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世の中で最も強いのは、自分に恥じるところのない者である。ジョン・スタインベック「エデンの東」後半戦

こんにちは。

ジョン・スタインベックエデンの東」後半戦。

エデンの東 新訳版 (4)  (ハヤカワepi文庫)

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悪女と呼ばれたキャシーについて。

キャシー前半はサイコ女。しかし、最後の最後「カワイソウな私」を武器に読者にトドメを刺す食えない女。キャシーは私の中では合格点だったんだけど、最後2つだけミソがついた感。自殺の直前に、用心棒のジョーを警察に売るところと、アロンだけ手元に置こうと決めたところ。アロンのことは個人的な好き嫌いとしておいといて、ジョーを売るところ、今までやりたい放題やってきた大悪党の女が小悪党に構ってしまうあたり「ちいせぇな…」感が出てしまって残念なキャラに。

実は、キャシーのキャラ設定は後半に向かって急激に変わっていきます。それは4巻の解説でも若干批判的に指摘されている通り。

もともとサイコな感じで、良心(小説内では「何かが足りない」と本人も言っているが、おそらく良心)が欠落しているキャラとして、体を売ったり、両親を謀殺することも厭わないタイプでした。サイコである以上、善とか悪とかいう判断基準に適さないわけですから、「彼女はサイコパス気質ですね」その一言で終了。彼女の行為に対しては嫌悪感MAXでしたが、サイコなんだからなんも言えねぇってなる。

しかし後半では、両親の件も売春宿の件も「現状という足かせから逃れるための唯一の方法でした」と解釈され、あくまでも「逃げるためにしょうがない」感を出してきます。キャシーの内面には実は優しさがあったのかもしれない、という「余地」が示されたわけです。

現状がツライから人殺してもいいって、それは「寂しかったからつい、カレピ以外の男の子とヤっちゃったお(泣)」と弁解するくされビッ(以下略)…と同じレベルの話になってしまい、今まで罪や善悪とは切り離された世界に隔離されていたキャシーが、「善人か悪人か」という世界に引きずり降ろされてきてさあ大変。

「じゃあなんでお前だけ自分の行いを悔いないんや???」と責められるべき嫌な奴になってしまうわけです。「どんなことがあろうと、人を殺していい理由にはなりませんよぉ!!」と杉下右京に一喝させたくもなる。

 

途中までは孤高のサイコ女として描かれてきたキャシーが急遽人間味のあるキャラとなったのは、当時やはり批判とかあったのでしょうか。長編や連作ものにおいて、物語が終盤に近付く中で作者が登場人物に甘くなり最後まで悪人として描けない現象、誰か名前つけてー!ってなる。

 

キャラが変化する前は、私はこんなことを思っていました。

悪女と呼ばれてはいるけれど、酒飲むと気が大きくなってアレコレ喋っちゃうところなんてご愛嬌。遺伝性の病をいくつか持っていて、キャルが会いに行ったときにさりげなく気に掛けるところは、ちょっと心動かされる。

もちろんジャイアンが消しゴム拾ってくれただけでいい人に見える現象と同じようなもんだけど、結構良いキャラしてたんだけどなー。

 

さて、キャシーの愚痴はここまでにしておいて、世の中で最も強いのは、自分に恥じるところのない者である。という言い得て妙な言葉があります。そういう観点から見ると、この本ではキャシーとアロンの2人が最強。さすが親子。「自分の罪との向き合い方」はこの本のテーマでもありますが、周りの人間が罪を自覚し縮こまる中、そんな枷からは完全にフリーなまま消えていくのはキャシー母子でした。

キャシーとアロンの組み合わせは、モーパッサンの『ピエールとジャン』の胸糞悪さを彷彿とさせます。

 

キャシーがサイコだから自分の行いを恥じないのか、逃げるためだから仕方ないと言い訳して恥じないのかは今となっては不明ですが、アロンが最強なのは「自分が見たいようにしか世界を見ないから」です。アロンの婚約者アブラ・ベーコン(胃もたれしそうな名前)という女の子は、「子どもの時は自分が中心にあって、世界は、そのまわりを、自分が書いたシナリオ通りに回っている。しかし、成長する過程で実はそうではないと気付き、本当らしいことにも向き合っていかなければいけなくなる」「その変化を受け入れられない人間はたくさんいて、彼は頑なに自分が望む世界で生きようとした」とアロンを評価します。

アロンは、自分が汚れていると感じ、その汚れを避けるために宗教の庇護を求めてどんどん原理主義的になっていきます。そんなアロンに、リーやアブラ、キャルは「世界は思うほど良くも悪くもない」というメッセージを投げかけますが、アロンは言うことを聞きません。しまいには結婚の約束をしたアブラを避けるようになり、「男と女の情交ばっちい!」オーラを出し彼女を傷つけたりもします。しかし、大学進学で家を出るとホームシックになり「アブラ愛してる!!!」と手紙を出しアブラを当惑させるなど。

そんなアロンをアブラは「アロンには理想の女像を作りこみ、それに私の皮をかぶせて理想の女の代わりにしているだけだ」「母親にこだわるのも、アレコレの理由を母親の不在に求めるためだ」と批判し、「アロンは自分の世界を守ろうとして現実の世界をめちゃくちゃにした」と自分が酷く傷つけられたことを自覚します。

 

個人的には、キャシーは最後ミソついた以外は憎めないと思うのに対し、アロンについては「乙」って感じ。キャルもアブラもリーも、アロンの(表面的な)弱さに最大限の配慮をして大切にしてきたのに…「弱い」って最強のカードだよな!実は最強のくせして、なんて思いました。

 

この物語、「善き人でありたい」という思いと「罪の意識」の間でせめぎ合う人がたくさん出てきます。これは、「善き人たれ」と「罪」というキリスト教的世界観からきているのでしょうが、スタインベック的解釈をすると、キャシーとアロンと、あんまり罪や恥で悩んでいないように見えるアダムというのは、どういう人間として登場しているのか…すごく悩ましい作品です。

スタインベックが罪の意識につぶされそうになった息子に「ガンバレ(お前次第)」的な言葉をかけて終わるこの小説は、ハッピーエンドと言えるのか、どうなのか。

しかも、その「悩ましい」という思いが、「問い続けていけば答えが見える問い」なのか、(あんまり大きな声で言えないけど)スタインベックの技量の問題で以下略なのかが正直よくわからない。ソコ突き詰めて書いてもしょうがないかな…という気がしてきました。

以上、この作品は、ハミルトン家のストーリーを中心に楽しんでいけば良いと思います!!笑

 

おわり。

 

 

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