はらぺこあおむしのぼうけん

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後知恵はもっとも明敏な助言者。Why?よりもHow?から人生を始めよ。「静かなる天使の叫び」R.J.エロリー

こんにちは。

 

「静かなる天使の叫び」R.J.エロリー

静かなる天使の叫び (上) (静かなる天使の叫び) (集英社文庫)

静かなる天使の叫び (下) (静かなる天使の叫び) (集英社文庫)

小説を読んでいると、「なんで主人公はこんなにメソメソしているんだろう」と感じる瞬間が多々あります。自分の身に起こった不幸を思い悩むのは構わないんだけど、他人の悲しみを自分のものと混同し、ウジウジウジウジ、先に進めなくなるタイプの主人公がいる。しかもそれを他人に押し付けたり、悩みすぎて人格を崩壊させてしまったりする。

こういうの読むたびに「これは...心が弱いというアピールか何かなのかな?」と、そういう性癖として片付けてしまう私は狭量な人間なんでしょうが、やっぱり、自分の周りで起こる出来事に影響されすぎでは?内にこもりすぎでは?とだんだんイライラしてきて、自分の心くらい自分で守れバカ者といいたくなるのです。笑

この本は、ある事件を境に、人生をそっくり奪われたと感じる男の一代記ともよめるミステリー。メソメソウジウジ系男子が主人公。

 

舞台は第二次世界大戦直前のアメリカ南部の田舎町。11才のジョセフ・ヴォーンは、つい最近までごくごく普通の少年でした。というのも、つい最近、最愛の父をなくしたばかりだからです。

父の死とほぼ時を同じくして、ジョセフの住む町では凄惨な連続殺人事件が起こります。犠牲者は全て幼い少女。人一倍感受性の強いジョセフは、自分にも何か責任があるのではないかと、事件を消化しきれずに悩み始めます。戦争による大量殺戮と、身近な殺人事件。ジョセフの周りには常に、理不尽な死がありました。

戦争が激化するなか、隣人のドイツ人一家クルーガー家に疑いの眼差しが向けられ、嫌がらせが始まります。気丈に振る舞っていた母もクルーガー家へのリンチを境に精神を病み、遂には精神病院へ。母は何かを知っていた様子で…。

 

あの殺人事件が自分の人生を狂わせた。

ジョセフは、事件の真相解明に執着し、卑屈になっていきます。数年後、保安官の勧めでニューヨークに渡り、作家としての活動を始めたジョセフ。事件はやっと過去のものになりつつあるかと思われましたが、死神はジョセフを追ってニューヨークにもやってきて…

 

ミステリージャンルに分類はされるけど、ミステリーとしては今ひとつ、もとい今ふたつなのでは?というレベルかと。まず、犯人以外に容疑者になれる人間が存在しないという体たらく。しかも、動機もトリックも自白するチャンスのないまま、せっかちなジョセフに銃殺される真犯人。

最後に犯人が饒舌に自白する小説は嫌いって言ったけど、自白もないままいきなりズドンされたらモヤモヤしか残らないやんけ!と、これはこれで重クレームなんですが!!笑

ついでに、心理描写も詰めが甘い。自分で世に産み出したキャラのはずなのに、キャラの内面を十分に把握しきれていない気がする。キャラの行動が場当たり的で辻褄が合っていない

例えばジョセフ、大人になるにつれ、被害者少女の最期を妙に生々しく想像するようになってきて、すごく気持ちが悪い。辛い気持ちに蓋をしてじっと耐えると見せかけて、実はそういう空想を弄ぶジョセフ。この矛盾した行為のせいで、ジョセフ真犯人説は最後まで消えなかったり。笑

また、担任だった女教師のアレグサンドラと付き合うジョセフなんだけど、突然アラサーのアレグサンドラが家に訪ねてきて関係を迫ったことをきっかけに堕落の道を辿ってみたり、二人でアオカンして逮捕されてみたり、ウジウジジクジク思い悩む割に、考えが浅くて周囲への配慮を怠りがちなあたり、何度も「おまえ、なにしてるん?」って突っ込みたくなります。

 

クレームついでに、

ジョセフは作家という設定なんだけど、個人的に、作家が主人公の小説は好きじゃないんです。なんかこう、主人公の影から著者がひょっこり顔を出す瞬間があるから。ジョセフもこの例に漏れず、ジョセフと、ジョセフに自分の理想を投影させた著者という一人二役を演じていると感じました。主人公の内面を何度理解しようとしても、あけてもあけても本体にたどり着けないマトリョーシカ感がある。

あと、主人公が作家の場合、作中でその主人公が書く著作は、著者のレベルをゆうに越えた傑作になりがち問題があって(偏見です)自分の夢投影すんのも大概にせえよ!と言いたくなる。ジョセフも、魂と情熱の傑作として「ひそやかに天使を信じて」という作品を仕上げるんだけど、君の本は売れに売れて印刷機が間に合わないだの読者はみんな憤慨しており、君の本はアメリカを動かすぞ!とか誉めちぎられていて、

うわ...何をやっても話がうまくいきすぎる少女マンガみてぇ…

と白けてしまう。

 

さて、気をとりなおして次は良かったポイントです。

アメリカ南部の田舎町が舞台ということで、アメリカ人が著者かと思ったんだけど、著者は実はイギリス人。「エデンの東」を彷彿とさせる舞台設定だなって思ったけど、舞台を作り上げるにあたっては、本当にスタインベックを意識したのかもしれない。

エデンの東」のオマージュ(勝手に認定)らしく、サミュエルとリーを足して二で割ったようなライリーっていう男が出てくるんだけど、彼ばかりが、現実には存在し得ない好人物として生き生きと描かれています。

過去の世界で迷子になってしまったジョセフに、ライリーはこんなことをいいます。

喪に服すのは供えた花が萎れるまで。

過去はあったままに、現在はあるがままに、未来はできる限りのものに

 

人生においては、「なぜ?」という問いが常に付きまといます。「なぜあれをしなかった?」「なぜあの道を選んでしまったのか」と。後知恵はもっとも明敏な助言者というのはジョセフの口癖(考えクセ?)ですが、過去の選択を生きている人間の多いことといったら。

しかし「なぜ」ではなく「どうするか」ではないかとライリーはジョセフに伝えます。Why?という振り返りが自らの立つ地面を均す行為だとすれば、How?とは、どんな土台の上にもそれなりの人生を築いてやるという力強い決意なのかもしれません。

 

「ありふれた祈り」、「ラスト・チャイルド」という、少年が成長するミステリーを心から求めている私。

「海外 ミステリー 少年の成長」とか検索しちゃうんだけど、検索のクセが。。。笑

この小説は、少年の成長物語とはほど遠く、子どもであることを許されなかった男の半生を綴った暗い物語。神に与えられたものを奪われ続ける人生を送った男は、ついにこの世に救いを見いだすこときなかったという。偶然の積み重なりではありましたが、不自由な人生を押し付けられたジョセフの人生に、同情を禁じ得ません。

 

おわり