はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

父の不倫により崩壊してしまった家族を、妻・夫・子どもそれぞれの視点から描く物語。 「靴ひも」ドメニコ・スタルノーネ(新潮クレストブックス)

こんにちは。

「靴ひも」ドメニコ・スタルノーネ(新潮クレストブックス)

靴ひも (新潮クレスト・ブックス)

どっちが先なのかわからないけど、「パラサイト」を思わせる表紙の構図なので勝手に韓国小説だと思っていましたが、これはイタリア小説です。笑

父の不倫により崩壊してしまった家族を、妻・夫・子どもそれぞれの視点から描く物語。夫と妻の言い分で物語の85%を占め、子どもたちがほとんど登場してこないところがこの物語のミソ。妻と夫の言い分との中に子どもの存在を埋もれさせることで、間接的に子どもの苦悩を描き出している。

 

ヴァカンスから戻った老夫婦は、荒らされ放題の家を目にします。部屋の状態は筆舌に尽くしがたく、金目のものがなかったから腹いせに荒らしたのでは、と思しき有様。飼っていた猫もどこかに消えています。警察に相談しても「命があってよかったですね」と、こんなこと日常茶飯事と言わんばかりの対応で相手にされません。とぼとぼと家に帰り、片付けに取りかかることにした二人でした。

夫は数十年間、若い女と不倫し、家を飛び出たことがあります。何年にもわたるいがみ合いの末にやり直すことを決意した二人にとって、それは絶対触れてはならない話題。しかし、荒らされた部屋から見つかるのは、悲しい過去の痕跡ばかり。夫をなじる妻の手紙からは、辛く苦しい父親不在の時期がよみがえります。

 

一度は壊れた家族を再び結びつけることになったのは、タイトルにもある”靴ひも”。ダメ夫が唯一子どもとまともなコミュニケーションを取った思い出が、靴ひもの結び方を教えることでした。

「お兄ちゃんの靴ひもの結び方はお父さんが教えたの?私にも教えて」

という娘の言葉をきっかけに、再び家族のもとへ帰ることを決めた夫。靴ひもの思い出は夫にとって、子どもとの絆を感じさせるかけがえのないものでした。

 

妻の手紙で構成される第一部と、夫の回想から構成される第二部。妻のヒステリーと夫の言い分、どっちもどっちだなぁ…なんて思っていたところに、事件の真相が発覚する衝撃の第三部。

 

第三部を読むと、子どもは親のことを正しく見ていると感じます。そして、親の不仲、親の不在に、親が思うよりも傷つけられている。

”靴ひも”の思い出も、子どもにとっては全然違うものでした。”靴ひも”のことを問われた娘はこう言い放ちます。

あの二人にとってなにか意味をもつひもがあるとしたら、お互いを縛り付けて、生涯苦しめ続けてきたひもだけよ!

子ども時代を奪い、自分の人生を歪ませた両親に損害賠償を請求したいと言ってはばからない娘は、子どもを持たない人生を選びました。子だくさんの兄に何か言われる度に、「コピペ並の手軽さで子どもを作っている兄ちゃんに何がわかる!」とバカにします。コピペ並みって・・・笑

親ゆずりの神経質さと気性の荒さを持て余し、結婚生活も長続きせず、人間関係に苦労している娘は、責任の所在を幼い頃の悲しい記憶に求めるきらいはありますが、言っていることは概ね正しい。

 

特に、子どもを拒むことを途中で諦めて家に舞い戻り、母のサディズムに身を任せた父を憎んでいます。

母の精神をボロボロにして自分たちから母を奪ったこと、母の絶望や怒りの矛先が全て子どもに向いたこと、若い愛人への熱狂が冷めて後悔してから家に戻ったこと、そのせいで母のヒステリーにさらされたこと。

それに対して何の責任も取らないで家族の一員面しているクソジジイ!と。

 

娘は言います。

ひとたび親になったら私の人生は私のものだと主張できない

 

子ども持つことは完全に自己を放棄すること

子どものために人生のある時期を犠牲にする覚悟がないなら、子どもを作るんじゃねぇ、と。

厳しい言葉ですが、子どもなんて特別な手続きもなくコピペ並の簡単さでできてしまうものだから、ホイホイ子作りする前に親になる自覚を持てと。自分の意志薄弱のせいで不幸な子どもを増やすなと。今は親も親の人生を楽しんで良いという風潮ですが、それは節度を持ってのこと。特に異性間のトラブルを家庭に持ち込むのは御法度です。父と母に男と女を垣間見ることで、子どもが深く傷つく可能性がある。

 

熟年夫婦のいざこざの小説かと思っていたら、最後の最後で子どもが黙っちゃいない…、と驚きの小説。子どもは無力だから守ってあげないといけない、と大変身につまされる内容でした。この小説の子どもたちに幸あれと祈らずにいられません。

 

おわり。