はらぺこあおむしのぼうけん

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蔓草のような女の弱さは、女の一番強い力 映画「人間失格 太宰治と三人の女たち」を予習する② ~「斜陽」と「斜陽日記」~

こんにちは。

 

映画公開が迫ってきました。今日は二人目、太田静子です。彼女は、「斜陽」の元ネタとなった日記を太宰治に提供した女性。太宰治の子「治子」を産み育てました。太宰治の死後、「斜陽日記」という手記を出版しています。

 

 斜陽 (新潮文庫)

 

斜陽日記 (朝日文庫)

斜陽日記 (朝日文庫)

 

 

dandelion-67513.hateblo.jp

 

前回取り上げた山崎富江は、妻の美知子には申し訳ない気持ちを持っていましたが、太田静子にはライバル心を持ち、「斜陽の人」や「伊豆のほう」と呼んで忌避していました。彼女が太宰の子どもを産んだと知ったとき、そして太宰がその娘を認知し修治の「治」を一字あげたと知ったとき、激しく心を乱されます。
太宰は、静子と治子の生活費、養育費としてお金を渡すことを約束していますが、そのやり取りを全て富江に任せました。「全て君(富江)を通すよ。彼女との間に秘密のやり取りなんてないよ」という建前でしょうが、そういうところちょっとズルい。子どもまで作っておきながら今更そんな配慮を見せるなんて、、、富江からしたら(もっと)惚れてまうやろー!となるわけです。そしてちゃっかり、静子宛の養育費も富江に出してもらったりするんです。

山崎富江の手記を読んだあとの太田静子のイメージは「子どもや『斜陽』の元ネタをできる限り利用して、お金が欲しかった??」だったのですが、「斜陽」や「斜陽日記」を読む限り全然違いました。

 

太田静子は、山崎富江と同様、大変裕福な家庭に生まれます。東京で暮らしていましたが、戦後は母の弟のつてで伊豆の別荘へ。静子の結婚生活は破綻。その後、叔父も姉の家を支えきれず、「静子を嫁に出すか奉公に出せ」と助言しますが、太宰の存在が気になりなかなか答えを出せない静子。(太宰との出会いは戦前にさかのぼります。太宰の作品に感銘を受けた静子は、日記風の小説を送り、助言を求める。戦争で中断されますが、細々と連絡を取り合っていました。)あるとき、太宰に日記の提供を依頼され、伊豆にて日記を渡します。その時彼の子を宿し、のちに女児を出産(治子)。太宰の死後、「斜陽日記」を出版します。

 

「斜陽」の前半部分はほとんど太田静子の日記を採用している、という説を信じつつ、「斜陽日記」の後半にある太田治子著「母の糸巻」とも併せて考えてみる太田静子像。

超裕福な家で生まれた彼女ですから、たいへん素直。不愉快なことがあるとすぐ顔に出す。そして本が好き。「斜陽」の中にもチェーホフの話が引かれていたり。世間知らずで、恋に恋している娘という印象。彼女の理想の女性像は「母親」。「斜陽日記」には「だれか人にすがっていきていなければ生きられない、つる草のような女の弱さが一番強い」や「私も(人に)すがっていたい」という記述があり、お母様のように生きるのが女として最も素晴らしい道であると信じています。

 

そんな彼女の生活は、戦争によって一変します。戦時中は徴用に遭い、初めて肉体労働をさせられてショックを受ける。戦後は資産を失い、世の中がからっと変わる中で「おひめさま」な母親を抱えて必死に生きます。そして弟の復員。それからはじまる地獄の日々。暮らしに何の不安もなく、箸より重いものを持ったことのないような彼女が「一万円あれば電球が何個買えるかな…一年くらい楽に暮らせるのに」なんて考えるようになるんです。

母の死を前にして彼女は、「お母様のように、人と争わず、憎まずうらまず、美しく悲しく生涯を終わることのできる人は、お母様が最後で、これからの世の中には存在しえないのではないか」と感じます。うーんこの言葉、世代間格差とか感じる…昭和の専業主婦も、そのうちこんな風に言われるようになりますよw


ただ、恋愛至上主義で辛い恋愛に進んで身を投じていくタイプではあります。彼女、結婚後に不倫をするのですが(相手は太宰ではない)、詳細は伏せているにしろ、無邪気に母親に伝えてしまいます。よく、道ならぬ恋に落ちながらも、その恋愛模様を知らせてくる女性がいますが、あれって止めてほしいのか、それとも応援してほしいのか、なんなんでしょうね。自分が悲劇のヒロインであることが周知されてやっと、自分の恋愛が完成するってことなのか…?とまぁ、恋と、恋をしている自分が好き。

 

太宰と初めて結ばれたのは、おそらく日記の受け渡しの前であったようですが、その後は連絡を取るのもままならなかったようです。日記の受け渡しの頃には山崎富江がずっとそばにいたようですし、太宰にとってはおそらく「過去の女」だったのかもしれません。まぁ、日記は欲しかったんだけれども。恋愛においては、古今東西一定数現れる、楽じゃない道ばかり選んでいくタイプなのでおいといて、時代の被害者ではあります。

 

「斜陽」でも上原という男につめたくはねつけられながらも、しつこく彼を求めている主人公かず子。作品中に「道徳の過渡期」という言葉が出てきます。戦時中に善しとされていた道徳が全て否定され、新しい価値観が流入する中、適応できる人間だけが生き残れる。「重厚だの、誠実だの、そんな古い美徳を忘れて、『コンチハァ』と軽薄な挨拶ができるようでなければ、生きていかれない」という会話があります。おそらく叔父も、昔は金もあるし優しかったんだと思いますが、戦争を経て「金ない」「面倒みれない」と見放され、恋した男上原は、もともと不良でしたから新しい価値観になじんでいく。

そこで取り残されたのは、かず子と弟です。もうどうでもいいから、貴族のような暮らしを捨て、「民衆」の仲間入りをしたい。しかしなぜかなじめない。弟も「アヘンを用いるのは、民衆の友になりえる唯一の道」と、自ら堕落していくのですが、結局居場所を作れず自殺します。道徳の過渡期の犠牲者。

 

かず子は、ままならぬ暮らしの中で子を産みます。子を産んだこと自体は自らが望んだことなので幸せの極みですが、もちろん周囲の目は冷たい。小説の中でかず子は、「革命はどこで行われているのか。自分の身のまわりにおいては、古い道徳はそのまま。海の表面の波は何やら騒いでいても、その底の海水は革命どころか身じろぎもせず、狸寝入りしている」しかし、「それを押しのけるつもりでいる」と、「古い道徳と争い、太陽のように生きる」決意をしますが、「母の糸巻」によるとそういう心境とは程遠かったとされています。

 

お金に関しても、無頓着な印象を受けます。できればそういう問題に関わりたくない感。私は、山崎富江の手記を先に読みましたから、静子の金の無心に対して、「またお金…」と微妙な気持ちになったのですが、「斜陽日記」を読む限り、生きるのに必死だったんだろうなぁと感じます。太宰の死後の手記出版についても、本当はちょっと契約違反なんです。美知子サイドと、ある程度の金銭とひきかえに、手記類の出版をしないという契約を結んでいました。ただ、子育てのためにお金が必要だったのでしょう。

 

妻という立場でありながら何度も裏切られた美知子、とにかく不器用に突っ走ってしまった富江の心境は想像できたんですが、今まで太田静子の心境はなかなか想像できませんでした。「斜陽」では強そうに描かれていますが、実のところ、古い道徳に押しつぶされそうになり、辛かったことも多かろう。ただ、子どもを育て切ったのはすごい。恋愛においては猪突猛進型で、どういう時代に生まれたとしてもいろいろ苦労したでしょうが、戦争さえなければ、もう少し自分のプライドを保ちながら、望むような人生を生きられたのかなぁなんて思います。

沢尻エリカの演技が楽しみです。

 

おわり。