はらぺこあおむしのぼうけん

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母親の恨み言、聞いているうちに涙が出てくるのは何故だろう… 「娘について」キム・ヘジン

こんにちは。

初めての韓国小説、「娘について」キム・ヘジン。亜紀書房「となりの国のものがたり」シリーズで、現在7作品出ているうちの一つ。タイトルからわかるとおり、母と娘のすれ違いを描いた作品ではあるのですが、性的少数者をテーマにしていたり(韓国ではクィア文学と言うらしい)、高齢化社会がいずれ直面する問題を浮き彫りにしていたりと、示唆に富んだ作品です。

娘について (となりの国のものがたり2)

介護施設で働く「母」は、女の恋人を連れて実家に転がり込んできた娘の扱いに苦しんでいます。大学まで出したのに、定職につかず、ようやくありつけた講師の仕事も放り出して、同性愛者の不当解雇問題に首を突っ込んでいる娘。

「私の人生なんだから好きに生きていいでしょ!お母さんには関係ない!」と食ってかかる娘に、「娘が平凡な幸せをつかむ姿を見せてもらう権利くらいはあるわよ!!」と反論する母…これはおそらく古今東西にわたって見られる光景ですが、母には、「勝手にしろ!!」と娘を諦められない理由がありました。

母が担当しているのはジェンという老女。若い頃は地位のある方だったそうなのですが、子どももおらず、誰も訪ねて来ず、良いとは言えない環境で一人死を待つだけの身。

誰が見ても「哀れ」な老後を迎えたジェンに、社会のため、仲間のために生きる、今は立派な娘の将来、ひいては、たった一人の娘と決裂した自分の将来を見る気がする母。

 

母からすると娘の生き方は「子どもも作らんと遊びみたいなことしてからに!!」とぶった切りしたくなるようなものなのですが、娘が不当解雇問題に絡み大けがを負ったこと機に、母は、”ままごと”と決めつけていた娘の行動は、紛れもない彼女の”人生”だったのだと気付かされてはっとします。今までまともに取り合おうとしなかった娘。彼女も彼女なりに地に足をつけて踏ん張って生きていたのだと。

 

ただ、だからといって、軽々しく和解なんてことにはいきません。母の心を暗いところに縛り付けているのは、老女ジェンの存在でした。汗かいて血も流して、社会や人のために生きた先に訪れたのは耐えがたい孤独と苦しみ。貴重な若い頃の時間をご立派ものに注いで得られたものとは、誰からも顧みられない死とは…。自分のことのように苦しむ母。

さらに、ジェンは認知症。どんな立派な過去があろうが、記憶はすでに取り出すことができなくなっています。取り出せない記憶に価値はあるのか、語る術を失った人生に意味はあるのか、「娘にはこうなってほしくない」という気持ちが先走り、母は、ジェンの人生を勝手に総決算します。

 

娘の生き方を認めてわかり合いたいけれど、娘がジェンのようになるのを防ぐ手立てを講じるのは母親の務めなのではないか、と母の心は揺れる揺れる。たたみかけるように、母の同僚はこんなことを言います。

立派な生き方ですって?尊敬される人生?そんなもん、人生はあっという間だって思っている人間の言うせりふですよ。ご覧なさい。人生はぞっとするほど長いんです。みんな最後は一緒。死を待つだけなんですってば。

 

老人介護施設で生々しい「生」の苦しみを目の当たりにした人間だからこその言葉に、正面切って反論する自信はあるか…

 

老後に備えて生きることと、今ある生に全力投球すること、前者は後ろ向きな生き方とバカにされがちではありますが、若いときにした選択が正しかったかどうかは、老いてみないとわからなのかもしれません、そして、老いてから正解に気付いてもほとんど手遅れで。「人生100年時代」が喜びのトーンで語られない今、誰にとっても他人事ではありません。

 

愛とか信頼などという”不滅なもの”に依存する嫌いがあり、几帳面で神経質な母。そんな母との生活は、娘にとっては息が詰まりそうなものかもしれません。母を頑固者して打ち遣って、娘を応援したい気持ちも十分に理解できるけれども、でも…

「私の血と肉から現れた娘は、もしかすると私からもっとも遠いところにいる人間なのかもしれない」と苦しみ続け、時折ぱっと霧が晴れたように、「自分の考えは年寄りくさいのかもしれない」と娘を認める気になったりするけれども、やはり「娘の直面するこの問題から逃げてしまっては、娘が不幸になる。私しかいない」と焦燥に駆られて娘にぶつかっていく姿を見せられると、「もっと娘のことをわかってあげて!」なんて言葉は口が裂けても言えないと感じます。娘にぶつかっていくときは、母だって傷だらけなんだ。

 

母親の恨み言は続くよどこまでも。ただ、聞いているうちに涙が出てくるのは何故だろう…。それはきっと、「あんたのことを世界で一番心配して、あんたの不幸に最も心を痛めるのはおかあさんなんだよ!!」という言葉は紛れもない真実だから。よその人は耳障りのいいことを言ってくれるかもしれないけれど、あんたがどうなろうと気にとめやしないんだから、というのもまあ当たっている。どんなに罵られようが、蔑ろにされようが絶対に娘を諦めないのは、母だからなのです。

子どもに親の望む生き方を強要するのはダメだけど、これだけは大きい声で言いたい。「子どものゆく道に横たわる障害物をひとつでも減らしたいと思って何が悪い!そしていちいち障害物をうまくかわして、できるだけ傷つかずに生きていって欲しいと願って何が悪い!」と。

 

母は、ジェンの看取りをすることで、「目の前のことに集中して終わらせることを考える」ことの良さにも気付きます。

ただ、娘の問題は未解決のまま。きっと母はこのあとも迷い、人に傷つけられ、誰かを傷つけ、不幸を呪いながら生きていくのでしょうが、、少しだけ、母の中で何かが変わったのでは?と思うのです。

 

娘も母も、きっと誰もが、「ただそこにいるだけで認められる幸せ」を求めてさまよっています。その幸せをを得るのはなかなか難しいけれど、よーく考えてみるとそれは、幼い頃に、親と子どもがお互いに与え合っていた幸せなのかもしれません。いずれは消えてしまうけれど。

 

おわり。