はらぺこあおむしのぼうけん

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世の中には一つとして「完全オリジナル」の小説は存在しない 「大学教授のように小説を読む方法」

こんにちは。

世界的に売れた本です。トーマス・C・フォスター「大学教授のように小説を読む方法」

世界的な文学作品の読み方を笑い転げながら理解できる本。今までのテクニックを試すためのテストと、巻末にオススメ本が難易度別に紹介されているのが素晴らしいです。また、流れるような文章に、著者のジョークを鮮度そのまま日本語にした訳者の方にも拍手を贈りたい。

大学教授のように小説を読む方法[増補新版]

この本を手に取った理由は、ずーっと教授に聞いてみたかったことがあるからです。いわゆる「あれも男根、これも男根問題」。え?アレですよアレ。どんな夢を見ても男根を示唆するフロイトの話をもじって。

文学の授業を受けたり、解説書を読んだりすると絶対にぶつかる「アレはコレのメタファーで、ソレは皮肉で…」ってどれくらい正しいの?そしてそういう(時にはこじつけと思えるまでの)突飛な発想はどういうところから出てくるの?という。

 

それに対して先生はこのように回答してくれます。※ここは全編通して得られた私の意訳です。少なくともこういう回答を得た気分になっています。

もちろん教授であってもコレ何?ってなることもあるし、教授が出した答えがすべて正しいわけではない(作者に確認のしようもないし)。しかし、小説家は自分では完全オリジナルの作品を書いていると思っていても、世の中に、完全オリジナルの小説というものは存在しない。登場人物の設定から、テーマやアイコン、見せ場など全て、意識的・無意識的に関わらず過去に接した作品から拝借している。教授は何千もの作品を読み、それを解釈し蓄積することで、「あ、コレはあの作品を読んだ時の…」と比較検討できる。そういう個々のデータベースを持っているという点において、教授が一読者(一学生)とは異なる存在であると言える。

素直に「教授といえども全知全能ではない」と認めているところ、そして意外に理系的なアプローチで答えを導き出してくるところ、いいですね。好感が持てます!

 

ざっと、エッセンスをまとめるとこんなん。

★旅はみな探求の冒険である

a)探求者、b)目的地、c)目的地に行く建前上の理由、d)途中でぶつかる困難や試練、e)目的地に行く真の理由

があればそれは冒険の物語。そして、e)目的地に行く真の理由は往々にして「自分探し」である。主人公が旅をする話(時には旅をしないし、目的地に達せないまま終わるものもあるが)を読んで、おや?と思ったらa~eを探して当てはめてみるべし。これは冒険の物語であると気付けたら、もうけもの。

★食事=聖餐式

一緒に食事をする場面は親密さの象徴。ときには性的なものも示唆することもある。食事の中断は不幸の前触れ。食事中に相手を殺すような話には嫌悪感を抱く。

★天気(季節)の話

季節や天気は言いたいことを伝えるための絶好のツール。

雨=清らか、禊の象徴。しかし、雨が降ると地面がぬかるむ。転んだりするともっとしみだらけになる。要は使いよう。また、雨と春の組み合わせは再生を意味する。

霧=混乱や困惑。雪=清らか、残酷、厳しく、温かく、魅力的、遊ぶには楽しい、重い、汚らわしいなどたくさんの意味があるので、どこを選んで料理しているかがミソ。

★おとぎ話のアイロニー

BMWに乗ってブランドものをゴテゴテに身に着けたカップルが森に迷い込む話。これはヘンゼルとグレーテルを示唆。力の象徴だったもの(BMWとか…)が何の役にも立たなくなった(逆に災厄を招きかねない)今、子ども同然。「複雑化して道徳さえ曖昧になった現代社会におとぎ話やその単純明快さを持ち込もうとする時、作者はまず間違いなくアイロニーを目指している」とのこと。

アイロニーじゃないけど、この本と相通じるものがあったので、参考までに。

診療室にきた赤ずきん―物語療法の世界 (新潮文庫)

診療室にきた赤ずきん―物語療法の世界 (新潮文庫)

  • 作者:大平 健
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/08/01
  • メディア: 文庫
 

★死

登場人物が死ぬときは、事態の進展、プロットを複雑に・もしくは複雑になったプロットの整理、ある人物にプレッシャーをかけるためのことが多い。

「ミステリー小説は例外。200ページもある小説では少なくとも3人は死ぬが、これらの死に意味はあるか?いや、無意味と言って差し支えない」ってただし書きしてあるのウケる。

★セックスとロレンス

「私に言わせれば、ロレンスのありがたいのは、作品分析に全てセックスを絡ませておけば問題ないところ」という話で始まるセックス談義。性的なものがそのものズバリ出てこなくても、思春期の中学生並みに「これは…性的メタファーなのでは…?」くらい積極的に考えていってOK。

しかし、セックスの行為そのものを書いているとき本当は何か別のことを言おうとしている。セックスの行為(それに至るまでの道筋ではなく)を逐一書くのは、一度自分でもやってみたらわかると書いてあるけど、古臭くて気持ち悪くて気恥ずかしいし、そんなにパターンがない、つまり全然書いていて楽しくない。それをおして書いた以上、著者にはほかに伝えたいことがあるとみて差し支えないということ。

ここの章はマジで面白い。「セックスを書いてセックスだけを意味している場合もあるが、これには特別な呼び名がある。”ポルノグラフィー”だ」からはじまって、学生が気恥ずかしそうに「これって何なんですか?」ってセックス描写をもってくることがあるが、自分にも全てはわからんちん!!と書かれる。最後には「ロレンスは40代初めだというのに肺結核で死期が近づいたとき、過激なまでに率直で赤裸々な小説『チャタレ夫人の恋人』を書いた。(中略)ロレンスはもうこれ以上長編を書くことができないと知っていた。激しい咳に苦しみながらこれまでに発表した作品とは比べものにならないほど露骨な性描写に満ちたストーリーに命を注ぎ込んだのである。自分の存命中にこの本が広く読まれることはないと熟知しつつ。だから今度は私が尋ねる番だ。...これって何なんですか?」で締め。爆笑!絶対ロレンスのこと馬鹿にしてると思うw

★浮かび上がったら洗礼

水に飛び込んで浮かびあがってきたら(洗礼を受けた)特別な人になる。

★なんで物語に出てくる病気は結核なの?

見た目が気持ち悪くないからです!見た目が気持ち悪くなるやつは使えないないからです!

この章、「医学が進歩していなかった時代、昔の小説は作り物の病気でいくらでも好きなことを言えたのに、今は医学が進歩したから好き勝手病気作るなんてできないよね~」って締められているけど、今でも日本には「オエって吐いたりしない、綺麗なままで死んでいく謎の病気に罹る女子高生と男子高生の命を懸けた愛!涙なしでは見られない!」とか陳腐な作品あふれてるけどね~。って思う。

 

さて、いろいろ挙げてみましたがこれら、これ全部、どっかで読んだり見たりしたことあるよね~?っていうのがこの本で最も言いたいことなんです。

冒険の物語なんてRPGそのものだし、金持ちだけどなんか好きになれない男と食べるフレンチは美味しくないけど、好きな人と食べる銀だこは最高だとかそんな話腐るほど見たことあるし、雨に打たれて走る男がコケて泥まみれになったらだいたいその恋はうまくいかないのも知っている。羊の木っていう映画で、2人で海に飛び込んで浮かび上がってきたら神、みたいなのもあったよね。

と、大して本を読んだりしていなくても、なんかこういう設定知ってるわ~、ってなるわけです。世界で初めての小説が何だったかなんて知るわけはないんだけど、100年前の小説も今ここで生まれている小説も、全てどこかに源があるということは確か(小説だけでなくドラマや映画も)。そして小説家は、知らず知らずの間に、それを少しずつ取り込んで作品を作っているんです。

だから、この描写、匂うなとか、これ、あそこで読んだな…?というアプローチで本を読み解く大学教授の言うことは、少なくとも自分が思う解釈よりも真実に近いと思うし、そういう読み方をかじる意味は存分にあると思います。

あと、文学好きなのに、周囲の読書好きはだいたい東〇圭吾とかばっかりでイチイチ語る気も起きないという人が喜ぶような、文学ジョークもところどころに挟まっているので、ニヤニヤできるところも良い。

 

最後に、おもしろかった部分を紹介しておわり。

・暴力(シーン)を否定したら様々な文学作品が読めなくなる。ジェーン・オースティンばかりを読むっていう手もあるけど…オースティンだけが頼りの読書は心もとない。

・ハリウッド映画は一時期、ヘイズ・コード(映画製作倫理規定)により厳しく制限されていた。なかなか興味深いのは、死体なら薪のようにいくら重ねても構わないが、生身の人間の体は縦に並べてはいけない(性的描写の制限)という決まり。

(教授だから当たり前なんだけど)すごく物知りで、ぜんぜん関係ない引き出しからびっくりするようなものを持ち出してきて、変なことを言い出す。そして、皮肉が冴えているんですね。小説を読んで「あー面白かった」で終わらせないたくない人の、必携本でした。

おわり。