はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

最初の100ページくらいまではクソ面白い 万城目学「バベル九朔」

こんにちは。

 

万城目学「バベル九朔」。角川の夏の100冊に入っていたので、滑り込みで8月に読みたい本第二弾として紹介したいところだったのですが、お、、、しっぱいしっぱい、☆2.5くらいかなーーーw

 

バベル九朔 (角川文庫)

 

主人公の俺、九朔満大は、祖父の建てたぼろいテナントビル「バベル九朔」の管理人をしている。小説家を目指して3年勤めた会社をやめ、ビルの5階で小説を書く毎日。空き巣事件、黒くぬらぬら光る服を身に着けた「カラス女」…続々と起こる不可解な出来事に巻き込まれる俺は「バベル」と呼ばれる謎の世界にワープしてしまう。

 

と、書き出しは伊坂テイスト。超おんぼろのテナントビル。探偵事務所を営むしがない探偵とのやり取り。とかもう想像力を刺激される。私、準ニートが暇人とろくでもないことをする話が好きなんで、もうワクワクですよ。そして出てきました、殺し屋っぽいスタイルの女「カラス女」。いいねぇいいねぇ。さて、ここらへんで100ページです。

 

その後、なぜか「カラス女」に追われる俺は、3Fの貸しスペース「ギャラリー蜜」の中に会った湖の絵に触れ、別の世界にワープします。湖と、道路とドライブインと謎の少女…エッシャーのだまし絵のように歪んだ空間の中で、「バベル九朔」と似て非なる塔を一段ずつ登っていく俺。異世界の「バベル九朔」は、過去のテナントが退去した順に重なっているとっても高い塔(89階)で、階段をのぼりながらいろいろな事件に遭遇していき、バベルとは一体何なのかがわかっていく。

と、いう話です。と、後半は若干グダグダ…

 

以下ネタバレも含みますよ。

バベルというのは、祖父の大九朔が作り上げたパラレルワールドで、この世の失望や絶望、人間が捨て去った澱みや汚濁を栄養分として成長している。古いビルとはいえ、超短いスパンでテナントが変わり続けているから89階まである。これは全部大九朔の計画です。すぐにつぶれそうな店を選んで契約をしているから、夢破れた古いテナントがどんどんあっちの世界に送られて行って塔が成長していっているんです。

少女は塔の中に閉じ込められていて出れなくなっている。「カラス女」は太陽の使いということで世界の裂け目(入口)を探している。あっちの世界に行ける人間は、バベルと親和性が高い人間だけ(孫だから?)

テキトーなテナントの前で夢を願うと、夢がかなった姿が見れる。俺の場合は、作家になってサイン会をしている姿なんですが、それを喜び、「この世界にいたいな~」的なことを言ってしまうと二度と出れなくなるとか…

塔が崩壊すると大惨事が起こるからその崩壊も止めなきゃないんだけど、真の管理人は、とか…

 

塔から出られたのか、塔に居残る決心をしたのか、結末もいくつか解釈できる感じがします。

 

とにかく風呂敷を広げすぎなんです。あれもこれも詰め込みすぎて、個々のテーマはおもしろいのに、想像力と理解力が追い付かない…

階段を登る度に過去のテナントに出会える塔なんて、「つみきのいえ」を彷彿とさせるノスタルジックな感じにしてもいいし、謎に世界が拡大していく森見登美彦四畳半神話大系のノリでも面白いと思う。場末のスナックが入っているような、階段の踊り場に扉がある窓もないビルですよ。こんな素敵なおんぼろテナントビルなんていくらでも生かし方があるのに、なんでわざわざ湖の異世界が出てくるんだろう。絵に触れたら異世界に!ってナルニアか!!「鹿男あをによし」で見た通り、今自分が住んでいる世界のねじがすこーし緩んでしまった部分から、異世界にちょっとだけ接するというような、この世とうまく混ざり合った異世界がのほうが面白みがある。この世と隔絶した異世界を舞台にすると、世界観や自分がそこに到達した理由を説明する必要が生じるので、白けてくるんですね。

あとは、伏線の回収も消化不良ぎみなのです。祖父が鷲鼻で、祖父の長女(初恵おば)、そして俺が鷲鼻。っていう話もう少し広げてほしい。ギャラリー蜜の蜜村さんという古株が出てきて、ミステリアスでいいキャラなんです。誰にも言っていなかった彼の地元を、なぜか初恵おばが知っているという不思議な出来事があるのに、そのカラクリの説明あったっけ…

 

とはいえ最後まで読みましたw

小説の中に「才能」の話が出てくるんですが、ここはうだつのあがらない小説家志望という主人公の葛藤が印象的でした。

しがない探偵が言う「自分は棋士になりたかった。神童と呼ばれたけど、いつしかやめてしまった。当たり前のように一つのことに向かい続ける。しがみつくでもなく、浮気するでもなく、年を取るとできなくなってくる。それが才能なのかもしれない。ふとしたときに、将棋を続けていけばどこまでいけたのか気になるんだ…」

俺は思う「才能があると知ることができれば、こんな毎日をその原石を磨くために使っていると自分を納得させることができるのに…」

さらに読み進めると「無駄の積み重ね」という言葉も出てきて、大きな夢に向かう時の徒労感や、この夢が叶わなかったときに今の自分の努力が無になってしまうという焦燥感が伝わってくるのです。敗れた夢や、夢を実現するために無駄な時間の行き先がバベル?と考え、そこの視点から読むと、一本筋が通る気もします。

「才能」って難しい。私は大きな夢を実現するために必要なのは、「運」と「向き不向き」だと思います。

 

まずは「運」

自分の腕一本で稼げるようになった人は、才能だけでなくチャンスや宣伝力もある。純粋に好き!で続けたのに失敗したり、「ああここまできたらもう俺にはこれしかないな」でしがみついたから成功することもあるわけで。成功した=才能がある、失敗した=才能がないとも簡単に言えません。悲しいかな運の要素も大きい。それは世に出るチャンスをものにできた勝負強さというレベルの話ではなく、習い事やしばらく収入がなくてもやっていける程度に親が金持ちとか、そういう要素もあります。

 

そして「向き不向き」

一見無謀と思える夢に挑もうとするときは、簡単に飛びつくのではなく、自分の性向や実現可能性はしっかり計算する。自分のために使える時間、予算、そういうものをガン無視して飛び込むと、結構な確率で失敗します。純粋な動機で~というのを美化する日本ですが、リスクをとるときは小賢しくいきましょう。

例えば「俺」が小説家をなるために仕事をやめるという背水の陣作戦。これは人によって合う合わないがあります。仕事の合間の限られた時間だからこそアイディアが浮かんだり、最悪会社員でも…という安心感があるからこそ没頭できるケースもある。ちなみに私は合いません。

若いころ、士業に就きたい!と言い出して会社をやめた知り合いがいます。手に職ですから一発逆転を狙ったわけですが、失敗して他の仕事をしていてます。当時「『東大卒です!融通は利かないかもしれないけど、記憶力や体系的に学習する力があります』っていう人ならまだしも、気力体力記憶力が最も充実した18歳の頃に受験で成果をだしていない人が、また暗記メインの勉強に取り組んで結果を残せるのか」と言ってやめるよう説得していた人がいました。今思えば、夢への向き合い方としてはすごく健全なアプローチだな、と思ったり。

悲しいかな、才能とは別に、向き不向きがあります。人生は苦手なものを得意にするほど長くはない、というのはかのヤン・ウェンリーの言葉ですが、やりたいこと、よりも、自分ができること、に焦点を当てて特性を考える必要があるのかもしれないなぁ~と。

 

さて、ここっておそらく作者の実体験もこもっているんだと思うので、ここを突き詰めてくれたらもっとよかったのに、と思いました。

 

おわり。

とりあえず前回の記事と、本棚に控えている積ん読たちはこちら。良き本でありますように…!!!
dandelion-67513.hateblo.jp

悟浄出立 (新潮文庫)

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鴨川ホルモー (角川文庫)

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