とし、ヴォイドの有用性をランク分けして徹底的な階級制を敷きます。集のまわりにはイエスマンばかりの親衛隊を配備し、上位ランクの者が下位ランクをリンチなんていうのも日常茶飯事。普通に人死にも出ています。涯も手段を選ばないタイプでしたが、葬儀社の元メンバーから言わせても「涯だってそんなことしねぇよ」という極悪非道さ。

私はこういう展開が大好物なので「集イケイケー!罪も悲しみも苦しみもぜーーーーーんぶ背負って頑張れ!」なんて応援したものですが、一部の生徒の裏切りに遭い、集は過去の行動をあっさり「ゴメン」で済ませます。もともと厚遇されていた親衛隊たちと、「ゴメンね」「いや俺も悪かった」とお友達ごっこをして終了。お前のせいで虐げられてあの世送りにされた奴らにも謝ってこい!いったん、あの世までいって謝ってこい!ってなる。

悪を為したものは簡単にゴメンと言ってはいけません。ゴメンと言われても失われたものは戻らないし、逆に、憎しみの的を失った被害者たちを苦しめるからです。涯はそれを理解していました。

 

多くの読者は、「集と涯どっちが優しい?」と聞かれると、集一択!となるんでしょうが、私からしたら涯のが100倍優しかろうと思うわけです。

ひとつめ。涯の闇落ちは、葬儀社のリーダーとして非合法活動に身を投じる程度ですが、集は学校全体に絶対服従の身分制を敷き、意図してクズを痛めつけても笑っていられるレベルなんです。下位層がリンチに遭っていたり、物資をもらえなくて苦しんでいても心を痛めずにスルーできます。究極の状態で現れた本性が陰湿なイジメって、集、終わってんな。

ふたつめ。自分が悪いことをしていると気付いても心を削られないどころか、恥ずかしいとも思わないタフさ。涯は葬儀社のメンバーをだましているところや、テロ活動で弱い市民に苦労を強いていることに罪の意識を抱いていますが、歯を食いしばって目的を達成しようとします。対して集。王として気に入った親衛隊をはべらせて、クズどもをいじめていたわけですが、あんなどす黒い自分を見られたことにも羞恥心を抱かず、今までのお友達と仲直りできるって、メンタル太いなと。涯よりも断然太いんだよ。

しかし、葬儀社のメンバーも集を真の王とみなし、最後は涯の敵に回ります。その上、「涯もそう望んでいたのではないしら?」と都合よく解釈し、涯の死を受け入れます。共に死線をくぐってきていながら、涯の苦しみを一緒に担いでくれる人は誰もいなかったんかい!と悲しくなる。辛い出来事のせいで悪を為しても集は許されて、涯は許されないというのも切なすぎでは…!

 

育ちの良さとピュアな見た目で優しい心を持った若者とみなされがちな集ですが、心の底では黒いものがうごめいている上、それをあっさりなかったことにできる太さは、「優しい」とは程遠くて。本当に優しい子は、自分がやったことのせいで苦しんでいる人を見かけたら同じように心を痛め、自らの過ちを恥じることができる子です。子育てにおいては「優しい子に育てる」というものが当たり前のように言われていますが、子どもを、本当の意味での優しい子に育てるメリットってどこにあるの?ないよね?なんて思いました。ロールキャベツ男子のように、ウサギの皮をかぶったキツネに育てるほうがいいのかもしれません。

真面目で優しそうに見えた集の母も、集に輪をかけて性格が悪いんですね。生き返った涯に戸惑う葬儀社のメンバーに、「涯をよみがえらせたのは自分だ」ということをわざと隠します。涯への同情から攻撃の手が弱まれば、集の身も危うくなるからです。母として気持ちはわかりますが、集の母は「うーん、私も悪い人間ねw」ですぐに気持ちを切り替えられるあたり、すっごいメンタル太いな…。

 

息をつくように悪事ができること、そしてそれを「私が悪いのよー」で開き直れるメンタル。これが勝ち組のオキテなんでしょうと、モヤモヤ。でもただ、これが現実なのでしょうがないですが。

 

4巻もありますが、ついつい一気読みしてしまいました。

 

おわり。