はらぺこあおむしのぼうけん

読書、映画、ときどき漫画のレビュー。最新刊から古典まで。

嫌いな人間の嫌いなところを挙げてみると、全部自分にあてはまったりする。カズオ・イシグロ「浮世の画家」後半戦

こんにちは。

後半戦、いっきまーす。

浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)

これまでのあらすじはこちら。

 

話は見合いの約半年後。1949年冬。

縁談がまとまった紀子は、斎藤Jr.(太郎)と結婚し、新生活を始めます。節子を伴って紀子の新居へ遊びに行く道中、節子がこんなことを言います。「紀子から見合いの話を聞いてびっくりしたけど、なんであんなことしたの?(見合いの場で、過去の罪を認めるような発言をしたのか)」そして、「斎藤さん(父)は見合いが持ち上がるまで、お父さんがどんな仕事をしている人なのかよく知らなかったらしいのよ?」と。

お???

 

まず一つ目の質問に対して。「お前が気を付けろっていったからだろうが!(父の過去の扱いは要注意だと指摘したのはお前の方だ!)」と小野は怒ります。そうですよね。ココ、読者はすごく混乱するんですよ。だって、「相手方の調査に備えて」と言ってたのは節子のほうなんですから。ただ、この小説全てが小野目線で書かれた物語であるという前提に立ち戻ると、節子が本当にそんなこと言ったかどうかなんて、判断がつかないんですね。そして節子もはっきりと何がマズイか指摘していないわけですから、どうやら小野の思い違いらしい。少なくとも節子が気にしていたのは、父の過去の仕事についてではないというのは確かなようで。

続いて、二つ目の質問。「そんなことない!美術に関わる者同士、互いのことを知っていたさ!」と、こちらも激怒。小野って怒ってばっかりだな…

あ、斎藤家の話をしていませんでした。斎藤(父)は斎藤博士と呼ばれていて、芸術評論家ですごい家柄(小野談)。1年前に破談になった三宅家は、小野家のほうが格が上だから、バツが悪くなって破談にされたが(小野談)、斎藤家は仕事の内容も家の格も申し分ない。”あの”斎藤博士のご子息との見合い話とは!と小野は喜んでいました。

確かに見合いよりずっと前に、市電の中で会話をするシーンがあったので、二人が顔見知りであることは確かなんです。それを小野は、有名な画家の自分と、美術に関わる斎藤博士はもちろん互いをよく知っている(小野流に言うと”名声を互いに承知している”)、と理解していたようですが、実際は、ただのご近所さんだった説が浮上します。屋敷に引っ越してきたときによろしくと挨拶した間柄。

 

話がこんがらがってきましたのでここで一旦、節子の話を「正」として視点人物を斎藤博士に移してみると、斎藤父ビジョンでは、小野爺はヤベェことになっているんです。

斎藤ビジョン:釣り書きを見てまぁ良しとした近所の家と見合いをしてみたら、父親が「私のせいで戦争が起きた!!!」としきりに謝罪している。画家ということは聞いていたけど、名前とか知らねぇし。でもなんかすげぇ謝ってる!戦争ってどういうこと?

となるわけです。恐怖!!!まぁ、大人ですからその辺はうまく流して、当人同士も良い雰囲気だし、と言って結婚に至ったんでしょう。見合いのシーンを見た時点で、コレ終わった…と思っていた私ですから、結婚したと聞いて軽く衝撃を受けました。そして、良家のご子息がこんな結婚していいの?なんて思うわけです。

ただ、ここにまた、新たな小野の勘違い疑惑が浮上します。斎藤家、そんなに家柄すごいわけでもないのでは?疑惑。というのも、見合いで指定された「春日パークホテル」、実在するかは知らないのですが、おそらく中の中くらいのホテルです。ホテルの名前を聞いたとき小野は「斎藤家とあろうものがこんなホテルなの?」とがっくりするシーンがありました。奥さんが気に入っているお店があるから、と仲人になだめられ了承するのですが、ここが少し気になる。自分のところの嫁になるかもしれない女性を、なぜ微妙なホテルでもてなすのか?と。

そしてもうひとつ、太郎が務めているKYCとかいう会社も「10年以内には日本中に知れ渡るような会社になりたい」と言っているくらいで無名の会社?なんですね。当時はコネ入社が普通の社会ですから、そんなすごい家柄なら、息子を旧財閥系のとこにもぐりこませるくらい簡単にできるわけで、ここもちょっと引っかかる。その証拠に、節子の夫は日本電気で働き、帝国荘(帝国ホテル?)で見合いしています。もしかしたら斎藤家、ありがたがるほど良い家でもなかった可能性があります。

そして小野の話。ここまででお気づきかもしれませんが、すごい画家ではなかった説が濃厚です。少なくとも、美術評論家である斎藤の目には留まらなかった程度というのは確実。

父が見合いでしきりに謝罪をしていたという話を聞いて泡を食った節子、素一は、父に何かあったのではないかと勘繰ります。折悪く、軍歌を作っていた著名な音楽家が国民への謝罪のために自殺した事件があり、父も自殺してしまうのではと心配していたのです。それを聞き、「私も影響力を持っていた人間として謝罪したいが、自殺することはないよ」と一笑に付した小野に節子は、「お父さんも確かに、画家としてお仲間の間で影響力を持っていたけれども、お父様のお仕事は、戦争には関係ないでしょう。過ちを犯したなんて、そんなこと考えないで」と言って気遣います。

また、小野は、斎藤博士が自分のことを知らなかったと主張する節子に誤りを認めさせるため、「君のお父上とは、十何年以上も互いの名声を承知していたのに、親しくなったのはこの一年であるということは残念なことだねぇ?」とわざと太郎に声をかけます。「ええ…」と言葉を濁し、節子らと目配せする太郎や、こちらを見ようともしない節子の態度を「自分が誤っていたというプライドのために、こちらを見れないのだろう」と解釈し、小野は満足したのでした。

と、こんなオチがついていたのでした。

 

だましの手口wは「日の名残り」と同様です。就職のために推薦状を書いてあげただけで多分な感謝をされたり、大勢の人が自分の話をじっと聞いていたことを思い出して、何度も自分の高い地位をアピられるわけですから、すごい人だったんだなぁと思う読者たち。

また、それに一役買っているのが、小野が住んでいる家。物語は、家を購入した経緯から語られるのですが、これがなかなか面白いんです。妻にせっつかれて新居を探していた小野は、戦前の実力者である杉村氏の家が売りに出されると聞いて、形だけ問い合わせをしていました。そうしたらある時自宅に杉村の娘たちがやってきて、「人徳を”せり”にかける」と言い出します。大切な邸宅は、お金ではなく、父がこだわった家にふさわしい人間に譲りたい、そしてできるならば、芸術に理解を示していた父の遺志を尊重したいと、びっくりするくらい低い金額を提示するんですね。結果、旧杉村邸を手に入れることになった小野家。冒頭にも「こんな家にすんでいるならさぞ金持ちだと思われるだろうが、金持ちではないし、金持ちだったこともない」ってしっかり書かれていました。

ただ物語には、何度も、「人生には、ふと、自分がかなり高いところに上っていたと気付く瞬間がある」というような言葉が出てきます。がむしゃらにやってきているように思っていても、しっかり積み上がっている、という意味合いなのですが、ココは、家のことも含まれているだろうなと思います。立派な家に住んでいるうちに、自分もこの家と同じくすごく偉い人間だと思い込んでいったのでは?なんてにらんでいます。

 

最後に、、、もう一つのオチを。

小野は「がむしゃらに生き、成果を上げた。仮にそれが後世の価値観に照らしてみて否定されたって、それはそれで人生に意味はあるだろう。だって自分は大事を成し遂げた人間なんだから」という自己正当化を繰り返します。それは前回「無能な働き者」として批判した通り、私としては「まっこと、幸せな耄碌ジジイだな!!」とバッサリ切り捨てたいところなんですが、とりあえず一旦置いておいて、小野がこういう価値観を持っているということを覚えておいてください。

そして小野は、自分のような生き方をできなかった人間を馬鹿にし、こき下ろしています。例えば「浮世の画家」こと、師匠の森山。日本が戦争に向かっていく中、相も変わらず芸妓なんかの絵を描き続けて庶民の娯楽を守ろうとした男。仕事のやり方を変えないどころか、今の世はいかん!と批判したせいで、仕事もなくなり挿絵などで生計を立てるようになりました。小野は、元師匠と立場が逆転したことで、面と向かってバカにするためにアトリエを訪れたりもします。そしてもう一人、「カメさん」と呼ばれていた、何をやるにもトロくて、人当たりが良い男。「カメさんはな~、着実な歩みと生き残る能力だけはすごいんだけどなぁwww」と馬鹿にしている。

じゃあ小野の人生ってどんな感じだったんだっけ?ご存じの通り、小野の言い分には何の信ぴょう性もないので、一番弟子であった「黒田」に語らせてみることにしましょう。

黒田:私は小野の一番弟子でした。しかし、愛国主義に傾倒していく姿を見て、彼に反目します。怒った彼は、腹いせに私のことを特高警察に密告しました。彼は体制寄りでしたから、顔がきいたんですね。そのせいで私は特高に目を付けられ、ひどい目にあいました。絵も全て燃やされました。先日「急用」とか言って家を訪ねてきたようですが、もちろん追い出しましたよ。ちなみに私は斎藤さんと知り合いですが何か?

小野って・・・・・・

「戦争の機運高まる中で真っ先に愛国主義を掲げ、戦争中は『贅沢は敵だ』とか書いてお金を稼いでいた」男だったんですね。ついでに、腹いせに弟子を密告するとか最低だぞ!

いや、大事を成せなかったどころか、時代に流れに流されて、小銭稼いでせせこましく生きてきたのって、まさにお前のことだろうが!!!!!

っていう、自分の人生を客観的に見ると、実は最も馬鹿にしていた生き方をしていたということまで明らかになるというオチ。見事!

ちなみに題名の「浮世の画家」。解説を読むと、戦争に向かっていくという社会の変化を受け入れられず耽美主義を貫いた森山と、進むべき方向を見誤り精神主義に傾倒した小野、共に「世界に疑問を持つことをやめてしまった」という点で、同じ「浮世の画家だ」と書かれています。

遠い山なみの光」の雰囲気で、「日の名残り」と同じようなテーマを設定した、そんな小説。ただ、自己の正当化は「日の名残り」の老執事とは比べ物にならず、イライラはしますが、趣深い。いやー、小野は幸せだよ、いろんな意味で。

 

次は「充たされざるもの」を。文庫本で5cmくらいあってすでに衝撃を受けています。

おわり。

 

関連記事はこちら。

dandelion-67513.hateblo.jp

dandelion-67513.hateblo.jp

dandelion-67513.hateblo.jp

dandelion-67513.hateblo.jp

dandelion-67513.hateblo.jp