はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

ブラウスについたバタースコッチソースのような不快感 早川epi文庫「オリーブ・キタリッジの生活」

こんにちは。

週に1度くらい訪れる夜の静寂。そんなときには夜中3時くらいまで読書を楽しみます。夜中の読書は本のチョイスが大事。2、3時間で読み切れる、そして、明日からの生活にすこーし明るい光を差してくれる作品。ご都合展開は嫌だけど、人生捨てたもんじゃないな、って思える本がいい。先週のゴールデンタイムに満を持して選択した「オリーヴ・キタリッジの生活」、はい、見事ハズレでしたーw

生々しい人生にかなり凹ませられる、夜に読むもんじゃないやつ。作品自体はかなり素晴らしいです。素晴らしすぎて強烈な現実を突き付けられる。あ、やばい、人生、そして人間関係ってこういう不快感と焦燥感の塊だった(白目)。明日からもこういうクソな現実に対峙していくんだ。とHPをゼロにされる作品。

オリーヴ・キタリッジの生活 (ハヤカワepi文庫)

 

連続短編小説。主人公は小さな町で数学教師をしているオリーヴ・キタリッジという女性で、アラフォーの頃から80間近になるまでの人生が描かれます。これのおもしろいところは、オリーヴという主人公の人生を、本人から語らせず他者の視点から書くところ。夫の視点からじっくりオリーヴを描写する話もあれば、元教え子が「オリーヴ先生っていたよね?」って話して終了の話もある。

だから、オリーヴの人生も断片的にしかわからず、クリストファーという一人息子がいて、クリスの一度目の結婚は数年後に破綻し、子連れの女と再婚する。オリーヴは最後は未亡人になっているらしい…というのはわかるのですが、途中途中でアル中っぽくなっていたり、病んでいる時期もあり、あくまでも主人公はオリーヴだけれども、全ての出来事、彼女の想いが明らかにされるわけではありません。普段は付き合いは全くないけれど、人生のある一時期だけ深く交わった知り合いの人生を見ている感覚で面白い。

 

私のストレスの原因は主に子育てなのですが、単純な体力的・精神的な子育て疲れもあれば、この世の中はどうなっていくのだろう、子どもをどう導けばよいのか、という漠然とした不安もあるわけで。そんなときにこんな本は劇物だわ!!

クリスの一番目の嫁は気の強い嫁でした。「こんな田舎住みたくない!」と都会に連れていかれて以来ずっと帰ってこない息子。また、若いときに妊娠し親に黙って中絶した女の子が出てきたり、「こんな子に育ってほしいな!」という子どもが一人も出てこない衝撃。おお…今の苦労の成果物は、親の言うことはガン無視した挙句に冷徹な目で親を裁くような子どもかよ!!!と、ただでさえ低い子育てのモチベーションがダダ下がり。

 

私が「タイムマシンで過去に行っても、同じ人生を歩む系」と名付けている作品。先ほど書いたように、彼女の人生の全体像はわからない。でもアルコールに逃げていた鬱っぽくなっていたり、幸せを感じて生きていないんだろうな、ということは伝わってくる。

はたからみたら上々な人生。仕事を持ち、優しくて包容力のある夫との間に子をもうけ、お金にも困っていない。幸せになるチャンスはあるのです。でも幸せじゃない。オリーヴの親は精神的に不安定で自殺しており、親の影響でメンヘラ寄り。ヘンリーもクリスも彼女の攻撃的な性質を持て余しぎみ。彼女は現状に満足しておらず、人生どこかで間違ったなーと漠然と思っています。しかしたぶん、2歳3歳の頃に戻れても、同様の人生を歩んでいただろうという、被害妄想やペシミスティックな考え方の癖がしっかり染みついている。そんな「業」が彼女を不幸な人生に導いているなぁと感じます。

 

ただ、そんなクソみたいな人生を歩んでいる彼女でも、人の心に住んでいる。ある青年が自殺するために町に帰ってきた回。オリーヴは元教え子の彼を見つけ、「ちょっと失礼」と車の助手席に強引に乗り込みます。どうでもいいことを喋り倒す彼女を青年は最初はうざったく思っていましたが、だんだん自殺なんてどうでもよくなってくる。彼は一旦自殺を延期しただろうなぁと示唆される結末。また、元教え子の女の子がオリーヴ先生の口癖を思い出して家出したり。教師としてはなかなか良い先生かもしれない。

しかし、息子にとっては、攻撃的で精神的に不安定、家族に依存し友人も少ない最低な親。息子との絡みが書かれる話は息子に共感してしまう。こんなシーンがあります。NYにいる息子を訪ねたオリーヴは、息子と二番目の嫁、その連れ子とアイスを食べる。家に帰ったら、オリーヴのブラウスにバタースコッチソースがついていました。オリーヴは「ブラウスに汚れがついていたら指摘をするべきだろう。最低の息子だ」といきなり帰ると言い出す。息子は指摘したらひと悶着あるだろうから家に帰るまで気付かないふりをするのが得策だ、と黙っていたんでしょうね。このシーンから、若いころから面倒な母親であったろうことがわかります。

このシーンはこの小説の象徴的なシーンです。なかなか取れないシミ、ベタベタしたソース、強い匂い。読んでいる間も読んだ後も、バタースコッチソースを体につけているような不快感が離れない小説。人間の嫌な人生を描き切っています。

 

ご都合展開なんてなく、オリーヴが不倫していたと誤解したまま死んでいくヘンリーとか、人と人とのすれ違いが見ていて悲しい。「人生そのもの」を突き付けてきます。人生に躓き倒したとき。今の俺は地獄にいるんだ!!という時に読むのが良い。覚悟して読みましょう。

 

おわり。

精神生活は憎悪と嫉妬に根を下ろしている? ロレンス「チャタレイ夫人の恋人」

こんにちは。

ロレンス「チャタレイ夫人の恋人」です。チャタレイ裁判、高校で習いました?私は女子校育ちなんですが、女子高生なんて性への好奇心の塊ですから、「きわどい描写があるらしいよ!」と同じようなムラムラの塊と連れ立って本屋に行きました。「ガチの本を手に取る勇気はないけれど、さりげなく本棚においておけるエッチな本はありませんか?」という邪な気持ちで手に取ったのは、「チャタレイ夫人の恋人」と、友人が「これもかなりヤバい!!ってお姉ちゃん言ってた!」と絶賛された三島由紀夫の「午後の曳航」でした。チャタレイ夫人の恋人、午後の曳航、そして源氏物語を回し読みしていた田舎の高校生なんて平和ですね。娘もこういう高校生活を送ってほしいな。

 

完訳チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)

 

こちら、削除されたあんな部分こんな部分も収録した完訳版。最初に言っておきますが、期待に胸膨らませるほどではありません。ネットで簡単にエロ画像にアクセスできる昨今、エロ本としては機能しないことを申し上げておきます。ていうか、そんな本ではないです。高校生の頃そんな目で見ていてスイマセン。

 

主人公はコンスタンス(コニー)。夫のクリフォードは従軍中の怪我により性的に不能になります。もともと真面目で几帳面なコニーは、クリフォードとの肉体関係を断った生活(精神生活)に満足していました。しかし、周りの圧力やクリフォードが「お前が子供を産んだら俺の子としても良い(長子がいなかったため)」発言などでコニーの心は惑わされます。もともと出不精だったクリフォードは、不自由な体になったことでさらに肉体的にも精神的にも内にこもるようになり、だんだん気持ちを持て余しがちになるコニー。そんな中、敷地内の森番メラーズと出会い、子宮から突き上げる激しい気持ちを抑えられなくなったコニーはメラーズと関係を持ちます。生きることへの喜びを覚えたコニー、ついに彼女は妊娠します。メラーズと彼女は、どのような決断をするのか?

 

というお話。「現代は本質的に悲劇の時代である」という文章から始まります。二度の大戦の中で、昔から続く価値観が揺らぐ時代。上流階級ではありましたが、金策にはかなり苦労しているし、知識階級と呼ばれる人々との付き合いも退屈。見通しの悪い時代の不安定さを感じながら読みましょう。

 

コニーは嫁いだ時処女ではありませんでした。理解のある親のもとで育った彼女は、若い時、姉と共に自由な生活を送らせてもらった幸せ者。世間に出たばかりのコニーは、男と女の間にはセックスなんかよりももっと素晴らしいものがあると夢見ていましたが、ある程度の恋愛経験の後と結婚生活により、愛とセックスを分けて考えるドライな感じに。マイクリス(ミック)というセフレとの逢引きのおかげで、彼女の心の平静は保たれているし、当面はこのままでいいかなーとなっている。

 

ただそれに対して異議を唱えたい人がいる。ジジイたちです。「セフレいますよ!」なんて堂々と言えないわけですから、彼女は精神生活を楽しんでいるように振る舞います。「セックスなしの生活は、もがれて地に落ちたリンゴと同じだ。生命の源の供給がないから腐っていくぞ」とか「人間らしく、心臓(精神的な部分)とペニス(性欲的なもの)をしっかり持っていなさいよ!」と余計なことを言います。うざいですね。「子どもは3人産みなさい」とか「子どもは年子で産んだほうがいい」とか話しかけてくるババァレベル。現代は「そういう個人的な問題に干渉するのはどうでしょう(キリ)」とか言いやすい時代ですが(それでも言ってくるババァはいる)、当時はそんなことないから、イライラは想像に余りあります。

 

ただ、コニーは大人だし学もあるので、だから?私は満足よ。で済ませています。しかしこんな妹の状況を心配したお姉さんは、もう少しクリフォードと距離を置く(介護に専念しすぎない)ことを提案し、コニーは外に出るようになります。そこでメラーズと出会い、愛する人とのセックスという喜びを覚えるコニー。さらにメラーズの過去とかいろいろなものに触れると止まらなくなるのでここら辺でまとめ。解説にありましたが、ロレンスは性に神秘性を感じていたようです。性と精神の合一などなどに関しては、読む中でばっちり伝わってくるし、古今東西いろいろな作品の題材になっていますから割愛します。

性と精神については、ジッドの「神の門」にも詳しい。いつかレビューしたいと思っているのですが、読んでいろいろ書き込んだはずの本がどっかにいってしまったので捜索中。これにも、かなり思うところがあります。

 

思うのは、自分の生活に本当に誇りを持っている人は、人にその生き方を強制しない、というところだと思います。件の知識階級の皆様の頭にあるのはコンプレックスやあてのない自意識。だからこそ「精神生活はよくない。憎悪と嫉妬が…」と主張する。「こいつ不幸だろう」と人の不幸を垣間見ることに喜びを感じているのに、不幸なはずのやつが涼しい顔をしているとむかついてぶしてやりたくなる。彼女の生きざまに意見する人がたびたび出てきますが、どう生きるかなんて他人に介在されるべき内容ではありません。ここで口に泡ためながらあーだこーだ言っている奴は、どこかでコンプレックスを抱えているんです。自分と同じように不幸になれ、と願いながら人の生き方に意見している。という目線で見ると、議論の中身というよりも、結論が出ないことを議論している外野がいる、ということのほうが作品的に重要なのではと思えてきます。

時々「セックスの相性は大切。付き合う前にセックスしても良い。相性が悪いと別れることにもなる」と主張している女性がいると、「ビッチ」「アバズレ」「愛した人でないとセックスもつまらないでしょう」などのリプがたくさんつくんですね。でも、「愛する人とセックスはないけど幸せです」という人には「私もです」「そういう生活のほうが価値ありますよね」という応援リプが。「セックスしないとか不幸w」とか言ってくるやつはほとんどいない。不幸な人は不幸のにおいを嗅ぎつけてわらわら集まってきます。幸せな人は他人の不幸にも幸せにも大して興味はない。そういうもの。「夫とは何年もありませんが友達みたいで幸せだ」と主張していた女性が、若い男と逃げるように離婚した例もいくつか知っています。

 

昔、ちょっとした下ネタにも過剰反応し「俺下ネタ嫌いだから!」と完全拒否するオジサンがいました。そして今の時代はダメだとか、清い愛についてご高説を垂れてくる。自分は不倫しているくせに、と見守っていたら、数年後恋に破れた彼は完全にエロおやじになっていた。その時「ああ彼は解放されたんだな」と思いました。セックスにもある程度の能力が必要ですから、下ネタ嫌いだった時代にはいろいろコンプレックスを抱えていたんだろうなぁ、セックスを楽しむ若者をぶっ潰したかったんだろう、そしてフラれて、そういうもやもやから解放されたんだなぁと。この本を読んで、こんなオジサンのことを思い出してしまいました。しかし解放されたからと言って、下ネタはよくない。

 

と、高校生の時にまったく目に入っていなかったアレコレが見えてきて、見方が完全にかわってきました。高校生の時はこんなこと考えなかった。

メラーズの人生経験もなかなか深いので、ぜひ。

おわり。

くさいものに蓋はやめましょう 新潮クレスト「夏の嘘」後半戦(自分を騙したツケ)

こんにちは。

新潮クレスト「夏の嘘」後半戦です。

 

夏の嘘 (新潮クレスト・ブックス)

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前回は男と女の嘘。浮気の嘘、相手を喜ばすための出まかせ、という比較的ライトで誰にでも経験のある嘘を取り上げました。今回は、自分への嘘。これはかなり重い。そして、見ないふりをしていればよかった、となるかもしれない。

 

「森の中の家」

売れっ子作家の妻と、一発屋の夫。都会の喧騒を離れて森の中で暮らし始めたが、やはり妻はNYを想って落ち着かない。対して、妻を独占できる森での暮らしが気に入っている夫は、ひと冬の間家を封鎖し、あわや大惨事に。

「最後の夏」

末期がんの男。服毒自殺をするために、妻や子ども、孫たちと最後の夏を共に過ごす。自分の人生を振り返りながら死ぬべき時を待ち続けるが、その計画が妻にばれ、妻への愛を改めて感じる。

「南への旅」

死を間近にした老女は、自分の人生はどこかで間違えたと感じている。学生時代を送ったチューリッヒに孫娘と旅行し、昔自分を振った男と再会する。自分は振られたとずっと思っていたが、実は自分がその男を捨てており、無意識のうちに記憶を捏造していたことに気付く。

 

まず、「森の中の家」は、妻と夫の育ってきた環境が違いすぎ、遅かれ早かれ別れが来ただろうと感じます。幸せな家庭で育った妻。金持の両親に最高級の教育を施してもらい、人格を尊重してもらった幸せ者。家族愛なんて珍しくもなんともないから、家族への愛はドライ。対して夫は、貧乏な家で父母の暴力に耐えて暮らしてきた。彼にとって家族は夢、彼の全て。

妻は夫の激しさに惹かれて結婚しましたが、それは独占欲につながり、妻は息苦しさを感じています。夫は妻の才能、素晴らしい友人関係が妬ましいけれども、それには気付かないふりをしている。妻を独占することで、その才能の芽や素敵な交友関係をつぶしたい夫。むむ、犯罪のにおい!!

結婚、だけでなく恋愛においても、自分にないものを持っている相手を求める人は多いです。恋愛のはじまりはそれが刺激になり、相手が持っているものに自分がリーチできたと錯覚し大きな喜びにもなりますが、付き合いが長くなると、「やっぱり違うかも」という気持ちを抱くことになります。そこで「やっぱり、やーめた!」と言って別れられるのは、持っている人、強い人、自分を大切にできる人。持たざる者、家庭環境がアレで自己肯定感が低い人は、世の中に分かり合えない人がいることや誰かのもとを去ることに激しい恐怖を感じます。そして、「自分が我慢してこの相手に所属していれば、しばらくは安泰だ」と考えて心の悲鳴から目をそらし、自分を低い位置に置く。さらに、隠れて相手を独占したいと願うようになります。悲劇はここから始まるんですね。

 

次に、「最後の夏」の主人公の男は、幸せの幻想を追いかけてきた男です。ドイツの片田舎からニューヨークに出ること、そこで職を得ること、結婚すること、そういう幸せの入れ物(本文中では幸せの付属物:幸せそうな人の多くが持っているもの)にこだわり、実際自分が本心で幸せと感じてきたかに疑問を持っています。「幸福の付属物として想像していたものはすべて手に入れたから、幸せでありたかった。自分が不幸だと認めたくなかった」また、「自分は常に二つの悪い選択肢の中から選ばざるを得なかった。一度くらい周りの人と同じ選択肢を持ちたかった」と回想します。彼は、誰もが思う幸せの付属物を持つことが幸せなことと信じて疑わず、それを手に入れるために努力をしてきたけれど、実は自分が欲しかったものはほかのところにあったのではないかと気付いてしまった人。

これは難しい。職などの簡単にチェンジできるものにおいては常に「自分が幸せか」に耳を傾けることは重要ですが、こと子育てについては一筋縄ではいかないですよね。一日の中で何回も、「独身でやりたい放題遊んだほうが得では?」とか「こんな世の中に生まれた子どもは幸せなんだろうか」とか考えますよ実際。もちろん、「やっぱり不幸かも!?じゃあ、やーめた」はできない。そうやって一時的に不幸な感情を抱えながらも取り組んだことが、現在の幸せのもとであることもあるわけで、簡単に「不幸!やめます!」はできないし、そんなことをしていたら、この男、最後の夏にコテージに集まってくれる家族なんて一人もいないわけですからね。

誰しも人生を振り返るとき、しかも末期がんの状況で「俺は幸せだった!!!」となる人は少ないでしょう、自分は不幸になる選択肢ばかり選ばされてきたのではないか、と思う人がほとんどではないでしょうか。そう、この「選ばされた」という気持ちがよくないんですねきっと。自分の前に提示された選択肢、それを「どちらが幸せそうに見えるか」で選んできたことへの後悔。そこで、「自分がやりたいことはなにか?」という視点で選んでいれば、こんな後悔は生まれなかったのかもしれません。

 

最後、「南への旅」の老女の回想はぐさっときます。「子どもへの愛情がなくなりました」と一発目にぶっこんできます。「見たり聞いたり読んだり書いたりする能力のように、人間にとって、子どもや孫を愛することも当然の能力とみなされているよね」、「愛は感情ではなく意思!」と。え?それ気付いちゃった?となる。最近Twitterで、「子どもを持たない中年女性の人生の充実度が一番高い」という調査を目にしました。しっかり読んでいなかったけど、これ、気付いちゃいけないことに気付いちゃいましたね。子育てしながら人生充実させるなんて、めちゃ金持ちか子ども好きか、あとはどういう人なんでしょう。かなり難題ですよ実は。

この老女は、真面目なタイプ。子どもを育てることに喜びを感じていました。4人の子、そして13人の孫。みんなまとも。子どもは判事となったり、実業家の妻になったり、そして立派な親になり、その孫も一緒に旅行してくれるようないい子。それでも気付いてしまった、自分の人生はどこ?夫に不倫され、夫は長年にわたる不倫の果てに若い女と新しい家庭を作ったクソ男でありながら、老女が人生を懸けて行った子育ての賜物である素晴らしい子、孫の来訪はちゃっかり受けてじーじばーばと呼ばれて笑っている幸せ者。もうすこし自分の幸せを求めても、ばちはあたらなかったんじゃないか?老女はもやもやしている。

そうして人生の分岐点である「チューリッヒ」へ向かう老女。彼女には愛した貧乏学生がいました。本人は「待っていたのに迎えに来なかった」と思っていましたが、実際は、彼女が貧乏学生を捨てていたことが発覚して愕然とする。現実から目をそらし記憶を改ざんしていた彼女。不倫されたり苦労したりした時彼女は貧乏学生を憎むことで、捨てられることで叶わなかった幸せな人生を思い描いて自分を慰めていたんです。

 

とまぁ、何年も何十年もかけて熟成された嘘に仕返しされるという何とも言えない三話。合わない人から距離を置け、自分にとっての幸せとは何かを第一に考えて行動しろ、自分の置かれた状況を正視しろってことですが、そんなんできるか!!って話ですよね。みんなそんなに自分に正直に生きれれば、本なんていらねぇんだよ!

 

一番印象的なのは件の老女の回想。

「もっと本を読んでおきたかったわ。長い間仕事で必要なものしか読まなかった。子どもができてからは子どもと同じものを読んだ。子どもと本の話をしたかったから。でもそのせいで、自分の読書の習慣がなくなってしまったのよ。今は時間がたくさんあるけど、でも今読んだところでどうすればいいの?」

はいこれ。本を読みましょう、今!すぐ!!

皆さんすでに、一部の若者向け文学がキラキラしすぎて直視できなかったりしませんか?ファンタジーはまだいいけど、学園物はもうまぶしい…!ってなっていませんか?実は、読んで楽しい!と思える本って年を追うごとに減っていっている。本は娯楽や癒しではありますが、実際「明日の自分、未来の自分に役立てたい」という気持ちがあってこそのめりこめるものだと思います。70代になってから自己啓発本を読んで何になる(読んでもいいですよ)。私は実際、独身女性、子を持つ前の女性が好んで読む系は理解できない(というか読んでも仕方がない)のでスルーしています。

とまぁ、最後は読書の話。

 

一番印象的なのは、やっぱり「最後の夏」の老女。今立っている足元がぼろぼろと崩れるような気持になりました。彼女の考え方は、「マザリング・サンデー」に出てきたジェーンに少し似ています。

 

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と、男と女のチャラいウソと比べ、結構重めな人生のお話。

おわり。

 

 

先生!キスは浮気にはいりますか? 新潮クレスト「夏の嘘」前半戦(男と女の嘘物語)

こんにちは。

今日ご紹介するのは、新潮クレスト「夏の嘘」。

「朗読者」(映画の邦題は「君に読む物語」)の作者による短編小説です。「夏の嘘」というだけあって、「嘘」がテーマ。男と女の嘘。そして自分への嘘。嘘と思い込みが生み出した不幸など、数々の「嘘」が描かれます。

前半戦は男と女の嘘の巻。

 

夏の嘘 (新潮クレスト・ブックス)

 

「シーズンオフ」

シーズンオフのリゾート地で男女が出会う物語。盛り上がって一緒に暮らす約束までして別れるけれども、NYへ帰った男は、やはり今の暮らしを離れる決心ができない。

「バーテンバーデン」

(過去に何があったかは知らないけれど)ただの女友達と旅行に行った男。しかしそれが彼女にばれてしまい微妙な感じになってしまう。

 

この二話。まぁこうもうまくいかないような男女が次々と出てくるなぁと。すでに破綻しか見えていないのに頑張って余命を伸ばしているような男女。一緒にいる必要ある?なんて思いますが、もしかしたら世の中のカップルの8割は、はたから見たら「もうこいつら終わってる…」って思われるかもしれませけどね。怖!

 

さて、皆さん、どこからが浮気ですか?セックスした時?キス?それとも二人で食事?個人的には、自分以外の相手に「好き」「会いたい」「xxxしたい!」なんて気持ちを持った時がすでに浮気では?と思ったりしています。現行犯で逮捕できるのは、セックスやキスやそれを匂わすメールを残したときですが、こちらとしてはすでに、邪な気持ちを持った時点で裏切られた気持ちになっています。

それは嘘も同じこと。「『男友達』と一緒に行ったんだよ」「『セックスは』してないよ」と証拠集めしてダウト!できる嘘はブラックな嘘ですが、「聞かれなかったら言わなかった」「その話をしなかった」というのも、つかれた側としては立派な嘘。相手が一番知りたいであろうということを隠した時点で、受け手側は嘘と判断しています。

 

ここに出てくる男どもは、「嘘ではない」「嘘ではないぞ!」と無責任な言葉で逃げているダメ男たち。彼らは「絵ではなくデッサンを渡しただけ」と言い訳します。あれもこれも細部は見せないけれど、概略は渡している。デッサンに浮気前提で塗り絵するのか、自分が信じたい色で塗り絵をするのかそれはお前らの勝手だぞ、どいいながらも、自分に都合よく塗り絵してくれないと被害者ぶるんです。どんだけ!!!嘘ではないということはすなわち、正直ではないということ。隠し事も立派な嘘なんですよ。と、これが、男から女への嘘。

 

そして、彼らは、「NOと言えない」という共通点を持っています。YESともNOともいわず曖昧な態度をとって、いろいろな女を傷つけている。NOと言えないというのはYESと言いたいのに言わないということですでに嘘みたいなもん。と、あれもこれも、受け手に不誠実なものはすべて嘘でしょうよ。と、これは自分への嘘。

 

では、嘘って何?真実って何?真実が常に素晴らしくて、嘘は常に悪いものなのか?否。こんな文章がありました。

真実があなたを苦しめているのではなく、何ゆえにそれが真実であるかという問題のせいで苦しい。

一つの真実が、様々な事実(らしきもの)を一気に突き付けてくる。「旅行した、同じホテルに泊まった、でもセックスはしていない」という事実。…ということは、その女に対してLOVEとはいわないまでもLIKEの感情を持っている。メールに返信したり、一緒に旅行プランを立てるほどの関係ではある、同じベッドで寝てもセックスしないほどの友情、信頼がある。…これは確認しないまでも事実。

だから浮気はばれないように用意周到にしろ!そして墓場まで持っていけといっただろうが!!!ってなります。

 

と、この二話は「嘘は良くない」という話。次回紹介するのは、「自分の気持ちについた嘘が熟成されるとどうなるか」というお話。

 

ぶっちゃけ読後感がさわやか!にはなりません。痴話喧嘩、そしてどんなカップルも抱えがちなもやもやが表現されている。からっとさわやかな夏にこんなジメった思い出いらないってばよ!ってなる。

おわり。

 

怯んではならぬ憎んではならぬ悔やんではならぬ 詩「手から、手へ」

こんにちは。

今日紹介するのは詩集「手から、手へ」

贈り物でいただいたものなのですが、これ毎回泣きそうになります。言葉のセンスが素晴らしい。

 

手から、手へ

詩の紹介って難しくて、あんまり引用しているともはや転載になってしまうので、どう紹介してよいのかわからないのですが、父と母から子どもに贈る詩。

 

やさしい父とやさしい母から生まれたおまえは、やさしいから不幸な人生になるだろう。やさしいから歩む道も険しい道だろう。

父も母もおまえとずっと一緒にいてられない。

 

おまえたちが一人ぼっちになったとき。生きる気力をなくしたとき。怯んではならぬ、憎んではならぬ、悔やんではならぬ。

自分が背負うものが重たく感じたら、荷をおろしたくなったら、

明るい太陽に向かっていないいないばあ。

いつもひかりに向かって歩め。

 

要素をまとめるとこんな感じです。

 

すでに、やさしいから不幸な生だろうと言ってしまうところ。正直ですね。古今東西、優しい人は損をします。プライスレスな何かが得られるとか、人生の最後に収支がとんとんになるとか言ってごまかしていますが、誰も教えてくれない秘密ですこれは。

千夜一夜物語にこういう話があります。あるお母さんが、旅することになった息子に言う。「道連れはちゃんと選ばなければならないよ。りんごを半分に割って大きいほうか小さいほうを選ばせる。そこで大きいほうのりんごを取った人は捨て、小さいほうを取った人を道連れに選びなさい」と。

感動した私は、以後明らかにサイズが違うものがあったら小さいほうを選ぶようにしていますが、よく考えてみると、小さいほうを選ぶ人間が、常に大きいほうを選ぶ人と連れ合いになったら一生損しながら生きていくんだよな、なんて思います。そして、気を利かせて小さいほうを取る人間は、子どもに小さいほうを選べと教えますから、子どもも損をするようになっていく、なんという不幸!!不幸の連鎖を断つために子どもには、「小さいほうを取る人と連れ合いになりなさい」と教えたほうがいいのかもしれない。

 

「怯んではならぬ、憎んではならぬ、悔やんではならぬ」のところが一番好き。柔らかな雰囲気の詩の中で、このくだりは迫力があります。

出会ったときは独身で、子ども目線で読んだものですが、親になってからだと何倍も味わい深く、何度も何度も読んでいる大切な本です。

 

あの、一つだけ文句言っていいですか。

帯!!帯!!!


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「あなたにとって一番大切なものー家族のものがたり(ドヤ)」と紹介されているの、安っぽい。そもそも詩というものが、限りある文字数の中で限界まで削りに削って創作しているものなのに、しかも作品中で家族という言葉は使わないようにしているのに、「家族のものがたり!」ってしれっと!!!

今までもいくつかの記事で「家族」という言葉について噛みついていますが、家族が嫌いなわけではないです。あなたにとって大切なものを三文字以内で答えなさいって言われたら、もちろん「かぞく(3文字)」ですよ。

ただ、簡単に「家族」っていう言葉を使うメディアが苦手なだけです。幸せでない家、たとえばDVがある家も、父親が不倫している家も、経済的な問題を抱えてぎすぎすしている家とか、みーんな「家族」で「家族」だからこそ、その輪から逃げられなくて苦しんでいる人もたくさんいるのに、そういうのは見なかったことにして、本物のお父さんとお母さんがいて、じーちゃんばーちゃんも優くて明日の飯にも困っていない家ばかりを見て「家族!!」「家族っていいな」「家族を大切にしない奴はクズ」という価値観を乱発するのが好きではないだけです。

 

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親としても、子としても、いろんな世代に読んでほしい作品でした。

おわり。

一度、世の中全ての出来事が無意味だという前提に立ってみる 河出書房「リンカーンとさまよえる霊魂たち」

こんにちは。

全米ベストセラー・ブッカー賞受賞の超話題作!とのことで、遅まきながら読んでみました。「リンカーンとさまよえる霊魂たち」

 

リンカーンとさまよえる霊魂たち

 

息子ウィリーを亡くし悲嘆にくれる大統領リンカーン。彼は息子に会うために夜の墓地を訪れていました。そこには、あの世とこの世のはざまをさまよう霊魂たちがうようよ。そこにはウィリーの魂もありました。彼らは、はざまの世界をさまよう状態が、子どもにとって地獄であるということは承知しています。天使のように心が美しいウィリーあの世に送ってやるため、普段は自己中心的で孤独な生活を送る彼らが一致団結したとき、奇跡が起こる!

 

というお話です。書き方が独特なので、最初は事情をつかむまでが大変。40半ばを過ぎた印刷工の回想が始まり、あれ???となっているうちに、誰かが話しかけくるんです。LIINEのグループトークで霊魂たちが会話している感じ、最後まで会話形式でストーリーが進みます。アイコンのないグループトークを見せられているわけですから、横文字の名前を覚えるのが苦手な私は、こいつ誰だ?ってなることしばしば。

でもまぁ、ぶっちゃけ誰が何をしゃべっているかはそこまで重要ではないので、一言一言しゃべっているところは飛ばして読んでOK。ただ、最後まで出てくるロジャー・ベヴィンス三世、ハンス・ヴォルマン、エヴァリー・トーマス師、ミセス・ホッジは、どういう事情を抱えているかは覚えておきましょう。

 

Bardoというのはチベットの言葉で中有(ちゅうう)という意味。この世とあの世のはざま。彼らはもともと、このはざまの世界にずっととどまろうとは思っていなかったのですが、忘れ物を取りに行く感覚ではざまの世界で暮らしているうち、未練が生まれてしまう。せめて自分の証を残すまではこのはざまの世界にいたいと思っている彼らですが、そこは、執着がなくなるといきなりふっと成仏してしまう世界のようです。だから、はざまに残り続けるため、自分の人生で起きた不幸を呪い、自分はここにとどまらなければいけないと常に自分に言い聞かせ続けている状態。どんどん孤独に、どんどん不幸になっていく。

人生が充実していなかった人間のほうが不老不死にこだわると聞いたことがあります。60年生きてぱっととしなかった人生も、それが100年、200年、1000年になればいつか日の目が見られるだろうと、そういう発想でしょうか。

 

この、「はざまに残ろうと執着する状態」、許しの話に少し似ています。以前読んだ「海を照らす光」に、「憎しみ続けるのにも体力がいるんだ。憎む人をリストにして、忘れないように常に覚えておかなきゃないじゃないか。そのエネルギーを人を愛することに使おう」という会話が出てきました。憎しみや執着から解放された世界は、本当に自由なんだろうと感じます。とはいえ、そういう負の感情から逃れられずに苦しんでいる人が多いから、こういう本が賞賛されるのでしょう。

 

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一番印象に残ったのは、エヴァリー・トーマス師の話。彼は牧師でありながら審判を恐れ、審判の場から逃げてきました。彼は「私たちにはこの世の不幸や理不尽を受け入れることしかできない。でも、そんな説明じゃ(自分の死が)納得いかないじゃないか」といいます。すごいだろ、これ、牧師さんが言っちゃうんだぜ!

法治国家で民主主義国家、医療制度が充実し、文化も成熟しているいわゆる先進国にいると、自分が無条件にプライスレスな存在であると考えがちです。人の命は平等であり、平等に扱われるべき、そして理不尽や不幸は断固として許されない。どこかでつじつまを合わせなければならない。

そして、人は何かを成すために生まれてきた。無駄な命、無駄な不幸は何もない。と。教育の効果でもありますが、このように考えて疑わない。こういう思考にあるからこそ、現世で何もなしえなかった、不当な扱いを受けたということが受け入れられない。悪いことで富を得たやつがいる。親の遺産で楽をしている奴がいる。自分だけが病気である。同じ命のはずなのに自分は不幸だ、自分の死は不当である、おかしい、だからあの世に行ってたまるか。あの世に行く前につじつまを合わせてやると、人を憎しみ、執着してしまう。

 

この考え方を、「世の中全ての事象に意味があるという説」と名付けるならば、今回検討するのは「世の中全ての出来事が無意味である説」です。人の幸不幸はただの偶然。べつに自分の存在に大した意味もなければ死にも意味がない。ただ勝手に生まれてきただけでしょう?何気負ってんの??。あいつは幸せだけど俺は不幸だって?だから何?命は平等だって?牛や豚は平気で食ってるのにお前何言ってんの?と。

普段はできる限りこういう考え方は避けている。不幸だから次に幸せなことがある。不幸なやつにはばちがあたる。真面目にやってたらいつかいいこともある。誰だってそういう風に考えて生きていたいものです。でもそれがただの気休めだったら、どうでしょうね。

 

どっちの説が正しいとかはありませんが、何かに執着して足を取られていると感じているときは、世の中全て無意味だという前提に立って考え直してみたら、何か別の世界が見えるかもしれません。

分厚い本なので手に取ったときぎょっとしてしまいますが、さくさく読め、そして最後の数十ページ、深い感動が待っています。静かな夜に読んでほしい作品。

 

おわり。

自分の選び得なかった人生も一緒に抱えて生きている 新潮クレスト「マザリング・サンデー」

こんにちは。

かなり感動した本です。可能なら6月のうちに読んでほしい。これはある少女の半日を書いた本なのですが、その日は3月なのに6月のような気候だったと何度も書かれるからです。明るい日がさすスタバ的なカフェで一気に読みましょう。

私は、すごく疲れた夜にこの本を読み、タイトルの言葉に救われました。本を読むことは良きことです。孤独を癒し、悲しみを慰め、そっと寄り添ってくれます。

新潮クレスト「マザリング・サンデー」

マザリング・サンデー (新潮クレスト・ブックス)

 

舞台は戦後のイギリス。以前も「海に照らす光」を読んだときにも戦後の癒えない傷を生々しく感じましたが、今回も何となく悲しい雰囲気。イギリスは戦勝国ですが、戦争で命を落とすのは若者で、それは戦勝国も敗戦国も変わりありません。

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3月31日はマザリング・サンデーといって、メイドたちの年に一回の里帰りの日。半日だけ休みをもらってお母さんに会いに帰ります。一年のうち休暇は半日とか結構ブラックですよね。メイドのジェーンは孤児で帰るところがない、本でも読んで過ごそうかと思っているとき、近くの屋敷のポール坊ちゃんから「今日は一緒に過ごさないか?」と電話がかかってくる。ジェーンとポールは7年もの付き合いにある恋人同士、でもないけどセフレってわけでもない、そういう関係。ポールにはエマという婚約者がいて、2週間後に結婚する予定。一緒に過ごせる最初で最後の日の思い出。たった半日のことですが、ジェーンにとって忘れがたい日になります。

 

ジェーンとのセックスの後、「あれ(エマ)に会いに行かなきゃ」と言い出すポール。明らかに遅刻なのに、ゆっくり着替え、ゆっくり出ていく。ポールなりにジェーンとの別れを惜しんでいたのか。ジェーンは強がってベッドを動きませんが、内心、「待って、行かないで」と声を掛けたらどうなるか、エマともうセックスしたのかな、この後はセックスするのかな、するとしたらどこで?そういうことばかりぐるぐる考えています。そして、ポールは急いでいくかな。どうせ彼のことだから、エマを待たせるなんてどうでもよくて、ゆっくり行くかも。エマとの待ち合わせ、何分遅刻していくだろう。40分くらい?それで破談になったりして。なんて夢想をします。ジェーンがポールをどう思っているかは明かされませんが、エマを意識し、ポールにひとかたならぬ思いを持っているのは確かです。

 

「今こうすれば、こんなことが起こるかも」と夢想するのはジェーンの癖。こういう夢想は、「あのときあれをしなかったから、こうなったんだ」と将来にわたって自分を苦しめるということを彼女はその時まだ知らない。そして訪れるポールの死の連絡。ポールは車をぶっ飛ばして裏道を走っていた時に木に衝突して亡くなります。「ポールはすごく急いでいた」ジェーンはこんな切ない事実を知ってしまいます。その夜、彼女は部屋にこもって本を読む。自分から逃げるため、日常の苦労から逃げるため、それ以外に本を読む理由なんてあるか、と。ドライで大人びているジェーン、実は、辛いときに極狭のメイド部屋で本に助けを求めていた、ただの思春期の娘だったということが明かされるんです、切ない。

 

前述のとおりジェーンは「今こうしたらどうなるかな」と考える癖があります。これは、メイドだから思ったことを口に出せない身分的の問題でもあり、本と同じように現実逃避の手段でもあり、そして、本人の「自分が選びえなかった人生が舞台袖に待機している」という感覚と密接に関連しています。人生が様々な選択で成り立っているのはご存じのこと。そして、その選びえなかった選択肢、つまりほかの選択をした自分もまるごと抱えながら生きているとジェーンは考えています。別の選択をしていればいたはずの自分は、消えることなく舞台袖から今の自分を見ているというイメージ。

 

選びえなかった人生、他の選択をしていればいたはずの自分…子どもの時はそんなのいなかったはずなのに、今や私の舞台袖はぎゅうぎゅうです。

7、8年くらい前に、22歳の自分に宛てた手紙が出てきたんですね。おそらく中2、3くらいに書いたものです。「拝啓15の君へ~」みたいな歌あったじゃないですか。大人になった自分に悩みを打ち明け、過去の自分と未来の自分が分かり合うようなやつ。そういう感じのを想像して開けてみたら、目をキラキラ輝かせた過去の自分と対峙してしまい落ち込みました。「どんな仕事をしていますか?この前カナダにホームステイに行きましたが、国連のような機関で地球環境について真剣に取り組める仕事をしようと決めましたよね?」みたいな文章が、しかも英語で書かれてたんです。今の自分と比べてみて、「君を明るいところへ出してあげられなくてゴメン」と土下座したくなる。大人のお姉さんとして悩み相談に乗るどころか、自分が悩み相談したいくらいのしっかりした娘さんがその手紙の中にいたわけで。中2の自分がリアルに思い描いた未来の自分は、表舞台ではなく舞台袖にいるんだなぁと思うと、すごく申し訳ない気持ちでいっぱいなんです。

 

ちょっと話がそれましたが、とにかく構成が素晴らしい作品。ネタを小出し小出しにしてきます。ジェーンが長生きすることも、それなりの幸せをつかむことも、ポールがなくなることも、さりげなくネタバレする割には多くを語らないため、え、え、え、とぐんぐん読んでしまう。

そして言葉に無駄がなく、表現も普通なのに、いきなりグサッとくる言葉が飛び出してくる。また、ジェーンが実在するかと思うくらい登場人物が生き生きしています。この作者、小説が10作もあるのに未邦訳作品が多すぎ。他の作品も読んでみたいので英語勉強してきます。BGMはSEKAI NO OWARIの「RPG」がぴったりですよ。

 

おわり。