はらぺこあおむしのぼうけん

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忘れられたいと思う事柄ほど忘れてもらえず、覚えていてほしい人には覚えていてもらえない ジョゼ・エドゥバルド・アグアルーザ「忘却についての一般論」

こんにちは。

9月発売の白水エクス・リブリス。

「忘却についての一般論」

 

忘却についての一般論 (エクス・リブリス)

一見すると哲学論か?と思われますが、れっきとした小説です。

原題は”Teoria Geral do Esquecimento”で、何語かはわかりませんが、

Teoria=Theory、Geral=General

と容易に推測され、Esquecimentoは「忘却」であろうとアタリがつく。

直訳のようですが、どうしてこういうタイトルなのかなぁと思いつつ読み進めていくと、最後になってやっと「そういうことか!!」って目からうろこ。

一読目は叙情的な物語を楽しみ、再読の時に「忘却についての一般論とは?」という目線で読むと、全く別な物語が浮かび上がってきます。

 

アフリカの一国であるアンゴラが舞台の物語。アンゴラは、1950年代からの独立運動の末、1975年にポルトガルから独立を宣言。その後内戦状態が続き、1990年代になって終止符が打たれた国です。

主人公はルドヴィカという少女で、1975年頃に姉とその夫に伴われて、首都ルアンダにある高層マンション「羨望館」で暮らし始めます。ひどく内向的な彼女は、姉と義兄が消えた後、羨望館から一歩も出ることなく、30年もの月日を過ごします。

30年!?と裏声になってしまいそうな年月ですが、彼女は玄関を封鎖して立てこもり、蔵書を少しずつ燃やして暖をとり、保存用の食料を細々と食べながらなんとか生き抜きます。その間、時代の証人である羨望館は、戦火を逃れる人が去って空き家だらけになり→アウトローな人が不法に占拠し→内戦が集結した後は取り壊しを待つだけになりました。工事のための足場を利用して空き巣に入った少年サバルに発見された時、彼女はすでに、ほとんど目が見えなくなっていました。

なぜ彼女は外に出ることを拒否したのか?一人籠城した30年間…世間から忘れ去られて生きた30年間、彼女は何かを得たのか、それとも失ったのか。忘れられることを望んだ人間、忘れられることを拒否した人間…羨望館の外で暮らす人々の生き様と対比し、「人から忘れられることとはどういうことか」を考えさせる物語。

 

300ページに満たない中に37もの物語があります。短編とも呼べない、2・3ページほどの覚え書きのようなものが続くので、最初は感動もなく、ぶつ切りのストーリーを追っていく感じになるります。主人公もルドに限らないため、正直、「もっとひとつの物語に入りこませて!!!」ってなるんだけど、いろんな人の物語を多彩な角度から検証するのは、味わい深くもある。

 

ルドの娘が登場したり、失踪事件が専門の探偵が主役のハードボイルド調の章もあり、ユーモアのセンスは抜群。途中、人間が土の中に消えたという謎の話が出てきて、都市伝説か!?と思ったらちゃんと血なまぐさい種明かしがあったりして、この話は面白かった。ただ、著者は意図して、ユーモアを盛り込んだり、明るい話を書いたのかもしれないけど、私が読んだ印象としては、全体的に「暗っっ!!」という感じ。空元気というか、読めば読むほど切なくなってくるんですよね、何故か。

 

さて、著者が書きたかった「忘却についての一般論」とは何なのか。

ルドが家にこもってしまった理由は、ある犯罪のせいでした。それ以来外に出歩くのが怖くなった彼女は、閉じこもりがちになり、数十年の時を無駄にしたのです。内戦によって全市民が缶詰状態だった頃は、皆同じ状況でしたから、彼女としても何か楽しそうな雰囲気はありました。しかしその後、外出できるようになってからも、家から出ず、誰とも関わらない人生を選んだ彼女。

老いて後、サバルという少年に出会って、人との触れあいを取り戻した彼女は、「少女だった自分を、傷ついたままどこかの四つ辻に置いてきた」行為、つまり、過去を強引に忘れ去ろうとつとめてきた自分の行いを深く悔いました。時間はかかったかもしれないが、それを乗り越えて世界に飛び出さなかった自分は愚かで、不幸な人間だ、と。

これらからは、「人の愛がなければ人間は生きていけない」「人に愛されるということは、相手の心に深く刻まれること=忘却の真逆」「過去の自分を忘れようとする行為は悲しい行為」…なんていう教訓が得られるんですが、本当にコレは文字通りの「一般論」で、そんなこと他人から言われるまでもねぇよってなったのは私。私からすると、外にいたら男に襲われて妊娠し、家族から一族の恥扱いされた時点で世界を憎んで当たり前では?と思ってしまう。そんなの乗り越えろっていうほうがハタ迷惑な話で。

神は人々の魂を天秤にかける。片方の皿には魂を載せ、もう片方の皿には、流された涙を載せるのだ。泣く者が誰もいなければ、その魂は下に落ちて地獄へ向かう。涙と悲嘆が十分にあれば、その涙は天国へ…

これ読んだ時は「ほおぉ…」と感動しかけたものですが、ルドはこう続けます。

「いなくなって寂しいと思われる人が天国に行くの。…(中略)…そんなはずはないと思う。こんな単純な話をそっくり信じられたらいいなと思うのだけどね。私は信仰心に欠けているのよ」

また、ルドは「神を信じるには人間への信頼が不可欠(人間を信じない私は神も信じない)」とも言っていて、こちらも、「忘却」について語るには欠かせない定理です。人の善良さを信じることができないうちは、存在は無に等しく、忘却されるまでもない存在である。善き人に出会って初めて人は、忘れられることを恐れるようになる、と。

人は直接関わった人の記憶に残ることで、生きた痕跡を残します。世界と交渉を経っている状態では、すでにいないものも同じ。自分という存在を少しでも大切に思うのならば、人と関わる以外にない、そういうことかもしれません。

とまぁ、「忘却について~」ということに一応の結論を出すならこんな感じですが、堅苦しく考えず面白く読んでほしいです。

 

小説には、とにかく自分の痕跡を消したがる悪の親玉みたいなのが出てくるのですが、彼の思想が「忘却についての一般論」に何らかの示唆をしているように思わせて、別にそういうこともなくて。笑

妻と結婚記念の旅行に出て、「みんなが俺のことを知らないように思える!!」とHAPPYな気分になったり。悪いやつですが、人間臭くて魅力的なキャラではあります。

 

私と同じく、アンゴラ作家が初めての方はたくさんいるはず。

2013年度フェルナンド・ナモーラ文芸賞、2017年度国際ダブリン文学賞と、高い評価を得ているようです。装丁も素敵なので是非。

 

おわり。