はらぺこあおむしのぼうけん

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幸せはバックミラーにしか映らない ガエル・ファイユ「小さな国で」

こんにちは。

 

最近は外出禁止ムードですが、いかがお過ごしでしょうか。

おうち大好きの私にとっては、スーパーに行く以外は全て不要不急の外出で、普段から誰に頼まれなくても家にこもっています。それならば、さぞ幸せな自粛生活だろうと思われがちですが、全然そんなことはなくて、趣味の読書も捗らず海外ドラマばかり見ています。なんかそわそわしてしまい、手軽な刺激ばかりを求めてしまうんですね。まぁ、海外ドラマが面白いのは言うまでもないんだけどw

日頃意識することはありませんが、本を読んでじっくり考えるという一連の行為は、心の余裕がない時には身が入らないもんなんだなぁと改めて。

そんなときに心奪われたのはこの本。内戦が勃発して少年時代を奪われた男の子ギャビーの半自伝です。”高校生の”ゴンクール賞(フランスで最も権威のある文学賞のひとつ)に選ばれています。普段は昨日よりも幸せな明日を願っているけれど、戦争や災害が起きて初めて「今までの日常」を願うようになり、今までが幸せだったことに気付く。幸せはバックミラーにしか映らない、というのはそういうことです。

ちいさな国で (ハヤカワepi文庫)

ギャビーはブルンジというアフリカの小国で生まれ育った男の子。父はフランス人、母はツチ族ルワンダ難民で、アナという妹が一人います。幸せに暮らしていた少年時代は、初の大統領選挙を契機としたツチ族フツ族の民族内紛によって一転、彼と妹はフランスに逃れます。この小説は、大人になったギャビー(33歳)が、11歳~の頃を思い出すという構成。

ギャビーは、アフリカの大自然に抱かれ、使用人付きの立派な邸宅に暮らしていました。ブルンジは列強の植民地を経てフランスの影響下にありましたから、工場を経営するフランス人の父を持っているというだけで特権階級。フランス人学校に通い、近所の同じくハーフの子どもたちと遊んで暮らす普通の少年です。唯一の気がかりは、父と母の不仲。フランス人である父はもともと、アフリカ全てをバカにしている感じで、ベルギー人の友人とBBQするようなときも、母を透明人間のように扱うなどします。アフリカの大自然はサイコー!とアフリカ生活を満喫している、まるでIターンした東京人。対して母は、ルワンダ難民として祖国を追われた過去を持つがゆえに、故郷に対して複雑な感情を抱き、いつか起こるかもしれない民族紛争から逃れるために、フランスで暮らすことを主張します。

母が「あなたが山(ルワンダ)の稜線を眺めるとき、私はそこに暮らす人の嘆きを聞き、泥の臭いを嗅いでいる。わたしが求めるのは、これまで手にできなかった安全と安心して子育てできる環境なんだ」と主張すれば父は、「フランスに行って何になる?ここにいれば俺たちは特権階級。パリに行けば俺たちはただの人だ」と言い返す。

「ただの人」って…www ここまで開き直ってくれればいっそ清々しいですが、こんな感じで話はいつも平行線。父との仲は修復しがたく、母は家を出ます。母が家を出た日、ギャビーは幸せな日々が失われたことを思い無意識のうちに蚊帳の生地を割き続けるんですが、ここのシーン、胸が痛い。

両親の別れは幸せのどん底かと思われますが、ここから自体は急激に悪化します。

初めての大統領選。初めて軍人出身でないメルシオル大統領が当選しますが、軍部によって暗殺。すぐに民族対立が激化し、フツ族によるツチ族の虐殺が始まります。これは、植民地統治の常套手段、民族を分断して支配するという分断統治の結果だそうで、民族間に植え付けられた憎しみが一気に火を噴いたということ。

この虐殺の広がり、最初はコロナの初期のような感じなんです。最初は、発砲や暴行は「あそこであったらしい」という噂レベルでした。隠れて親戚の結婚式に出かけたりもします。食料を買い込んでの籠城もピクニック気分。しかし、暴力沙汰がいつしか日常になり、友人の父が死に、恐怖と血を身近に感じるようになったときはもう手遅れ…恐怖は足音を立てずにやってくるの好例。

兄弟のように思っていた友達との別れ、母への複雑な思い、本に逃げ場を求めた自分…その思い出が鮮やかに描かれます。著者はラッパーということで、流れるような文章が素晴らしく、読みやすいです。しかし、油断は禁物。いきなりとがったナイフを胸に突き立てられるような、本質を突いた言葉にドキっとさせられる。

 

この小説のテーマは、少年時代の喪失。「ぼくは、ぼくの子ども時代を追われた」という言葉の通り、いきなり子ども時代を取り上げられた男の子の、数週間で大人になる過程です。先にネタバレしておくと、これは自伝ではありません。生まれ育ちやフランスに逃れたことは事実らしいですが、それ以外はフィクション多め。「当時はここまで深く考えていなかった」と著者が白状する通り、綺麗にまとまってるな~、とか、説教臭いな~、と思う部分はちょいちょいありますが、それを差し引いても胸が痛い。

ギャビーが最も幸せを感じていたのは、彼の11歳の誕生日。誕生日の夜「あのころ、ぼくは心の奥底で信じていた。人生は結局、うまい具合に収まるものだと」と感じた彼。しかしそれから一年もたたずに考えを一変させます。「大虐殺は海に流れ出た重油のようなものだ。たとえそこで溺れ死なずに済んでも、まとわりついた油は一生かかっても落とせない」と。

よく「人生自分の考え次第!!」っていうポジティブワードを人に押し付ける人がいますが、なんとでもなる人生なのかどうかは人それぞれだと思います。戦争のない国で生まれ育ち、大きな絶望に無縁で生きてきた人もいれば、人生のどこかで一生かかっても癒えない傷を負ってしまった人はどこかに必ずいるから。そして紛争地帯や難民キャンプでは、今もなお、そんな人が日々量産されているという現実。

 

ギャビーは、自分が大人になった瞬間をこのように表現します。「わずかな持ち物を分かち合うのはやめようと決めた瞬間。ほかの人を信じるのはもうよそうと決めた瞬間。ほかのひとを危険とみなし、ぼくらの地区を要塞に、ぼくらの袋道を囲い地にすることで、外の世界とのあいだに見えない境界線を引こうと決めた瞬間…」

ほとんどの人はこの境界をたゆたいながら徐々に少年期を脱してゆくけれど、ギャビーはおそらく数週間の間にこの急激な変化を経験しました。それは祖国を失うよりも残酷に思われたと回想しています。

しかしこうやっていびつな大人になったギャビーを、教え導くべき子どもとして扱ってくれた人が少なからずいました。一人は使用人のドナシアン。クリスチャンで、聖書の一節をそらんじたりします。そんな彼はギャビーに、絶望するなと言います。「世界の美しさを疑ってはいけない。それがたとえ、残虐非道な空の下に広がる世界であっても…みずからの魂の善良さを信じることができなければ、もう戦うことはできない。そうなれば、死んだも同然だ」と。正直、大虐殺と背中合わせの状況では響かない言葉ではあるけど、こういうことを言ってくれる大人って貴重ですよね。

もう一人は近所のギリシャ人夫人。ギャビーに自分の蔵書を貸し出してくれます。「本は眠れる精霊ですよ」と本の魅力を語り。運命の出会いはいつ起こるかわからない、本を侮ってはダメ、と読書の魅力を教えます。袋小路にはまりこんで自分の殻に閉じこもたギャビーは、全然違う時代の他の国の物語を読むことで、一気に世界が開け、本に救いを求めるようになりました。

 

同様に、ギャビーと同様に大人になることを求められた男の子たちがいます。それは、フランス人学校の友達、ジノやアルマン。ジノは過激派とつるみフツ族に復讐を誓い、父を殺されたアルマンは、急激な変化に戸惑い自分を失ってしまいます。この少年たちの変化は痛ましいだけでなく、少し考えさせられます。というのも、物語の冒頭、「父は政治の話をしてくれない」というギャビーの不満が語られるんですが、ギャビーの父が神経質なくらい政治の話を子どもに聞かせなかったのに対し、ジノは父と語り酒場に出入りしたりして知識を聞きかじっています。最初は、ジノ父のように子どもを大人として扱うほうが良いのでは?と思いましたが、違うかもしれない、と思うように。

もともとの性格があるのは置いといて、ジノが民族紛争の最前線に身を投じたのは、父親の影響がゼロではなく、その過激な考え方もおそらく父の受け売りでしょう。親が子どもに与える影響は思ったより大きい。幼い子どもに語るときは、子どもは母や父の言ったことを100%吸収するという意識をもつべきですね。ていうかそもそも実際の政治やそれに付する言説って、余計な修飾を取ってみると、ほとんどが感情や偏見や無知から出来あがっているような気がしてきて、子どもに教えるべき最良の教材でも何でもないかも…童話のほうが100倍良い。

ギャビーの苦悩は、フランスに行ってからも続きます。それは「祖国」という問題。アフリカでは白人だったし、フランスでは黒人になった、という言葉に象徴されるように、自分のアイデンティティがわからないまま成長します。空のビンの底から空を眺めるという言葉が印象的。命の危機から逃げてきても、難民が直面する問題を一つ一つ解決していかなければなりませんでした。

 

 

さて、最も心揺さぶられたのは母親を捨てたシーン。

一度ルワンダに帰り、姉一家の消息を確かめた母は、半狂乱の体でギャビーのもとに帰ってきます。数日間の放心状態を経て彼女は、娘(ギャビーの妹)に自分が見た凄惨な光景を語り始めるようになります。3か月も放置された甥や姪の死体がつけたシミのこと。姉が自分の子どもの残骸を見つけてショックを受けないように必死で片付けたこと。そして姉が見つからないこと。何度もこの話を聞かされた妹は心を病んでしまい、ギャビーはついに、父に母を追い出すよう頼みます。母がいなくなった夜、ギャビーは自らを卑怯だと責め、こんなことを思いました。

「ぼくは人生が無傷のままであってほしかった。けれど母さんは自分の人生を危険にさらしてまでも、大切な人たちを探しに地獄の入り口まで赴いた。アナと僕のためにも、母さんは同じことをしただろう。けっして尻込みせずに」

もし自分が死んだとき、母親は自分のかけら(残骸)を探そうと死力を尽くしてくれる唯一の存在であるとわかっていながらも、妹を守るために、すでに人の心を失ってしまった母親を切り捨てざるを得なかった苦しさが伝わってくる。

 

国と国の戦争に比べ、内紛というのはなんの名目も(もちろん正義も)なく暴動や略奪が広範囲にわたって起こるので、生き残れるのは運しだいみたいな感じですごい怖い。そして、それがいつまで続くかわからない。

そうえば、件の「幸せはバックミラーに」という名言、続きがあります。「幸せはちゃんとあった。希望を打ち砕き、未来への展望をむなしさに変え、夢をしぼませる幸せは…」。つまり、幸せだったあの頃には二度と戻れない(あの頃と同じような幸せは二度とやってこない)っていう絶望がついてくる。

 

ツチ族フツ族の間に起きた民族紛争は、アフリカで起きた歴史的大虐殺として広く知られていますが、驚きなのがこの大虐殺、1994年の出来事なんです。この内紛から実はまだ二十数年しか経っていないという。そして、いまだにあの国は内紛が頻発する地域でもあります。

「アフリカの子どもたちに支援…」とか「難民キャンプで…」とかいう言葉を聞いてもピンとこない部分はあるけれど、小説を読んで身につまされる思いがしました。正直、アフリカの紛争地域に生まれ、そしてギャビーが持ってた最強カード、フランスのパスポートすら持っていなければ、「人生気持ち次第で何とかなる」なんて言葉は絶対生まれてこないな、と。それくらい日本で身に着けた価値観は通用しないんだと思います。

 

最後に、ギリシア人夫人が別れ際にギャビーに贈った言葉を。

「風を引かないようにきをつけるんですよ。大切な秘密の庭を丹精して手入れするんですよ。本を読み、人と出会い、恋をして豊かになるんですよ。自分が生まれ育った場所を、忘れてはなりませんよ」

 

おわり。