はらぺこあおむしのぼうけん

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驚くべき完成度、魅力的な登場人物…もし自分が小説家なら、こんな小説を書いてみたい!エリフ・シャハク「レイラの最後の10分38秒」(早川書房)

こんにちは。

 

9月発売のこちら。

エリフ・シャハク「レイラ最後の10分18秒」

読み終わった瞬間、「完璧だ!!!」と声が出てしまった完成度。予想以上に素晴らしかったです。彼女、「トルコで最も読まれている女性作家」だとか。

2018年のブッカー賞最終候補だそうです。本屋で目が合って、一目惚れして購入しました。本屋歩きで収穫あると嬉しくなりますよね。

レイラの最後の10分38秒

 

今から30年前のイスタンブール。一人の娼婦レイラが息絶えました。完全な死に向かうまでの10分38秒間、彼女は辛い生い立ち、イスタンブールへ逃げたときのこと、そして、イスタンブールで得た貴重な友のことを想います。

レイラの思い出と5人それぞれのエピソードが、ゆるやかに混ざり合いぶつかり合い、激流に飲み込まれたり…まるで川の流れのように連綿と続きます。

…と、叙情的な前半部に対して、後半はハラハラドキドキの展開。

親族が遺体の引き取りを拒否したせいで、身寄りのない者の墓に葬られてしまうレイラでしたが、5人の親友たちは黙ってはいなかった!!レイラを「本来あるべき場所」に葬るため、なんと深夜の墓暴きに挑戦する彼らの、どこか悲しい一夜の冒険が描かれます。

 イスタンブール…それは不満を抱えた者や夢を追う者がみな行き着く町。治安も悪く事件ばかりのこの町で、望まない生を生きる彼らから、ちょっとだけ勇気を分けてもらう、そんな小説でした。

 

この本の一番の魅力は、宗教とは愛とは友情とは家族とは…こんな漠然としたテーマを率直な言葉で真摯に語り尽くしてくれる点、そして、著者のメッセージが登場人物の意識や言動に練り込まれ、まったく浮いていない点です。

雑な小説の中には、登場人物の生まれ育ち・性格などを作り込むことを放棄するばかりか、全員にとりあえず暗い過去を持たせて「そういう悲しい過去を持っている人同士にしかわかり合えない世界もあるよね」と、悲しみを持つ彼らをを十把一絡げにして、別の世界の住人としてうちやってしまうものも多いと感じます。そしてその中に出てくる「かわいそうな過去を持つ人」は、根は優しく仲間思いで、その過去の出来事ゆえに予測のつかない行動をとりがちだが、びっくりするほど欲がなく、一度信じられる仲間を見つけたが最後、世界全員に対して優しくなれると相場が決まっている。

私の見る限り、彼らは善人でなければならず、”その悲しい過去ゆえ”に誰かを傷つけることは許されますが、いったん”改心”したあとは、アレは嫌コレも嫌とわがままを言うことすら許されない雰囲気すらある。それは、「かわいそうな過去がある人は善き人でないとフォローしきらん」という無言のプレッシャーにも思えてきます。

この小説に出てくるのは、上記に出てくる天使のような登場人物とは違い、かわいそうな過去やコンプレックスを持っていながらも、人並み以上に欲深かったり、「わたしは嫌です!」と断れる強さを持っている生々しい人間ばかりです。だからこそ、「断じて共感できねぇ!」と思うようなことを平気で言っちゃうし、「貴重な親友なんだから、もう少し相手の気持ちに配慮しろや」とたしなめたくなるようなシーンもある。

「切ない過去を持つ人たちが大都会のはじっこで身を寄せ合って頑張る姿」を心のどこかで期待している読者に対し、容赦も忖度もしない生身の人間ぶつかり合いが本当に魅力的だし、彼らの背負っているものをじっくり考え、言い分を素直に聞いてみようと思えるのです。

 

例えば全く違う宗教観。「心の救いである」という人もいれば、「私はこれをしますから、救ってくださいという交換条件の取引としか思えない」という人もいる。「いろんな罰は考えつくくせに、いざ人間に必要とされたときには人間をろくに守りもしない」と痛烈に批判する人もいれば、「信者という家族を得たと言われたが、結局心の平静は得られなかった」と答える人がいます。もちろん言い合いになったりする。

「心の救い」と言った女性は、父と母に愛されて育ってきた女性。「取引」と言った女性は同性愛が露見して故郷を追われ、「いろんな罰は考えつくくせに」といったレイラは、父の弟からの性暴力を家族全員からなかったことにされた過去を持つ。「信者という家族に安らぎはなかった」と言った女性は、自己の改宗によって家族から追い出され、イスタンブールへ流れてきました。それぞれの意見を吟味し、彼らの背景に思いを馳せてやっと、「家族に恵まれたか」というただ一点が、彼らのその後の人生に大きく影響しているのでは、と思い至ります。

このように、心にとどめておきたい一言がたくさん出てくるばかりか、それらが生まれ育ちや、彼らが身につけてきた価値観としっかりリンクし、違和感なく理解できる。それはひとえに、登場人物一人一人に、文字通り命が吹き込まれているからなのでしょう。本当に魅力的な登場人物たち…!!

 

そんな登場人物の魅力は他にもあります。それは、せっっかくできた5人の親友と、傷のなめ合いなんてする気のないパワフルな姿です。彼ら、互いへの無理解が原因のトラブルをしょっちゅう起こしています。間違っても、「私たち、悲しい過去を持っているから100パーセントわかり合えるナカマ!!」なんてことはない。

「家族は大切」という無意識のコメントに傷ついた女性が「血族と水族。良い家族を持ったならラッキーで済ませればいいじゃない。そうじゃない場合だってあるんだ」と悲しみに浸るシーンだってあるし、相手の壮絶な過去を知っていながらもなお、「自分の人生を修復する過程で誰かを傷つけてはいけない(から、今からでも相手に謝ってこい)」と諭すシーンもある。

 

そんな彼らからは「他人の幸不幸を勝手に推し量るな!」というメッセージが読み取れます。同じように辛い過去を持っている親友たちであっても、自分の幸不幸については口を出させない。そんなことされたら、ぶち切れて取っ組み合いさえしそう。

世の中には時々、勝手に他人の人生を「それでも幸せそうだよね」と点数つけてくるやつがいます。ともすればレイラのこんな人生を「複雑な家に生まれ、家族に疎まれたけどイスタンブールに出てきて5人の友を得た。最後は殺されちゃったけど、それでも彼女の人生は総合的に見て幸せだった」なんて評価しようとする人さえいる。でも決して、そんなことはない。レイラは最後「どこで自分の人生を間違えてしまったのだろう」と自問しながら死んでいったのだから。

ある程度の年齢になると、世界は公平でないということに気づくし、皆が皆幸せになることはできないということにも気づき始めます。自分の人生「ハズレ」だったかもしれない…そんなこと自分が一番わかっているのに、「でも君は幸せだよ!!」なんて言われたくないし、絶対言わせない。たとえ親友であっても。

心に大きな「不可侵の領域」を持つ彼らが、自分の気持ちに折り合いをつけながら、それでも助け合って生きていく、そんな関係性が本当に素晴らしい。著者はきっと、友人に恵まれていることでしょう。

 

とにかく著者の視線が優しくて、思いやりに満ち、何度も泣きそうになりました。

自分が小説家だったら、いつかこんな小説を書いてみたい!そんなことを思います。

今年のベスト10間違いなしのこの小説を押しのけて、ブッカー賞を受賞した「誓願」は今月(10月)発売!それも合わせて楽しみです。

誓願

誓願

 

おわり。