はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

泣ける×いちいちかっこいい=やっぱりこういう小説はいい アステリア・マクリーン「女王陛下のユリシーズ号」

こんにちは。

アステリア・マクリーン「女王陛下のユリシーズ号」。映画化もされたようです。

ガンダムや銀英伝好きとしては、好きなジャンルの小説。ハッチとかタラップとかいう単語を聞いて、なんかかっこいい!と興奮する人にはたまりません。そして、泣けるよ~、めっちゃ泣く。デトックスしたい人にはススメの作品です。

ただ、ミリタリーオタクではないため、毎度毎度「え?巡洋艦駆逐艦って何が違うの?掃海艇とは?」となるし、名前が覚えにくい。ベントリーとヘンドリーとが同時に居合わせた時には嫌がらせかと思いました。(英語だとBentleyとHendlyで全然違うんだけど)

 
女王陛下のユリシーズ号 (ハヤカワ文庫 NV (7))

女王陛下のユリシーズ号 (ハヤカワ文庫 NV (7))

 

第二次世界大戦中の「援ソ船団」の話です。連合軍がソ連を支援するための物資を運ぶための船団。スコットランド北岸沖のスカパ・フローを発し、ロシア北西部ムルマンスクまでの約1週間。最初は30隻以上いたものの、悪天候とドイツ軍の攻撃により数を減らし、最後は片手で数えられるまでに。その中でも浮沈艦とか奇跡の船とか呼ばれていたユリシーズ号とその男たちの物語。

こんなシーンから始まります。「兵が疲れ切っている!」とキレる軍医と、意にも介さない軍本部の皆さんの不毛なやり取り。軍医は、前の任務が明けて時間も経っていないのに、また新たな任務を言い渡されたことに対し、正気じゃない!と怒っている。現に艦では反乱も起き、人死にも出ています。兵の体力や精神状態も限界。このままじゃまともにたどり着けないと。しかし本部は聞く耳持たず、「そんなこと言う軍医はチェンジでぇ~」とごり押しし、ユリシーズに援ソ物資の護衛を命じるヴィンセント・スター(英国海軍中尉:ホントこいつ最後まで最低)でありました。

 

ここで主要なメンバーを紹介します。

<艦でも、物語でも最重要クラスの方々>

ヴァレリー艦長:結核で死にそうな男。大量に吐血して血清を打っての繰り返し。病気を押して任務に出発します。宇宙戦艦ヤマト風。

ティンドル:戦隊司令官のご老人。我が強いが、若人の進言を受け入れるくらいの余裕はある。しかし、「俺は爺さんだからな!若いやつはすごいな!」と毒づくのはやめられない。

ターナー:副艦長。瀕死の艦長に代わり、艦長やティンドルの命令を遂行するために骨を折る、損な役回り。

カポック・キッド:航海長。カポック~はあだ名で、こういう名前がついているということでお察し、腕は確かだけど冗談好きで女好きな男。ニヤっと笑うと歯が欠けてそうなイメージ(あくまでもイメージです)。アンドルー・カーペンターっていうのが本名なんだけど、カーペンターっていう名前でも登場してきたりして、読者としては毎度毎度戸惑う。

ブルックス:軍医長。おそらくヴァレリー艦長に物申すことのできる唯一の人間。これも宇宙戦艦ヤマトを彷彿とさせる。

ニコルス:軍医。実務は彼が担っている。最後は医師がいない僚艦に移乗。ユリシーズの最期を見守る。医務室にいろんな薬品(アルコール的なもの)とか隠しているけど、最後のほうにはそれらを偉い人にくすねられ続ける。(医療用とか工業用のアルコールは絶対に飲んではいけませんよ!!)良心の塊みたいな人。

<物語の中で重要な役割をする人々>

ラルストン:一等水雷兵。快活で経験豊富、技術も確かな若者。同乗していた弟を反乱で亡くし、空爆で母と姉妹を亡くし、そして最後、父を命令により魚雷で撃ち、数日ですべての家族を失う。しかし、ふさぎ込むことなく、最後まで任務を全うする。

カースレイク:中尉。プライドとエリート意識の塊。ラルストンに恥をかかされたことを根に持ち、彼を殺そうとして返り討ちに合う。

イサートン:砲術長。彼の起こした事件と最期に泣く。

クライスラー兄弟:水測兵(兄)と伝令兵(弟)。

マクウェイター:18歳の調理担当兵。

ライリー、ピーターセン:機関員。

(ネタバレすると、ニコルスしか生き残りません。クライスラー兄、マクウェイター、ライリー、ピーターセンの4人は、散り際に見せ場がある。もちろん「コレ、泣かせにきてるな…」っていうのはわかるんだけども、泣きます。)

 

こんなメンバーで冬の北極海へ繰り出すわけなんですが、嫌がらせかと思うほどの悪天候、そしてドイツ軍のUボート(小型潜水艦のことらしいんだけど、写真見たら全然小型じゃない)の攻撃を受け、撤退や沈没で僚艦を失っていきます。何度も憎きヴィンセント・スター爺に打電して撤退のお伺いを立てるも、「ガンバレ!」「あとで応援部隊がいくからガンバレ!」と取り合わない。乗組員は何十時間も総員戦闘配備を強いられ、身も心もクタクタ。そんな中でのドラマ(っていうか簡単に言うと死にざま)がメインです。話の筋は単純明快なんだけど、とにかく涙が止まらない作品。

 

泣けるポイントはたくさんあります。

例えばイサートンの話。敵襲を受けた彼は、ポムポム砲(名前はサンリオのキャラのようにかわいいけど絶対かわいくない奴)を撃て!と命令します。本当は別の人の指示を待つ必要があったのですが、「責任は俺がとるからとにかく撃て!!!!」と命令。しかし、砲の中に詰め物がしてあるのを忘れたまま発射指示してしまったせいで、暴発が起き砲台ごと吹っ飛びます。死傷者は10人以上。艦付きの牧師も死なせてしまい、瀕死の艦長に水葬を取り仕切らせるという二重の苦しみ。責任を感じたイサートンは自室で拳銃自殺します。

他にもマクウェイターの死。彼は火の迫る弾薬庫で、消火のためにスプリンクラーを作動させます。しかしハッチは壊れて中から開けられず、避難することが叶いません。充満する水の中で仲間を抱きながら死んでいきます。ピーターセンも同様に、艦の底に閉じ込められた仲間のため、外から怪力でハッチを開け彼らを逃がし、その上、自分が艦底に入りハッチを閉めて死んでいきます。

…やっぱり言葉とか戦艦という舞台が独特過ぎて、一番泣けるシーンなのに上手に想像できないこちら2つのシーン。ということで簡単な基礎知識。大型船は沈没を防ぐため各部屋の気密性が高くなっており、浸水があると、損傷個所を遮蔽して艦へのダメージを最小限に抑えようとします。タイタニックでもあった気がするんだけど、閉じ込められて迫りくる水にあっぷあっぷするという、作中最も怖いシーン。マクウェイターもピーターセンもこういう亡くなり方をしたということです。

(物理的にも身分的にも)上のほうにいる方々は、ベッドの上で死ねるんですが、艦の底部分で働いている人々は閉じ込められたり、狭苦しい部屋で何が起きたかわからないまま死んでいくから、読んでいてしんどい。閉所恐怖症でもないのに、きつい!この圧迫感!!となりました。

 

さて、著者が何を伝えたかったかは今更知る由もないのですが、単純に、男気!とか自己犠牲の精神!とかいう言葉で片付けてはいけないと思います。特にイサートン。彼の不注意の遠因となったのは、寒さと睡眠不足であったことは言うまでもありません。マクウェイター、ピーターセンも、彼らが死を選んだ時点で、正気ではなかったと言えるでしょう。

改めて、冒頭のシーンの話。疲れ切った兵を連れて極寒の北極海に繰り出すのは無謀だ、という会話が思い出されます。その後も要所要所で、鼻の先が凍傷でやられる、とか、手の平がぐちゃぐちゃになった、という話が。敵影をレーダーで感知するたびに夜を徹して総員戦闘配備となります。配備が解除された後は、揺れる船室での数時間の雑魚寝ですから、疲れも取れない。そして食事は冷たいコンビーフ・サンドだけ。

こんな環境下で乗組員たちは、「辛いけどあとちょっと。頑張ろうな!!」なんて健全な精神と肉体を維持することができるわけなく、日々、心をやられる人が出てきます。「こんな待遇…反乱起こしてやろうぜ!」とか言っていた人も目がうつろになり、もはや全てを受け入れます。彼らがまともな精神状態ではないことを強く認識するのはこんなシーン。スカパ・フローを発して数日後、航海不能となった僚艦が離脱するのですが、「うらやましい」なんて思う人はいなかったと書かれています(離脱すれば生き残る確率が上がるが、そういう計算すらできない状態ということ)。誰もが今日を生きるのに必死。

そしてこのように、異常な空気に満たされた幽霊船と化しているユリシーズに対峙するのはドイツ軍。Uボートと呼ばれる小型の潜水艦やコンドル(戦闘機)で攻めてくるわけですが、統制されていて、レーダーで船団の位置を寸分たがわずとらえ、撤収のタイミングも絶妙。ユリシーズの乗組員(そして僚艦)は彼らに翻弄されます。

英伝にこんなシーンがあります。「この局面、必ず勝つにはどうすれば?」と聞くお偉いさんに、戦術家のヤン・ウェンリーは「6倍の兵力を維持し、無理のない補給線を確保すれば…」と答えます。そんな答えにお偉いさんは「そんな話をしているんじゃない。(もっとミラクルを起こす感じのやつちょうだい!!)」と苦い顔をする。ヤンは心の中で、「戦局を左右するのは、奇策でも士気の高さでも何でもなく、正しい戦術と整備と補給線だ…」なんて思う。なんでこのシーンを思い出したのかというと、ユリシーズを攻めるドイツ軍のパフォーマンスの高さは、ただただ、整備と補給のなせる業なんだろうなぁと感じたからです。ドイツ軍にも決死の行軍で兵のほとんどを失うとか、無能な上官とか、同じような物語はあると思うけど、このユリシーズの行軍においては、死にかけのスズメを鷹(コンドルだけにね!)が突っつきまわすというような構図でした。それもこれも、ヴィンセント・スターのせい!!!

戦争をテーマにした小説は、崇高な自己犠牲や、死をもって償う(無意味な)行為への賛美、仲間を大切に!というところに着地しがちなので個人的に嫌いです。個々の人間ドラマにフィーチャーして、小さい力が合わさって下支えされている国!みたいなところでお涙頂戴する、的な感じが無理!彼らの悲劇の根っこには、もっと大きな失策があるのに、そこは華麗にスルー。しかしこの小説は、整備や補給が満足に受けられない兵の極度のストレス、そしてそれに起因する精神の崩壊、また、ヴィンセント・スターへの糾弾がしっかり盛り込まれていて、より現実的だなと感じました。実は著者マクリーンは大戦中に海軍への従軍経験があるそうで。この小説から得られるメッセージは、全て彼が肌で感じたことなのかもなぁと思いました。

高校生の私が読んだならば、男の友情や自己犠牲に惹かれて、読書感想文に「かっこいいと思いました。明日から彼らを見習っていきたいと思います」とか書いちゃうと思うんだけど、そうじゃねぇよ、という。かっこいい男たちがいたというところは置いといて、戦争で先に死んでいくのは下っ端、そして少年たちからだっていうところ、軽く考えてはいけないな、と思いました。

クレームが恐ろしいこの世の中なので、全てのページの下部分に(※この行動は極寒の中満足な食事もできず何十時間も緊張状態を強いられた男たちの行動であり、通常の精神状態ではありませんのでご理解ご了承ください。良い子は真似しないでください)くらいは書いといたら?なんて思いました。

 

おわり。

「強い女」という言葉の嫌な響き 映画「人間失格 太宰治と三人の女たち」を予習する③~「ヴィヨンの妻」~

こんにちは。

 

いよいよ映画公開が明日となりました。最後は、妻の津島美知子です。彼女は晩年、「回想の太宰治」という回想録を出版しています。ただこれは、太宰治との暮らしを綴ったもので、晩年の女性関係には触れられていませんから、太宰晩年の作品を読んでみたいと思います。あと、事実関係は、「太宰治の女房」という本も参考にしました。

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

 

回想の太宰治 (講談社文芸文庫 つH 1)

回想の太宰治 (講談社文芸文庫 つH 1)

 
太宰治の女房

太宰治の女房

 

 

美知子は幼いころから、教師であった父の転勤に伴い、いろいろな場所に移り住みます。現在のお茶の水大を卒業後、教師として勤務。その後、太宰治との縁談が持ち上がり、結婚。縁談が持ち上がった時に初めて太宰治の作品に触れます。その後結婚、新婚当初は甲府で暮らし、三鷹へ移り住み、開戦。戦中は甲府弘前への疎開の後、戦後は三鷹に戻りました。

 

若いころには二度の情死事件を起こし、山崎富江、太田静子どちらに対しても、おそらく言い寄ってきた他の女にも、いつも煮え切らねぇ対応をしていた太宰ですが、美知子とは結婚をすぐに決めたといいます。美知子に向ける表情はやっぱりなんか違うなぁ、という印象。「母」とか「同志」という言葉がふさわしいように思います。売れない小説家だったころから太宰を支えてきた美知子としては、芸術家に嫁いだ自負というのもあったようです。

太宰はとにかく小心者。訪問も断れないためいつも家には人があふれ、酒の誘いも断れないから家に帰ってこない日も多々…人間失格に描かれた通り、「ノー」と言えない男。ただ、こいつには甘えていいな、と思った相手にはとことん甘えます。酒場の主人とか、妻。ただ、美知子の対応を見るに、本人にイライラを見せたりダメなものはダメ!と言っているようです。新婚当初の甲府の家が気に入らず引っ越したい太宰は、「引っ越したいね~。ちょっと探してみてよ~」と言います。富江なら二つ返事で引っ越し先を見つけ何なら引越しの手配までするところが、美知子は「私にやらせようとしているな…」と感じ、首根っこつかんで不動産屋に連れて行ったりします。戦争中も妻子を疎開させたはいいが、ほんの数日で疎開先に押し掛ける太宰。「空襲で三鷹の家がやられた」というのですが、戦後に三鷹へ帰ってみたら家は無事。美知子がいないと暮らせないという、生活能力のなさ。

富江みたいに甲斐甲斐しく尽くしてくれる女がいても、美知子は必要。誰かの助けがないと生きていけない、しかしだれでもいいというわけではない。まさにビートルズ、I need somebody, not anybody状態。

 

太宰の家庭での様子は、「ヴィヨンの妻」や「桜桃」、「父」に詳しいです。おそらく事実と虚構がないまぜになっているんでしょうが、それらを読むと、しっかりした妻と彼女の期待になかなか応えられず、息苦しさを感じていている様子がわかる。「私はひとりの人間も楽しませることができない」「つまらんものを書いておだてられたいばかりに、身内の寿命を縮めるとは、憎んでも余りある極悪人!」という言葉があったり。甘えられるはずの妻に対しても、彼女からいら立ちや悲しみを見せられるとすぐにビビってしまうんです。「気まずいことに耐えられない」「薄氷を踏む思いで冗談を言っている」と、自分が家庭人として失格であることはわかっているから、それを指摘してくれるな!と常に逃げ腰。そしてふらりと出かけて、よその女に甘えるんですね。

 

美知子については、どんな本見ても、Amazonのレビュー見ても、「強い女!」とか「正妻の意地!」とか散見され、なんか嫌~な感じがするのですが、そうかなぁ。鬱屈した思いを抱えた太宰を支え、原稿料をほとんど酒と煙草に浪費され、それで子どもを抱えていた美知子、そりゃ強く生きていかなきゃならんだろうし、事実を並べてみればそう見えるかもしれないけど…。

太宰の死後は、「よそで子どもをつくられ、不倫の末の情死事件を起こされたけど、葬式で取り乱しもしない女」批判されたらしい。でたよ、取り乱す度合いで憔悴度をはかる男!!昔、バイト先で、「普通こんなミスしたら泣くだろう。反省してない!」と叱っていた男がいて、泣いたか否かで反省度をはかるとかクズ、と内心不満に思ったことがあります。また、サークル内でもめ事が起きたときも、「辛くて数日寝れなかった(真偽不明)」とさめざめ泣いた女子が一番優遇されていました。人前で取り乱すことができる大人は、ただの素晴らしい才能というか特殊スキルの一つですから、「すげぇw泣いてるwww」っていう塩対応で十分だと思います。決して、泣いていたから辛いんだ。泣けない女は辛くないとか思ってはいけません。

また、静子への対応にも批判が集まったそうです。「莫大な印税をもらっているくせに、もっと静子にお金出してやれよ」と。美知子は、「斜陽」の印税の一部と引き換えに太宰の名誉を棄損するような行為をしないよう、静子サイドと念書を交わしたはずなのに、「斜陽日記」を出版されて(内容が名誉を棄損するかどうかはおいといて)、それでもこっちが悪者??ってなりますよね。

私、「強い女」って言葉嫌いなんです。「女は弱くあるべし、弱いほうが愛らしい。のに、わざわざ男のように強くなろうとしやがって」という意識を感じるからです。

と、死後は世間に姿を見せずに暮らしたそうです。世間は判官びいきで弱そう(に思う)な側を応援しますから、山崎富江や太田静子には同情的でしたが、美知子には厳しい。実は、陰で一人泣いている女だったかもしれないよ、と思うわけです。

太宰がよその女と会うことで精神的に落ち着いていたならいいけれども、家に帰って「俺は不倫しているダメな男だ」と自暴自棄に陥って美知子に優しくできていなかったのなら、ちょっと辛い。良き妻で、母であろうとし、別に何も悪いことしてないのに、一番損な役回り?な印象です。

 

おわり。

dandelion-67513.hateblo.jp

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蔓草のような女の弱さは、女の一番強い力 映画「人間失格 太宰治と三人の女たち」を予習する② ~「斜陽」と「斜陽日記」~

こんにちは。

 

映画公開が迫ってきました。今日は二人目、太田静子です。彼女は、「斜陽」の元ネタとなった日記を太宰治に提供した女性。太宰治の子「治子」を産み育てました。太宰治の死後、「斜陽日記」という手記を出版しています。

 

 斜陽 (新潮文庫)

 

斜陽日記 (朝日文庫)

斜陽日記 (朝日文庫)

 

 

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前回取り上げた山崎富江は、妻の美知子には申し訳ない気持ちを持っていましたが、太田静子にはライバル心を持ち、「斜陽の人」や「伊豆のほう」と呼んで忌避していました。彼女が太宰の子どもを産んだと知ったとき、そして太宰がその娘を認知し修治の「治」を一字あげたと知ったとき、激しく心を乱されます。
太宰は、静子と治子の生活費、養育費としてお金を渡すことを約束していますが、そのやり取りを全て富江に任せました。「全て君(富江)を通すよ。彼女との間に秘密のやり取りなんてないよ」という建前でしょうが、そういうところちょっとズルい。子どもまで作っておきながら今更そんな配慮を見せるなんて、、、富江からしたら(もっと)惚れてまうやろー!となるわけです。そしてちゃっかり、静子宛の養育費も富江に出してもらったりするんです。

山崎富江の手記を読んだあとの太田静子のイメージは「子どもや『斜陽』の元ネタをできる限り利用して、お金が欲しかった??」だったのですが、「斜陽」や「斜陽日記」を読む限り全然違いました。

 

太田静子は、山崎富江と同様、大変裕福な家庭に生まれます。東京で暮らしていましたが、戦後は母の弟のつてで伊豆の別荘へ。静子の結婚生活は破綻。その後、叔父も姉の家を支えきれず、「静子を嫁に出すか奉公に出せ」と助言しますが、太宰の存在が気になりなかなか答えを出せない静子。(太宰との出会いは戦前にさかのぼります。太宰の作品に感銘を受けた静子は、日記風の小説を送り、助言を求める。戦争で中断されますが、細々と連絡を取り合っていました。)あるとき、太宰に日記の提供を依頼され、伊豆にて日記を渡します。その時彼の子を宿し、のちに女児を出産(治子)。太宰の死後、「斜陽日記」を出版します。

 

「斜陽」の前半部分はほとんど太田静子の日記を採用している、という説を信じつつ、「斜陽日記」の後半にある太田治子著「母の糸巻」とも併せて考えてみる太田静子像。

超裕福な家で生まれた彼女ですから、たいへん素直。不愉快なことがあるとすぐ顔に出す。そして本が好き。「斜陽」の中にもチェーホフの話が引かれていたり。世間知らずで、恋に恋している娘という印象。彼女の理想の女性像は「母親」。「斜陽日記」には「だれか人にすがっていきていなければ生きられない、つる草のような女の弱さが一番強い」や「私も(人に)すがっていたい」という記述があり、お母様のように生きるのが女として最も素晴らしい道であると信じています。

 

そんな彼女の生活は、戦争によって一変します。戦時中は徴用に遭い、初めて肉体労働をさせられてショックを受ける。戦後は資産を失い、世の中がからっと変わる中で「おひめさま」な母親を抱えて必死に生きます。そして弟の復員。それからはじまる地獄の日々。暮らしに何の不安もなく、箸より重いものを持ったことのないような彼女が「一万円あれば電球が何個買えるかな…一年くらい楽に暮らせるのに」なんて考えるようになるんです。

母の死を前にして彼女は、「お母様のように、人と争わず、憎まずうらまず、美しく悲しく生涯を終わることのできる人は、お母様が最後で、これからの世の中には存在しえないのではないか」と感じます。うーんこの言葉、世代間格差とか感じる…昭和の専業主婦も、そのうちこんな風に言われるようになりますよw


ただ、恋愛至上主義で辛い恋愛に進んで身を投じていくタイプではあります。彼女、結婚後に不倫をするのですが(相手は太宰ではない)、詳細は伏せているにしろ、無邪気に母親に伝えてしまいます。よく、道ならぬ恋に落ちながらも、その恋愛模様を知らせてくる女性がいますが、あれって止めてほしいのか、それとも応援してほしいのか、なんなんでしょうね。自分が悲劇のヒロインであることが周知されてやっと、自分の恋愛が完成するってことなのか…?とまぁ、恋と、恋をしている自分が好き。

 

太宰と初めて結ばれたのは、おそらく日記の受け渡しの前であったようですが、その後は連絡を取るのもままならなかったようです。日記の受け渡しの頃には山崎富江がずっとそばにいたようですし、太宰にとってはおそらく「過去の女」だったのかもしれません。まぁ、日記は欲しかったんだけれども。恋愛においては、古今東西一定数現れる、楽じゃない道ばかり選んでいくタイプなのでおいといて、時代の被害者ではあります。

 

「斜陽」でも上原という男につめたくはねつけられながらも、しつこく彼を求めている主人公かず子。作品中に「道徳の過渡期」という言葉が出てきます。戦時中に善しとされていた道徳が全て否定され、新しい価値観が流入する中、適応できる人間だけが生き残れる。「重厚だの、誠実だの、そんな古い美徳を忘れて、『コンチハァ』と軽薄な挨拶ができるようでなければ、生きていかれない」という会話があります。おそらく叔父も、昔は金もあるし優しかったんだと思いますが、戦争を経て「金ない」「面倒みれない」と見放され、恋した男上原は、もともと不良でしたから新しい価値観になじんでいく。

そこで取り残されたのは、かず子と弟です。もうどうでもいいから、貴族のような暮らしを捨て、「民衆」の仲間入りをしたい。しかしなぜかなじめない。弟も「アヘンを用いるのは、民衆の友になりえる唯一の道」と、自ら堕落していくのですが、結局居場所を作れず自殺します。道徳の過渡期の犠牲者。

 

かず子は、ままならぬ暮らしの中で子を産みます。子を産んだこと自体は自らが望んだことなので幸せの極みですが、もちろん周囲の目は冷たい。小説の中でかず子は、「革命はどこで行われているのか。自分の身のまわりにおいては、古い道徳はそのまま。海の表面の波は何やら騒いでいても、その底の海水は革命どころか身じろぎもせず、狸寝入りしている」しかし、「それを押しのけるつもりでいる」と、「古い道徳と争い、太陽のように生きる」決意をしますが、「母の糸巻」によるとそういう心境とは程遠かったとされています。

 

お金に関しても、無頓着な印象を受けます。できればそういう問題に関わりたくない感。私は、山崎富江の手記を先に読みましたから、静子の金の無心に対して、「またお金…」と微妙な気持ちになったのですが、「斜陽日記」を読む限り、生きるのに必死だったんだろうなぁと感じます。太宰の死後の手記出版についても、本当はちょっと契約違反なんです。美知子サイドと、ある程度の金銭とひきかえに、手記類の出版をしないという契約を結んでいました。ただ、子育てのためにお金が必要だったのでしょう。

 

妻という立場でありながら何度も裏切られた美知子、とにかく不器用に突っ走ってしまった富江の心境は想像できたんですが、今まで太田静子の心境はなかなか想像できませんでした。「斜陽」では強そうに描かれていますが、実のところ、古い道徳に押しつぶされそうになり、辛かったことも多かろう。ただ、子どもを育て切ったのはすごい。恋愛においては猪突猛進型で、どういう時代に生まれたとしてもいろいろ苦労したでしょうが、戦争さえなければ、もう少し自分のプライドを保ちながら、望むような人生を生きられたのかなぁなんて思います。

沢尻エリカの演技が楽しみです。

 

おわり。

子どもを育てることのきほんの「き」ときょうふの「き」 映画「ルイスと不思議の時計」

こんにちは。

 

ナルニア好きの私には予告動画だけでたまらない作品です。いい!最高!

ルイスと不思議の時計 [AmazonDVDコレクション]

 

事故で母と父を亡くした少年ルイスは、母の弟のジョナサンに引き取られることに。化け物屋敷と呼ばれている古い屋敷で暮らし始めたルイスは、ジョナサンが魔術師であること、何かと世話を焼いてくれる隣人のティマーマンさんが魔女であること、屋敷の前の主には秘密が隠されていることなどを知る。ジョナサンはルイスに、「封印されている棚だけは開けてはいけない」ときつく言いつけたが、ルイスはその言いつけを破り、封印された棚を開け悪い魔術師を復活させてしまう。世界滅亡を目論む魔術師の野望を阻止するために奮闘する3人!

 

最高です。「広い屋敷」「不思議な仲間」「屋敷の秘密」そして「悪魔と契約した魔術師」などなど、ナルニア国物語を彷彿とさせる、ファンタジー映画のあるあるてんこ盛り!特に、よくわからないものであふれた古い屋敷に越してくるなんていうのは、小さいころキャスパーを何度も見た私からしたら胸躍る展開なわけです!

 

ハラハラドキドキの子ども向け作品かと思いきや、ちょっと涙ぐんでしまったシーンのお話。

言いつけを破ってしまったルイス。ルイスに裏切られたと感じうなだれるジョナサンにティマーマンさんはこう声を掛けます。「間違えたり、厄介なことに巻き込まれたり、それが子どもよ」。ジョナサンは初めて子どもと接するわけで、どう扱っていいかがわからない。そして保護者として責任も感じている。「ルイスを引き取るんじゃなかった。ルイスを、どうやって守ればいい?怖いんだ、彼に危害が及んだら…」と返すジョナサンに、「そこが一番大事なポイントよ。子どもを持つということは、いつもその怖さにおびえながら、それでもやるしかないということなの」と叱咤します。

実はティマーマンさん、魔女にありがちなオールドミスかと思いきや、過去に夫と子を殺されたことがあり、そのせいで臆病になっています(ただ、詳しくは明かされません。民放ドラマにありがちな低クオリティの再現シーンを見せられるのが非常に不愉快な私としては、こういう謎のまま終わらせる展開はGOODです。余談。)

 

さて、子どもを持つことはとかくハッピーに描かれがちですが、「恐怖」について取り上げているのは、おお!よくぞ言ってくれたな!という感じ。子どもをもつことは、自分の管理しきれない命を抱えることですから、怖くないわけなんてない。

 

思い出すのは、「海を照らす光」で見つけたこんな言葉。

安産だったことは、そのあとに続く不安な長旅の第一歩でしかない。

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あとは、「リンカーンとさまよえる霊魂たち」

私たちが愛する対象は小さく、弱く、傷つきやすく、私たちに対してしか保護を求めることができない。その保護を何らかの理由でしくじったとしたら、どのような慰めが(どのような正当化が、どのような弁護が)あり得るだろう。

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事故や事件を耳にするたびに胸を痛め、いじめ問題に胸を痛め…辛いニュースを見ると落ち込んだり。自分だけが気にしすぎなのかと思っていましたが、ちょっとだけ勇気をもらいました。そして、それでもやるしかないのが親だと。

 

他にも、「この世に問題はいろいろあるけれど、おいしいチョコチップクッキーで解決できない悩みはほどんどない」など、素敵な言葉満載で、大人だって癒されるんだ…!!

もちろん、ストーリー、逆転劇、役者陣の演技、屋敷のセットの素晴らしさは一級品。ぜひ、夜9時から、金ローを見る感覚で家族そろって見てほしいな。

 

おわり。

ぼーっとしたまま生きていたい 映画「この世界の片隅に」

こんにちは。

話題になった映画「この世界の片隅に

戦争や広島の原爆を扱った悲しい映画でありながら、全体的なほのぼの感、そしてジブリ並みに素晴らしい食事の描写が好みです。

この世界の片隅に [DVD]

主人公は広島から呉に嫁に行ったすずという女の子。ぼーっとしていますが、絵を描くのがすごく得意です。夫、義父母、そして出戻りの姉、その娘ハルミと、つつましやかながら幸せに暮らしていますが、ひたひたと近づいてくる戦争の影。日に日に、空襲の回数も勢いも増していきます。あるときハルミを義父を見舞った帰り道、空襲でハルミと右手を失ってしまいました。激しくなる戦争やハルミの死により心が荒んでいったすず。広島に帰ろうとした矢先、広島に原爆投下。

戦争が終結した後、夫と広島を訪れたすず。右手のないすずを母親と間違えた孤児が寄ってきます。その子を呉に連れ帰るところでお話は終わり。

 

すずはぼーっとしている女の子なんです。ハルミが死に、暮らしが日々厳しくなる中で彼女は、「私をぼーっとしたままにしておいてくれないの!!」と絶叫する。

幸せになるために遠ざけるべきものを知っていますか?ネット、TV、SNSの3つです。ネット、TV、SNSを遮断することで「刺激的な情報に心かき乱される」「人の幸せと自分を比較する」「辛い出来事と向き合う」など不幸な気持ちになることが少なくなります。私だって普段、好きなアニメ見て本読んでだらだら生きていられたらそれでいい。ただ、年金があーだこーだと言われ、世界から何週も遅れたい古臭い教育方針・価値観を子どもに刷り込まされ、世界情勢も微妙になっている今、将来子どもをどう育てるべきか考えるためには、耳をふさいでいるわけにはいかない。積極的に情報収集していると、閉鎖的な現状に暗い気持ちになってしまう。

PTAとかなにこれ?いじめとかあったら学校にも教育委員会にも相手にされずやられ損なの??スクールセクハラとぼかしてはいるけど、ロリコン教師に性犯罪まがいのことされて、それで減給程度かコラ。と「こんなクソクソクソな現実とは向き合いたくないわ!!ほっといてくれ!」と言いたくなります。ただ、閉じこもっていたら遅れをとりますから、現実を見据えなかければならない。

当時も、心穏やかに生きたいのに、男を兵に取られ、残った女も放っといておかれず暮らしにガンガン干渉してくるわけですから、暗澹たる気持ちで日々生きていたと想像されます。そんな中ではぼーっとしてなんていられない辛さ。

 

右手を失ったすずでしたが、みんなが「よかった」と声をかけることに違和感を覚えます。好きな絵を描けなくなって、暮らすのも大変で、なにが良かったよ?そりゃ命取られるよりは良いけど、何がいいのさ。と。

3.11の時、「大丈夫だった?」「家はダメになりましたが家族は生きています」「生きているんだったらよかったね」という会話が何度もありました。え?故郷がなくなったのに?そのせいで仕送りしたり暮らしの立て直しに必死なのに?と。人は何らかの地獄を抱えて生きています。それを想像できないなら、軽はずみに声をかけないほうがいい。第三者は「生」か「死」を比べて「よかったね」と言葉をかけますが、被害者は「今までの生活」と「現実」を比べ、失ったものを数えているんですから。

 

戦争ものということで、かなしい描写が多いので覚悟しましょう。広島から瀕死の体で呉まで歩いてきて力尽きた男性。それを「あらまぁ…」と気の毒がっていたら実は息子だったと後で知った老女。原爆が投下された街を、娘の手を引っ張りながらふらふらになって歩く母親。母親の死後もずっとそばに寄り添う娘。戦後何か月も、広島には別れ別れになった家族を探してさまよう人がたくさんいたとか。ただ、人の醜さがほとんど描かれないので、戦争が見せる人の本性とは対峙する必要がないところは安心。

 

8月がくるまでにぜひ。

おわり。

 

闘病をテーマにしたものでこれを超える映画にはなかなか出会えない 映画「マイベストフレンド」

こんにちは。

原題「Miss you already」。邦題は「マイベストフレンド」です。

乳がんとの闘いをテーマにした作品ですが、演技も構成も、闘病ものとしては一級品の出来。Miss you alreadyは別れ際の挨拶で「まだ一緒にいたいわ」という感じかな。個人的に原題がかなり気に入っております。

 

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さて、主人公はジェス。そして親友のミリー。彼らは小学校からの親友同士。ジェスは普通の家庭で育った普通の女の子。読書家で、どちらかというと地味。ミリーは母親が大女優。きれいなブロンドヘアー。自分大好きです。ジェスとミリーは真反対な性格。ミリーは見るからに敵が多そうで、ミリーのわがままでジェスをさんざん振り回してきたんだろうなぁというのが想像できます。

ファーストキスも同じ日に(同じ相手と!)、ミリーの初セックスにはジェスが立ち会う(!!!)など二人は仲良し。ミリーは早々にバンドマンとデキ婚し、一男一女をもうけています。旦那は会社を立ち上げ、ミリーは大企業の広報部でバリバリ働くなど、絵に描いた裕福な幸せ家庭。ジェスは炭鉱夫?と結婚し環境保全NPO?的なもので働いていて、なかなか子宝に恵まれない。ミリーはいつでもジェスの先を行っているし、客観的に見てミリーのほうが幸せ。ミリーもそれを自覚している一面があり、この二人の関係は、対等というよりは、破天荒なミリーにジェスが付き合わされている部分もある気がします。ジェスは心が広いしなんだかんだ言ってミリーが好きなので、楽しくやっていました。

そんなときミリーに乳がんが発覚します。抗がん剤による容姿の変化と、乳房切除によって落ち込むミリー。順風満帆な人生を送ってきたミリーが初めてぶつかる壁。しかも、自分が最もこだわってきた「見た目の美しさ」が失われていく。自信を失うミリーと、それに寄り添おうとするジェス。そんな中、ジェスの妊娠が発覚し…

 

大きいテーマや教訓はありません。ただ、癌との闘いを扱った作品としてとにかくリアルで素晴らしい。告知、再発のタイミング、ミリーの取り乱し方、受け入れ方、周囲の反応、すべてが自然。闘病ものにありがちの、衰弱しているはずなのに瑞々しく美しい患者や、癌だとわかったとたん優しく懐深くすべてを受け入れてくれる夫や友人。未就学児のくせに癌や死を理解しているような顔をしている子ども。そんな浮世離れした奴らは出てきませんし、「みんな...あ…りが…と…」などとわざとらしく絶命もしません。

幼いころから確執があった母親は、乳房再建や乳房切除が分かりにくいブラジャーの調達に熱心。夫は優しく接していますが、裏ではミリー公認で浮気中。息子は病気のことをどれだけわかっているんだか、母親の神経を逆なでするようなことばっかり。そんな中、ジェスはミリーを受け入れています。もともと懐が深い女性なんでしょう。ただ、ミリーの再発と同時に発覚した妊娠をなかなか伝えられない。余命を告知されて荒れていくミリー。今までならいくらでも付き合ってあげられましたが、妊娠中の体では無理もできない、したくない。

 

闘病は2時間の映画ではまとめられません。周りの無理解に苦しんだり、周りも緊張の糸が途切れ、患者を疎ましく感じる時もある。「私は患者なのよ!」と何度もキレるミリー。闘病とはきれいなものではなくて、人間のむき出しの感情がぶつかりあうものかもしれません。闘病により夫婦の絆が深まったわけでも、忘れかけていたものに気付いたわけでもない。価値観ががらっと変わったわけでもない。ただ、大切なものを失っただけ。

 

そういう闘病そのものを描いた作品として、これを超えるものはなかなかないのでは、と感じました。りにかくミリー役の女優魂が素晴らしい。どんどんやつれていく姿に、ここまでやるか!と衝撃を受けました。

 

親友っていいな。

おわり。

親子は必ず分かり合えるという幻想 映画「三月のライオン」

こんにちは。

今日紹介するのは、こちらの映画です「三月のライオン」

3月のライオン[前編]

 

原作はまだ続いているのですが、ある程度のところまで前後編にまとめてあります。後編はかなりオリジナルストーリー。

まずはこの映画、神木くんのコスプレ映画として見ても良いでしょう、というくらいファンサービスが過剰。原作ではもっさり系で黒いダッフルしか着ていなかった彼、映画の中では、オシャレな洋服だけでなく和服姿とバッチリキメています。配役はなかなかぴったりで、佐々木蔵之介の島田八段なんかは最高です。伊藤英明の後藤も良かった。

 

原作の内容をまとめると、高校生の零くんは、中学生デビューした天才棋士。彼は幼い頃事故で家族を亡くし、父の友人である幸田に引き取られました。幸田の家には同じく棋士を目指す香子、歩という姉弟がおり、才覚のあった零は彼らから疎まれます。養父は零にばかり目をかけるため、香子や歩は父とぎくしゃくします。養母も零を持て余し気味で、とにかく居心地の悪い幸田家。高校生になると同時に、彼はそんな家を飛び出し一人で暮らし始めます。人との関わりを拒絶しながら生きていく彼ですが、近所の三姉妹との出会いにより、少しずつ変わっていく零、というお話。

 

タイトルにもある通り、家族はわかり合える、わかり合わなければいけないという幻想にあふれた、ちょっと物申したい作品。こういうの、一部では毒親ポルノと呼ばれているらしく、複雑な親子関係で傷を持つ人をさらに傷つける作品でございます。

 

原作は、家族という枠にとらわれず、新しく自分の居場所を作る作品です。将棋以外には自分の居場所がなかった零。家族から距離を置き、様々な人と交わることで自分が居られる場所を必死で探していく。そういう作品。その中で、三姉妹が重要な役割を果たしていくんですね。血もつながっていない赤の他人だけれども、お互いに助け合い大切な存在となっていく。三姉妹も、ろくでもない父親がタカりにきたりと問題を抱えており、父をばっさり切り捨てることも、しかし愛することもできずに苦しんでいます。血のつながりがなくても、お互いにとってかけがえのない存在になれる、というのがテーマ。

しかし映画では、これでもかというくらい幸田家との絡みを出してきます。愛着障害ぎみで年上棋士と不倫中の香子、幸田父、原作ではほとんど登場しない歩、零は進んで彼らとの関係修復に心を砕く。そして三姉妹も父の登場に戸惑いますが、原作では「なんとか父と離れたい」前提で零に協力を仰いでいた彼女たちが、零が三姉妹と父を引き離そうと奮闘するシーンで、「零ちゃんは黙ってて。この人はクソだけど私たちのお父さんなんだよ!」と零を蚊帳の外に押しやります。

いやいやちょっとまって!逆だよ逆。結局家族との絆づくりの話になるわけ?と。

 

小さい頃に負ったいじめの傷は、長い時間が過ぎようが、加害者から謝られようが一生消えないということは広く理解されています。しかし、こと親子関係については、幼い子どもの心をずたぼろに傷つけても、いつか謝罪があれば、むしろ謝罪がなくても、家族であればいつでも過去の清算は可能である、子は進んで親の行為を許すべきであるという風潮があります。私はそれは違うと思う。親に負わされた傷は、いつまでたっても消えず、いつまでも当人を苦しめます。それでも家族がいいと思い関係を修復しようと努めるのも、翼をもがれる思いで家族から距離を置くのも、どちらも正解で、親子の仲は修復すべきという法もありません。

個人的には、親とはわかり合わないままで自分の居場所を作っていくというテーマの映画があってもいいなぁと思うのですが、それはあまり受け入れられないのでしょうか。

 

と、原作ファンにとっては残念な展開でした。

映像的にウケるからなのか、新人王決定戦では賭場にしか思えない場所でアウトローなオヤジに囲まれて将棋を指し、高校生棋士がいとも簡単にタイトルに手をかけるなど、そんなに詰め込まなくても…と思ったりしますが、そんなこを帳消しにするくらい神木くんは最高です。

二階堂は…いろんな意味で衝撃です。

 

あくまでも私の感想なので、原作ファンも原作を知らない方も、一度見てほしいなと思います。

 

おわり。