はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

男はメンヘラがお好き? 新潮クレスト「終わりの感覚」

こんにちは。

本作品は、4度目の候補でやっと受賞したブッカー賞だそうです。

私は日本人的価値観に毒されているので、「ついにブッカー賞!」とか書かれていると少し冷めてしまう卑しい読者です。筋を考えながら、推敲しながら、ずーっと「ブッカー賞!」と念じていたらなんか嫌だな。とか思ってしまう。何の欲もなく、ただ頭の中に流れるメロディを言葉にしたら傑作でした!下心なんてねぇよ!賞なんて関係ねぇよ!!みたいな作品のほうが優れているように感じる。これは、「デビューのきっかけは、姉ちゃんが勝手にジャ〇ーズに応募したからです」現象ですね。

無欲な方が価値が高い。低賃金やボランティアでの労働には清廉さを見いだせるけど、職能に応じた賃金をもらいそれ相当の責任を持つ労働は卑しいものだというのは嘘ですよ。主戦論は前線から一番遠い人間が唱えるものです。それと同じ。

 

終わりの感覚 (新潮クレスト・ブックス)

と、前置きが長くなりましたが、あらすじはこんな感じ。

舞台は英国。主人公アントニー(70歳代)が生涯を振り返る。思い起されるのは、初めてできた彼女ベロニカ、そして高校時代の友人で自殺したエイドリアンとの思い出。ベロニカは今でいうところのメンヘラ女。まわりがどんどん童貞を卒業していくのに、なかなか許してくれないんです。身持ちが固いというわけではなくて、なんかもったいつけてくる。別れた後になぜか一度だけ関係を持つのですが、アントニーからしたら「今更何だったんだろう?」という感じ。ある時エイドリアンから手紙が届きます。「ベロニカと付き合い始めた。許してもらえるかな?この手紙はベロニカに薦められて書いています」と。アントニーは夏休みに一度だけエイドリアンを紹介したことがありました。確かにそのベロニカはエイドリアンに夢中だった…エイドリアンはケンブリッジ大だから、乗り換えたかこの野郎、しかもしおらしく手紙まで書きやがって!!と、アントニーはキレそうになりますが、「承知」とだけ返信。しかしモヤモヤがおさまらない彼は、数か月後に「エイドリアンとビッチヘ」と過激な手紙を送りつけるなどします。そんなとき、エイドリアンの訃報が届く。自殺とのことですが、遺書らしいものもなく、動機は不明。ベロニカとどうなっていたかも知らない。もともとエイドリアンは哲学的思索が好きな天才児だったので、自分はどれだけエイドリアンを理解できていたんだろうか、親友と思っていたのは自分だけかもしれない…なんて思うまま40年が経過していきました。アントニーはマーガレットという女と結婚し、娘をもうけますがその後離婚。元嫁や娘とは良好な関係です。孫も生まれ、良い人生を送っている。

さて、老人アントニーに手紙が届きました。ベロニカの母の遺言で、500ポンドと2つの文書を受け取ってほしいと。一つめはズバリ書かれていないのですが(これは遺書の写しということ?)、二つ目はエイドリアンの日記。そしてその日記はベロニカの手元にあると。エイドリアンの日記を取り返すため、40年ぶりにベロニカと再会する。なぜ日記がベロニカの母のもとにあったのか?エイドリアンの日記とは、ベロニカの人生は?そして二人はどうなる?

というお話。

ちょっと煽りましたが、最初に言っておくと、エイドリアンの日記は結局見つかりませんし、エイドリアンの自殺の原因も推測に過ぎません。老人アントニーが40年経ってもなおベロニカに振り回されるという哀れな記録に思えてきます。

 

以前、「卵を産めない郭公」のレビューを書いたときに、「恋愛経験のカウントに入れたくない恋愛」というようなことを書きましたが、まさにこれもそう。実際、アントニーはマーガレットに恋愛経験を聞かれたときは、ベロニカ以降のことを答えています。それくらいめんどくさい女、ベロニカ。

dandelion-67513.hateblo.jp

 

人生の終わりに人は何を思うか、についての考察は鋭く、胸に迫るものがありました。例えば、「友人を何人呼び集めようが、死の恐怖には一人で立ち向かうしかない」「人生の最後に褒美が用意されていると思ったら大間違いだということに、ある時気付く」「もう何をやっても人生変えられないという状況になったときに人はやっと、立ち止まり、自分の過去の選択を吟味する時間が与えられる」などなど。「悔恨」をキーワードに、人生を振り返り、老いや時間の本質に迫る、この本が評価されたのはこういう点であろうと思います。

 

ただ、この本、私は共感度ゼロ。元嫁に共感してしまいます。裏表紙でかなり絶賛されているのですが、もし男性だったら「わかるわー!」ってなるのでしょうか?男女差があるのか?それとも年齢差?

 

はぁ??となるポイントは、アントニー爺の暴走と見苦しい自己弁護。

ベロニカとの再会を果たした後、アントニーはベロニカに夢中になります。エイドリアンの日記なんてどうでもよくなり、ベロニカが通っているらしいパブに通い詰めるアントニー。そしてベロニカの40年の物語を想像していく。未婚。父や母の悲惨な最期。そして大きな秘密。これを知ったアントニーは、「ベロニカがメンヘラになってしまったのもしょうがないなぁ」と、ベロニカに同情し始めるんです。

いやいやいや、違くない?爺さん、記憶を改ざんしてんじゃねぇよ。ってなる。

ここで、一度40年前のベロニカに戻ってみましょう。相手にセックスをちらつかせながら「体目当てなんでしょ?」とののしり結局やらせず。でも他の女に行こうとすると、焦ってコンドームを持参してやってくる女。しかもびっくりするくらい手際が良く、もたもたするアントニーを叱咤したり。自分だけを見ていないと許せない。一度ターゲットにしたら簡単には手放さない。でも相手を大切になんかしない。そんな、生粋のメンヘラ女ですよ。しかしアントニーは、この40年がベロニカを変えてしまったなぁ。昔のベロニカはまともな人間だった、と記憶を改ざんし、真実から目を背け、過去の自分を慰め始める。

また、再会を果たした後も5通に1通くらいはメール返ってくるけどそっけないし、昔と変わらず気分屋でヒステリックなベロニカ。でもそれでも猛アタックをするアントニー。完全に骨抜きにされているのに「これは年寄の道楽さ」と「自分は惚れていませんよ。ただ、時間があるから遊んでいるだけ。俺金持ちだし」と自分に言い訳。

しかも事の顛末を、元嫁マーガレットに報告する。マーガレットははじめ、友人の大切な日記を取り返すためなら頑張れば良いというスタンスでしたが、そのうち、「(なんか日記どうでもよくなってね?)勝手にどうぞ」と塩対応。それを、妬かせちゃったかな、と心配するアントニー。もう救いようがないジジイw 元嫁からしたら、自分が捨てた元夫が「元カノに会いますよ」とか言い始めたら、ついにここまできたか…となるけどなぁ。

 

しかし終盤、「若い女のために全てを捨てる老人は哀れだ。しかも俺は、愛情が欲しいと願いながら、一番それを与えてくれなさそうな相手に望んだ、哀れな老人以下だ」と独白するところがありますから、実際自分がやっていることが哀れな行為であるという認識はもちろんあります。しかし、どこまで本質を理解できたかは謎のまま。

というのも、エンディング。「エイドリアンの子」が出てきて、彼が生涯にわたり特別な介護を必要としている状態であることを知る。介護士にいきなり話しかけ、「頑張ってほしい」的なことを言う。「頑張ろうにも毎年予算がカットされていますよ」と苦笑いする介護士に、「幸運を祈ります」とスマイル。そして、パブに倍のチップを支払って帰る。「こんなことでなら、俺も役に立てる」と。謎すぎる!自己満足の極み!!!

 

はっきり言って、アントニーは今は誰からも必要とされていないんです。ベロニカも、元嫁も、娘も遺産程度しかあてにしていない。それなのに今更、グイグイ人の人生に関わっていこうとする見苦しさ!それがみっともない。アントニーは、プライドがすごく高い陰湿なタイプです。エイドリアンへの過激な手紙もそう。自分がベロニカに首ったけなのにそれを認めないところもそう。英国の階級社会がよくわかないのですが、ベロニカからは、家の格が違うということで馬鹿にされてきた。親友に彼女を奪われ、自己顕示欲が宙ぶらりんのまま青春の一時期を過ごしたんだろうなぁというのが窺われます。拒絶されるのは怖いけど、孤独を求めるふりをして、友人も家族もみんな失ってきた。そんな中で40年経って元カノに会うチャンスが訪れる。しょっぱいメンヘラ女にいつまでも未練を持ちながら、それでも自分は成功者だ、彼女を救える立場だと思い込む。もはやそのメンヘラ女からも相手にされていないのに…。

 

と、ハッピーエンドなのかどうかは不明です。個人的には、なんだこのジジイどこからものを言ってんだよ、となりましたが。私からしたら、哀れな老人がある事件をきっかけに人生について深く考察したように見せて、結局何にも気づけなかったみっともない話に見えます。私が老人憎さにこういう見方をさせているのか、それとも作者がここまで想定して人生とはこういうものだと示しているのか、それとも作者とのジェネレーション・ジェンダーギャップがあるのか。どうなんでしょう。

 

もう一つ、うわ、と思ったところを少しだけ。

エイドリアンへの過激な手紙に、「なかなかやらせてくれないでしょ?」というようなことを書くのがなんか気持ち悪いなぁと感じました。どうしてベロニカがエイドリアンに、自分に対してしたことと同じことをしているだろうと無条件に思えるんだろう。

村山由香の「すべての雲は銀の…」という作品。主人公が彼女を兄に取られるんですね。彼女はなかなか生でさせてくれないんだけど、彼女と兄はデキ婚するんです。「なんで俺にはさせてくれなかったのに兄にはさせるんだ!」とブチ切れる案件があるんだけど、それとすごく似ているなぁと。

すべての雲は銀の…(上) (講談社文庫)
 

 

と、余談。

短くて2時間程度で読めるけど、テーマは重めです。

 

おわり。