濃密な白い闇の中に引きずり込まれたような不快感と疲労感がクセになる カズオ・イシグロ「充たされざる者」
こんにちは。
「遠い山なみの光」、「浮世の作家」で名を上げた彼が、「ブッカー賞」という周囲の期待からも自由になってやっと書いたのがこの作品。文庫本ながら厚さは約5センチ、900ページにも及ぶ超超超大作。手首がつらい…泣
当時は賛否両論あったそうです。まあ正直、私が審査員だったら「ノー!(意味:長い時間をモヤモヤした作品の読解に費やさせやがって)」って言うと思う。笑 ただ、見かけ倒しの駄作だったな…とかいう薄っぺらさ故ではなくて、むしろ逆。情報量も膨大で読むには気力と体力が必要です。世界観はきっちり作り込まれているし、この小説で何を実現したかったもしっかり伝わってくる。実験的小説としての目的は十分に達成されたとみて間違いありません。
…と、優等生的な感想はココまでにして本音を言うと、「上中下巻に分けるべきこのボリュームを1冊にまとめたのは、分けてしまったら中巻以降が全く売れないと踏んだからじゃないの?」って真面目に思っている。それくらい読む人を選ぶし、忍耐力を要求される作品です。少なくとも、「人生を変えた書」にこの本を挙げてみたり、「この本すっごいおもしろかった~」って言う人は絶対信頼しません。笑
主人公はライダーという老ピアニスト。ヨーロッパの小さな都市(おそらく故郷)に招待されて、数十年ぶり?に帰郷します。ライダーが招待された背景は、故郷の「危機」を救うため。世界的に有名なライダーが訪問することで、昔は音楽都市としてちょっとしたものだった街に変化をもたらすことを期待されての招待と思われますが…
と、全部に「おそらく」という言葉をくっつけたほうが良いくらい状況は判然としないし、結局その「危機」が何なのか、ライダーは何者なのか、最後まで読んでもわかりません。
一番最初に会話をしたのは、ポーターのグスタフというおじいさん。娘ゾフィーと孫のボリスについての一連の長話を聞かされた上、娘がふさぎこんでいるから話を聞いてやって欲しいと頼まれたりもする。イライラしながらも依頼を引き受けてゾフィーと話をするライダーでしたが、いつの間にやら、ゾフィーとボリスは妻子ということになっている。
う~ん、ここらへんで嫌な予感がしてくる。
「遠い山なみの光」や「浮世の画家」などの、「事実から目を背け、自分を正当化しようとする人間の勘違いを一つ一つ検証していく系」の小説ではないということがわかる。
カズオ・イシグロの専売特許といえば「信頼できない語り手」ではありますが、妻なんだか息子なんだかもよくわかんなくなっているっていうのは不信感MAX。カズオ・イシグロ作品で堂々のナンバーワンです(自分調べ)。彼はきっと、おなじみの自己正当化に躍起になるオジサンなんかではく、他にもっと重要な役割を持っているオジサンなんだろう、と、開始60ページにして暗雲が立ちこめてきます。
個人的に、カズオ・イシグロ作品の中で苦手とする「私たちが孤児だったころ」「忘れられた巨人」系だとがっくりしたり。笑
普通ならここで解説を読んでみるだろうと思うけど、まぁ、ノーベル文学賞受賞者だし、もう少し頑張ってみようかって自分を奮い立たせて頑張ることにしますが、先に進まない感にイライラしてくる。
特に”不穏な感じ”を受けるのはこういうところ。
時間感覚がない
「木曜日の夕べ」というイベントに参加する予定だっていうことは伝わるんだけど、今日が何曜日か誰も教えてくれません。まだ先のようにも感じられるけど、ホテルの従業員はイベントの準備でずっと出ずっぱりという謎。
また、夜中にホテルに戻ったライダーは、ベッドに倒れ込んでそのまま寝ようとするのですが、迷惑なことに支配人から電話が。「今何してますか??」と平然と聞く支配人。ライダーが「ちょっと寝ようと思っている」と答えると「はぁ、こんな時間に??(半笑い)」というような対応をされ、結局ロビーに降りて行かざるを得なくなるなど。しかも、ロビーに降りるとまだ宵の口だったり…
ライダーは滞在中にたくさんの事をこなしているのに、時間がなかなか進まないんです。昼なのか夜なのか全然わからない上、自分が認識している時間と、周囲の時間が大きくずれている瞬間がたくさんある。大切な用事を、大寝坊して遅刻してしまうような不快感。
慇懃無礼な町の人
ライダー様!!誰もが彼をそう呼びます。
ライダーが町でVIP待遇なのは誰に目にも明らかなのですが、その割に「申し訳ないのですが…」と半分強制的にいろんなことを頼んでくる。予定があるのに他のことに引っ張り回されている間に、ライダーの時間感覚はどんどんゆがんでいきます。
ライダーはいつも疲れ切っているのに、全然寝かせてくれないし。世にも奇妙な物語の世界に迷い込んでしまったような気分になります。
扉を開けるとそこは…
滞在2日目、ライダーがカフェでボリスに甘いものを食べさせていると、これまた慇懃無礼なカメラマンにつかまり、電車に乗ってロケに出かけることになります…読者としては「子どもを一人で置き去りにするなんて!!とハラハラするのですがなんと、仕事を終えてドアを開けるとそこはボリスを置き去りにしたあのカフェだった。イリュージョン!!
こんなことばっかり続きます。ずっと遠くまで連れてこられてきて、そろそろ疲れたから帰ろう…と思ったらそこはホテルのロビーにつながる廊下だった…とか。
ここまでくると、カフカの「城」が嫌でも思い出されます。誰に教わるでもなく、この作品は「城」のオマージュ。超具体性に満ちた細々とした出来事・会話でもって「目的地に到達する」という目的を霞ませて読者を翻弄する様は、カフカの「城」そのものです。昔読んで、「なんじゃこれ」と投げ捨てた記憶のある「城」にこんな形で再会するとは!!
小説を書くにあたっては、登場人物の人格や生まれ育ち、それぞれの信念、舞台、目的…それらを明確にして読者に伝えるのが基本のキしょうが、これに真っ向対立。構想の段階でしっかり作り込んでいるかどうかは置いといて、これらの輪郭を意図的に滲ませたまま、不快感もそのままに1000ページも話を書き続けるその実力たるや!!すごい!
(良い意味で)変態!!!笑
ただ、こういう話は「終わらせ方」が最重要だと思っていて、終わり方については若干不満。この終わり方で良いのかな、っていうのは考え込んでしまいます。少なくとも「これは傑作だったんだ!!!」と太鼓判を押せるほどのすっきり感はなくて…。
身も蓋もない話をすると、「城」は未完だからこそ価値があったのでは…?なんて失礼なことを思ったりもする。
いろんな角度からテーマを見つけて好き放題論じることができそうなこの作品ですが、ジャンルとしてはブラック・ユーモア小説らしいです。
登場人物はみなのっぺらぼうで外見は思い描けませんが、彼らが語る文句はびっくりするほど人間くさくて生々しい。人間世界の面白さ(馬鹿らしさ)を誇張し、象徴的に描いた作品なのかも知れません。
・私は忙しいと言いながらどうでもいい用事を詰め込んでイライラしている
・慇懃無礼な態度で他人の時間を奪う
・本質を忘れ日々の実際的な用事にばかり夢中になるところ
・何か大切なもの(自分の本当の人生)が他にあるはず、と日常のあれこれを雑に扱う
・いつも過去の何かを後悔している
・何かを達成しようとしても、結局うまくいかなくて悲しい
う~ん、刺さる!!笑
充たされざる者(The Unconsoled)とは誰のことなのかな…
話の流れなんてあってないようなものなので、一気に読もうとするのではなく、寝る前に30分ずつ読むくらいがちょうど良いのではないでしょうか。
おわり。