はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

無軌道にポジティブ思考を発動する奴に気をつけろ ヴォルテール「カンディード」

こんにちは。

 

思想家として超有名なヴォルテールの「カンディード」という作品です。風刺作家との一面も持っていたヴォルテールの幕間劇みたいなものでしょうか。

世界の100冊に選ばれておきながら何度も断念していましたが、新訳が出たとのことで何度目の正直で再トライ。

カンディード (光文社古典新訳文庫)

 

艱難辛苦を乗り越えてやっと小さな幸せを手に入れた男の成長物語。

主人公カンディードは、暮らしていた城で、男爵の妹クネゴンデ姫に恋をします。彼女のほうもまんざらでもないようで、陰で口づけをしていたら、男爵に発見され、さんざん打ち据えられた末に城を追い出されます。その後彼は軍人になりますが、数日後には軍を脱走。追っ手をかわして船旅をしていたところ、敵軍の略奪に遭い城を追われていたクネゴンデとばあやに再会。クネゴンデに求婚したカンディードでしたが、彼女は同船していた総督を選びます。

この頃のカンディードはパングロスという男を師と仰いでいました。パングロスの主張は「最善説」と呼ばれるもので、簡単に言うと「すべては神の思し召し」という発想。この世の中で起きる出来事は、世の中を良くするため、世界の秩序を保つためのものであるから、疑問を持たずに受け入れるべき、というものです。パングロスを妄信しているカンディードは、騙されて軍人にされた上ひどい折檻にあっても、その後再会したクネゴンデに「金がない」という点でひどい裏切られ方をしても、ポジティブ思考。神が用意した試練ならしょうがないと考えています。

しかし、その後の旅の中で、ひどい不幸に見舞われた人にたくさん遭遇した彼は、「本当にこのような不幸は、俺たち人間にとって必要なものなのだろうか」と、最善説に疑問を持ち始め、ついには「最善説とは、どんな目に遭っても『これが最善だ!!』と信じる執念のことだ」と、最善説と決別します。エルドラドという国で金持ちになたカンディードは、クネゴンデを探し出し、やっと再会を果たします。彼女はすでにかつての美しさを失っていましたが、それでも一緒に歩むことを選び、幸せに暮らしました。

 

読者としては、最善説とかないから!不幸は神の思し召しとかなくてただただ不幸だし、世の中は不公平だから!!今更!!というのが自然な反応。しかし、約300年前の世界では「神は…?」と疑問を呈するだけで命がけ。当時の政治や社会に対する強烈な風刺作品でした。

カンディードは信仰心が強いタイプですが、彼以外はとにかく俗っぽい。例えば、金のないカンディードと、金持ちの総督二人に求愛されたクネゴンデ。彼女に「お前はもう処女じゃないんだから、もらってもらえる今がチャンスだ!馬鹿なこと考えてないで、総督にもらってもらえ!」とアドバイスするばあや。また、エルドラド帰りで使い切れないほどの金を持っているカンディードは、従者を募集することにしました。「一番不幸な目に遭った人にしよう」と、候補者一人ひとりと面談しますが、彼らの不幸自慢はもはや大喜利

一番ヤバいのはお前だ、パングロス!人に教えを説いておきながら、自然科学の実験♪実験♪と下女と山の中で乳繰り合っている。城を追われたカンディードと再会した時には、性病で歩くこともままならないなど。あふれ出るなまぐさ坊主感…。

こんなパングロス、最後はカンディードに拾われますが、まだ最善説の議論を吹っ掛けようとします。そんな元師に、「議論していても仕方がない。自分の畑を耕そう」と突き返して話を終わらせるカンディード。様々な不幸を経験し、「労働のみが人生を耐えうるものにする唯一の方法」と気付いたそうです。

 

と、「これが最善の状況だから仕方がない」で目をふさいでいた男が、世の不条理を目のあたりにし、全てを「最善だ」として片付けるのはおかしくないか?と気付いた話。

世間には「生き辛さ」を抱えた人であふれています。その証拠に、書店にはいつでも「幸せになれる法則」「いつも笑っているあの人が実践している5の方法」「〇〇を変えるだけで…」など、幸せに生きるための本が並んでいます。そういう本はだいたい、「辛い時には笑え」とか「ポジティブな周りにはポジティブが集まる」、「人に期待しすぎない」というようなことを言い、不幸に感じる理由を他者に求めず、自分の中で消化しようと提案しています。

そりゃ、満員電車に乗っているとストレスの塊!みたいな人間に多々会うわけで、日々のイライラは自分で解決しろよと思ったりするのですが、全ての事柄を「あ、いっけねー!ポジティブっ!ポジティブ!!」と言い聞かせて消化してしまうのはあまり良い兆候ではないと思います。誰しも怒りや憎しみの感情をずっと持っているのは嫌なことです。しかし、「なぜ不快に思うのか」いう根っこのところを無視してポジティブで蓋をしてしまっては、自然に湧き上がってくる感情を、本当の意味で制御する力を得られません。

幸せを感じる事柄はだいたい誰でも同じですが、不愉快になったり違和感を覚えるポイントは人により異なっています。自らの力で人生を歩むためにも、イヤなものはイヤ!という気持ちに向き合い、それは風呂に入って忘れてしまうべきことなのか、突き詰めて考え、同じ失敗を繰り返さないように記憶しておくべきことか区別するくらいはやるべきでしょう。

 

しかし、カンディードが至った「とりあえず働きましょう」思考。がむしゃらに働くのも、ブラック思考じゃね?なんて思ったのですが、「自分の人生を豊かにするためにも手を動かそう」という意味も含んでいるようです。

 

解説も素晴らしかったので、解説を読んでついでにお勉強を。

この最善説の否定にルソーが反論しています。ルソーの言い分は、個人の例でいえば不幸ということがあろうが、それが全体の善につながっていないということにはならんだろう。また、ヴォルテールリスボン地震に影響を受けて「カンディード」を書いているのですが、リスボン地震で甚大な人的被害が出たことについては「人が都市で密集して住んでいたことも一因だから…そこで神を持ち出すのはいかがなものか」とも言っています。

また、ヴォルテールは、決して神を否定していたわけではないそうです。ただ、「神の思し召し」と、全てを片付けてしまうことに対して疑問を呈している。まさに「啓蒙」。「神は死んだ」とニーチェが言えるようになるまで、一世紀は待たなきゃない、とも書かれていました。

 

ストーリー自体はワクワク!というわけではないのですが、セリフや行動がコメディタッチで面白い。世界の100冊を読むという意味でも一度!

おわり。