はらぺこあおむしのぼうけん

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くさいものに蓋はやめましょう 新潮クレスト「夏の嘘」後半戦(自分を騙したツケ)

こんにちは。

新潮クレスト「夏の嘘」後半戦です。

 

夏の嘘 (新潮クレスト・ブックス)

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前回は男と女の嘘。浮気の嘘、相手を喜ばすための出まかせ、という比較的ライトで誰にでも経験のある嘘を取り上げました。今回は、自分への嘘。これはかなり重い。そして、見ないふりをしていればよかった、となるかもしれない。

 

「森の中の家」

売れっ子作家の妻と、一発屋の夫。都会の喧騒を離れて森の中で暮らし始めたが、やはり妻はNYを想って落ち着かない。対して、妻を独占できる森での暮らしが気に入っている夫は、ひと冬の間家を封鎖し、あわや大惨事に。

「最後の夏」

末期がんの男。服毒自殺をするために、妻や子ども、孫たちと最後の夏を共に過ごす。自分の人生を振り返りながら死ぬべき時を待ち続けるが、その計画が妻にばれ、妻への愛を改めて感じる。

「南への旅」

死を間近にした老女は、自分の人生はどこかで間違えたと感じている。学生時代を送ったチューリッヒに孫娘と旅行し、昔自分を振った男と再会する。自分は振られたとずっと思っていたが、実は自分がその男を捨てており、無意識のうちに記憶を捏造していたことに気付く。

 

まず、「森の中の家」は、妻と夫の育ってきた環境が違いすぎ、遅かれ早かれ別れが来ただろうと感じます。幸せな家庭で育った妻。金持の両親に最高級の教育を施してもらい、人格を尊重してもらった幸せ者。家族愛なんて珍しくもなんともないから、家族への愛はドライ。対して夫は、貧乏な家で父母の暴力に耐えて暮らしてきた。彼にとって家族は夢、彼の全て。

妻は夫の激しさに惹かれて結婚しましたが、それは独占欲につながり、妻は息苦しさを感じています。夫は妻の才能、素晴らしい友人関係が妬ましいけれども、それには気付かないふりをしている。妻を独占することで、その才能の芽や素敵な交友関係をつぶしたい夫。むむ、犯罪のにおい!!

結婚、だけでなく恋愛においても、自分にないものを持っている相手を求める人は多いです。恋愛のはじまりはそれが刺激になり、相手が持っているものに自分がリーチできたと錯覚し大きな喜びにもなりますが、付き合いが長くなると、「やっぱり違うかも」という気持ちを抱くことになります。そこで「やっぱり、やーめた!」と言って別れられるのは、持っている人、強い人、自分を大切にできる人。持たざる者、家庭環境がアレで自己肯定感が低い人は、世の中に分かり合えない人がいることや誰かのもとを去ることに激しい恐怖を感じます。そして、「自分が我慢してこの相手に所属していれば、しばらくは安泰だ」と考えて心の悲鳴から目をそらし、自分を低い位置に置く。さらに、隠れて相手を独占したいと願うようになります。悲劇はここから始まるんですね。

 

次に、「最後の夏」の主人公の男は、幸せの幻想を追いかけてきた男です。ドイツの片田舎からニューヨークに出ること、そこで職を得ること、結婚すること、そういう幸せの入れ物(本文中では幸せの付属物:幸せそうな人の多くが持っているもの)にこだわり、実際自分が本心で幸せと感じてきたかに疑問を持っています。「幸福の付属物として想像していたものはすべて手に入れたから、幸せでありたかった。自分が不幸だと認めたくなかった」また、「自分は常に二つの悪い選択肢の中から選ばざるを得なかった。一度くらい周りの人と同じ選択肢を持ちたかった」と回想します。彼は、誰もが思う幸せの付属物を持つことが幸せなことと信じて疑わず、それを手に入れるために努力をしてきたけれど、実は自分が欲しかったものはほかのところにあったのではないかと気付いてしまった人。

これは難しい。職などの簡単にチェンジできるものにおいては常に「自分が幸せか」に耳を傾けることは重要ですが、こと子育てについては一筋縄ではいかないですよね。一日の中で何回も、「独身でやりたい放題遊んだほうが得では?」とか「こんな世の中に生まれた子どもは幸せなんだろうか」とか考えますよ実際。もちろん、「やっぱり不幸かも!?じゃあ、やーめた」はできない。そうやって一時的に不幸な感情を抱えながらも取り組んだことが、現在の幸せのもとであることもあるわけで、簡単に「不幸!やめます!」はできないし、そんなことをしていたら、この男、最後の夏にコテージに集まってくれる家族なんて一人もいないわけですからね。

誰しも人生を振り返るとき、しかも末期がんの状況で「俺は幸せだった!!!」となる人は少ないでしょう、自分は不幸になる選択肢ばかり選ばされてきたのではないか、と思う人がほとんどではないでしょうか。そう、この「選ばされた」という気持ちがよくないんですねきっと。自分の前に提示された選択肢、それを「どちらが幸せそうに見えるか」で選んできたことへの後悔。そこで、「自分がやりたいことはなにか?」という視点で選んでいれば、こんな後悔は生まれなかったのかもしれません。

 

最後、「南への旅」の老女の回想はぐさっときます。「子どもへの愛情がなくなりました」と一発目にぶっこんできます。「見たり聞いたり読んだり書いたりする能力のように、人間にとって、子どもや孫を愛することも当然の能力とみなされているよね」、「愛は感情ではなく意思!」と。え?それ気付いちゃった?となる。最近Twitterで、「子どもを持たない中年女性の人生の充実度が一番高い」という調査を目にしました。しっかり読んでいなかったけど、これ、気付いちゃいけないことに気付いちゃいましたね。子育てしながら人生充実させるなんて、めちゃ金持ちか子ども好きか、あとはどういう人なんでしょう。かなり難題ですよ実は。

この老女は、真面目なタイプ。子どもを育てることに喜びを感じていました。4人の子、そして13人の孫。みんなまとも。子どもは判事となったり、実業家の妻になったり、そして立派な親になり、その孫も一緒に旅行してくれるようないい子。それでも気付いてしまった、自分の人生はどこ?夫に不倫され、夫は長年にわたる不倫の果てに若い女と新しい家庭を作ったクソ男でありながら、老女が人生を懸けて行った子育ての賜物である素晴らしい子、孫の来訪はちゃっかり受けてじーじばーばと呼ばれて笑っている幸せ者。もうすこし自分の幸せを求めても、ばちはあたらなかったんじゃないか?老女はもやもやしている。

そうして人生の分岐点である「チューリッヒ」へ向かう老女。彼女には愛した貧乏学生がいました。本人は「待っていたのに迎えに来なかった」と思っていましたが、実際は、彼女が貧乏学生を捨てていたことが発覚して愕然とする。現実から目をそらし記憶を改ざんしていた彼女。不倫されたり苦労したりした時彼女は貧乏学生を憎むことで、捨てられることで叶わなかった幸せな人生を思い描いて自分を慰めていたんです。

 

とまぁ、何年も何十年もかけて熟成された嘘に仕返しされるという何とも言えない三話。合わない人から距離を置け、自分にとっての幸せとは何かを第一に考えて行動しろ、自分の置かれた状況を正視しろってことですが、そんなんできるか!!って話ですよね。みんなそんなに自分に正直に生きれれば、本なんていらねぇんだよ!

 

一番印象的なのは件の老女の回想。

「もっと本を読んでおきたかったわ。長い間仕事で必要なものしか読まなかった。子どもができてからは子どもと同じものを読んだ。子どもと本の話をしたかったから。でもそのせいで、自分の読書の習慣がなくなってしまったのよ。今は時間がたくさんあるけど、でも今読んだところでどうすればいいの?」

はいこれ。本を読みましょう、今!すぐ!!

皆さんすでに、一部の若者向け文学がキラキラしすぎて直視できなかったりしませんか?ファンタジーはまだいいけど、学園物はもうまぶしい…!ってなっていませんか?実は、読んで楽しい!と思える本って年を追うごとに減っていっている。本は娯楽や癒しではありますが、実際「明日の自分、未来の自分に役立てたい」という気持ちがあってこそのめりこめるものだと思います。70代になってから自己啓発本を読んで何になる(読んでもいいですよ)。私は実際、独身女性、子を持つ前の女性が好んで読む系は理解できない(というか読んでも仕方がない)のでスルーしています。

とまぁ、最後は読書の話。

 

一番印象的なのは、やっぱり「最後の夏」の老女。今立っている足元がぼろぼろと崩れるような気持になりました。彼女の考え方は、「マザリング・サンデー」に出てきたジェーンに少し似ています。

 

dandelion-67513.hateblo.jp

 

と、男と女のチャラいウソと比べ、結構重めな人生のお話。

おわり。