はらぺこあおむしのぼうけん

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カラヴァル:負のエネルギーに満ちたディズニーランドで行われる騙し合い。半分まで面白いけど、尻すぼみ。 ステファニー・ガーバー「カラヴァル(Caraval)―深紅色の少女」

こんにちは。

 

2018年の本屋大賞の翻訳小説部門第一位。ステファニー・ガーバー「カラヴァル(Caraval)――深紅色の少女」。

一位ということで普通に期待していましたが、全体的に幼さがにじみ出ていて消化不良。

カラヴァル(Caraval) 深紅色の少女

主人公はある帝国の属州トリスダ島で暮らすスカーレットという少女。父は島の総督ですが、残忍で冷酷な男。妹のドナテラと共に父の暴力に耐えながら生きています。彼女はまだ見ぬ伯爵との結婚を控えており、妹を連れて島を出るその日まで、何とか穏やかに過ごしたいと願っている責任感の強い少女。

対して妹のドナテラはおてんば娘。ドナテラには「カラヴァル」に参加するという夢がありました。カラヴァルとはサーカスのようなもので、世界のいろいろな場所で行われている旅公演で、参加者が数日間かけて謎を解き、一つだけ願いを叶えてもらう権利を争うもの。スカーレットは妹の夢を叶えるため、カラヴァル支配人であるゲームマスターに毎年手紙を書いていましたが、7年経ってやっと、妹と婚約者と自分、3人分の招待券を手にすることができました。

幸運にも、ドナテラと地下倉庫で乳繰り合っていた船乗りジュリアンの助けを得て島を離れることに成功し、スカーレットはカラヴァルへの参加を決意します。しかし婚礼の儀式は7日後。5日間のカラヴァルに参加し、婚礼までに島へ戻ることができるのか?

 

何が真実で、何が嘘かわからない…それがカラヴァルの大前提。カラヴァルの5日間に起きた出来事は基本的には幻かもしれないし、本当のことかもしれない。このゲームにはまりすぎないように…そんな忠告の後、カラヴァルの扉は開きます。

 

著者はディズニー大好きっ子ということで、カラヴァルの雰囲気はディズニーそのもの。しかし、ディズニーを正のエネルギーとすると、カラヴァルは負のエネルギーに満ちている。カラヴァルが開催されるのは日没~日の出の間なのですが、夜の遊園地は気味が悪いように、カラヴァルも血なまぐさくて異質。

印象的なのはこんなシーン。ゴンドラに乗って園内にある城に向かうスカーレットは町の中で、店から引きずり出される女性と、それをボコボコにする群衆を目撃します。驚くスカーレットに船頭は「ああ、あれはキャストによるショーですよ。万引きしたとか、頭がおかしくなったとかいう設定でストリートショーをやっています。あなたたちも何度も目にするでしょう」と返す。船頭は、お客さんが飽きないようにやってるんですよ。あなただってそういうの見たいでしょ??と悪びれもせず言うわけですが、カラヴァルとは、こういう欲望を満たすためにある場所ですよ、と示してくれる忘れがたいシーンです。

人間誰しも、残虐行為をはやし立てて見物したいという気持ちを持っていて、いつもは、ブラシでミッ〇ーの絵を描くとかいきなりキャストが歌いだすとかそういうショーを見て笑っていても、実際はもっと残酷なものだって求めているぞ、という。もともと変な感じのストーリーでしたが、こういう人の隠された嗜虐性を肯定するエピソードがちょいちょい挟み込まれることで、読者はブラックなディズニーランドに迷い込むわけです。

 

さて、今回のカラヴァルのミッションは「さらわれたドナテラを救出せよ」。ドナテラの部屋にはこんな置き手紙があり、このヒントをもとに、参加者、そしてキャストも加わる騙し合いの中で、スカーレットとジュリアンはドナテラを探します。

娘はレジェンドと共に消えた。これが第一のヒント。

第二のヒントは娘の消えた跡に隠されている。

第三のヒントは自ら手に入れよ。

第四のヒントを得るために、大切なものが犠牲になる。

第五のヒントを得るには、信じて飛び込まねばならない。

こういうヒントそそる~!お察しの通り、第一のヒントは第一夜、第二は第二夜、というように対応していて、最終日にはどんでん返しがあります。その中で、母の失踪の真相やカラヴァルに行ったことだけを自慢に死んでいった祖母のこと、数年前にカラヴァルの中で亡くなった女性の正体なんていう謎も絡まり、ゲームマスターの正体なんかもわかってくるんですね。

また、スカーレットの婚約者のふりをしてカラヴァルにもぐりこんだジュリアンも純粋な仲間ではなく、謎多き存在。過去にカラヴァルに参加したことがあるそうで、恋らしきものも芽生えるけど、最後まで信じられない。スカーレットは恋というか肉体的な欲望を始めて感じてドギマギしてしまうんだけど、このスケコマシとの恋愛模様も見どころです。

 

半分くらいまでは面白いです。ブラックディズニーや、ヒント通りに進む展開、そして、母や祖母のエピソードも謎が謎を呼び…グイグイ読み進められる。テーマはスカーレットの成長でしょう。責任感も強く、石橋を叩いて渡るタイプのTHE長女スカーレットと、その対となる「なんでもやってみなくっちゃ!!」という妹ドナテラ。妹のわがままに付き合わされながらも、様々な経験により視野が広がり、自分の望みをかなえていこうとするスカーレットの成長が見どころです。ただ、最後はグダグダでスカーレットやドナテラに対してただただ甘い。全然試練がないという。久々に出会った、全くおすすめできない本。

 

さて、この本、下記の理由によりオススメはしません。不満たらたら~(この本読んで同じようにえ~??って思った人に届いてほしいw)

共感覚アピール!!

共感覚(synesthesia)っていう現象があります。音を聞くと色が見えるという色聴とか、数字に色が見えるとか、そういう、一つの刺激に対して色も共に呼び覚ます能力…みたいな。かっこよく言うと。私は人生の中で何人も出会ってきていて、かなりの数いるのでは?と思っていますが、スカーレットもおそらくそうなんです。不安=黒とか、幸せ=はちみつ色、父(暴君)=紫、というように、自分の心の中がある感情で満たされる瞬間、ペンキをばっとひっくり返したように色が浮かぶ、共感覚の人なんですね。「火を噴く紫色のドラゴン(=父)が目に浮かび、目の前が不安の灰色に覆われた」とか、感情を表現するのに色を多用しています。

ただ、色と感情の表現はとても豊かではありますが、くどくて疲れる。最初のうちは印象的な小道具として機能していた「色」も、毎度毎度出てくるものだから、そのたびに思考が中断されてしまい、いい加減にしてくれ、ってなりました。あなたが特別なのはわかったから、いちいちアピってこないで!となる。

 

・小学生向けにしてください。

普通に思ったのが、カラヴァルを普通のディズニーランドに改装し、隙あればそこら辺の男に抱かれて荒い息を漏らしているドナテラとか、いつもスカーレットに迫っているジュリアンとか、イヤと言いながらもジュリアンの小麦色マッチョボディに欲情しているスカーレットとか、そういう描写を除いて講談社青い鳥文庫としたほうがのが良いのでは?と思ったわけです。

理由は3点。

ひとつめ。スカーレットが自分の意見を持たずに人に従おうとしているとき、「君は自分のことは自分で決めないの?」とジュリアンが聞くシーン。そのシーンはどうでもいいんだけど、そのあと、「『選択』という言葉を聞いてはっとした。そういえば私は父親に従ってずっと自分の意見を云々」というスカーレットの独白があるんです。国語の入試問題が作れそうなくらい体系立ててに書かれたスカーレットの感情の吐露に、オトナ読者は白けてくる。親に抑圧されて生きてきた子がそういう風になるの説明されなくてもわかるし、「ココ!ポイントですよ!」と教師に言われているようでこそばゆい。

ふたつめ。万能魔法。今まで書いたとおり、カラヴァルは何でもありの残虐世界ということで、第四のヒントの「大切なものが犠牲に」のあたりで、大切な人が死に、その後にまた一人死にます。勘の良い読者なら、最後の願い事でどちらかを生き返らせるのを選択する?なんて思うんですが、別にそういうことではない。後半は父や結婚相手が乱入してきたり、ゲームマスターがスカーレットやドナテラを特別視していることが明らかになり、スカーレット一味が有利な展開になります。そして究極の、生き返りの魔法発動!

ネタバレすると、ジュリアンもドナテラも一旦亡くなります。「ここで起こったことは幻のこともあるし、事実のこともある」というカラヴァルの前提。数年前、カラヴァルの中で女性が死んだという話が念頭にある読者は、「死だけはカラヴァルの後も残る事実なんだろうな」と察し、二人の死を悲しみます。そして、スカーレットが勝利を勝ち取り、バカだけど愛する妹か、カラヴァルの中で愛を深めたジュリアンのどちらかを選択するのが一番の山場?と推測するわけです。がそんなことない!!!

何かを引き換えにするでもなく二人は生き返り、オマケでゲームの途中で死んだダンテという男も生き返る。しかもその生き返り方が雑で、

スカーレット「ダンテは?」

ドナテラ「彼も後で生き返るよ」

という会話が交わされるだけ。「あとで」ってなんだよw飲み会の遅刻者か。

正直後半の展開はドタバタ過ぎてよくわからんです。とりあえずドナテラとゲームマスターの間にもスカーレットが知らなかった取引があって、ジュリアンも実は敵かも?みたいな顔して煽っておきながら結局はスカーレットの味方をするというようなストーリーなんですが。

一番やってはいけない魔法の使い方をしたな、というのが素直な感想。どんな物語でも魔法を使うのであれば、その使い方は慎重にならなければいけないと思います。使い方次第で、物語の価値を無にしてしまう可能性を持っている。

例えば父と母を亡くし、祖母の家で育てられている兄弟の話。祖母の家も裕福ではなく、兄は弟が高校に進学できるようコツコツバイトでお金をためていたが、なかなか目標とする金額には及ばない。そんな中兄は、中学の先輩にそそのかされて悪事に手を染め金を手に入れ、その取り分で揉めている。先輩を殺すことを決意した兄は鉄パイプを握りしめるが、その瞬間弟からメールが。

「お兄ちゃん、この前買った宝くじで10億円当たったよv」

と、こういうレベルで物語が崩壊するわけですよ。

もう働かなくていいね、バイトもやめてきなよ、っていうか10億って使い切れないよねwみたいな弟の笑顔でエンディング、というような。コレ、ノンフィクションだったらいい話だけど、こういうフィクションは読者に対して不誠実すぎる。

妹も好きな男も死んじゃった!でも、魔法の力で黄泉がえり~!って、どうなの?今までの悲しみや憎しみや焦りは何だったの???と。わかるよ、好きな男も、憎めない妹も返してほしい、でも自分の何かを差し出す系の黒魔法は絶対イヤ、って。気持ちはわかる。でも、無制限に魔法の力を使ってしまっては、その物語は、誰も勇気づけることはできない。

だからこそ、子ども向けにしたら?と言いたいわけです。楽しい魔法の世界でちょっと試練があって、でも、来た道を戻ったら今までの生活に戻ってた異世界、という話にしてほしい。

みっつめ。覚悟が足りない。スカーレットとジュリアンが結ばれるとき、ドナテラは「気になっていると思うけど、ジュリアンとはキスもしていないのよ」とスカーレットに告げます。じゃあ、暗い地下室でお前らはハァハァ何をしていたんだ?というのは置いといて、妹のおさがりをあてがわれることになるスカーレットへの(著者からの)配慮なのか、この描写でミソがついたなと。仮に妹が味見済みの男であっても、辛い試練を乗り越えた間なんだから水に流せよって思うwファーストキスの相手が結婚相手になるという少女漫画の理想(私が読んでた頃はそうだったけど、今は違うのかな?)を取り入れたんでしょうが、妹とヤっちゃってる男と付き合うのはどうかなぁ?と吟味してる時点で、どんな相手でも愛してみせるという覚悟を感じないw

やっぱり、子ども向けでいったらどうかな?

 

最後におまけ。

タイトルの謎?

ジュリアンとスカーレットの出会いのシーン。ジュリアンはスカーレットを「クリムゾン(深紅色)」と呼ぶのですが、スカーレットは「スカーレットよ!(緋色)」と訂正します。クリムゾンはそれ以来ジュリアンとスカーレットだけのあだ名のように機能するんですが、タイトルに「〇〇色の少女」とスカーレットを指すなら、深紅色ではなく緋色ではないのかな?深い意味があるのかしら?

 

以上、幼さが抜けきらないかんじでした。

ドナテラを主人公にした続編があるようで、怖いもの見たさにこっちも読んでみたい気分。

おわり。

 

レジェンダリー 魔鏡の聖少女(カラヴァルシリーズ)

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