はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

川の上流を未来とみるか過去とみるか 新潮クレスト「帰れない山」

こんにちは。

 

新潮クレスト強化月間「帰れない山」です。

こういうたとえ話が出てきました。

雪解け水が流れる川の中に立ち、目の前にそびえたつ山を見ているイメージ。上流、下流どちらが未来か。どっちだと思いますか?おそらくどっちも正解なのですが。

私は、望むと望まないとにかかわらず、下流に流されて行ってしまう=時が過ぎていくイメージを持ったので、下流が未来。しかし主人公は、下流を過去ととらえたようです。なぜなら、下流に流れていく水は全て自分の足を通過していったから。汚い言い方をすると、自分の足の汗の成分が含まれているwが、上流には自分の痕跡はない。だから上流が未来だと。

主人公は哲学的な言葉を乱発するタイプではないのですが、何でもかんでも「山と僕の人生」に喩えて理解しようとするので、そんなに山ってすごいんですか?って何度も無表情で聞きたくなる私でしたw

 

帰れない山 (新潮クレスト・ブックス)

 

主人公はピエトロ。父と友人と山の思い出。

彼はアルプスのふもとにある村で、毎年夏は家族で過ごしていました。そこで出会ったのがブルーノという貧しい少年。彼は羊の番をしていて、学校にも通っていないようでした。小説の情報だけでは、ピエトロの家がどれだけ裕福なのかはわかりません。当時、中流家庭であれば田舎の村に別荘を持つくらいはできたのか、それとも超絶金持ちなのか。少なくとも二人の間には経済的な格差があったようですが、ピエトロとブルーノは一緒に野山を駆け回り、大の仲良しに。山登りが好きな父の影響で、ピエトロとブルーノと父の3人で登山したりします。

その後、ピエトロは大学を中退、ライターもどきに。父親とも仲が悪くなり、村にはいかなくなります。ブルーノは建設作業員になり、ずっと村で暮らし続ける。何年も没交渉でしたが、父の死をきっかけに再会。父は山のふもとに小さい土地を買い、その整備をブルーノに託していました。協力して小さな家を建てることで友情が復活しました。ブルーノは叔父の牧場を買い取って小さな牧場を経営します。ブルーノは村に遊びに来たピエトロの元彼女と結婚。娘をひとりもうけます。

四十代になった彼ら。ブルーノの牧場はつぶれ、妻も娘を連れて実家に帰ってしまいました。傷心のブルーノは山荘にこもり、周囲の人をシャットアウトします。そしてあるとき山で大きな雪崩が起き、ブルーノが行方不明に…

 

というお話。ピエトロと父。ピエトロとブルーノ。そして彼らのエピソードには山が大きく関わっている。

ピエトロと父の関係については、父の不器用な愛と、息子の反抗と、失ってから気付く父の偉大さなど、わかる!ってなるエピソードがたくさん。たとえば、普段は登山中「さっさと登れ!(頂上へ到達するのに)間に合わなくなる!」と叱っている父が、ピエトロが具合を悪くするとおろおろし、下山を即断するシーン。いつもは、何があっても登頂するぜ、足手まといになるなよ、と強気に出ながら、当たり前だけど息子のことを何よりも大切に思っている。

父の死後、久々に山荘に帰ったピエトロは、地図を見つけます。今まで父が登った山とそのルートを記入したもの。父が一人で登った山は黒、息子と二人では赤、ブルーノと登った山は青、というように色分けされている。自分が父と話をしなくなってからも、ブルーノと父の間には交流があったこと、ピエトロは嫉妬こそしませんが、自分がどうでもいいことにかまけている間に、すごく大切なものを失ってしまった気持ちになります。

 

逆にピエトロとブルーノの話は、ちょっと理想的すぎる。何十年も会っていないのに家を一緒に建てるだけで親友に戻るとか、親友の元カノと結婚するとか。あとは、二人の間の格差。かつてピエトロの母はブルーノの母に経済的な援助を申し出ていました。学校に行かず働くブルーノを哀れに思い、子どもには教育が必要だと押しかけ、ブルーノの家族からは「この世間知らずの金持ちが」と煙たがられていた。ピエトロの父がブルーノの親に殴られたこともあります。

こういう一切合切を無にして親友になることって現実にあるかな?と思っていたら、解説を見ると、作者は昔、ピエトロと同様に家族で夏は避暑地で過ごしていた。しかし、その村で友人を作ることができず、こういう友達が欲しいなぁと思っていたとありまっした。うん、そんな感じするわ、と納得。

 

余談ですが、私は永遠の二番手に共感する傾向があります。たとえばMAJORのトシくんとか、ガンダムSEEDアスランとか。才能もあるのに、自由奔放の主人公に惹かれ、振り回されるのをわかっていながらも最後まで主人公のケツを拭き続ける。二番手のほうが人格的には断然優れていると思うのですが、でも人気投票すると主人公が勝つんですね、あれなんですか。組織票か!!

ものすっごい偏見ですが、主人公というのは作者が最もなりたい姿だと思うんです。じぶんのやりたいことをガンガン投影する。でも、主人公を好き勝手に動かすと嫌われるから、主人公が何をやってもその価値観を肯定してくれる二番手にいろんな不幸や厄介ごとを押し付け、主人公の正義感や暴走の片棒を担がせるんだと思っていますよw

 

今回はそこまでアレではなかったけど、やっぱりピエトロにはちょっと共感できないかな。元カノをブルーノに押し付けておきながら、最後はブルーノとの仲を修復するよう心を砕くなど、ストーリー上いいとこ取りな感じがして、友人関係のところは、わかる!ってならず、おうおう、主人公っていいよなオイ。ってなる。

ただ、一つ評価できるのは、ぱっとしない人生を不幸な出来事や過去のせいにしないこと。ピエトロは彼女ができると、一歩踏み込めずに心の中をさらせずに捨ててしまうんです。これは小説には書かれておらず原因不明。こういうのを、過去の不幸な出来事にからめたりして主人公の良い人化を図る作者がいますが、ピエトロについてはただのそういう人だそうです。こういうところは素直でよろしいと思います(上から目線)

 

さて、原題は Le otto montagne。これがどうして帰れない山になったのか?

はじめに。ottoとはイタリア語で8。ネパールでピエトロはこういう話を聞きます。「世界の中心には一番高い山があり、その山を8つの山と海が囲んでいると考えている(曼荼羅の話にも通じる)」

つぎに、こういう文章があります。「みんな心の中に帰れない山を持っている。他の山々の中心にそびえたつ、己の物語に初めて会った場所。それを失った僕は、8つの山を放浪するしかない」「(山は人それぞれにとって)自分の物語を再読できる場所。心のよりどころ。実家であり過去であり」

総合すると、「世界(自分)の中心となる大きな山。自分の初めての物語を再読できる山(ブルーノ)にはアクセスできなくなってしまった。自分はもうその山のまわりをうろうろするしかなかろう」=自分は大切なものを失った。そういうことでしょうか。

 

お、綺麗にまとまりましたね!!!

でも、最初に書いた、「川の上流を未来とみるか過去とみるか」の話覚えてます?ピエトロは、山を未来ととらえ、下流を過去ととらえると言っていましたが、結局山が過去ってことになってね~!?と思ったんですが、これはどういうこと?何年後かに有名な評論家がここを綺麗に解説してくれるのを待っています!!!

 

さいご。

悩んだときは大きな海を見ろとか山を見ろ、自分の悩みがちっぽけに見えるから、という話がありますが、私はそれよりも効果的な方法を知っています。目の前の生に執着すること。いわゆる、やばい!死ぬかも!っていう状態を体験する。もちろん、危険なことはダメ絶対。じゃあそれは何かというと「ボルダリング」です。

自分の実力より2段階くらい上のやつをやると、「やばいやばい落ちる落ちる!!」ってなって、自分の悩みとかどうでもよくなります。そして疲れて寝てすっきり。人は生きていると、どんどん欲深くなりどんどん些細な悩みが頭をもたげてきます。そんなときには原始に帰り、生きることに執着しましょう!

 

 おわり。