はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

ぼーっとしたまま生きていたい 映画「この世界の片隅に」

こんにちは。

話題になった映画「この世界の片隅に

戦争や広島の原爆を扱った悲しい映画でありながら、全体的なほのぼの感、そしてジブリ並みに素晴らしい食事の描写が好みです。

この世界の片隅に [DVD]

主人公は広島から呉に嫁に行ったすずという女の子。ぼーっとしていますが、絵を描くのがすごく得意です。夫、義父母、そして出戻りの姉、その娘ハルミと、つつましやかながら幸せに暮らしていますが、ひたひたと近づいてくる戦争の影。日に日に、空襲の回数も勢いも増していきます。あるときハルミを義父を見舞った帰り道、空襲でハルミと右手を失ってしまいました。激しくなる戦争やハルミの死により心が荒んでいったすず。広島に帰ろうとした矢先、広島に原爆投下。

戦争が終結した後、夫と広島を訪れたすず。右手のないすずを母親と間違えた孤児が寄ってきます。その子を呉に連れ帰るところでお話は終わり。

 

すずはぼーっとしている女の子なんです。ハルミが死に、暮らしが日々厳しくなる中で彼女は、「私をぼーっとしたままにしておいてくれないの!!」と絶叫する。

幸せになるために遠ざけるべきものを知っていますか?ネット、TV、SNSの3つです。ネット、TV、SNSを遮断することで「刺激的な情報に心かき乱される」「人の幸せと自分を比較する」「辛い出来事と向き合う」など不幸な気持ちになることが少なくなります。私だって普段、好きなアニメ見て本読んでだらだら生きていられたらそれでいい。ただ、年金があーだこーだと言われ、世界から何週も遅れたい古臭い教育方針・価値観を子どもに刷り込まされ、世界情勢も微妙になっている今、将来子どもをどう育てるべきか考えるためには、耳をふさいでいるわけにはいかない。積極的に情報収集していると、閉鎖的な現状に暗い気持ちになってしまう。

PTAとかなにこれ?いじめとかあったら学校にも教育委員会にも相手にされずやられ損なの??スクールセクハラとぼかしてはいるけど、ロリコン教師に性犯罪まがいのことされて、それで減給程度かコラ。と「こんなクソクソクソな現実とは向き合いたくないわ!!ほっといてくれ!」と言いたくなります。ただ、閉じこもっていたら遅れをとりますから、現実を見据えなかければならない。

当時も、心穏やかに生きたいのに、男を兵に取られ、残った女も放っといておかれず暮らしにガンガン干渉してくるわけですから、暗澹たる気持ちで日々生きていたと想像されます。そんな中ではぼーっとしてなんていられない辛さ。

 

右手を失ったすずでしたが、みんなが「よかった」と声をかけることに違和感を覚えます。好きな絵を描けなくなって、暮らすのも大変で、なにが良かったよ?そりゃ命取られるよりは良いけど、何がいいのさ。と。

3.11の時、「大丈夫だった?」「家はダメになりましたが家族は生きています」「生きているんだったらよかったね」という会話が何度もありました。え?故郷がなくなったのに?そのせいで仕送りしたり暮らしの立て直しに必死なのに?と。人は何らかの地獄を抱えて生きています。それを想像できないなら、軽はずみに声をかけないほうがいい。第三者は「生」か「死」を比べて「よかったね」と言葉をかけますが、被害者は「今までの生活」と「現実」を比べ、失ったものを数えているんですから。

 

戦争ものということで、かなしい描写が多いので覚悟しましょう。広島から瀕死の体で呉まで歩いてきて力尽きた男性。それを「あらまぁ…」と気の毒がっていたら実は息子だったと後で知った老女。原爆が投下された街を、娘の手を引っ張りながらふらふらになって歩く母親。母親の死後もずっとそばに寄り添う娘。戦後何か月も、広島には別れ別れになった家族を探してさまよう人がたくさんいたとか。ただ、人の醜さがほとんど描かれないので、戦争が見せる人の本性とは対峙する必要がないところは安心。

 

8月がくるまでにぜひ。

おわり。

 

闘病をテーマにしたものでこれを超える映画にはなかなか出会えない 映画「マイベストフレンド」

こんにちは。

原題「Miss you already」。邦題は「マイベストフレンド」です。

乳がんとの闘いをテーマにした作品ですが、演技も構成も、闘病ものとしては一級品の出来。Miss you alreadyは別れ際の挨拶で「まだ一緒にいたいわ」という感じかな。個人的に原題がかなり気に入っております。

 

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さて、主人公はジェス。そして親友のミリー。彼らは小学校からの親友同士。ジェスは普通の家庭で育った普通の女の子。読書家で、どちらかというと地味。ミリーは母親が大女優。きれいなブロンドヘアー。自分大好きです。ジェスとミリーは真反対な性格。ミリーは見るからに敵が多そうで、ミリーのわがままでジェスをさんざん振り回してきたんだろうなぁというのが想像できます。

ファーストキスも同じ日に(同じ相手と!)、ミリーの初セックスにはジェスが立ち会う(!!!)など二人は仲良し。ミリーは早々にバンドマンとデキ婚し、一男一女をもうけています。旦那は会社を立ち上げ、ミリーは大企業の広報部でバリバリ働くなど、絵に描いた裕福な幸せ家庭。ジェスは炭鉱夫?と結婚し環境保全NPO?的なもので働いていて、なかなか子宝に恵まれない。ミリーはいつでもジェスの先を行っているし、客観的に見てミリーのほうが幸せ。ミリーもそれを自覚している一面があり、この二人の関係は、対等というよりは、破天荒なミリーにジェスが付き合わされている部分もある気がします。ジェスは心が広いしなんだかんだ言ってミリーが好きなので、楽しくやっていました。

そんなときミリーに乳がんが発覚します。抗がん剤による容姿の変化と、乳房切除によって落ち込むミリー。順風満帆な人生を送ってきたミリーが初めてぶつかる壁。しかも、自分が最もこだわってきた「見た目の美しさ」が失われていく。自信を失うミリーと、それに寄り添おうとするジェス。そんな中、ジェスの妊娠が発覚し…

 

大きいテーマや教訓はありません。ただ、癌との闘いを扱った作品としてとにかくリアルで素晴らしい。告知、再発のタイミング、ミリーの取り乱し方、受け入れ方、周囲の反応、すべてが自然。闘病ものにありがちの、衰弱しているはずなのに瑞々しく美しい患者や、癌だとわかったとたん優しく懐深くすべてを受け入れてくれる夫や友人。未就学児のくせに癌や死を理解しているような顔をしている子ども。そんな浮世離れした奴らは出てきませんし、「みんな...あ…りが…と…」などとわざとらしく絶命もしません。

幼いころから確執があった母親は、乳房再建や乳房切除が分かりにくいブラジャーの調達に熱心。夫は優しく接していますが、裏ではミリー公認で浮気中。息子は病気のことをどれだけわかっているんだか、母親の神経を逆なでするようなことばっかり。そんな中、ジェスはミリーを受け入れています。もともと懐が深い女性なんでしょう。ただ、ミリーの再発と同時に発覚した妊娠をなかなか伝えられない。余命を告知されて荒れていくミリー。今までならいくらでも付き合ってあげられましたが、妊娠中の体では無理もできない、したくない。

 

闘病は2時間の映画ではまとめられません。周りの無理解に苦しんだり、周りも緊張の糸が途切れ、患者を疎ましく感じる時もある。「私は患者なのよ!」と何度もキレるミリー。闘病とはきれいなものではなくて、人間のむき出しの感情がぶつかりあうものかもしれません。闘病により夫婦の絆が深まったわけでも、忘れかけていたものに気付いたわけでもない。価値観ががらっと変わったわけでもない。ただ、大切なものを失っただけ。

 

そういう闘病そのものを描いた作品として、これを超えるものはなかなかないのでは、と感じました。りにかくミリー役の女優魂が素晴らしい。どんどんやつれていく姿に、ここまでやるか!と衝撃を受けました。

 

親友っていいな。

おわり。

親子は必ず分かり合えるという幻想 映画「三月のライオン」

こんにちは。

今日紹介するのは、こちらの映画です「三月のライオン」

3月のライオン[前編]

 

原作はまだ続いているのですが、ある程度のところまで前後編にまとめてあります。後編はかなりオリジナルストーリー。

まずはこの映画、神木くんのコスプレ映画として見ても良いでしょう、というくらいファンサービスが過剰。原作ではもっさり系で黒いダッフルしか着ていなかった彼、映画の中では、オシャレな洋服だけでなく和服姿とバッチリキメています。配役はなかなかぴったりで、佐々木蔵之介の島田八段なんかは最高です。伊藤英明の後藤も良かった。

 

原作の内容をまとめると、高校生の零くんは、中学生デビューした天才棋士。彼は幼い頃事故で家族を亡くし、父の友人である幸田に引き取られました。幸田の家には同じく棋士を目指す香子、歩という姉弟がおり、才覚のあった零は彼らから疎まれます。養父は零にばかり目をかけるため、香子や歩は父とぎくしゃくします。養母も零を持て余し気味で、とにかく居心地の悪い幸田家。高校生になると同時に、彼はそんな家を飛び出し一人で暮らし始めます。人との関わりを拒絶しながら生きていく彼ですが、近所の三姉妹との出会いにより、少しずつ変わっていく零、というお話。

 

タイトルにもある通り、家族はわかり合える、わかり合わなければいけないという幻想にあふれた、ちょっと物申したい作品。こういうの、一部では毒親ポルノと呼ばれているらしく、複雑な親子関係で傷を持つ人をさらに傷つける作品でございます。

 

原作は、家族という枠にとらわれず、新しく自分の居場所を作る作品です。将棋以外には自分の居場所がなかった零。家族から距離を置き、様々な人と交わることで自分が居られる場所を必死で探していく。そういう作品。その中で、三姉妹が重要な役割を果たしていくんですね。血もつながっていない赤の他人だけれども、お互いに助け合い大切な存在となっていく。三姉妹も、ろくでもない父親がタカりにきたりと問題を抱えており、父をばっさり切り捨てることも、しかし愛することもできずに苦しんでいます。血のつながりがなくても、お互いにとってかけがえのない存在になれる、というのがテーマ。

しかし映画では、これでもかというくらい幸田家との絡みを出してきます。愛着障害ぎみで年上棋士と不倫中の香子、幸田父、原作ではほとんど登場しない歩、零は進んで彼らとの関係修復に心を砕く。そして三姉妹も父の登場に戸惑いますが、原作では「なんとか父と離れたい」前提で零に協力を仰いでいた彼女たちが、零が三姉妹と父を引き離そうと奮闘するシーンで、「零ちゃんは黙ってて。この人はクソだけど私たちのお父さんなんだよ!」と零を蚊帳の外に押しやります。

いやいやちょっとまって!逆だよ逆。結局家族との絆づくりの話になるわけ?と。

 

小さい頃に負ったいじめの傷は、長い時間が過ぎようが、加害者から謝られようが一生消えないということは広く理解されています。しかし、こと親子関係については、幼い子どもの心をずたぼろに傷つけても、いつか謝罪があれば、むしろ謝罪がなくても、家族であればいつでも過去の清算は可能である、子は進んで親の行為を許すべきであるという風潮があります。私はそれは違うと思う。親に負わされた傷は、いつまでたっても消えず、いつまでも当人を苦しめます。それでも家族がいいと思い関係を修復しようと努めるのも、翼をもがれる思いで家族から距離を置くのも、どちらも正解で、親子の仲は修復すべきという法もありません。

個人的には、親とはわかり合わないままで自分の居場所を作っていくというテーマの映画があってもいいなぁと思うのですが、それはあまり受け入れられないのでしょうか。

 

と、原作ファンにとっては残念な展開でした。

映像的にウケるからなのか、新人王決定戦では賭場にしか思えない場所でアウトローなオヤジに囲まれて将棋を指し、高校生棋士がいとも簡単にタイトルに手をかけるなど、そんなに詰め込まなくても…と思ったりしますが、そんなこを帳消しにするくらい神木くんは最高です。

二階堂は…いろんな意味で衝撃です。

 

あくまでも私の感想なので、原作ファンも原作を知らない方も、一度見てほしいなと思います。

 

おわり。

 

信じたのか、受け入れたのか 「セーフ・ヘイブン」

こんにちは。


「セイフ・ヘイブン」

ラブロマンスでもありサスペンスでもあり、不思議な映画でした。


セイフ ヘイヴン [DVD]

 

女が警察に追われるシーンからはじまる本映画。最後の最後まで、本当に気が抜けません。ハートフルな映画と思って見始めたのに手汗すごいw うわー!みつかっちゃうよ!逃げて逃げて!!!ドキドキハラハラ。

 

逃げてきた女はケイティと名乗り、海辺の小さな町で暮らし始めます。雑貨屋の店主アレックスは数年前に愛する妻を癌で亡くし、男手一つで娘と息子を育てている。お隣の家には気さくな女性が住んでいて、良きお茶飲み友達に。

この時点で、いい感じの町にたどり着いた(おそらく)人殺しが、仕事、家、恋、親友、なんでこんな簡単に手に入れるなんてどんだけ〜!となるのですが、それは一旦置いといて。

惹かれ合うアレックスとケイティ。しかしアレックスはケイティの指名手配ポスターを見つけてしまいます。罪状は、殺人。ほらやっぱり。アレックスはケイティを問い詰めます。ケイティは「勘違いだ。悪い男に引っかかった」と主張しますが、アレックスは信じられない。ケイティはこの町を出て行くことにします。思い直し、ケイティを追いかけるアレックス。ケイティの過去には何があったのか? そして二人はどうなる?

 

という話ですが、DVDのパッケージはアレックスとケイティがキスしているわけですから、結ばれるというオチは書いていいと思います。ポイントは、アレックスはケイティを信じたのか、それとも受け入れたのか、というところ。彼は、ケイティを追うのか一人で黙考して決断します。ありがちなパターンで、ケイティの過去を知る人が知らせてきたり、ググったら事実を知ってしまったり、そんな都合のいいことことはありません。自分の感覚だけを頼りに決断するのです。それは、ケイティが信じるに値する人間とジャッジしたからなのか、それとも、犯罪者であろうが構わないと思ったからなのか、どっちでしょう?

 

ケイティは謎めいている女ですし、あからさまに警察を避けている、そのあたりで材料は揃っています。子どもがいるからテキトーな判断はできないアレックスですが、私は、彼の表情を見るに、全てを捨てる覚悟でケイティを受け入れたのだと思いました。「とりあえず一旦信じてみるわ」じゃなくて、「俺はもう逃げねぇ」という、愛に見えた。さあ、どっちかなぁ?

 

さて、この映画、ストーリー以上に構成が素晴らしいです。え!うそ!死ぬ!?マジで??ってなり、最後にはえええええ!そういうことだったの!と衝撃の事実が。わーーっと涙が出てきます。そして、二度見をしました。こんな語彙力ですいませんw

 

とにかくネタバレ厳禁で、2時間ハラハラドキドキしてほしいなと思います。

 

おわり。

山よりも高く海よりも深し 映画「私の中のあなた」

こんにちは。

大ベストセラーになった小説の映画化です。「私の中のあなた」

 

私の中のあなた [DVD]

 

私は映画を見る前に予告を見たくない人です。「全米が泣いた」とか「この夏最高の」とか「涙が止まらない」とか平気で言っちゃうし、結論を誘導してくるし、何より予告が一番おもしろいからです。でも、見た後はとりあえず予告もチェック。さて、本作品もご多分にもれず「この秋、自分史上最高の涙が…」と。自分史上最高とか結構強気に出ていますが、これはほんと、涙無しには見られない、2時間泣き通しの作品でした。

 

アナには、ケイトという姉がいます。姉はかなり重度の白血病で、腎不全を起こしており、腎臓移植しか打つ手はありません。アナはケイトの腎臓ドナーとして作られました(ドナーベビー)。「だいたいの命は、酒の勢いや避妊の失敗でハプニング的にできるけど、私は違う。子どもを計画的に作るのは不妊に悩む夫婦くらいのものだろう。姉の病気がなかったら、私の命はあったのか」という独白から始まり、アナの体は生まれた時からすでに姉の一部であるという重い荷を背負っていることがわかります。アナは、腎臓提供を含めた自分に対する医療的行為の停止を求め、両親を訴えます。

この映画、腎臓移植をできるか否か、がポイントに思えるのですが、途中で、何かちょっとおかしいことに気づきます。過去や現在が入り乱れるのでわかりにくいのですが、よく見ると、訴訟を起こした時点でケイトはすでに移植に耐えられる体に思えません。じゃあなぜ訴訟を起こしたのか?その真意はどこに?それは最後に明かされます。

 

さて、がん患者の家族は第二のがん患者、って言葉知っていますか? 家族も、がん患者と同様に金銭的・精神的負担を負っているという意味です。精神疾患を患う場合も多いとか。今まで見えにくかった家族の負担について、最近は目が向けられているそうです。

本作品も、アナ、ケイト、ジェシー(アナの兄)、サラ(母)、ブライアン(父)それぞれの視点から語られる家族の闘病日記的な側面があります。「我が家の一番の関心事項は私の白血球数値。ジェシー失読症は二の次」と、子どもたちもそれぞれ寂しさを抱えて生きているようです。

 

私が一番共感してしまったのは母親。

「私の14年間の戦いはどうなるの?」

特にこのセリフです。他の家族とは温度差があるんですね。他の家族は心のどこかで、ケイトの死を受け入れようとしています。しかし母親は、ヒステリックで、ケイトを含め他の家族の意向を無視して突っ走る。ケイトの病状が悪化しても、ホスピスへの入所や一時帰宅を拒否。「あの子は移植をして助かるの!」と強硬に主張して譲りません。彼女はケイトの病気が分かった時からずっと戦い続けている。ドナーベビーを作ろう、仕事をやめよう、食事にも出来る限りこだわって、異論を唱える夫の口を封じ、アナやジェシーの心が離れようとも、ケイトのためにずっと戦っているのです。

あるとき、「あなたは最後まであきらめない母親でいたいと必死で戦っている。それ以外のものは何も目に入っていない」と諭されるサラ。しかし、ケイトの死を受け入れることはできない、と答えます。

 

孤軍奮闘し、病院スタッフや家族からも遠ざかっていくサラの姿を見て、ケイトは心を痛めます。自分のために必死になっている家族の姿なんて見ていられませんから。

その反面、子の死を受け入れる準備ができる親なんていない。受け入れられるわけなんてない。どんなに選択肢がなくなっても、必死に策を考える。多くの母親はそうでしょう。そういう点では、病気と一番最後まで戦ったのはサラだったのかもしれません。

 

アナは姉の死で得たものなんてない、ただ、私には素晴らしい姉がいたといういうだけだ、と姉の死を理解します。小説や映画の中には、人の死に大きな意味を持たせ、残された人間の人生に奇跡を起こすものも多くありますが、悲しいかな、実際はこんなところでしょう。死は、ごくごく身近な人に時々思い出されること。死は死。無。そういう点で、死とは何か?を飾らずに表現した作品と言えると思います。

 

そうそうそうそう、

冒頭に映画予告の話をしましたが、この予告、「一度壊れかける家族が再度まとまる」みたいなことを言うんですよ。でも、劇中に、「姉の死で、家族が生きていくきっかけを得た?そんなことはない」「ただ姉は青空になっただけ」という独白があり、もうちょっとよく見ろやって思ったものです。

 

最後はdisってしまいましたが、

子どもの演技がうますぎてほんと、直視できない。涙が止まりません。

人によって感情移入できるポイントが違うはず。一度は見てもらいたいです。

 

おわり。

夫と喧嘩できますか? 映画「かぞくはじめました」

今回ご紹介するこの映画、日本では公開中止になった作品で、あまり知られていません。

 

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原題は「Life as we know it」です。私たちが知っている人生?…人によって解釈が違うこの言葉ですが、「かぞくはじめました」はどうかな?冷やし中華か。

最近映画見ると、邦題いらなくね、っていう洋画多くないですか?これ別に、家族になっていく話ではないです。クソ仲の悪い男と共同経営者として親友の子どもを育てる中で、キャリアや夢にどう折り合いをつけるか。子どもの人生を考える上で、共同経営者とはどのような関係が望ましいのか、自分の恋愛・結婚をどう実現するか、そもそも自分は何をしたいのか。いきなり子どもを背負うことになった2人の若者が、様々なことを迷って人生を考えた話なんです。もしかしたらタイトルに、命のlifeと人生のlifeがかかっているんじゃないかな、と私は思ったのですが。

そもそも家族ってなんだよ。家族の始まりって、3人での生活が始まったところを指しているの? それとも、ホリーとエリックがデキてからですか? せめて原題に入っているlifeは活かしてほしかった。ホリー、エリックが、大切なソフィーのことも考えながら、それと同じくらい大切な自分の夢や人生に向き合おうとしていた話を、家族になろうとした話としてとらえられるのはどうか。

 

前置き長くなってごめんなさいw

とにかく言いたいのは、変に訳さないで、原題で良いですよということ。勝手にテーマを解釈された挙句に、最後の恋だの初めての愛だの家族だの耳当たりのいい簡単な言葉で片付けられることで、安っぽい映画に見られるのは原作にも観客にも失礼な気がするからです。今回も、「かぞく」「笑いあり涙あり」「ハートフル」、これでもかと安っぽい言葉詰め込んでこないでw

 

とまぁ、大層なこと言ってきましたが、ホリーとエリックの関係だけ見るとただの陳腐なラブコメです。

 

子どもを一緒に育てることになった男女の話。主人公は、レストラン経営をしているホリー。ホリーの親友アリソンは、夫ピーター、ソフィーという娘の3人家族。あるとき、事故でアリソンとピーターが亡くなってしまい、遺されたソフィーの親権者としてホリーと、ピーターの親友でスポーツチャンネルの監督をしているエリックが指名されました。2人は、ソフィーを育てることに…

さて、大親友の夫の大親友といえば常識的に考えて、仲が良い相手だろうとお思いでしょうが、この2人はクソ仲が悪い。以前、アリソンとピーターが2人をデートさせようと引き合わせたことがあって、エリックは何時間も遅刻した挙句に、レストランの予約もせず、しかもセフレからの電話に「あとでね〜」と回答する始末。エリックとホリーは大げんか。その後、結婚式や子どものバースデーパーティで顔を合わせますが、ささいなことで口喧嘩をしています。

もうこの辺りで展開が読めますね。大親友の夫の大親友であろうが、嫌いな奴とは会話しないようにすればいいのに、結局突っかかっていって喧嘩するんです。バーベキューとかもワイワイしたりするし。と、2人の恋愛模様は典型的なラブコメなので割愛しますw

 

私が思ったのは2点。

ひとつは、共同経営者として育児をすることで、揉め事が格段と減っているということ。彼らは、オムツ替え、ごはん、夜の世話などが50/50になるよう分担を決め、「気づいた方がやる」というような曖昧な約束はしません。クソ仲が悪いので、協力もほとんどしません。これを夫婦に導入すると意外に上手く回るのかも。相手に期待せず、夫/妻を1人の共同経営者とみなすと、いらん争いは生まれないのかも。逆にいうと、相手を他人以上の存在、簡単にいうと家族と思っているから生まれる争いもあるのかもしれない。

 

ふたつめ。「君たちのような喧嘩ができていれば、僕は離婚しなかったよ」というサムのセリフ。サムっていうのは、バツイチ男でソフィーのレストランに通っていたハンサムガイ。ポリーはサムと付き合い始めるのですが、あるときポリーは、エリックとの大喧嘩をサムに聞かれます。2人の喧嘩に圧倒されるサム。そのときサムは、このセリフを言い、別れを告げました。

喧嘩というのは、何かを乗り越えるためにするものです。喧嘩しない夫婦は、何も乗り越えていないということです。どちらかが折れているか、金や何かをつかって問題へ直面するのを避けていたり。でっかい問題が出てきたら、決定的な亀裂が入るんですね。

私も耳が痛いです。私は一人っ子なのもあってか喧嘩の収拾の仕方がよく分からず、友人との付き合いも近づきすぎず距離を置く派です。まぁ、今更ガチンコでぶつかることもできないので、そんなしょうもない私とつるんでくれる穏やかな友人を大切にしていきます。ちなみに夫もとっても穏やかです。

 

実は、喧嘩しただけ多くの問題を乗り越えている。

でも離婚する夫婦も喧嘩ばっかりだと思うんだけど、そこはどう説明をつければいいのかな? それは、離婚してみてからのお楽しみ。

 

おわり。

【6月映画公開】魅力的な人間は過去に支えられている「ガラスの城の約束」

6月に映画公開するこちら。「ガラスの城の約束」ノンフィクション作品です。

ガラスの城の約束 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

さて、「魅力的な人間は過去に支えられている」これ、私が考えたわけではなく、謝辞っていうんですか、一番最初に出てくる挨拶みたいなの、あれに書かれていました。「BIG FISH」に続いてこんなお話。

 

 

dandelion-67513.hateblo.jp

 

 

主人公のジャネットは、ニューヨークで暮らす成功者。あるときゴミ箱をあさる浮浪者の母をみかけます。ジャネットは、父母、姉、弟、末妹の6人家族で育ちました。トレーラーハウスとやらに住んでいる極貧家庭です。父は新しいエネルギーを開発してエネルギー王になる的なことを言っていて、母は、私画家になる、ピカソも昔は不遇だったとか言ってしまう、どっちも一発当ててやる系父母。犯罪まがいのこともしますし、税金など滞納をしているので、常に追われる生活。いつもいつも、夜逃げばかり。

ケガをしたときに呪術医に見せたりする、といえばだいたいお察しいただけると思いますが、育児放棄に正当な理由をつけて自分をごまかしている母。こういう父母のもとに生まれた3人の兄弟が、力強く行きていく様子と、大人になるまでの葛藤。そして大人になってからの親との微妙な関係を描いた作品です。

 

親って、好きですか? 「好き!」と即答できる人、それはとっても幸せな人か、洗脳されている人かの二択だと思いますw 好きだし、好き以上の感情はあるけれども、割り切れないものも持っている、そういう人も多いのではないのでしょうか。

 

ジャネットも、被虐待児と言っても過言ではありません。両親の浪費のせいでごはんがまともに食べられない、喧嘩ばかり、叶わぬ夢を見ていて子どもの意見なんて聞きやしません。しかし、子どもながらに幸せを確かに感じるているんですね。「お前は天才だ」って言われたこと。「お前は自慢の娘だ」って言われたこと。そんなことを時々思い出しては、心を慰めている。

そして、年齢を重ねて自分の親を客観的に判断できるようになり、自分の親がダメ親だと知ってしまった後でも、どこかで親を慕い続け、親が苦しんでいる姿を想像しては、胸を締め付けられる。

 

普通に考えて、ジャネットが父母に抱く感情や父母への行為と、父母から子どものときに受けた行為とは、到底ペイできるものではないんです。赤の他人が見たら、「そんな親捨ててしまえ」となるわけです。でも、できない。できるわけがない。

子どもって、すごいんですね。なぜか親が大好きなんです。親との悲惨な思い出を美しい思い出に転換する。苦しい出来事も、自分を悪者にすることで父母を良き存在として解釈し続ける。確かに愛されていたという思い出が、子どもの心を鷲掴みにして離さない。無償の愛というのは、親が子どもに与えるものではなくて、子が親に対して持っているものなんだろうと思います。

それが冒頭の「過去に支えられる」ということを指します。

 

親はずるい。気まぐれに示した愛の一つや二つで、生涯の子どもからの愛を獲得できる。そして、今まで子どもにかけた苦労や心につけた傷は、死ぬ前の「ごめんね」で水に流してもらえる。

毒親」という言葉が知られるようになって、親と子のこういったいびつな関係が浮き彫りになってきたように感じますが、古くからこういうことはあっただろうと思います。

 

親目線で。そして娘目線ではっとさせられることも多々ありますし、身を切られるような情景も浮かんだり。これがこの家族の答えか、と腑に落ちない部分もあったり。

どのように描かれるか、映画公開が楽しみです。

 

おわり。