はらぺこあおむしのぼうけん

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「世界は良い方向に向かっている」という大いなる勘違い ジョージ・オーウェル「動物農場」

こんにちは。

 

ジョージ・オーウェル動物農場」。あの有名な「一九八四年」の著者であります。

数年前までは古書でないと手に入らなかった本作。最近(といっても2017年)新訳されたそうで、多くの書店で平積みされているのを見かけます。いろんな出版社から出ていますが、個人的には早川がオススメ。訳がシンプルで読みやすく、とても良いと思います。また、訳者あとがきも丁寧。

動物農場〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

 

そういえば、ジョージ・オーウェルの「一九八四年」について言うと、「社員を監視したいという願望が『一九八四年』を彷彿とさせる」という記事がネットで話題になったせいで、ここ数日検索上位に上がってきていますね。「一九八四年」は強固な権力による監視社会というディストピアを描いたものに対し、「動物農場」は、権力と腐敗が生まれていく過程を描いたものです。

 

メイナー牧場のジョーンズ氏のもとで働かされている家畜たちは、日々の生活に不満を持っていました。そんな彼らに対し、「牧場を自分たちのものとして自治を敷こう」と呼びかけたのが老ブタのメイジャー。人間を追い出し、皆が平等で幸せに働ける牧場を作る夢を語ります。「イギリスの獣たち」という誇り高い歌を合言葉に、彼らは闘争を誓うのでした。

ほどなくして老メイジャーが亡くなり、その後すぐ、労せずして牧場の乗っ取りに成功します。牧場の名を「動物農場」と改めた彼らは、「七戒」という決め事のもとに新しい生活を始めますが、善良な家畜たちは、うかうかしている間に、スノウボール(ブタ)、ナポレオン(ブタ)らに実権を握られ、数年後にはメイナー牧場以下の生活を強いられるようになります。

「人間が人間を統治すること」の危うさ・曖昧さ・独り善がり感が垣間見えるこの作品。書かれた当時は、現政権を露骨に批判する作品として、発禁スレスレだったそうです(ナポレオンもスノウボールも、皆モデルがいる)。

それでは、独裁体制の作り方を丁寧に見ていくとしましょう。

 

1.決まり事は様々な解釈ができるようにしておく

皆が従うべき「七戒」でしたが、これがどんどん変わっていきます。「ベッドで寝てはいけない」はずが、”シーツを使って”寝てはいけない。と変わっていたり、「動物を殺してはならない」だったはずが、”理由もなしに”が付け加えられていたり。そして最後には「皆平等である」に但し書きが加えられて…。

日本語だとわかりにくいんだけど、後々、”with"とか"without"などという条件があからさまに書き足されている様が面白いです。条件付けて、細々したところで但し書き付けて変えていって、最終的には無効化…!あるあるですね。

 

2.共通の敵を作る

待遇やルールの違いに文句を言うと「今私たちがそんな状態では、人間の奴らが攻めてきたときにどう対応するんだ??」と切り返されます。「今はそんな些細な問題よりも、国家の一大事ですからね!文句を言って和を乱すなんて最低!!!」っていう雰囲気作りと同じ。そんなこと言われたら、なんも言えねえ…。

また、共通の敵は「仮想の敵」でもOKです。ナポレオンにハメられたスノウボールは、スパイ容疑をでっちあげられて牧場を追われます。そればかりか、スノウ一派は怪しい裁判にかけられて全員殺されるのです。陰謀論、スパイ容疑…なんでもあり。一時的に国民の目をそらせることができれば問題なし。

 

3.生まれた時からの洗脳が大事

ナポレオンは「教育が大切」と、産まれた子犬を自分で育てていました。当初、みんなはそのことに対して無関心でしたが、数か月後、ナポレオンの忠実な用心棒としてお目見えした際にはびっくり仰天。狂犬たちはマジでヤバいので、誰も異を唱えなくなります。また、ナポレオンは学校を作り、自分の子を教育してお世継ぎも育て始めます。教育機関で洗脳されるのは怖い感じしますね。

 

4.優秀な報道管制

ナポレオンの忠実なしもべの一人に、スクウィーラーというブタがいました。しもじもの者と交わり、困りごとや要求をナポレオンに伝えるという役割に見えますが、実際は不穏分子を察知して消したり、まことしやかに語られるアレコレを否定して回る優秀な広報官でした。彼の活躍により、しもじもの者は「やっぱり動物農場は良いところだ!」と信じ込まされるのです。

 

5.リーダーは辛いよアピール

ブタのやりたい放題の発端は「牛のミルク紛失」事件でした。今までは人間に奪われていた牛のミルクを、搾乳して脇に置いておいたら、いつのまにか紛失していたのです。最初は不思議な事件として扱われていましたが、ある時「牧場経営で大変なブタが飲むべきだ」と、それらしい理由をつけられブタに独り占めされてしまいます。その後は大麦もブタに取られ、食料の配分は超不平等になります。

彼らの根拠は、「自分たちの仕事は特別である。自分たちがいないとお前らは立ち行かなくなるんだぞ!」なのですが。国民に信頼されていないのに全力で居座る政治家たち…ああ、銀英伝にこういうシーンあったな。ってなる。

 

他には、

・新しい賞(ポスト)を作って自分に授ける。

・過去のことについて嘘つく。あの戦いのとき自分は八面六臂の活躍で!!と自伝を捏造。

・失策はお祭り騒ぎでなかったことに

・数字ごまかす

・裏取引

などなど…

 

ナポレオンをとんかつにして食ってやりたいとか、いろいろな気持ちになるこの本なのですが、とりあえず思うのは「おかしいな」と思ったときには体制作りは終わっているってこと。強固な権力とそれを守る体制ができてしまった後では手遅れなのは間違いないようです。

 

あとがきによると、反乱もせずに圧政を黙って認めている民衆に対する揶揄も存分に込められているということでした。まぁ、…監視体制が敷かれ、団結もできなくなっている状態では、何か言ってもイヌに食われて終わりな感じもするしなぁとは思う。ただ、後半にズバリ書かれているコチラは示唆に富んでいます。牧場ができた当初と比べ、状況が明らかに悪化している中、彼らは、

メイジャーが予言した動物たちの共和国、(中略)いつの日か、それはやってくる。すぐにではないかもしれない。今生きる動物たちの生涯には実現しないかもしれない。それでも、それはやってくるのです。 

 と頑なに信じているのです。信じているからこそ、今何もしなくても、孫やその孫の代にはきっと幸せな世の中が訪れるから、我々は圧政に耐えていれさえすればOKだと、日々の激務にエクスタシーさえ感じてしまう阿呆な輩がたくさんいる。

民衆に対する揶揄というのは、そんなわけねーーーよ!という著者のメッセージなのです。

「神の見えざる手的なものにおいて、この世の中はマクロに見ると良くなり続けていく」(=人間の世界は、放っておいても徐々に幸せになっていく)意見と、「我々の権利は、意識して守らないと取り上げられてしまう」(=個々人の幸せは守るべきもの)という意見は、ネットで見ていても、いろいろな議論の場で拮抗しているように思います。私は断然後者なんだけど、前者を信じて「あんまり悲観的にならないでよ!!!気分悪いわ!」と、他人を神経質扱いしてくる迷惑な人間がいます。

そういうタイプの9割以上は、緊急事態宣言下では鬼のように布マスク縫ってエクスタシーを感じていた系だと思う(偏見)

 

ということで、真の民主主義の実現っていうのも困難なんだなぁということがわかります。ほとんどの動物が事態を楽観視し、物事を批判的に見る動物が超少数派のため、結局はブタの言いなりになってしまう。

また、小説には、ネコっていう食えない奴も出てきます。働きもせず、意見も持たず、でも、飯のときにはちゃんと戻ってくる。ネコは甘い言葉に騙されやすいですから、票を得たければ適当なことを言っておけばネコ票は堅い。「動物農場」では選挙はありませんでしたが、ネコがある程度の数住んでいれば、彼らだって一匹一票持っているわけですから、選挙戦略も変わってくるわけです。そうするとどんどん、理想的な世界からは遠ざかるんですね。衆愚政治に陥り、また変な感じになるという。

 

そしてそれ以上にモヤモヤしてしまうのが、仮にブタをトンカツにして葬り去ったとしても、その後は誰が実権を握るのか?攻めてくる人間から守れるのか?という問題が浮上するのです。だったらある程度のところで我慢するのか?それでも理想の世界を求めるのか…?理想の世界とは…?

 

とにかくモヤモヤする本。自分なりの解決策が見いだせないんです。2時間くらいで読めるのですが、重い…というか超胸糞悪い。

ただ、今晩は1000倍返しがあるので、権力に対する怒りは半沢直樹に託すとします。

「一九八四年」ともあわせて是非。

 

おわり。