はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

アフリカに行きたいと思っている人??「アフリカの日々」

さて今日は、「アフリカの日々」(河出書房)を紹介します。
アフリカに行った気になれる素晴らしい本ください!という動機で買いましたw

アフリカの日々 (河出文庫)


都会の喧騒に疲れきっている私は、「雄大な自然に抱かれて暮らしたい」と日々思っています。満員電車とか嫌すぎるし、子連れで行動する私は日々シジイやババアから心ない言葉をかけられたりするし、もっとおおらかなところに行きたい。。。

さて、アフリカってどんなイメージありますか?
山々に囲まれたのどかな土地。ゾウやキリン、バッファローの群れ。日本ではみることのできない濃い青空。白い雲。赤い土。
私のイメージはこんなん。あー、なんかいいわー!ってなりません? この本も、読んでいると乾燥した熱い空気が鼻先を漂ってくるような、そんな気分に。景色の描写が多く、ここはアフリカ!と叫びたくなります。

主人公「私」は白人。ンゴング丘陵というところにコーヒー農園を持っています。すごくどうでもいいことなんだけど、アフリカって「ン」から始まる地名結構あって、ンゴングとか。グローバルなこの時代、別にしりとりの「ん」はもはや負けじゃねぇよなと思います。
さて、「私」は男かと思っていたのですが、解説を読むと、著者は女性。しかしはっきり明かされていないので、とりあえず頭の中では男性として話を進めます。彼は、農場主という形で、裕福な生活を送っております。使用人もたくさんいるし、当時のアフリカ人にとっては大変珍しいハト時計がお家の中にあって、それを見たさに子どもが裸足で上がり込んで来たり、シマウマの列を見たり、可愛らしい描写がたくさん。

この本はただのアフリカ滞在記かと思ったら、そうではないです。どちらかというと、哲学。よそ者という立場から、アフリカ人とは、西洋人とは、人生とは、を考えていくのですが、これが面白い。農主と言いながらも、日がな一日、日記を書いているタイプの暇人なので、人間観察が趣味になっていくんですね。

アフリカ人は危機察知能力がめちゃくちゃ高くて、とにかく臆病らしい。迫害の歴史があるからです。その反面、偏見を持たないのだそう。これは、様々な種族や商人とのやりとりをたくさんするから、「普通」や「タブー」がない、とのこと。意外。
あと、びっくりしたのは、100%病気を治せる医師がいたとしたら、彼らはその医師を信頼しないだろう。「治る」と「治らない」ということに価値がある。というようなこと。神とかまじないを信じている彼らは、治るか治らないかは神の領域だと理解しているので、治せない病がある医師のほうを信頼しがち、と。これ本当かな?

アフリカには、商売をしている白人もたくさんいますから、北欧人についても観察を深めます。一番印象に残った言葉は、これ。
北欧人は自国や同じ民族の中で理に合わないことは決して許さない。しかし彼らは、アフリカ高地の旱魃、日射病、牛の疫病、雇い入れた現地人が与えられた仕事に適さないのを、自己卑下と諦めをもって受け入れる。
これ、わかる気がしませんか?日本人にもそういう部分ありますよね。
彼はこれを、「男が女に寄せる思慕」と解釈します。北欧人は、自分の理解を超えるもの、人間が調伏し得ないものとしてアフリカを見ている、と。

とまぁ、こんな感じでアフリカの暮らしが書かれていきます。へー、と思ったり、うそだ!と思ったり、アフリカを少し理解したような気持ちになれます。アフリカに蛍がいるって知ってました?
ただ、旱魃の辛さとか、貧しい子どもの痛々しさとか、結構胸を締め付けられる描写もあり、これがアフリカの現状なのか、と思ったりします。反面、アフリカ人の、陽気というか、発想の柔軟さに励まされたり。

途中、手記からの抜粋が出てくるのですが、イグアナを観察してみたり、鳥を観察してみたり、まぁとにかく楽しそう。種族の紹介とかは、文化人類学的な観点から見ても勉強になります。こんな、穏やかでまったりとしたアフリカ滞在記的な一面ももちろんあります。


さて、全然関係のないところで、私が一番印象に残ったところはどこかというと。
ナイロビという町があります。渋谷みたいな感じで、雑多に栄えています。もちろん六本木みたいな綺麗さはなくて、ゴミゴミして。
ナイロビにいると、「無軌道で荒々しい時代にお互いが出会うことはもう二度とないから、私(ナイロビ)をいっぱい利用しなさい」と言われている気がする「私」。そして、ナイロビと理解し合っていると感じている「私」。
「私」は、若いんです。自然に囲まれながらも満たされないものを感じている。そして、時々ナイロビに出かけて心を潤して帰ってくるわけです。「無軌道で荒々しい時代にお互いが出会う」という言葉、若い頃はホイホイ渋谷に出かけて行った私が、ここ数年は「近寄りたくない町」として嫌悪していることを思い出して。
町も人と同じく生き物みたいなもので、町と人間が求めあって目に見えない関係を築いていく。この町に住みたい、この町を出たい、というのは理解し合える町を求めている自然な感情。今何か満たされないものを感じている若者は、世界を広げて、理解し合える町と友と出会ったほうがいいわ、と感じたわけです。

ばーっと読むよいうよりは、鞄の底に入れておいて、スキマ時間でじっくり時間をかけて読みたい本でした。

おわり。