はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

初めて「もし…」という言葉を使いたくなった歴史小説 ジャック・ヒギンズ「鷲は舞い降りた」

こんにちは。

女王陛下のユリシーズ号」を読んでいたせいかAmazonが推薦してきたこちら。ジャック・ヒギンズ「鷲は舞い降りた」です。こちらはドイツ軍によるチャーチル誘拐作戦をつぶさに書いたルポ風小説。かっこいい男がたくさん出てくるという点では「女王陛下~」に引けを取りませんし、やっぱりみんな死んでいくんです。ただ、ルポ風ということで語り口が淡々としているせいか、死に際のドラマは少なめ。涙を誘う感じではなく、重厚。

 

コロナウイルスが猛威を振るう中、ランナーにマスク着用を促してマラソン大会を敢行した自治体があるという話を聞きました。そもそもマスクには気休め程度の効果しかないし、マスク着用してフルマラソンってもはや罰ゲーム。感染拡大リスクを最も低く抑えるには「中止」しかなく、それ以外は何をしたって無対策(=野放しに感染拡大)と同義なのですが、ここで、「(マスク着用を促しコロナを意識しているポーズをした上で)開催」という謎の選択がされました。マスク着用に意味はないけど批判されても面倒だからと、お茶を濁した形。その自治体には、「マスクして走らせる意味はあるのか(いや、ない:反語)」と意見できる人はいなかったのかしら、と思います。まぁ、いたとしても「マラソン大会は決行」という至上命令の中では、なかったことにされたかもしれないけど。

このような対応をした自治体を批判するつもりはありません。ただ、日本の至る所で見られる光景ですよね、コレ。すでに結論は決まっている。しかも、論理性よりも「上層部の意向」が最も重要。ただ、あくまで「意向」であって「指示」ではなく、先回りして忖度している。下っ端は何ら意味がないのを知っていて形だけ整えていく作業を粛々と進めます。

 

これはこういうお話です。発端は、「落下傘部隊でチャーチル首相を誘拐できるのでは?」というヒトラーの思い付き。本来なら「そんなことできますかね~アハハ」で済ませられるところ、いろいろな事情が絡まって着々と進行してしまい、最終的に数十名の死者を出した。読めば読むほど「日本っぽい…」と感じる小説。

鷲は舞い降りた (ハヤカワ文庫NV)

終戦まで約2年を残したの1943年9月。

イタリアのムッソリーニは失脚、逮捕、監禁されていましたが、それをドイツ軍が救出します。その大胆不敵・奇想天外な救出作戦に、ヒトラーもご満悦。もともとヒトラーは、イギリス軍には奇襲部隊があるのにドイツにはないという不満がありました。ヒトラーのために編成された奇襲部隊が大成功を収めたとなると、彼の気分は最高潮。また同じような興奮を味わいたくてウズウズしています。そして、軍情報局(アプヴェール)長官カナリスと、SS(親衛隊)、国家警察、ゲシュタポ長官のヒムラーが同席する場で、「この調子で、チャーチルも誘拐できそうだ」と口にしたヒトラー。彼の言葉に皆驚愕しましたが、「可能性があるか調査する(=うやむやにする)」ということでその場は収まりました。

カナリスは、部下のラードルに可能性調査をさせます。カナリスとしては、万一ヒトラーが「あれの件どうなった?」と思い出した時に見せるために、無理な理由をペラいちにまとめてくれればいい、という程度でしたが、スパイの情報を精査して、なんかちょっとできそうな気がしてきたラードル。候補者のリストまで作ってカナリスに報告します。「本気にするなバカたれ!」というカナリスの叱責でこの件は終了するはずが、その経緯をじーっと見ていたのはヒムラーでした。

ヒムラーはカナリスの失脚を狙っています。この二人、警視庁と警察庁みたいな感じで、互いに微妙な関係性でバッチバチぶつかってそうな役職だもの。

ヒムラー泣く子も黙るゲシュタポの存在をちらつかせ、ラードルをカナリスから切り離し、秘密裏にチャーチル誘拐作戦(イーグル作戦)のトップに据えます。ヒムラーとしては「成功すれば自分の手柄」「失敗したらカナリスに押し付け」というどっちに転んでも最高の作戦。成功させる以外に自分(と妻と三人の娘)が生き残る術がないラードルは、5週間後の決行に向けて動き始めます。

イーグル作戦の内容というのはこういうもの。

イギリスの田舎町スタドリ・コンスタブルに住んでいる女スパイ(コードネーム:ムクドリ)のジョウアナ・グレイからの情報により、チャーチルがお忍びで同地のヘンリイ・ウィロビイ邸に一泊することが判明している。前日の夜中に落下傘で沼地に降下し、ポーランド軍を装って昼間はウィロビイ邸付近に潜伏。夜にチャーチルを誘拐し、闇夜に紛れEボートで脱出。

スタドリ・コンスタブルはノーフォークにある海辺の町です。海辺と言っても、白い砂浜!青い海!っていうんじゃなくて、低地で湿地。入江があって、岬があって、黒い砂浜があって、沼がある。しょっちゅう雨が降って霧が濃くてジメジメした感じ。接しているのも太平洋じゃなくて北海ですから、とにかく寒々しい町。

警備が手薄な中お忍びで一泊。それだけでなく、侵入経路(降下におあつらえ向けな沼地)、脱出経路(海)が整っているということで、イーグル作戦が立案されました。

まずはジョウアナと行動を共にするスパイのリーアムを送り込みます。ジョウアナの甥を名乗り、ジープやら必要なものを揃えていく。リーアムは美男子なので、町の女(モリイ)をめぐってひと悶着起こしジョウアナをカンカンに怒らせるなどしますが、実はリーアムにとって初めて愛を覚えたのがモリイでした。モリイに送った手紙が泣ける。

続いて実働部隊の落下傘部隊。様々な勲章を授与されている歴戦の勇者シュタイナを隊長に、十数人。落下傘部隊はポーランド人を装う必要があったので、英語を話せる人間が必要ということで、上から押し付けられた役者風情のプレストンがいきなり加わる。シュタイナと共に死地をくぐりぬけてきた落下傘部隊(エリート)の中に変なのが加わったことで一瞬足並みは乱れますが、シュタイナの叱咤により終盤にはプレストンも一人前に。プレストン自体は微妙な男なんだけど、シュタイナとの絡みは好き。

 

さて、読めば読むほど感じた「日本らしさ」っていうのはこういうところにあります。

そもそも、イーグル作戦って「無駄の極致」なんですよね。イーグル作戦の概要を見た人の一発目の反応は全員コレ、「バカか!?」なんです。「お前、寒さで頭やられたか?」と。「俺は豚が飛んでもびっくりしないが、ドイツ軍が勝ったらびっくりするわ!それでも、これをやる意味は??」と嘲笑うリーアム。

父をゲシュタポに人質に取られたことで参加を決意したシュタイナは、怒りに任せてこんなことを言います「この作戦で得られるものが何か教えてやる。ゼロだ!無だ!」

仮にチャーチルを誘拐できたとして、ドイツに勝利はありません。チャーチル誘拐は、戦術レベルの勝利ですらない。それを知っていてなぜやるか?俺たちに命をかけさせてまでやらせる意味は?

答えはひとつ。「なんとなく。やったほうがいいと思ったから」です。

日本あるある1.上の意向を勝手に忖度して先回りしてやってあげる

ヒトラーの指示があったわけではありません。というか、ヒトラーはそんなことを言ったこと自体忘れていた可能性大。ヒムラーが「ヒトラーの誕生日にチャーチル誘拐をプレゼントしてあげたらいいかも」なんて考えて動いていました。

日本あるある2.責任の所在は常に曖昧

作戦決行当日にヒムラーは「イーグル作戦について総統(ヒトラー)には知らせていないから(=失敗しても俺は関知していない)」とラードルに告げます。でたー!上の意向で動いていたはずなのに、火を噴くと即ハシゴ外されるヤツ。お前は!こういうときに責任を取るために!普段から高い給料もらってるんじゃねぇのかよぉぉ!!!と言いたい。

日本あるある3.いつでもどこでも精神論

ヒムラーは「失敗は弱気の証拠だ」という言葉を使います。いや、違うと思うけどね。

 

イーグル作戦に話を戻します。

当日、降下は無事成功し、ポーランド軍のフリをして町の中で訓練をしいていた彼らは、隊員のシュトルムがおぼれた女の子を助けるために川に飛び込み、水車に巻き込まれて死んだことで正体が露見します。その後は集落の全員を教会に集めて軟禁するという作戦に切り替えるのですが、神父の妹が脱出し、近くで訓練中だった米軍のレンジャー隊に助けを求めます。その後はレンジャー隊と落下傘部隊の戦闘となるのですが、数や武器で勝るレンジャー隊に善戦し、シュタイナ以下数名の隊員が離脱します(おそらく戦士としての腕前は落下傘部隊が段違いに高い)。時は夕刻。日が落ち、闇に紛れることができれば落下傘部隊にも勝ち目はありますから、レンジャー隊から逃げ続けるシュタイナ達…。彼らはEボートで帰還することができるのか?

実はこの裏で、ロンドン市警の人間がリーアムの正体に気付き、車でノーフォークに向かってきています。ドッキドキがとまらない展開!!

 

ただ、この小説、最初にオチはわかっています。ルポ風ということで、この小説の語り手はジャック・ヒギンズというライター。ヒギンズが取材でスタドリ・コンスタブルの墓地を訪れるシーンから始まります。彼はある男の墓を探していたのですが、偶然「ドイツ軍落下傘部隊シュタイナ中佐以下13名眠る」という墓碑が隠されているのを発見してしまい、興味を持って調べるという構成なんです。

つまり、作戦が失敗に終わったということが最初にわかってしまうという。シュタイナとかノイマン(副長)がかっこよくて、読むたび惚れていくわけですから、やっぱり死ぬのか…ってなって切ないわけです。

 

歴史に「もし」はないという言葉は有名ですし、普段歴史モノを読んで「あのときああだったらなぁ」なんて思うことはないのですが、この小説で初めて「もし…」という言葉を使いたくなりました。それは、シュトルムの死。あそこで見て見ぬふりをしていれば…?そもそもそんな事件が起きていなければ?全員生きて帰れる目もあったかもしれない、なんて思ってしまう。それくらいシュトルムの死からバタバタと全てが崩れていく様が哀れだし、それをフォローするシュタイナの背中が(見たわけじゃないけど)悲しげ。なんか、ジョウアナの死も切なかったんだよな…

 

実はシュタイナ、外の世界ではすごく人気らしく、「冒険・スパイ小説ハンドブック」の主人公部門で2位だそうですw 私の読書人生の中でも5本指に入る素敵な男。かっこいい!!!

登場シーンでノイマンと「俺の短い人生で学んだことは、何事も期待を抱くな、ということ。うまくいっているときは特に」という語らう部分があるんだけど、すでにそこからかっこいいし、このセリフが最後に効いてくるのも、ニクいんだよなぁ。

新・冒険スパイ小説ハンドブック (ハヤカワ文庫NV)

新・冒険スパイ小説ハンドブック (ハヤカワ文庫NV)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2016/01/08
  • メディア: 文庫
 

リーアムも最後はかっこよかった。さっさと逃げてしまうかと思いきや、「俺はこういう時に見捨てられねぇんだよなぁ」みたいな感じで居残る。そして約束だった無線連絡はなかったけれども、帰還を信じてEボートを走らせたケーニヒとの信頼関係も、じーんとくる。

 

シュトルム、シュタイナ、ジョウアナ、リーアム、ケーニヒ…他にもたくさん。不可能と思える局面で一人一人が勇気を振り絞り、成功を期して戦い、散っていく。特攻隊の話を読んだ時と同じような読後感で、「女王陛下~」に比べておそらく日本人好みなテイストだと思います。

圧倒的な重厚感にしばらくは茫然としてしまいました。

 

おわり。