はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

女は女であるのではなく女になるのだ 川端康成「女であること」

こんにちは。

川端康成「女であること」です。タイトルからすでに、女の生々しい欲望とどろどろした感情がバチバチぶつかりそうですね。期待を込めて即決し、お金と本を握りしめてレジに向かいます。

 

女であること (新潮文庫)

 

舞台は田園調布。主人公は市子という主婦。夫の佐山は弁護士、二人の間には子どもはいませんが、佐山が担当している死刑囚の娘妙子を家で預かっています。そんな市子のところに、市子の女学校時代の同級生の娘さかえが転がり込んでくる。さかえは天真爛漫でコミュ力が高く、佐山になつきます。さかえが来たことで、もともとふさぎ込んでいた妙子はさらに引きこもりがちになるし、佐山の態度の変化も気がかりで、市子はさかえを疎ましく思うようになります。さらにはさかえの母である音子も上京してきて、市子の心は乱される。そんな中妙子は大学生の有田と逢引きを重ねるようになり…

 

と、期待を裏切らずに事情のある女たちが続々と登場し、胸も鼻の穴も膨らむ展開。

それぞれの女は問題を抱えています。市子と佐山は子どもができずに悩んでいる。40を過ぎたところなので現代の感覚から言えば全然じゃん、という感じなのですが、何しろ同級生の音子がハタチ間際の娘を持っている、そういう時代ですから、半分諦めています。子どもがいないことについてお互いに何となく申し訳ない気持ちを抱えていて、少し距離がある。音子は実業家の夫がいましたが、夫は若い女と逃げていきました。女に負けたくない一心で、昔の家の明け渡しを拒否して住み着き、娘たちからは亡霊のようだと言われています。

さかえは、そんな「捨てられボケ」している母との生活に嫌気がさし、東京に出てきましたが、目標も持てずに若さを持て余している。「捨てられボケ」って強烈ですよね。中年になって夫に見捨てられ、若い女への当てつけのためだけに、住みたくもないところにどっかり居座り、過去ばかりを思い出している音子。市子は気弱なタイプなので、こういうごり押ししてくる女たちに振り回されっぱなしです。

 

女の心情を的確に書き表しているところが、この本の素晴らしいところ。テーマといえば「自然への回帰と同じように、女は女に帰る」ということ(解説にありました)。女としての矜持、女としての幸せ、美醜、優劣、いくつになっても、無意識にそういうものを求めているのが女なのだと。

一番忘れがたいのは、妙子と有田の恋です。有田は大学生。当時の大学生といえば将来が約束されたインテリですから、死刑囚の娘の妙子なんかとは釣り合いません。妙子は不安と、初めて恋を覚えた喜びから、正常な判断ができなくなり有田のところへ転がり込みます。有田も最初は二人の将来を意識こそすれ、一回セックスしてしまっては熱も冷めがち。一度母親のところに交際の報告をしたのですが、母親から泣きつかれ、学校の寮にぶちこまれて同棲は解消することに。有田は心が軽くなり、ほとんど妙子の家に寄り付かなくなります。

妙子は、「一人でいると有田のことばかりを考えてしまう。でも二人でいると、不安が募る」と友人に辛い心情を吐露します。「だから最初の頃とは違って、今はおとなしくして様子をみているの」とドヤ顔する妙子に、「静かにするなら最初からそうすべきでしょう。一線を越えた後では、追いかけ続けるしかないわ」と冷静に返す友人。ここは忘れられないシーンです。確実に二人の関係は破綻しているのに、「今距離を置いている」ってかたくなに主張する女っていますよね。女からの「距離を置こう」はうまくいくことはありますが、男から距離を置かれた恋愛は、十中八九破綻ですからね。ここ重要です。

 

市子には清野という過去に愛した男がいました。彼と遭遇し市子は焦ります。折悪くその時さかえが側にいて、鼻が利く彼女は清野と市子の関係に気付いてしまう。音子は男で、若かりし頃市子の逢引きのアリバイ作りに使われていましたから秘密を握っており、さかえか音子が佐山に清野のことを漏らしてしまうのではないかと気が気ではない市子。彼女はとにかく気遣いの女なので、胃に穴が開きそうです。

市子は別に、今も清野が好きというわけではありません。ただ、初めての男だったことと、恋が叶わなかったから思い出が美化されていて、自分が世の中に取り残された気持ちになるんですね。

 

完全に余談なんですが、

中学校の国語のM先生が「伊豆の踊子読んで、踊子が自分の座布団を、自分の体温を伝えないように裏返して渡すシーンがあってさぁ、そこぐっとくるんだよぉ」って口に泡をためながら熱弁していたのが忘れられなくて、それ以来、川端康成=女の奥ゆかしさを表現する神と認識しているのですが、今回もそういうシーンありました!さかえは東京に出てきてしばらくは、持ちだしたお金でホテル住まいしているんですね。なんですぐにうちにこなかったの?と市子に言われ、「はじまってしまって…ちょっと」ともじもじ。いわゆる月のものがきてしまったので、そういう体で男性の前に出たくなかった、しかも布団も使わせていただくのもなんか…と。こういところ、M先生、今回もぐっときましたかー?と叫びたくなりました。私はガサツな女なので、3回くらい読まないとさかえのもじもじの理由がわからなかったですよ。

 

と、「女の性」ってこういうことなのかな。と感じさせる作品。ある程度の年齢の女性なら、出てくる人全員の気持ちがわかると思います。どろどろしているかと思いきや、平穏な暮らしが乱されたことで市子の秘めていた女らしさが甦り佐山はぐっときてしまうわけで…もちろんあれがああなって…と、実は驚きのハッピーエンド。雲行きの怪しさに、中盤は、誰か一人くらい心壊すんじゃねぇかと思うのですが、安心して読めます。川端康成の作品の中ではかなり好きな作品です。

 

おわり。 

なんか世の中嫌な奴ばっかりだな 村上柴田翻訳堂「呪われた腕ーハーディ傑作選」

こんにちは。

村上柴田翻訳堂のラインナップ、「呪われた腕ーハーディ傑作選」です。帯に、「これを読むと小説が書きたくなる」とか書いてあります。読んでみると、この構成の美しさ、無駄のない言葉に素晴らしい…となる。創作されている方々は、俺もこういうの書くぞ!!ってなるのでしょうね。

 

呪われた腕: ハーディ傑作選 (新潮文庫)

 

 

dandelion-67513.hateblo.jp

 

これは、トマス・ハーディー氏の短編集です。例えばこんな話。

「わが子ゆえに」

ソフィという女性は、女中として働いていた牧師館で、妻を亡くした牧師に見初められて後添いになります。元女中ですから教養もない、育ちも悪いわけで、牧師としても身分違いを承知の上での結婚でした。しかし牧師もすぐに亡くなってしまいます。牧師には先妻との間にランドルフという息子がいました。血のつながらない母と母一人子一人というメジャーの五郎状態。しかし彼はソフィの育ちの悪さが気に入らない。母親を恥ずかしく思っている。

ソフィにはサムという幼馴染がいました。庭師で、若いころにサムはソフィに求婚します。ソフィを忘れられないサムは牧師の死を知り、再度求婚。ソフィは結婚に応じたいのですが、ランドルフがいい顔をしないので先延ばししています。時期が来たらランドルフも認めてくれると信じ待ちますが、大学生になっても家を出ても、ランドルフは認めない。意地になっています。そしてソフィは失意のうちに亡くなり、ソフィの葬列を見送るサムを、ランドルフがじっと睨みつけていました。

 

「憂鬱な軽騎兵

ある村でドイツ兵が駐屯していました。あるドイツ兵と恋に落ちる娘。ドイツ兵は娘に駆け落ちしようと提案します。さてこの娘、他の村の男と親同士で結婚が決まっていました。その婚約者は村のごたごたを片付けてから絶対迎えに来ると言いながらも、全然その気を見せない。娘は駆け落ちを決意しますが、駆け落ちしようというまさにその日にその婚約者とやらがやってくる。自分を迎えに来てくれたのであれば、婚約者と結婚するのが筋だろうと、駆け落ちを断念する娘。

婚約者と散歩していると、そいつはこんなことを言います「実は俺、結婚してるんだ。かわいい女と。だから頼むからこの結婚は当人どうしで破談になったことにしないかい??おやじにも頭あがんねぇからさぁ」と。婚約者が自分を迎えに来なかったのは、その嫁とやらとただ離れがたかっただけで、娘のことなんかできる限り引き延ばそうと思っていた。娘はとんでもないことをしてしまったと思いドイツ兵の野営地へ急ぎますが、ちょうど、脱走のかどで愛するドイツ兵の処刑が行われていました。

 

どっちも、胸ふさがれる思いです。嫌な奴ばっかり出てくる。

ランドルフとか何なん?お前のせいでお母さん苦労したのに、自分が自立してからもなお身分が低いからって嫌がらせしやがっててめぇふざけんなよ。と。ランドルフはよくいるアレですよ。世の中の幸せの総量は決まっていると信じ込んでいて、誰かが幸せになるのに躊躇してしまうどころか、誰かの幸福をぶんどって自分のものにしようと考えている人。UBERとかメルカリの評価に、何があってもなくても基本BADをつける人がいるらしいんですが、ランドルフも現代にいたら絶対こんなタイプですね。

あと、婚約者!!!お前はゴミくずだ。

 

世の中、「我慢する側」と「我慢させる側」に綺麗に分かれています。そしてそれは絶対的なものではなく相対的なもの。遅刻する奴は誰に対しても遅刻すると思われがちですが、好きな人と会う時には15分前に到着し、どうでもいいと思っている相手には平気で30分も遅刻してきます。ほとんどの人間は無意識に、自分が楽しいことばかりして生きていきたい、自分より弱そうなやつは積極的に蔑ろにしよう。強い人には媚びておこうと思っています。

子どもを持って気づいたのは、「世の中優しい人もいるんだな」と思う割合と、「反撃しない相手にはこうも人間はストレスを簡単にぶつけてくるのか」と思う割合が1対9くらい。日本のオジサンってほんとすごいんです。会社のストレスを平気で妊婦や乳幼児にぶつけてくるんです。でも、でっかいキャリーバック持って大声で電話している外国人にはそっと場所譲ってあげたりするんです。こいつにはやりたい放題やってやろう、この人には従おう、と即座に判断。数十年の社畜人生で培われたんでしょうか。

 

さらにそういう嫌な奴はいつも「被害者意識が強い」んです。ランドルフは「みじめな母親に育てられた俺かわいそう」、婚約者は「好きな女がいるのに結婚させられる俺かわいそう」と。自分のせいで何かをあきらめている、不幸になっている相手の事情なんか考える余裕もない、だって自分が世界で一番不幸なんだから。

対して、「自分の都合を相手に押し付けてはならない」「誰にでも優しく」「人はきっと分かり合える」の信条を持っている心根が優しい人は、多くの場合で我慢する側にまわり、割を食う。自分の気持ちより相手を慮ってしい、自分の幸せはいつも後回し。

 

悲しいかな、世の中こうなんです。よくアクションRPGで〇ボタン押すとダッシュできるじゃないですか。うじゃうじゃいる周りのモンスターに攻撃を与えられるわけでもないけど、圧かけて避けさせるやつ。あんな感じです。嫌な奴がダッシュすれば、いい人が避けてあげるんです。でも嫌な奴は「こんなごちゃごちゃ邪魔されて可哀そう俺」ですからね。報われない。

弱肉強食、気を抜いたら負ける。優しさを見せたら一瞬で吹っ飛ばされる。人生そういうもの。しかも強い人間に限って、「争いのない世の中になってほしい」とか言い出します。お前結構好戦的で、実は人からいろいろ奪ってるけどな!その口がな!!となる。

 

他にも怖い話、愛情の話、いろいろありますが、不思議な読後感。そして、弱い人間を食い物にする強い人間へのイライラ感。ハーディは、人生における運命と偶然に起きるすれ違いに強く興味を持っていたとのことです。主人公が徹底して孤独に描かれている、そして嫌な奴がいっぱいいるのがすごく印象的でした。

 

おわり。

 

もうすぐ怪談の夏が来ますよ!! 父デュマ「千霊一霊物語」

こんにちは。

5月14日に発売されたばかりのこちら「三銃士」、「巌窟王」で有名なアレクサンドル・デュマの「千霊一霊物語」です。

千霊一霊物語 (光文社古典新訳文庫)

 

私、光文社古典新訳文庫はかなり気に入っています。装丁以外。なんか全体的に似てしまうので、書影が公開された時の、コレコレ!感がないんですよね。発売日に本屋に突進するレベルで新刊を待っている私、書影公開の日もとても大切な日で、広告を見ながら萌えたい。まぁ、それでも買いますがw

 

光文社古典新訳文庫の魅力をもう少し話すとすると、

1。登場人物が簡潔に説明してあるしおりが素晴らしい

 

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2。巻末の著者年表が素晴らしい(生まれから没するまでの、著作の発表・個人的な出来事が網羅されている。なんと年表だけで10ページ以上ですよ!)

3。解説が素晴らしい

と素晴らしい尽くし。特に解説。普通の古典読むと、いきなり「〇〇へのオマージュが感じられる」とか「読者諸氏におかれては」とか「…という批判もあろうが近年は見直されてきている」とか、誰に向かって話してるんだてめぇ、こっちは初めて読んだんだよ、とか思いません?明らかに著者や他の著作、著者の背景について熟知している人向けに書かれているわけで、「いや別に、私は本屋で気になって手に取っただけで、スイマセン」という気持ちに。しかし光文社古典新訳文庫の解説は初めて読んだ人にも、他の著作を知らない人にもわかるように書いてあるわけです。ゆとり世代の救世主。最高。

こんな感じでフムフムと読んでいくと、「椿姫のデュマ・フィスの母親はデュマの下宿先の隣人。でも生まれてすぐに認知せず、舞台女優との間に婚外子が生まれた7歳の時やっとまとめて認知した。しかしデュマの老後の面倒を見たのは子デュマらの婚外子たち」、「デュマは多作であり、背景には共同著作者の存在が。小説工場と告発されたこともある」という、知った顔でうんちく語れるようになります。すごい。

 

さて、「千霊一霊物語」について。

劇作家のデュマが27歳のころのある日を回想する形で始まります。ある日デュマは趣味の狩りの最中、戯れに町に降り、そこである事件に行きあいます。顔面蒼白でフラフラの男が市長の家に来て「妻を殺したから逮捕してくれ!」と懇願する。男が言うには「嫁の生首がしゃべった」と。男の精神状態は尋常ではなく、何かを恐れている。現場検証ののち、医師や文士や牧師など市長の知己たちと共に昼食をとることになったデュマ。「生首が喋るってあり得るかなぁ」という話から、各々が自分が知っている奇怪な話を披露することに。

 

千霊一霊物語というタイトルを読めばわかるように、千夜一夜物語を意識している枠小説。例えば、ギロチンにかけられた死体が意識を持っているかという研究をしていた医師が、夜中麻袋に入った処刑者の死体を検分していたところ、名前を呼ばれる。え、恋人しか知らないこの名前…?どこから聞こえるの…?麻袋を開けてみると…おおお前だー!!!的なやつ。ある判事が死刑宣告した死刑囚にフ〇ック的なことを言われ、ああいつものことだと流していたら、部屋に猫が居つくように。でも猫は誰にも見えないらしい。猫が次には執事が、そして…。これは、執事のコミカルな動きに笑ってしまうんですが。

と、死とは生とは、良き魂、悪い魂とは、霊とはという難しいテーマも出てくるのですが、面白い。解説の受け売りですが、ギロチンによる処刑が始まったころの話らしく、そこに触れたい意図もあるようです。

 

劇にしたらより面白そうなストーリー。小説のなかでは、デュマは劇作家としてそこそこ名前を知られていますので、ハジメマシテの市長にも丁重にもてなされる。窓を見ながら、あの人はかくかくしかじか、あそこにいる人はこんな人で、と説明されるシーンがあり、2時間サスペンスで刑事でも何でもない船越〇一郎がちゃっかりみんなの中に交わっていく様子を彷彿とさせます。おもしろくて一気読み!!

 

枠小説といえば、カンタベリー物語、デカメロンもおすすめ。キングの新アラビア夜話は光文社古典新訳文庫で出ています。

 

完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)

完訳 カンタベリー物語〈上〉 (岩波文庫)

 

 

デカメロン 上 (河出文庫)

デカメロン 上 (河出文庫)

 

 

新アラビア夜話 (光文社古典新訳文庫)

新アラビア夜話 (光文社古典新訳文庫)

 

 

怪談の夏に、読んでみてはいかが?

おわり。

運命を知って生きるか知らずに生きるか。持てる者は持たざる者の幸せを定義できない カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」

こんにちは。

遅きに失した感はありますが、ノーベル賞受賞者カズオ・イシグロ氏の「わたしを離さないで」を読みました。いろいろな背景が明らかにされる後半30ページ、圧巻。正直読みはじめは、ノーベル賞受賞者の作品だからみたいな思いはあって、普通のSFかと思ったりもしたのですが、違うんです。

 

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 

キャシーという女性の回想から始まります。時代は1990年代後半イギリス。クローン人間を育て、臓器提供のドナーにするということが合法化されている世界です。寄宿舎のようなところで暮らす未来のドナーたちは、社会から隔絶されていますが、自分たちが特別な環境に置かれていることは何となく意識しています。しかし、図工の授業があったり、普通の子どもたちと同じように勉強をしたり。図工の時間に自分が作った作品がマダムに認められると、マダムはその作品をどこかに持っていく(マダムの作品展と呼ばれていました)。自分たちは将来普通の人たちのような人生を送ることはできなさそうだけど、何のためにこれをしているんだろう?これにはどういう意味があるのかな?と疑問に思っている。

前半は彼らクローンたちの青春群像劇という感じです。セックスへの興味とか、自分の親(クローンのもと)を見に行こうとか。ただ、将来はあんまり良いものではないと理解しているので、心のどこかは醒めています。彼らの間では、「愛し合っているカップルは提供を猶予してもらえるらしい」という噂がまことしやかにささやかれていました。そして、愛の証明には、マダムの作品展にどれだけ作品が採用されたかが重要であると。大人になり、「提供者」となったキャシーの恋人トミー、提供者の面倒を見る「介護人」として働き始めたキャシーは、二人の愛を証明し猶予をもらうため、マダムを訪ねることに。

 

 

以降ネタバレ含みますので取扱注意。

テーマはこのセリフ。

「将来に何が待ち受けているかを知って、どうして一生懸命になれます?」です。

マダムと直接対面することで、すべての謎が解けた彼らに、マダムの身の回りを世話していたエミリ先生がかけた言葉です。

マダムらは、子どもに、「あなたはただのドナーです」と本当のことを教えず、嘘も交えて何となく核心部分を曖昧にしたまま育てよう、そういう取り組みをしていました。マダムはただの慈善家で、キャシーらが育ったヘールシャムの寄宿舎は、慈善団体の手が入った特別な場所でした。大人になれない、普通の人生を歩めないと早めに理解させてロボットのように子どもを管理せず、彼らの可能性を生かしてみよう、という取り組み。

もちろんマダムに彼らの運命を覆す力なんてなく、今はヘールシャムでこしらえた借金の返済に追われている哀れな老女。彼らが何かの意味があると思っていた、作品をマダムに回収されるアレはただの趣味。何の意味もなかった。自分たちの人生は、もっともっと大きな力に握られている。そして、もう抗う術はない。そう感じた2人はこのとき、約30年分の絶望をします。

多くを望まないようにと自らを戒めながら生きてきたキャシーたちではありましたが、自分たちの育った寄宿舎ヘールシャムが特別な場所と呼ばれていたことは知っていました。そして複数の教師、マダムから目をかけてもらっていたという意識もある。マダムに作品を認めてもらった過去もある。何かあるかもしれないと無意識に希望を抱いていた。

エミリ先生は続けます。

「もっと劣悪な環境で育てられる子もいる。勉強できただけあなたは幸せだ」「心配事や不安はすべて私たちが引き受けて、あなたたちには能天気に生きてもらいたかったのよ」と。いや、そんなもん知らねーよ…。俺達には関係ない、が正直なところです。人生を弄ばれた、そんな気分に。他にもエミリ先生もマダムもいろいろ言うのですが、完全にずれています。だってあっち側の人間だから。

世の中の価値観や仕組みのほとんどは、明日を生きる人のためにできています。役目を終えて早々に存在が消えていく人が、明日を生きる人にとっての幸せを押し付けられて生きることが果たして幸せなのか。持てる者が持たざる者の幸せを定義すべきではないと感じました。

ただ、幼い子どもに運命を知らせたくないという気持ちも理解できるし、マダムに会おうなんてことを考えない大部分の子どもたちにとっては、マダムの試みは成功といえるかもしれませんが。

 

帰り道、荒野で抱き合う2人のシーンが印象的。流れのはやい川で2人流されまいと必死に抱き合っているのに引き離される、という描写があります。その後、トミーはキャシーから距離を置き、提供者仲間とばかりつるむように。持てる者と持たざる者に分断されてしまった2人は物別れに。

 

自分の運命を知って生きるのか、知らずに生きるのか。

このテーマは、余命告知にも似ている部分があるかもしれません。余命を知らされてから前向きに生きられるものなのか。余命を知りたいという人のほうが多いように見受けられますが、本当に知ったときにどうなってしまうのでしょう。すべての告知された人が、残りの人生をイキイキ過ごせるようには思いません。死の恐怖を乗り越えられない人もいる気がします。

ただ、これを健康な人間が論じても、机上の空論というか、まさにキャシーとマダムのような関係で、分かり合えることはなくて。

 

最初は結構だらだら書かれているんです。青春だねぇ、もう少し刺激がほしいな!とか思うんですが、終盤でシャシーたちに共感するためには、彼らの仲間になる過程としてこのだらだら感、長い長い前置きは重要。読後には、大切な仲間を失った気になります。Never let me goの意味も分かります。

これは2019年に読んだ本の中では上位に来るような。ファンになってしまいましたので、「日の名残り」も即調達します!

 

おわり。

終わりのない苦しみ、行き場のない怒り…読まなきゃよかった 新潮クレスト「波」

こんにちは。

今日ご紹介するのは、新潮クレストブックス「波」です。

第一声、「読まなきゃよかった…」です。これはつまんねぇというわけでも、煽り文句でもなく、本当に素直な感想。これは2004年に起きたスマトラ地震による津波で、両親と夫と二人の息子を亡くした女性のノンフィクションです。大きな悲しみをどう乗り越えるか(実際乗り越えてはいないんだけれども)というお話なのですが、読む前から暗い気分に。

私は夜に本を読むのが好き。家族が寝た後に、のんびりソファに寝ころびながら、ページをめくるのももどかしいくらいに本に没頭する。月に何度か訪れる至福の時。この本を読んでいた時にちょうどチャンスがあったのですが、こればっかりは夜に読めませんでした。辛い。欝々とした気持ちになります。最後まで読もうが、家族が戻ってくることもないことはわかりきっているわけで、正直読み続けるのが辛く、何度かやめようかとも思ったけれど、やめられませんでした。

 

波 (新潮クレスト・ブックス)

 

主人公「私」、出身はスリランカで、高校卒業と同時にイギリスに渡り、大学で出会ったイギリス人スティーブンと結婚。クリスマス休暇でリゾート地のヤーラを訪れていました。「その日」はクリスマス翌日。荷物をパッキングしながらチェックアウトの準備をしていた彼女は、友人の「海が入ってくる」という言葉に驚き外を見ると、津波がやってきた。とっさに夫と二人の息子とジープに飛び乗り逃げるが、波に追いつかれて流され散り散りになる。

 

事故後の彼女と彼女の人生のすべてであった夫と息子、両親との思い出が織り交ぜて語られます。

事故後すぐ、彼女は徹底して頭から家族のことを遠ざけました。なんと、遺体安置所にも行かず、遺体の捜索も人任せにして、一人アルコールを飲み続ける日々。死ぬことしか見えていない。「寝るのが怖い。起きたらまた、自分の置かれた状況をゼロから理解する作業をしなければならない」という言葉が刺さります。自分が手に持っていた、夫も息子もいる人生をまるでなかったかのように、彼らに思いをはせることを拒否する。そしてついに狂います。住み手のいなくなったスリランカの実家に住み始めたオランダ人に嫌がらせすることで彼女は生を実感するなど。こうなると、友人とか親戚も離れて行ってしまうように思えるのですが、そんなことはなく、辛抱強く彼女に寄り添います。彼女や夫が、どれだけ素晴らしい人間かわかるようでした。

 

彼女が死に向き合ったのは、5、6年ののち。事故現場を訪れ、当時の遺留品を探したり、ロンドンの家に行って家族の生活の痕跡を見たり、洋服を探したり。そこで彼女は初めて「世間一般の親のように」泣く。死人の目をしていた彼女に射したほんの一筋の光。 

 

あの日、濁流に飲まれた彼女は、胸の痛みと、死んではいけないという気持ちと戦い続けていました。息子には私が必要だ、生きねばならない、と。大木につかまり助かった彼女が周りを見渡すと、そこには見たこともない景色が。その瞬間彼女は夫と息子たちをあきらめる。助かるのは無理であろうという前提に立つことで、後々から襲ってくる痛みに耐えようとした、と彼女は振り返ります。私は結構、彼女の思考回路に似ています。何か起きた時は最悪のパターンを想像しておく。希望を持てば持つほど、現実との差にやられてしまうから、いらぬ希望を持たないように自らを戒める。

あくまでも私の予想ですが、彼女は心が弱いタイプだと思います。ストレス耐性はかなり低い。病気の告知とかで取り乱す人がいると思うのですが、彼女は取り乱さない人です。泣き顔を見せたくないとかそういうわけではなく、眼前に迫った現実を受け入れまいと抗うことが「できない」人。自分が傷つかないようにスイッチを切り替え、無理なら無理と、いらぬ期待を抱くことを自分に禁じ、衝撃に備えようとする。

不幸な現実に対し、どうにもならないけれども何とかしよう、という行動を起こせない。序盤から「起きてしまった、あきらめよう、あきらめなければ」という思考回路。はたから見るとしっかりしているように見えるのですが、実は怖がり。負けるのが、絶望するのが怖い。あくまでも私の経験からですが。彼女はそういう自分を恥じています。心の底では感傷に耽りたい。なぜ取り乱して泣けないのだろう。普通に家族を悼むことができないのだろう。ドラマなどで見るように家族を悼むことができれば、何か道が開けないだろうか。と。希望が砕け散るのを恐れ、彼らにそそくさと背を向けた自分。この一連の反応は衝撃から身を守るための本能的な反応とも思えますが、彼女は葛藤します。

 

彼女は最後、「彼らの思い出をそばに置くことでしか回復しないということを学んだ。彼らから、彼らの不在から距離を取ろうとすると、自分がばらばらになってしまうということに気付いた」と述べます。正直、立ち直ったわけではない、しかし彼女が愛した人たちを思い出し身近に感じることができるまでには、彼女は回復した。泣けず、全ての関わりを拒絶し、怒りに狂い、大切な家族のことを頭から、自分の記憶から追い出し、他人の人生を生きているような数年間から、なんとか回復した。

 

彼女は何も得ていません、失っただけ。死は単純に死で、何にももたらさない。彼女の悲しみとか辛さは想像を絶するし、そんな中生きていかないという地獄を見せられるような作品。暗いです。ただ、こういう苦しみにぶつかったときは暗い中でもがくことしかできない。そういうもがきを淡々と記録した作品でした。

 

おわり。

 

そして彼女も、「人は他人の中でしか生きられない」というようなことを言っていました。関連記事はこちら。

 

dandelion-67513.hateblo.jp

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二葉亭四迷=浮雲という知識だけではもったいない 二葉亭四迷「浮雲」

こんにちは。
文章難しいけど一気読みでございます。二日で読みましたよ、二日!!!
大変はすっぱな表現ですが、一言でいうと、なんか超むかつく小説。

浮雲 (新潮文庫)


主人公文三は、幼くして養子に出されて、叔父の家で育てられます。そこにはいとこのお勢がいて、文三が学問を修めて官庁で勤めるようになってからは、お勢とは許婚みたいな関係になっています。しかし、曲がったことは嫌いで上司に媚びることもできない文三は、免職になってしまう。一気にニート化してしまった彼に対する周囲の態度が一変します。叔母にはいびられ、その上、元同僚の昇にはお勢を奪われそうになる。

お勢と結婚してよ~とすりよってきた叔母が、免職になった瞬間いびる瞬間とか、昇やお勢、叔母に言われっぱなしの文三とか、その一つ一つのエピソードがとっても腹立たしくなるくらい、リアリティをもって描かれています。文三はいわゆる安牌キャラです。個人的に苦手なんだけど、文三もまさにそんな感じ。嫌なこと、許せないことがあっても、無視できない、そして、正直。もっとしっかりしろ!そして昇を出し抜いてやれや!!!とてか、お勢はただのビッチかこのやろう。とやきもきしてしまう。

この小説の何がいいって、とにかく会話が生き生きとしているんですね。
絶対文三に応援してしまうと思います。

おわり。

お姉さん×海×おっぱい 多感な男子を虜にする 森見登美彦「ペンギン・ハイウェイ」

こんにちは。
森見登美彦作品の中で、個人的には森見登美彦っぽくなくてイマイチじゃない?と思っているのがこちら「ペンギン・ハイウェイ」しかし、周りの男性陣「俺これ一番好きだわ~」という人が結構いるんです。昨年映画化されたらしく、こちらも早く見たい。

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)

主人公「ぼく」アオヤマは、郊外の住宅街に住む小学生。ウチダくんというお友達がいます。サッカーや野球に明け暮れる同級生とは違い、彼らは知的活動を好みます。ネタ帳(推理ノート)を常時携帯し、いつも何やら書き込んでいる。彼らには憧れのお姉さんがいます。歯科医院のお姉さん。おっぱい大きめ、蒼井優
あるとき、街に不思議なことが起きる。ペンギンが発生したのです。アオヤマくんとウチダくんの推理の結果、住宅街の外れにある「森」、そして、森で発生する「海」と名付けた現象、そして「お姉さん」の3つが深く関わっているだろうと当たりをつける。同級生のハマモト女史とも協力して謎を追うひと夏の思い出。

これ、すごい。何がすごいって、これを森見登美彦が書いたこと。正直森見登美彦は、モテない悶々としている童貞大学生ものが十八番と思ってましたが、お家芸を封印してこんなキラキラしたやつを出してくるとは!
太陽の当たらない、タバコと埃にまみれたよどんだ空気感を打ち破り、ぱーっと明るいところに出てきた。そんな感じ。しかも夏。夏ですよ。誰もが浮かれ騒ぐ夏をテーマにするとは。

綺麗なお姉さんとの出会いと別れ。でかいおっぱいと海辺のカフェ。男子の大好きを詰め込んだ本作品。映画はまだ見ていないですが、とにかく頭のなかに描かれる映像が美しくみずみずしい。
「嫌な気持ちの時はおっぱいのことを考えよう」など、笑える台詞も多数。

夏がくる前に、ぜひ。
おわり。