はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

あの銀英伝が帰ってきた!!!「銀河英雄伝説列伝1」

こんにちは。

10月30日発売のこちら、「銀河英雄伝説列伝1」

ずっと前から予約して楽しみにしていました。予想通り数日で読み終わってしまい、再度銀英伝ロスに陥っている今日この頃。2はいつ出るのかな…

「列伝」は、銀英伝を愛する作家が、思い思いに銀英伝の世界で物語を紡ぐという、公式トリビュート・アンソロジー田中芳樹監修です。

銀河英雄伝説列伝1 (創元SF文庫)

久々に読む銀英伝に、「ああ…ヤン(ラインハルト)が生きている…!!!」とうるうる。また正伝から読み直してみたくなりました。

この本の魅力は、「銀英伝に思い入れがある人向け」に書かれていること。マニア向けと言っても差し支えない。

よく、初めて読む人にも楽しめるようにと、設定や忘れられがちな登場人物をちょくちょく解説してあげるものもあるけれど、こちらはスパルタ系。

アッテンボローブラウンシュバイク公、アムリッツア会戦に、ナントカ星系…などなど、

わかるわかる~、けど、、、どんなエピソードがあったっけ???

ってなっているうちに置いていかれる。「銀英伝好きなら知っていて当然ですよね??いちいち話の腰を折らないでください」とでも言われてしまいそうな塩対応は、もはや快感。笑

 

■「龍神滝の皇帝陛下」 小川一水

ラインハルトとヒルダの新婚旅行のエピソード。新婚旅行中に予定されていた用事をキャンセルさせて、いきなり「釣りをする!」と言い出したラインハルトには、密かな計画があった…。

エミール・ゼッレを特別な存在として大切に思うラインハルトが、若干(かなり?)空回りしている姿が愛らしい。禿げ上がりそうな激務をこなすラインハルトの休日が、美しい自然の描写と相まってキラキラ輝いているのが素敵だし、その後起こる悲劇を思うと、つい泣きそうに…ラインハルト亡き後の銀河帝国の様子も知れて大満足。

 

■「士官学校生の恋」 石持浅海

ヤンが士官学校生だった頃に起きた友人の恋物語と、キャゼルヌ妻(当時は彼女)の推理が冴え渡る安楽椅子探偵的なストーリー。

ほっこり感まんさいの恋物語かと思いきや、その裏に隠されたきな臭い事件を「おかしいですね…」とニコニコしながら暴くキャゼルヌ妻。あのキャゼルヌが選んだ妻だから、さぞかし聡明な女性だろう、というところから着想した物語とのこと。

伏線の回収も鮮やかで、謎解きとしての構成も完璧!短編ならではの面白さがある(あと5本くらい同じテイストで読んでみたい)

 

■「ティエリー・ボナール最後の戦い」 小前亮

待ちに待った艦隊戦です!!!こういうアンソロジーは、ヤンやラインハルトの「オフ」のエピソードばっかりだろうと想定していましたが、ちゃんとこういう艦隊戦があるのは嬉しい。

あるとき、ハカヴィツ星系にある同盟の補給拠点が奇襲された。ハカヴィツ星系は帝国が通常は到達できない場所であるため、同盟は航路情報の漏洩を疑い調査に乗り出す。調査を命じられたペテルセン中将率いる艦隊がハカヴィツ系に到達してすぐ、第二の事件が起こる。この謎の事件、裏ではフェザーンが糸を引いているという、正伝にも出てきそうな超重厚なストーリーです。

死亡フラグをおっ立てまくるティエリー・ボナールの奮戦にハラハラドキドキしてください!

 

■「レナーテは語る」 太田忠司

推しのオーベルシュタインが登場して嬉しいこちら。オーベルシュタインが情報処理課にいた頃の女性部下とのエピソード(※艶っぽいわけない)

ある女性士官の死をオーベルシュタインとレナーテで追うという、ホームズとワトソンを意識したストーリー。

犬のために元帥が生肉を買いに走る&あの遺言…という、オーベルシュタインの株を上げた?2つのエピソードに絡めているのが最高!!!オーベルシュタインの生き生き?とした姿についついウルっときました。

オーベルシュタインって、正伝でも、最後に全部持って行った感があるよね。

 

他2作は、個人的にあんまり刺さらなかった感。

「星たちの舞台」

→ヤンを好きな女子ミルズがヤンを演劇(演じる側)に誘うというお話。「ヤンくん!」とヤンを呼ぶ度にくすぐったい…笑

「晴れあがる舞台」

→表題作。正伝にも外伝にも出てこなかった人達(英雄見習い)が新登場。

 

 

銀河英雄伝説事典 (創元SF文庫)

銀河英雄伝説事典 (創元SF文庫)

  • 発売日: 2018/03/22
  • メディア: 文庫
 

 

 

英伝ファンは一気読み必至。とりあえず「事典」を買って「2」までに復習の予定。

「2」がとにかく待ち遠しい…!!

おわり。

子どもを優しい子に育てるメリットなんてどこにもない 「ギルティクラウン レクイエムスコア」

こんにちは。

 

ギルティクラウン レクイエム・スコア I (トクマ・ノベルズ)

 

コードギアス反逆のルルーシュ」を見て、ルルーシュの生き様に惚れ込んだ私。コードギアス好きならこれ!と薦められたギルティクラウンを読んでみました。制作スタッフが同じらしく、世界観や設定がかなり似ているようです。


舞台は十数年後の日本。アポカリプスウイルス(APウイルス)感染が原因の、皮膚が硬化し死に至る病が流行しています。今のところ治療法はなく、ワクチンを定期的に打ち発症を遅らせるしか術はありません。こんな大変な病気が流行っているのに、無能な政府は保身に走り、対策は後手に回りました。結局、パンデミックを警戒し、アメリカ主導で組織された超国家的組織GHQに乗り込まれ、実質的に支配されている状態。日本解放を謳う地下組織「葬儀社」が今回の主人公です。

葬儀社は、カリスマリーダー恙神涯のもと、EGOISTというバンドのヴォーカル兼広告塔のイノリ、クラッカーのツグミ、モビルスーツみたいなやつのパイロット綾瀬、武闘派の大雲、アルゴ、参謀の四分儀、ボマーの研二など精鋭が集っています。APウイルスの研究拠点であるセフィラゲノミクス社からあるアンプルを奪取して、涯が「王の力」を得る計画でしたが、トラブルにより、その場に居合わせた集というごく普通の高校生が「王の力」を得てしまいます。「ごく普通」とは言いましたが、集はガンダムSEEDでいうところのキラ・ヤマト。なんでもできるスーパーコーディネーター的立ち位置なのですが、それは最後にわかります。

「王の力」というのは、誰もが持っている「心」を引き出して武器や道具として使う力。心はヴォイドと呼ばれています。その人を具現化したようなもので、イノリは剣、優しい子は回復系の包帯、お調子者の男子はどんな鍵でも開けてしまうカメラ、キョドッてる女子はいろんなところを見渡せる双眼鏡なんてものも。ヴォイドを引き出すときの動きがとにかくエロくて、そこがすごく気持ち悪いので減点30ですw
集はしぶしぶ葬儀社の活動に手を貸し、そこで自分を認めてくれる存在を得て成長していきます。ついに友人に裏切られ、友人の弟を殺したりもします。悩みながらも、「自分にしかできないことがある」と自分を納得させ、葬儀社の活動に身を投じていく集。ついに、自分を理解してくれていた涯の死を経験し、彼の気持ちは大きく揺れ動きます。ここまでが前半(1~2巻)。

後半(3~4巻)は、葬儀社解散後の世界。自分を理解してくれた少女を失ったことで闇落ちした集と、かりそめの姿で生き返った涯との対決がメイン。ヴォイドの正体や、涯が葬儀社を結成した理由も明らかになります。もちろん設定や展開に無理もあるけれど、ストーリーは面白く、登場人物それぞれが個性的なので読んでて飽きないです。テロリストを主人公にした物語の宿命ですが、中心メンバーがバタバタ死んでいき、すごく悲しい…

 

「王とは?」「自分の思う王になれ」という言葉が何度も出てきます。涯と集は所詮異なる人間。涯を真似ても仕方がない。自分が最も力を発揮できるやり方で、皆を導く王になれ、と。一旦は闇落ちして悪政を敷いた集でしたが、自分にできることは皆で協力して敵に立ち向かうやり方だろうという結論に達します。これは、カリスマとして軍隊式にオラオラと葬儀社を導いてきた涯と対極に位置する姿に描かれているわけで、ほとばしる「善」のオーラ。

小説でもドラマでも友情努力勝利を標榜するような漫画でも、主人公には人望があることが多いです。それは、「人に助けてもらえれば大事を為せるよ。カリスマになるのは難しくても、人望を得ることは誰にでも出来ること。明日から君も、周りの仲間を大切にして頑張れ」というメッセージに思えるのですが、果たして人望ってそんなに簡単に得られるものなのでしょうか。

 

涯の放ったこのセリフ「常に選ばれ、それを簡単に手放してきたお前には絶対わからない 」が印象的です。涯には持って生まれたカリスマ性はありますが、人生において何度も、一番愛されたい人を他人にかっさわれるという憂き目を見ています。ただ、涯は決して周りの人を蔑ろにしてきたことはなく、むしろ周りに気を配り、死んだ仲間を夢に見てうなされるような優しい心を持っています。対して集は、生まれつきの愛され体質でありながら、あれは嫌これは嫌と、序盤は自分を想う人に平気で背を向けています。世の中は不公平で、常にたくさんの人から手を差しのべてもらえる人もいれば、伸ばした手を誰からも握ってもらえない人がいるわけです。

例えば、涯を密かに思っていた綾瀬。彼女は、薄情なイノリがいつも涯に必要とされているのを見て、「なぜイノリだけ?」「私の何が問題なのかな?」「これからどうすればいいのかな?」と自らに問いかけ続けています。しかしあるとき、「今自分が置かれている状況はすでに、涯の出した答えなんだ」ということに気付き戦慄します。涯に告白するまでもなく、自分が選ばれないという時点ですでに「(あくまでも今の時点では)イノリの方が好きですよ」という返事をもらっているのも同じということ。「誘われなかった」「連絡がない」「自分のことが忘れられている」…こと人間関係は、相手が自分をどう思っているかの結果を、常に突きつけられているようなものなんです。

優しくあっても、努力をしても選ばれない人間はどこにでもいます。逆に、別に優しさも思いやりもなくても、人が寄ってくる人間もいる。こればっかりは生まれつきなのでしょう。私もそんなに選ばれる側でもないですから、小説などで「人に愛されるのは簡単では?」というメッセージを受けとると、首をかしげてしまうのです。

 

まぁ、所詮ライトノベルなのでアレコレ語るつもりはありませんが、最後まで読んで一言。

「子どもを優しい子に育てるメリットなんてないのでは?」

幸せな記憶しか持たない集と、辛い生い立ちの涯が目指す「王」の姿の対比が興味深い作品ですが、もともとメンタルが豆腐の上に親しい人の死を経験した集の闇落ちは強烈です。GHQの陰謀により130人余りの生徒とともに学校一帯を封鎖された集らは、限られた物資で生き延びつつ、学校からの脱出を画策します。唯一ヴォイドを使える集を「王」とし、ヴォイドの有用性をランク分けして徹底的な階級制を敷きます。集のまわりにはイエスマンばかりの親衛隊を配備し、上位ランクの者が下位ランクをリンチなんていうのも日常茶飯事。普通に人死にも出ています。涯も手段を選ばないタイプでしたが、葬儀社の元メンバーから言わせても「涯だってそんなことしねぇよ」という極悪非道さ。

私はこういう展開が大好物なので「集イケイケー!罪も悲しみも苦しみもぜーーーーーんぶ背負って頑張れ!」なんて応援したものですが、一部の生徒の裏切りに遭い、集は過去の行動をあっさり「ゴメン」で済ませます。もともと厚遇されていた親衛隊たちと、「ゴメンね」「いや俺も悪かった」とお友達ごっこをして終了。お前のせいで虐げられてあの世送りにされた奴らにも謝ってこい!いったん、あの世までいって謝ってこい!ってなる。

悪を為したものは簡単にゴメンと言ってはいけません。ゴメンと言われても失われたものは戻らないし、逆に、憎しみの的を失った被害者たちを苦しめるからです。涯はそれを理解していました。

 

多くの読者は、「集と涯どっちが優しい?」と聞かれると、集一択!となるんでしょうが、私からしたら涯のが100倍優しかろうと思うわけです。

ひとつめ。涯の闇落ちは、葬儀社のリーダーとして非合法活動に身を投じる程度ですが、集は学校全体に絶対服従の身分制を敷き、意図してクズを痛めつけても笑っていられるレベルなんです。下位層がリンチに遭っていたり、物資をもらえなくて苦しんでいても心を痛めずにスルーできます。究極の状態で現れた本性が陰湿なイジメって、集、終わってんな。

ふたつめ。自分が悪いことをしていると気付いても心を削られないどころか、恥ずかしいとも思わないタフさ。涯は葬儀社のメンバーをだましているところや、テロ活動で弱い市民に苦労を強いていることに罪の意識を抱いていますが、歯を食いしばって目的を達成しようとします。対して集。王として気に入った親衛隊をはべらせて、クズどもをいじめていたわけですが、あんなどす黒い自分を見られたことにも羞恥心を抱かず、今までのお友達と仲直りできるって、メンタル太いなと。涯よりも断然太いんだよ。

しかし、葬儀社のメンバーも集を真の王とみなし、最後は涯の敵に回ります。その上、「涯もそう望んでいたのではないしら?」と都合よく解釈し、涯の死を受け入れます。共に死線をくぐってきていながら、涯の苦しみを一緒に担いでくれる人は誰もいなかったんかい!と悲しくなる。辛い出来事のせいで悪を為しても集は許されて、涯は許されないというのも切なすぎでは…!

 

育ちの良さとピュアな見た目で優しい心を持った若者とみなされがちな集ですが、心の底では黒いものがうごめいている上、それをあっさりなかったことにできる太さは、「優しい」とは程遠くて。本当に優しい子は、自分がやったことのせいで苦しんでいる人を見かけたら同じように心を痛め、自らの過ちを恥じることができる子です。子育てにおいては「優しい子に育てる」というものが当たり前のように言われていますが、子どもを、本当の意味での優しい子に育てるメリットってどこにあるの?ないよね?なんて思いました。ロールキャベツ男子のように、ウサギの皮をかぶったキツネに育てるほうがいいのかもしれません。

真面目で優しそうに見えた集の母も、集に輪をかけて性格が悪いんですね。生き返った涯に戸惑う葬儀社のメンバーに、「涯をよみがえらせたのは自分だ」ということをわざと隠します。涯への同情から攻撃の手が弱まれば、集の身も危うくなるからです。母として気持ちはわかりますが、集の母は「うーん、私も悪い人間ねw」ですぐに気持ちを切り替えられるあたり、すっごいメンタル太いな…。

 

息をつくように悪事ができること、そしてそれを「私が悪いのよー」で開き直れるメンタル。これが勝ち組のオキテなんでしょうと、モヤモヤ。でもただ、これが現実なのでしょうがないですが。

 

4巻もありますが、ついつい一気読みしてしまいました。

 

おわり。

撃たれる覚悟もないのに撃ってる奴 キラ・ヤマト。漫画「ガンダムSEED Destiny THE EDGE」後半戦

こんにちは。

 

前半戦に続いて、アスラン以外の人の尊厳も回復していこうと思います。キラの陰でひっそりと泣いていた人の誤解も解いてあげたい。

 

機動戦士ガンダムSEED DESTINY THE EDGE(1) (角川コミックス・エース)

dandelion-67513.hateblo.jp

 

最初からシャアと同じ声のためにラスボス視されていたデュランダル議長です。彼は遺伝子の研究家としてある理想を持っていました「争いの根源は、劣等感、憎しみ。そして自分の進むべき道がわからない不幸。持って生まれた遺伝子を解析することで、その人に最適な人生プランを用意してあげる。そうすれば争いも起きない。争う気も起きないだろう」と。いわゆるディスティニープラン。

混乱に乗じ、「ディスティニープランの実行を宣言する」と高らかに世界にぶち上げたデュランダル。序盤から、優し気な笑顔の裏にはでかい野望があるとはわかっていましたから、それくらいは想定内。ただ、続いた言葉は…「私の意見に従わない国はどんどん潰していきまーす」という衝撃的なもの。は?…人望があるあなた。どうにでもやりようがあったでしょう。なんで、なんでそんないきなりわかりやすい三下の悪党に成り下がるんだ。そうか、キラに戦わせる理由を作るためか。戦う理由がないからいろいろケチつけて探すしかないんだよな。制作者サイドに切り捨てられたデュランダルが哀れでしょうがない。

漫画ではアニメほどアホな感じで描かれないです。あくまでも方向性の違いが強調される。でも、それなら余計、対話で解決しろよな…(小声)

 

トラウマポイント3。ディスティニープランぶっちゃけ関係ない「お前はどうでもよくね?」 現象

ディスティニープラン、管理社会はめっちゃ気持ち悪い!ディストピア!という感じで描かれていましたが、もう一度このアニメの原点に立ち返ってみましょう。遺伝子をいじって髪の色や目の色、特定の才能を伸ばすのはOKとされているわけです。また、適合する遺伝子が限られているため、ナチュラルと比較して子どもをつくる力が弱いコーディネイター。結婚の際に遺伝子の相性を検査して、子どもが望めるかどうかを判断されます。そういうのはOKな世の中で、そこまで拒否反応?

コーディネイターは、訓練をしなければナチュラルと同じような物なんです。だって、アニメの中にもお前は本当にコーディネイターなのか?お前のお母さんとお父さんはお前に何を望んでわざわざそんな顔に…?というくらいのモブ顔やバカ士官がいっぱいいましたよ。で、そのコーディネイターの中でもトップクラスの優等生(成功例)のキラ、ラクス、アスラン…めちゃめちゃディスティニープランに反対してたけど、関係なくね?あんたたちはあれもこれもと望める能力があるけど、コーディネイターの失敗作は「適性を示してくれるなら」ってなるかもしれない。そういう下位層の意見も聞かず「でも俺はいろいろ選択したい!(だって俺持ってるから!)」って独善的だなお前って。

漫画では、「明日を選ぶ」「明日が欲しい」という言葉でぼんやりですね。ここはいろいろと畳みかけ、戦争の原因を前作と同じく議長になすり付けていき、皆がラクス教に傾倒していく、大嫌いなシーンなので飛ばし読みです。

 

Distinyでは、戦争産業で肥え太るロゴス達、前回からの課題であるクローンについて、触れたような触れていないような…そういうの、ミーハーにちょっと触れてみたなら一つの答えくらい出そうぜ!という感じ。SEEDに比べて、「キラ、お前を戦場に出してどんどん活躍させてあげるからな!ちょっと待ってろよ」という大人の思惑を感じましたね。あと、死んだ人が生き返るのはやめたほうがいいです。すごくびっくりするから。

また、シンに対して「憎しみで剣を取るな。お前はダメ人間だ」と怒っていますが、剣を取る理由なんて何でもいいし、そんなに憎んじゃダメですか?目の前で家族殺されて世界を憎まないほうがおかしい。みんな心に地獄を抱えているのに、それを肩代わりもできない人間が「憎むな」と…?そんなにディスティニープランを排除して自由な世界を望むなら、人を憎む自由くらい保障してあげて。ってなります。

 

さて、Distinyでは「殺されたから殺して~」「想いだけでも~」に加え、

「今正しいと思うことをやる。間違っていたら、また考えよう」

という思想が追加されました。最初のほうは私怨でガンダムを駆っていたキラですからその行動への裏付けは必要なんでしょうが、すごい発想だな。「行動が正しいかどうか確信はありませんが…とりあえず間違っていたらその時迷えばいいと思います。」って、間違えた道に連れていかれた人、殺された人についてはどう思うんだろう。

コードギアスに「撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけ」というかっこいい言葉が出てくるけど、キラは絶対「撃たれる覚悟はないけど撃ってる奴」です間違いない。「道を間違えて、それに殉じた人は?」と聞いたら「…わからない、わからないよ、一緒に考えよう」って答えて終了でしょうね。

 

さて、アンチ・キラの与太話はここでいったん終了して、アスラン争奪戦の話。

 

SEEDって劇場版の噂があったから、そこで明らかになるはずだった「で、アスランの横にいるのは結局誰なの?」問題。劇場版が消えたため宙ぶらりんになっていますが、ネット情報によると、「アスランがオーブ軍の准将、メイリンザフトに戻った(=別れた)」説、「アスランメイリン共にオーブ軍」説、「アスランメイリン共にザフト?」説入り乱れているようですよ。ちなみにキラはラクスのかばん持ちとして便宜上ザフトに所属したと…。いや、ザフトって元テロリストとか元脱走兵とか基地内のシステムハッキングして脱走を手助けした人とか、極めつけに元地球軍のパイロットを受け入れるなんて、そんなに人不足?大丈夫?それともラクス様の指示ですか?

真偽不明の情報の中にはには、アスランもキラもザフトとオーブを兼務というのもあって、兼務!!国家、軍を舐めすぎだろ(前回に続いて2回目)という印象。小さい島国であるオーブが、他国の争いに干渉しない・されないを理念として貫く以上、強大な力を持つ必要がありますよ。カガリは「強すぎる力は争いを産むから」と反対するだろうけど、もう一回戦争しないとわからないの?どうせまた2年もすれば戦争勃発。そして、力を持て余した老害がまた出陣してくるわけです。

 

話を戻して争奪戦。この漫画ではアスランカガリ推しですからご安心を。同じ未来を見れるように、それぞれのできることをしよう、という展開。メイリンなんて途中から退場という憂き目に遭います。

カガリ推しが多いみたいですが、一つ注意したほうがいいのは、男の人の多くは瞬間湯沸かし器のカガリより、ちょっと抜けているけどぼーとしていてかわいいメイリンを選択しがちだということです。いっつも「おいおい」となだめないと話にならない女より、近くにいて何くれと世話を焼いてくれる女子のほうが安心感があるわけです。アスランみたいなお豆腐メンタル男なら余計に。まぁメイリンは浮気性だと思うけどね。ていうか、「ああ」とか「いや」とかしかしゃべらないし、キラキラ言ってうじうじしていてもモテるって、イケメンすごいな。

カガリのほうが最後はアスランに選ばれる、というストーリーは、現実にはなかなか存在せず、オースティンの小説でしかお目にかかれないと思います。

 

と、漫画は少女漫画タッチで線が細くてやわらかくて、かわいい絵柄なので、女性受けしそう。あと、あふれんばかりの作者のアスラン愛を感じて、「そうそう、みんなでアスランをいい方向によみがえらせよう!!」という気持ちになりました。作者がキラシンパだったら私泣いてます。。。そしてシンは漫画の主人公にもなれずに可哀想。

 

と、そんなこんなで後半戦も終了。

アニメを知っている人も、知らない人も、読む価値あり。

 

おわり。

よみがえれ!アスランとアスランの尊厳!! 漫画「ガンダムSEED Destiny THE EDGE」前半戦

こんにちは。

 

今更(十年以上前のアニメ?)のガンダムSEED Destinyです。

アスラン視点で描かれたもう一つのSEED Destinyアスランの行動が不可解過ぎて、「キラのケツおっかけて全部失ったいっちばん可哀想な人」認定していましたが、おそらくアスラン推しの作者のおかげでよみがえったアスラン!とアスランの尊厳!!kindleで読めます。

 

ガンダムSEEDをご存じない方は、wikiを読んでみてくださいw

 

機動戦士ガンダムSEED DESTINY THE EDGE(1) (角川コミックス・エース)

ざざざっと背景。

時はC.E.(コズミックイラ)、遺伝子操作を行い人間のもつ力を高めたコーディネイターと、遺伝子操作を行っていないナチュラルは長きにわたって対立しています。コーディネイターは宇宙に新天地を求め、コロニー(居住区)を多数作り、プラントという国家を名乗って生活しているのですが、ナチュラルはコーディネイターに、プラントでは食物を作ってはいけない(地球から輸入せよ)とか、関税がどうたらとかいろいろ因縁をつけ、隷属を求めている。やってられん!と独立を宣言したプラントと地球軍の間に戦争が勃発。数で勝る地球軍の圧勝かと思いきや、高い技術力を持つザフト軍(コーディネイターで構成される義勇軍)に圧され、戦局は泥沼化しています。

 

SEEDは、のっぴきらない事情によりコーディネイターながら地球軍のパイロットになってしまうキラ・ヤマトという少年と、ザフト軍のパイロットである幼馴染のアスラン・ザラが殺しあうことになる悲劇。そして、戦争の愚かさに気付いた二人が、他の仲間と協力して戦争を終わらせようと奮闘するという話です。

キラ達の活躍により、戦争は「両軍の戦線維持が困難」ということで一旦停戦となりましたが、2年後に再度戦争勃発です。早ぇよ!

 

SEEDの基本スタンスは、

「殺されたから殺して、殺したから殺されて、それで最後は本当に平和になるのか!」

「想いだけでも、力だけでもダメなんだ!」

です。つまり、撃たれた憎しみで剣をとって破壊をしては、自分が新たな憎しみの創造者になり、戦火がいたずらに拡大されていくわけです。だから、そんな憎しみの輪廻は止めるべきです。でも、間違いを正そうと思っても力がないと何もできないから、正義のためならめっちゃ強い力を持っていいと思う。

と、プラントの歌姫ラクス様(アスランの元婚約者。戦争のごたごたの中でキラとデキちゃいました)がそれっぽく主張するから騙されがちですが、言っていることが支離滅裂なんです。プラントも地球も自らの正義のために戦っているわけですよ。でも、「プラントと地球の正義はちょっと肯定できないから、私たちの正義を主張しますね。でもただの民間人だときっと話聞いてくれないから、自分のシンパが軍から横流ししてくれた最新鋭の兵器で、ザフト軍地球軍関係なくどんどん戦闘能力奪っていくから。いいから話聞けよ!」と平然とテロ行為をやってのけるんですね。

ほら、だから2年もしないうちに戦争勃発しちゃったじゃないか。お前たちのやったことは、火種から火薬庫を1メートル遠ざけっていうレベルの話なんだよ!

 

続編であるDistinyは、

中立国オーブに亡命してカガリ先の大戦の英雄。オーブ代表であり、恋人でもある)のかばん持ちをしていたアスランが、自分の力を使って戦争を止める役に立てないかとザフトに復隊する話。アスランは元トップガンでありながら、戦後はただのヒモ的ポジションであるということに焦りを感じていましたから、復隊は当然の流れの感。軍人としてはめちゃめちゃできる奴ですが、とにかく心が弱い。

もとは、前大戦の時オーブで家族を失ったシン・アスカって少年が主人公でした。力を得たことで暴走しがちなシンと、自分の経験をもとにシンを粘り強く諫めていくアスランが軸になる話。と思いきや、中盤キラが戦場に登場し、前述の理論を振り回す。こじつけも大概にしろ!お前頭おかしいだろ!となるんですが、なんとアスランがキラのところに脱走していくんですね。心を開きかけていたアスランに裏切られたと感じたシンも全然成長せず、最後は悪者になってしまいます。

アスランもシンも不憫で不憫で…どうしてこんなストーリーになった?プラモ売れなかったんか?スポンサーの圧力?と勘繰ってしまうくらいアニメはひっっどい終わり方でした。中学生だった私はひどくショックを受け、アニメの記憶を封印しましたw

 

アスラン視点でSEED Destinyの世界を描いた本作品により、ひっどい展開のアニメ版SEED Destinyの記憶が上書きされ、下記のトラウマから救われたわけです。

 

トラウマポイント1。アスランがひどく簡単にキラ以外の人間を裏切るところ。

先の大戦では何度銃殺になっても足りないほどの軍法違反を犯したアスランに、「事情はあるが、俺が何とかしてやる」と復隊を薦めてくれたアカデミーから同期のイザークや、復隊後もずっと複雑な気持ちを抱えるアスランに寄り添おうとしてくれるハイネ、シン、ルナマリアら同僚、艦長…。そんな仲間たちの声もむなしく、アスランはキラの事しか考えてない。キラはアスランのことを道具としか思っていませんから、友だちらしいことなーんもしてくれないけど、アスランのために命はってくれてる仲間もいるのに、アスランには響かないんですね。お前は…!

漫画では、アスランからシンへの思いが独白という形でまとまって書かれているから納得感はある。ただ、イザーク達への謝罪とかはないから腹立つけど。また、キラのもとに赴く動機も明らかにされていますから良し。あと、アニメほど「キラキラキラ」って言っていないので「あ、良かった…」と安心するわけです。

 

トラウマポイント2。軍を舐めるな。国家を舐めるな。

平和主義のアスランは、戦うことの意味に常に疑問を持っています。敵軍を打ち破って喜んでいるシンに「そんなにおもしろいか~。敵軍にも家族が~」と水差すようなこと平気で言うんです。アスラン的には、人の心をなくすと云々、憎しみの連鎖は…みたいな前大戦の教訓があるんでしょうが、正直軍籍の人間が戦う理由なんて人それぞれ。何でもいいわけです。命令にさえ従っていれば。

ただ、アスランはシンに「戦うだけのマシンになったらだめだ!」とか「議長はお前のこと戦うだけの人間としか思ってないぞ」と、「俺たちのは個性を持った一人の人間だ!考えて行動しろ」という主張をするんですが、上層部にとって兵士は、命令通りに働いてもらわないといけないもの、というか個性とか思想とか持ち出されると困る存在です。軍っていうのはそういうもんなんだよ!それはよそでやってくれ!自分の正義を通したいなら議長になれ、士気を下げるようなことを言うなら除隊しろ、もしくはキラとテロ行為でもやってろや!ってなるんです。さすが、二度も脱走する人間は、いろいろ舐めくさってやがる。

さて、そんなアスランの彼女カガリも国家を舐めくさっています。彼女はオーブを中立に保ちたかったのですが、長老陣が地球軍と同盟を結んでしまいます。長老陣が同盟を結んだことによって高い理念を持っていたオーブ軍の一部は反発するんですが、それを諫めることもない。ついに「国はお前のおもちゃじゃない!いい加減、感情でものをいうのはやめなさい」って怒られるわけです。もちろん長老陣にも思惑はありますが、二心あったわけではなく、自分たちなりに国民を守るためにした決断です。

軍人として命令に従って行動したシンはテロリスト(アスラン)に機体を撃破され、至極まっとうなことを言った長老陣はいろいろな混乱の中で(製作者サイドに)消されます。極めつけにカガリは、自分の権限でテロリスト・キラ達をオーブ軍に正式に登録するんです。正義はどこに?

漫画では、このイライラポイントがほぼほぼカットされています。もういいよ、ここは黒歴史として封印しよう。

ただ、シンは先の大戦で、オーブが中立を押し通そうとしたせいで地球軍からの攻撃を受けた際に家族を殺されます。信念とやらに国民が殉じることを強いたことへの反省くらいは生かしてほしかった。

 

アニメがトラウマというより、中学生の自分ですら違和感を覚える理屈が、正論としてまかり通るところにショックを受けたわけです。中学生の自分からしたら、曲がりなりにも多数の大人が作っているアニメですから、この考えを受け入れられない自分ってすごくダメな人間なのではないかと、多感なあの頃の自分は思ってしまったわけです。今なら「ゴミwww」と一笑に付すことができますが。SEEDのときそれなりにかっこよかった主人公たちが一斉に直情的な老害になっていたこともトラウマの一つ。

十何年も経って、やっとあの時の思いに一つの答えが出せたのです。

 

おそらく、アニメの補完…という意味もあるよね?あの頃独断専行していたアニメをフォローする役割も果たしているのではないでしょうか。

と、1記事にまとめようと思ったら長くなってしまったので、女難の相アスラン恋愛模様アスラン争奪戦の行方は…?)と特大のトラウマポイントは後半戦に続く。

 

おわり。

親子は必ず分かり合えるという幻想 映画「三月のライオン」

こんにちは。

今日紹介するのは、こちらの映画です「三月のライオン」

3月のライオン[前編]

 

原作はまだ続いているのですが、ある程度のところまで前後編にまとめてあります。後編はかなりオリジナルストーリー。

まずはこの映画、神木くんのコスプレ映画として見ても良いでしょう、というくらいファンサービスが過剰。原作ではもっさり系で黒いダッフルしか着ていなかった彼、映画の中では、オシャレな洋服だけでなく和服姿とバッチリキメています。配役はなかなかぴったりで、佐々木蔵之介の島田八段なんかは最高です。伊藤英明の後藤も良かった。

 

原作の内容をまとめると、高校生の零くんは、中学生デビューした天才棋士。彼は幼い頃事故で家族を亡くし、父の友人である幸田に引き取られました。幸田の家には同じく棋士を目指す香子、歩という姉弟がおり、才覚のあった零は彼らから疎まれます。養父は零にばかり目をかけるため、香子や歩は父とぎくしゃくします。養母も零を持て余し気味で、とにかく居心地の悪い幸田家。高校生になると同時に、彼はそんな家を飛び出し一人で暮らし始めます。人との関わりを拒絶しながら生きていく彼ですが、近所の三姉妹との出会いにより、少しずつ変わっていく零、というお話。

 

タイトルにもある通り、家族はわかり合える、わかり合わなければいけないという幻想にあふれた、ちょっと物申したい作品。こういうの、一部では毒親ポルノと呼ばれているらしく、複雑な親子関係で傷を持つ人をさらに傷つける作品でございます。

 

原作は、家族という枠にとらわれず、新しく自分の居場所を作る作品です。将棋以外には自分の居場所がなかった零。家族から距離を置き、様々な人と交わることで自分が居られる場所を必死で探していく。そういう作品。その中で、三姉妹が重要な役割を果たしていくんですね。血もつながっていない赤の他人だけれども、お互いに助け合い大切な存在となっていく。三姉妹も、ろくでもない父親がタカりにきたりと問題を抱えており、父をばっさり切り捨てることも、しかし愛することもできずに苦しんでいます。血のつながりがなくても、お互いにとってかけがえのない存在になれる、というのがテーマ。

しかし映画では、これでもかというくらい幸田家との絡みを出してきます。愛着障害ぎみで年上棋士と不倫中の香子、幸田父、原作ではほとんど登場しない歩、零は進んで彼らとの関係修復に心を砕く。そして三姉妹も父の登場に戸惑いますが、原作では「なんとか父と離れたい」前提で零に協力を仰いでいた彼女たちが、零が三姉妹と父を引き離そうと奮闘するシーンで、「零ちゃんは黙ってて。この人はクソだけど私たちのお父さんなんだよ!」と零を蚊帳の外に押しやります。

いやいやちょっとまって!逆だよ逆。結局家族との絆づくりの話になるわけ?と。

 

小さい頃に負ったいじめの傷は、長い時間が過ぎようが、加害者から謝られようが一生消えないということは広く理解されています。しかし、こと親子関係については、幼い子どもの心をずたぼろに傷つけても、いつか謝罪があれば、むしろ謝罪がなくても、家族であればいつでも過去の清算は可能である、子は進んで親の行為を許すべきであるという風潮があります。私はそれは違うと思う。親に負わされた傷は、いつまでたっても消えず、いつまでも当人を苦しめます。それでも家族がいいと思い関係を修復しようと努めるのも、翼をもがれる思いで家族から距離を置くのも、どちらも正解で、親子の仲は修復すべきという法もありません。

個人的には、親とはわかり合わないままで自分の居場所を作っていくというテーマの映画があってもいいなぁと思うのですが、それはあまり受け入れられないのでしょうか。

 

と、原作ファンにとっては残念な展開でした。

映像的にウケるからなのか、新人王決定戦では賭場にしか思えない場所でアウトローなオヤジに囲まれて将棋を指し、高校生棋士がいとも簡単にタイトルに手をかけるなど、そんなに詰め込まなくても…と思ったりしますが、そんなこを帳消しにするくらい神木くんは最高です。

二階堂は…いろんな意味で衝撃です。

 

あくまでも私の感想なので、原作ファンも原作を知らない方も、一度見てほしいなと思います。

 

おわり。

 

トシ&近藤バッテリーの崩壊「燃えよ剣」

さて、燃えよ剣上巻も終わりです。

 

 

燃えよ剣(上) (新潮文庫)

 

ここでは近藤さんについて。銀魂の近藤さんは男にもてるタイプですね。男気があって、懐も深くて好きです。

普段はお妙のストーカーしてますが、燃えよ剣では所帯を持っていて、娘もいます。でも、奥さんはガサツで愛想もなく、土方は彼女が苦手。料理下手という設定があって、何を作ってもダークマターになってしまうお妙を彷彿とさせますw

 

ご存知の通り、土方と近藤は手を組んで、新選組のトップにのぼりつめます。その道は暗殺に次ぐ暗殺ですが、土方はうまく近藤さんを担ぎ、自分が憎まれ役を一手に引き受け、新選組を切り盛りしていきます。土方は近藤さんの恋女房。

近藤さんは良くも悪くも素直。そして、影響されやすい。土方が毎度毎度叱咤激励して舵をとっています。結成当初は周りが味方なんだか敵なんだかよくわかりませんから、土方と同門の少数の仲間と一緒に慎重に行動します。「トシ、どうすべぇ」とか、「トシ、どう思う?」とか、「なぁ、トシー?」とか、銀魂そのもの。

しかし近藤さん、新選組トップになりいろんな人におだてられ、政治方面に明るい人たちと交わるようになってから、田舎育ちのコンプレックスもあるのか、急に自分を大きく見せようとし始めます。大名の格好をしたりいい馬に乗ったり、妾を3人も囲ったり。また、学がないのを補うように手習いを始め、いろんな本を読んだり偉い人の話を聞いたりして、議論好きになってきます。新選組の地位が上がっていくのに伴って、自分もすごい人間になっていると錯覚するんですね。まぁ新選組局長だから十分偉いんだけど。

 

天下の新選組といっても幕府そのものが危ういご時世ですから、あまりにも身の丈に合わないことばかりしていると、いつか足元を掬われるだろう懸念する土方は、浮き足立つな、兜の緒を締めよと忠告します。しかし、なかなか聞き入れない。

 

そして伊東甲子太郎登場。伊東鴨太郎のモデルですね。色白イケメン男児。それに賢い、政治方面に明るいときている、土方がもっとも嫌う存在w 彼は新選組を乗っ取るつもりで入隊してきます。

 

近藤は伊東を先生、先生と呼び、完全に崇拝しきっています。九州まで一緒に出かけて志士たちと交わり、そして聞きかじったことを披露して、新選組をただの警察ではなくて政治集団にしようとします。

土方は新選組がもともと喧嘩屋の集まりなのを百も承知ですから、そんなことは俺たちには無理だと主張し、ここでぶつかるわけです。

時勢に合わせて新選組は変わっていくべきか、それとも大義を忘れず初志貫徹するか。変わるほうを選べば当然伊東が局長になりますから、土方としても近藤としても勿論ノーです。それならば早めに法度にかけて切ったりすればいいのですが、なかなか近藤は決断できず、最悪の形で袂を分かつことに。

 

土方は土方でいろいろ欠点がありますから、それを近藤さんが補ってよいバランスを保っていましたが、だんだんその二人三脚が成立しなくなるんですね。伊東の策略で土方が除け者にされていき、新選組が割れかけます。そんな頃、土方が暗殺されかけて…

まさに新選組動乱篇…!

 

さて、下巻へ。

伊東は暗殺しましたが、大政奉還から鳥羽伏見の戦いが始まります、開戦前から新選組はガタガタに。まず、土方の反対を押しきり、出陣の前夜に隊士を家に帰したせいで隊士の多くが脱走します。また、「軍備増強を嘆願する」と勝手に隊を外れた近藤さんは伊東の元監察篠原に討たれ重症を追い、戦線離脱。

 

土方は、近藤さんは凧のような人と評します。風向きがいいときはどこまでも昇っていけるけど、風向きが悪くなるとダメになる。ピンチのときにどう振る舞うべきかがわからなくて浮き足だってしまうんです。

おいー!!トシの言うことを聞いておけば…!となります 沖田も結核が悪化し一旦戦線離脱、近藤と大阪に療養へ。

しばらくはトシの孤独な戦いが始まります。

 

おわり。

 

 

 

 

山崎退の監察レポート 「燃えよ剣」

燃えよ剣も上巻がほぼ終わりそうです。

燃えよ剣(上) (新潮文庫)


ここで出てきました!山崎退、ならぬ山崎丞(すすむ)
山崎退って地味ながらファンが多いですよね。私も好きです。

山崎は監察。監察は副長の指示のもと独立で働き、密偵として相手組織に入り込んだり、情報収集したりしています。山崎は大阪生まれで針医者の息子という町人風の男です。銀魂同様、ジミー山崎は周囲に紛れる潜入捜査が得意。

彼が活躍するのは池田屋事件
池田屋事件新選組の名前を世に轟かせた有名な事件です。攘夷志士が集まって何やら企んでいるっていう情報は以前から入っていたのですが、会合場所などの情報が錯綜します。新選組だけでなく会津藩など様々な機関の密偵が京の街を情報収集のためにうろうろ。山崎とすれ違った土方は「こいつ、町人の格好が似合う男だなー」と感心したりします。

当時新選組には山南という男がいました。山南は格好だけは総長に格上げされていましたが、実際は隊の指揮権がないお飾りなんですね。もちろん、山南を嫌う土方の策略です。
さて、どこの宿をあたろうか。上層部が密偵などの情報をもとに相談します。山南は山南の情報網がありますから、「丹虎で会合をするだろうから丹虎をおさえよう」と主張します。丹虎はもともと攘夷志士ご用達ということで、普通に考えたらそうなるんですね。しかし土方は、山崎の持ってきた「池田屋であろう」という情報をもとに、池田屋だと断じます。半分は勘ですが、この勘を近藤さんは信頼し、池田屋に傾きます。それには山南も苦い顔。

山南は閑職ではあるものの総長ですから、山南も立てて丹虎のほうに多くの隊士を割くことになりまふが、土方は抜かりなく、池田屋襲撃メンバーに、一流剣士の沖田や永倉などを割り当てます。

山崎はすでに池田屋の台所に入り込み、中居を指揮したりしてるんですね。新参者ながら、会合の座敷の場で差配を振るうほど彼は信頼を得ています。さすがジミー山崎w
山崎は攘夷志士に、「刀につまづいたら危ないので、ちょっと脇に寄せますね〜」と言ってひとところにまとめてしまいます。そのまま彼らの目を盗んでどんどん刀を遠ざけ、なんの断りもなく、押入れの中にいれてしまうんですw
そしてこっそり、池田屋の錠を開けておくなど、彼の手引きによって池田屋襲撃は成功を収めるのです。

山崎かっこいいw
地固めがあってこその実働部隊ですからね。

頭の中ではアンパン山崎が右往左往する姿が浮かんでいるのですがw
実際はどんな感じたったんでしょう。

おわり。