はらぺこあおむしのぼうけん

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ブラックユーモアに満たされたロシア小説 新潮クレスト「ペンギンの憂鬱」

こんにちは。

 

ロシア文学は好きですか?チェーホフトルストイドストエフスキー…私は超絶有名人しかしらないのですが、苦手なんですよね。全体的に暗くない?なんかこう、いつも曇天!みたいな。あと、ブラックジョークがきつい。チェーホフ・ユモレスカというチェーホフの短編集があるのですが、これも、8割方苦笑いなんですよ。もちろん面白いんだけど、読後感はどんより。

チェーホフ・ユモレスカ―傑作短編集〈1〉 (新潮文庫)

チェーホフ・ユモレスカ―傑作短編集〈1〉 (新潮文庫)

 

 

紹介するのは、新潮クレスト「ペンギンの憂鬱」。これは新潮クレストのベスト4(新潮クレスト創刊20周年のフリーペーパー「海外文学のない人生なんて」より)とのことで、明るいやつを期待してました。ペンギンが出てきたら否が応でも明るくなんだろ、っていう。帯に「憂鬱症のペンギンと売れない小説家の共同生活…」的なことが書いてあるわけで、これはアレだ。人語を操れるのではないかと錯覚するくらい人間臭いペンギンが、うだつの上がらない小説家にささやかな幸せをもたらすやつだ!と妄想するわけですが、ハズレー!これも曇天系ブラックユーモア小説。

 

ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス)

 

売れない小説家ヴィクトルは、ペンギンのミーシャと暮らしている。あるとき割の良いバイトを紹介された。それは、まだ生きている人の哀悼記事(十字架)を執筆し新聞社に提供する仕事。素材を渡されて、ココは必ず入れてくださいと赤丸つけられているところを漏らさず入れれば、あとは自由。事務的すぎず、でも感情的すぎない文章を…と、執筆意欲を刺激される上に割も良く、平凡に暮らしている。

しかし、十字架を書かれた人が次々に謎の死を遂げていく。ある時、「ペンギンじゃないミーシャ」という中年男がポケットマネー?で十字架の作成を頼んできたあたりから、状況がおかしくなる。人間ミーシャは、ソーニャという娘を置いて蒸発。のちに死亡。人間ミーシャからは、クリスマスプレゼントとして大金と拳銃が送られてくるなど。怖!

そのあと、新聞社の編集長が一時的に失踪。自分たちがやべえ仕事をしていることと、そのせいで一時的に命が狙われていることを暴露する。そして、「お前が不要になったら、お前も殺されるだろうなぁ」と物騒なことを言い残して去る。のちに、「なんとか片がついたぜ!」と帰還してから(どうやって片をつけたんだ?やっぱりやっちゃったのか?)は、また比較的平和な毎日に戻る。そのころには、ソーニャと、ソーニャのシッターとして雇ったけれども直後に男女関係になったニーナと、家族?が二人増えているヴィクトルであった。

そんなある日、ニーナが「あなたのファンに会った」「そのファンの人は、あなたの写真が欲しいらしい」と意味深なことを言ってくる。脅かされる平和な日々。ニーナを見張り、そのファンとやらの後をつけ、潜伏先に押し入るヴィクトル、そこで目にしたのは…世にも奇妙な物語が好きな人なら、そこに何があったのかはピンときますよね?アレですよ、アレ。事実上の死刑宣告のアレ。と、サスペンスとしては巧みな構成。

一番真相に近いのは編集長だと思うのだけど、結局黒幕は明らかにならないです。人生の不条理というか、末端の人間ってこうやってポイされていくんだよね(もちろん編集長も末端にいる)、というすごいこわーい展開。

 

サスペンスとしてはきれいにまとめられているので、その他の話を。

この物語を読むうえで重要なのは時代設定。舞台はソ連から独立したばかりのウクライナ。超絶やべぇマフィアが跋扈し、殺人、発砲なんて日常茶飯事の浮足立っている国。爆弾を抱えている国が平和な国になっていくための過渡期であるということです。

社会不安。明日も見えない、誰も信頼できない世の中で、ペンギンと身を寄せ合って生きてきたヴィクトルは、十字架の執筆という形で社会と関わりを持つことになる。そして社会の歯車に巻き込まれる。そういう茫洋とした不安がひたひたと感じられる作品。

 

父親に置いて行かれたソーニャを見て、ヴィクトルはこう思います。「この世の中は子どもにとっては酷だ。世の中も、自分の生活も奇妙だ.。でも、理由を知る必要はない。ただ生きのびることを考えるだけだ」「今の時代、自分の居場所を確保しておくだけでも大したことなんだ。願わくば誰の恨みも買わずに」

正直、ヴィクトルの生きる糧がよくわからないんですよ。向上心はないけど、生きることには執着している。しかし無感動。積極的に生きる気も積極的に死ぬ気もないという。中盤からはソーニャの存在が大きくなってくるかと思えば、そうでもなく。無気力な若者というのは、不安な社会の落とし子なのかな、という印象。

作品中には、ピドパールイという死にたがりの老人が出てきました。彼はペンギン博士。身寄りもなく、死を前にしながらも穏やかです。「人生の一番いい時は過ぎてしまった…」が口癖。対してヴィクトルは、「辛い生のほうが楽な死よりはマシ」という人生観。この2つの人生観の対比が妙。ピドパールイは言います。「一世紀の中には、5年くらい良い時代があるもんだ。それを貪り、食い尽くしたらまた冬の時代。自分は良い時代のおこぼれにあずかったから良いけど、お前たちは可哀想だなぁ」ここにも世代間格差…怒!!!

不安な時代はとにかく理不尽なことが多い。良き時代に生まれつくことができなかった金も権力もない弱い人間は、その理不尽さに耐えながら、自分と家族が生きのびるためのことだけを考えていくしかない。何が正義かとかは関係ない。小さくまとまろうが、しょうがない。ただ耐えるのみ、という圧迫感。「人生がしっくりこない」はヴィクトルの口癖です。しっくりこない人生を背負って、それでも生きていく。これが、この小説が曇天である理由かな、という感じです。

 

で、ペンギンはなんのためにいるの?っていう話ですよ。

解説によると、「本来いるはずのないところにいて苦しんでいる、宙ぶらりんなヴィクトル(社会も?)を表徴する存在」ということ。このペンギンは、閉園した動物園からもらわれてきた存在で、人間との生活が肌に合っていない。どんどん弱っていくんですね。本来いるべき場所に帰りたい、そのいるべき場所はどこかわからないけれど、帰りたい、逃げ出したい、そういうヴィクトルや社会の表徴なんだそうです。あと、最後のオチにも必要な存在なので、それは読んでからのお楽しみ。

 

ブラックなネタも満載。

カギを変えてもなぜか家の中に怪しげな手紙やブツが置かれることについて、なんでカギをかけて寝たのにこういうことになるんだ!!と怒るヴィクトルに「完全に閉まるドアがなんてねぇよ」と平然と言う怪しい男。「ペンギンを葬式に連れてきてくれ。葬式にお似合いだろ?だって白黒だし」という発言や、大病を患ったペンギンを前に、「子どもの心臓を移植すれば治りますよ。心臓はお宅が用意しますか?それとも私が調達しましょうか?」と平然と聞く獣医。

どこまで冗談なの??笑っていいの?ってなります。

 

サスペンスとしても一級品ながら、社会問題や社会不安を的確に言い表している、ブラックユーモアもたっぷりと、大満足でした。

 

おわり。