はらぺこあおむしのぼうけん

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ミニマリズムVS子ども。丁寧な暮らしを喧伝している人に、本当に心の豊かな人ってどれくらいいるんだろう。「冷たい家」JP・ディレイニー

こんにちは。

 

「冷たい家」JP・ディレイニー。ハヤカワ・ミステリ。

 

完全無比の家…ここに住む女はなぜか、皆不幸に見舞われている…という、まさに映画化されるために作られたようなストーリー!邦訳の出た2017年の時点では「映画化決定!!」とされていましたが、結局その話どうなったんかな…?

冷たい家 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

絶賛物件探し中のジェーンは、”フォルゲート・ストリート一番地”にある超穴場物件を紹介されます。面接とテストをパスしないと入居できないというこの物件は、エドワード・モンクフォードという有名な建築家が建てた家でした。ミニマリズムの極地。生活感が全くない家。住むにあたっては、本の持ち込みNG、洗い物をためるのNG、床にものを置くのNGなど、家をステキに保つための数百にわたる細かな規約にサインしなければならないというクセの強すぎる家。それでもここに住みたい!と熱望し、面接をパスしたジェーンには、密かな決意がありました。そして、入居が決まってしばらくすると、エドワードから「割り切った関係」の誘いが…。

 

遡ること数年、同じように、この家に惹かれて入居を決めたエマという女性がいました。彼女も、ジェーンと同じようにある決意を秘めていた。さらに、ジェーンと同じように、入居をきっかけにエドワードと深い仲になったのでした。

ジェーンもエマも、エドワードの”前の女”が不審な死を遂げていることを知り、エドワードと死との関係について密かに調べ始めます。そんな彼女たちの周りには、しだいに奇妙な出来事が起こり始めて…。

 

ジェーンとエマ。それぞれの物語が交互に語られる形で真相が明らかになっていきます。後半、エマの関係者がジェーンの物語に登場してくる頃から、どっちの話だったかわからなくなるの注意。笑 ただ、もちろん数年経っているので、(ある意味)共通の知り合いを取り巻く状況も変わっている上に、第三者であるジェーンの視点から見ると、関係者の印象も大きく違っていたりするので、そこも事件の謎を解く大きなヒントになるかと思います。

逆に、数年を経ても全く変わらずに若々しさを保ち続けているのはエドワード。

エドワード気持ち悪い。

 

エマの死はエドワードのせいなのか。エドワードの妻の死はエドワードのせいなのか。

という問題と、

エドワードってぶっちゃけ人間としてどうなの??

という問題。

ここをしっかり切り離して考えないと、最後どんでん返しでやられてしまいます。

 

ミステリ好きの例に漏れず、与えられた印象に翻弄されることなく、着実に隠された真実に迫りたいという、老練の刑事さながらのストイックさで本を読んでいる私ですが、活け作りとか、魚をさばくシーンとか、苦手な生臭いシーンが効果的に多用されているせいもあって、ついつい印象に引っ張られてしまいました。落ち着いて読めば、結構簡単に犯人わかったような気がするんだけど、く、くやしい…!!!笑

 

さて、エマとジェーンは、姉妹かと間違われるほど同じ容姿をしていますが、社交的で魅力的で若干小悪魔的なエマと、内向的で自己完結型のジェーン、2人の性格は大きく違っています。ただ、どちらもエドワードの虜に。

エマは自分に魅力があると思っており、どんな男と付きあっていようと、もっと上があるのではと感じています。エドワードとの交際には概ね満足。交際当初から、エマはエドワードのいいなりです。そんなエマに対して、エドワードは精神的なDVを加えます。あくまでも紳士的に、友達から引き離し、徐々に洗脳していく。

対してジェーンは、バリバリのキャリアウーマンなのに自己肯定感低め。そして、そういう女あるあるで、不倫経験も済。しかし、二度と同じ経験を繰り返さないという強い意志があるため、エドワードに対してもはっきりモノ申します。「私、アナルは嫌です!!」と宣言するなど、笑、簡単には折れません。そんなジェーンには、間接的DVなんかではなく、殴るなどの暴行を加えるエドワード。

ジェーンもエマも、不幸な経験を経て、過去の自分と決別したい!という明確な意思をもって入居を決めましたが、それにつけ込むエドワード。そういえば入居の面接の時、彼女たちの不幸話に目を輝かせていたなぁ…なんて。

エドワード気持ち悪い(定期)

 

とまぁ、エドワードはやばい男で、彼からの仕打ちに耐える意味はありません。その証拠に、入居から2週間そこらで逃げている危機管理能力の高い女も複数いたということがさりげなく明かされています。

じゃあ、そんなエドワードってなんで同じ容姿の女を漁っているのか?なんの目的があるのか…?というのもこの物語の謎の一つ。「(エドワードから)逃げろー!!」とハラハラしながら読みましょう。笑

 

さて、この本、コンマリのMethodに大いにインスパイアされた作品とのこと。

洗練された暮らし、丁寧な暮らし、ときめかないモノは全部捨てる…など、ゴミ箱のような家に住んでいる私からすると、「うらやましい…」なんて思う時もありますが、ミニマリズムを追求した先にあるものは本当に安らかさなのか、時々疑問に思います。

エドワードみたいなサイコ野郎はおいといて、)丁寧な暮らしを喧伝している人に、本当に心の豊かな人ってどれくらいいるんだろう。「『洗練された暮らし』を追求する」という目標も、ある意味執着であり、雑音なのではないかなんて思います。

 

この本の裏テーマは「ミニマリズムVS子ども」です。エントロピーを増大させる方向にしか動かない子どもという存在とミニマリズム、自分の思い通りにいかない存在である子ども。「ミニマリズムVS子ども」というテーマは、子どもを亡くし、障害のある子どもを抱える著者なりの皮肉なのかもしれません。

 

おわり。